15.地上の星
※こちらは本日二度目の投稿です。この前に「14.ラスボス」がありますのでご注意ください。
――ねえ、こんなのってないよね。
眼前にそそり立つ〈女王相〉を見上げながら、私は自分の心が折れる音をはっきりと聞いた。
その途端、女王と私を僅かに隔てていた〈防衛線〉が消失する。
――あーあ、死ぬのか。また。
妙に投げやりな気分でつぶやく。
何かもう、何もかもどうでもよくなっちゃった。
身体中痛いし、疲れたし。
――だけど、これ以上痛い思いをするのは嫌だな。
ふいに滲んだ視野に、女王アリの巨大な姿が映る。
ぱっと見た感じ、女王には〈尖兵相〉のような大顎も、〈飛翔相〉のような大鎌もなかった。
あるのは、上半身の何倍もありそうな巨大な腹。
――当たり前か。子を産んで増やすのが女王の役目だもんね。
とはいえ、あの硬そうな前肢で殴られればタダでは済まないだろうし、〈飛翔相〉より強烈な酸を持っているかもしれない。
いっそ優雅といえるほどゆったりした動きで、女王がその頭部を下げてきた。
巨大な影が、座り込んだ私の上にゆっくりと覆いかぶさってくる。夕暮れの色合いを増していく空が、その背後に消えていく。
前肢と中肢が地面につき、反対に、これまで草むらに隠れていた長大な下半身が背中側に反り返る。
その尻の先端には、サソリを思わせる尖った尾節がついていた。
――なるほど。毒か。
なら、一瞬で死ねる毒がいい。
ざあっ、と音を立てて風が草原を吹き渡る。
同時に、女王の針の先から、細かい網状の糸が発射された。
え。それ毒針じゃないんかい!
「うぷっ!」
折からの強風に煽られて、粘着性のある糸が全身に絡みつく。
そのまま空中に高々と吊り上げられた私の胴を、何かが万力のように締めつけた。
バサリ、バサリ。
鳥の羽ばたきに似た、ただしそれよりずっと大きな音。
吹き下ろす風に眼下の草が左右に分かれ、身体がぐんっと引き上げられる。
次の瞬間、私は、みるみる遠ざかる地表と、草原からくやしげにこちらを見上げる女王アリを見下ろしていた。
◆◆◆
バサリ、バサリ。
急速に暗さを増していく空を、羽音と共に運ばれていく。
うつ伏せの姿勢で胴体を掴まれたまま、何とか首を捩じってみるが、かろうじて視界に入るのは、細長い首の先端についた楔形の頭部と、時おり上下する巨大な飛膜のシルエットだけだった。
あきらめて地上に目を戻せば、闇に沈んだ地表のそこここで、様々な色の魔法陣がちかちかと瞬いていた。
妖精の輪。
深い森の奥やダンジョンなど、魔素のとりわけ濃い場所に自然発生する不安定な転移門だ。
「街の外で転移門を見かけても、決して入ってはいけません」
この世界の子どもなら、必ず親に言い聞かされることだった。
自然発生した転移門はどこに飛ばされるかわからない上、門そのものの持続時間もまるきり予想がつかないからだ。
事実、私が見ている間にも、あちらでふっと光が消えたかと思えば、別の場所にぱっと現れる、ということが繰り返されている。
おそらく、ダンジョンで行方不明になる人達の何割かは、この転移門の向こうに消えているのだろう。
「――あ」
地上に瞬く星々の中、ひとつだけ動かない白い光があった。
祠の自販機。
何だかそこだけ前世の夜道のような、他とは隔絶しているような、奇妙な感覚に襲われる。
その時だった。
自販機の後ろに、白い魔法陣が現れたのは。
魔法陣の光に照らされて、甲冑を着た人影が一つ、二つ……全部で九人。
けれど、その姿もすぐに背後に飛び去っていく。
やがて、前方に黒々と岩山のようなシルエットが見えてきた。
「ぐえっ」
私の胴を締めつける力が急に強くなり、身体がぐうっと斜めに傾く。
眼下をすごい勢いで黒い岩肌が飛び過ぎていったかと思うと、私を運んでいた何かが、何の前触れもなくいきなり手――だか鉤爪だか――をぱっと離した。
あっと思う間もなく地面に叩きつけられた私は背中を強く打ち、そのまま意識を失ってしまった。




