1.シャドウパンサー
本日は2話投稿しています。ひとつ前に「プロローグ」があります。
乱暴に地面に下ろされて、私は初めて男たちの顔を見た。
薄汚れた風体の男が全部で三人。
うち二人は細身で軽装。一人はナイフを、もう一人は弓矢を持っている。
道中ずっと喋っていたのはこの二人だった。
最後の一人、私を担いできた男だけが大柄で、前屈みになった大きな背中に山のような荷物を積んでいる。
軽装の男二人が、にやにやしながら私を見下ろした。
「よく見りゃいい服着てんな、おい。これだけでもひん剥いて売り捌きゃ…………」
「よせって。こいつはあくまで魔物に殺されたってことにするんだからよ」
弓矢を持った方がそう言うと、傍らにあった鉄の扉を押し開ける。
「入んな、嬢ちゃん。ここのボスはシャドウパンサーだ。運が良ければ一噛みで………っ⁉︎」
ドスッ。
どこからか飛来した矢が、男の喉に突き立った。
「誰だ!」
ナイフを持った男がさっと身構える。
迷宮の暗がりから現れたのは、揃いの鎧に身を包んだ騎士の一団だった。
その胸に刻まれているのは、カーマイン家の紅薔薇の紋章――。
助かった、と思うより前に、全身にぞっと鳥肌が立った。
だって、彼らが私を見る眼はまるで――……。
「てめえら、伯爵家の……! くそ、待ち伏せてやがったな!」
唾を飛ばして叫ぶ男に、一人だけ前に立った金髪の騎士が軽く肩をすくめて見せる。
「待ち伏せ? いいや、我らは罪人を追ってきたのだ。畏れ多くも、カーマイン伯爵家のご令嬢を誘拐した犯人をな」
まるでゴミでも見るような。
「やれ」
金髪の騎士が軽く手を挙げるのと。
「ハメやがったな。クソがあぁぁぁぁっ!」
ナイフの男が地を這うように飛び出す姿が。
ぐんっ、と身体を持ち上げられてひしゃげた視野を流れていった。
「あ……っ、がっ!」
男の悲鳴。肉に刃が食い込む鈍い音。
血を噴いて倒れる男の姿が、重々しく閉ざされた鉄の扉の向こうに消えた。
一人生き残った大柄な男が、私もろとも階層主の部屋に飛び込んだのだ。
――逃げられたか。
――心配ない。逃げたのは娘と荷運びの男だけだ。シャドウパンサーには敵うまい。
分厚い鉄の扉越しに、騎士たちのくぐもった声がする。
――我々はしばらくここで待機。ボス部屋の扉は、いったん閉じると、中に入った者が死ぬか、ボスが討伐されるまで開かないからな。解錠されたら、念のため中を確認してから帰投する。
――はっ!
私はあらためてあたりを見回した。
ドアを背に立つ私と大柄な男――ポーター――の前に広がっているのは、暗く、天井の高い大広間のような洞窟だ。ところどころ、濡れた岩に張りついた苔のようなものがぼんやりと発光しているが、奥の方は闇に閉ざされている。
その暗がりのてっぺんに、青白い光が三つ、ぽっと灯った。
ついで闇全体がもぞりと動く。
(闇……じゃない!)
たっ。
洞窟の奥の岩場を蹴って私たちの前に降り立ったのは、三つの目を持つ六本足の黒豹――シャドウパンサーだった。
【シャドウパンサー】。
カーマイン迷宮に生息する黒豹の魔物。その毛皮は最高級のシルクのような光沢を持ち、耐久性と優れた保温性を兼ね備えている。カーマイン領の特産物のひとつ。
うん、母様も持ってた。シャドウパンサーのコート。
侯爵夫人だっておいそれとは買えないお値段なんだって、母様が自慢げにしてたっけ……。
などと現実逃避している間にも、シャドウパンサーはゆっくりと近づいてくる。燐光を放つ三つの目が私とポーターを見比べている。どちらを先に食べようかと品定めをするように。
ポーターの手が、腰に差した山刀のほうにそろりと動いた。
とたんに底深い咆哮が、洞窟の空気をびりびりと震わせる。
六本の足が、一本ずつ、音もなく位置を変え始めた。狙いを定めた獣の、跳躍前の動きだ。
「ひっ……ひぃっ……」
じり、と後ずさったポーターの巨体が、背中の荷物ごと鉄の扉にぶつかった。がしゃん、と鍋か何かの鳴る音。それでも扉はびくともしない。
「く、来るな……っ。来るんじゃねえ……っ!」
忙しなくきょろきょろするポーターの視線が、私のところでぴたりと止まる。
――あ。嫌な予感!
次の瞬間、丸太のような腕が伸びてきて、私の襟首を掴み上げた。
と思ったら視界がぐるんと回り、固い地面に肩から叩きつけられる。
「……っつ、う……っ」
肺から息が押し出され、涙目になった私の上に、三つの青白い燐光があった。
あの男、よりにもよって、魔物の鼻先めがけて私を投げたのだ。
シャドウパンサーがガッと口を開く。
――これは、死ぬかも。
黒い魔物の顔が、一瞬、ストーカー化した先輩の顔に見えた。
――やめてください。勝手に踏み込んでこないで!
その時だ。
『スキル〈境界線〉からパッシブスキル〈防衛線〉が派生しました。〈防衛線〉が発動します』
無機質な声と共に、シャドウパンサーと私の間を、紅色の線が横切った。
勢いよく突き出された黒豹の顔がその線に触れる。
そのとたん、
「ギャウ!」
まるで火傷でもしたかのように、シャドウパンサーが飛びのいた。
その顔に一筋、鮮血の滴る横線が入っている。
「ルルルルル…………」
シャドウパンサーはしばらくの間、低く唸りながら私の前を行ったり来たりしていたが、やがてふいと顔を背けた。
その視線の先に、必死で荷物を漁るポーターの背中。
六本足が、ぐっと撓む。
気配を感じたのか、はっと振り向いたポーターの目と口が大きく開かれる。
そして――……。
聞くに堪えない男の悲鳴と、それに続く咀嚼音。
恐怖と吐き気がこみ上げる。
けれど。
――食べている間は、こっちに来ない。
私は必死で音を聞かないようにしながら、逃げ場はないかと洞窟の中を見回した。
私たちが入ってきた扉の前では、シャドウパンサーが今しも食事の真っ最中だ。
壁沿いに奥に進んでみたが、他に出口らしい場所はない。
代わりに見つけたのは、岩壁の狭い裂け目だった。十歳の子どもならかろうじて通れる隙間。シャドウパンサーには絶対無理だ。
私はそこに入り込むと、できるだけ奥の壁に身を寄せて座り込んだ。
これでしばらくは喰われずに済む。
とはいえ、脱出口はあそこの扉だけ。それも、私が死ぬかシャドウパンサーが死ぬかしないと開かない。
「どうすりゃいいのよ……」
呻くようにつぶやくと、私は頭を抱え込んだ。




