【透明人間】
『見下ろす』という作業は、どうも俺の感性を擽る。二階、三階、という高さになればその分だけ刺激は強くなる。だが、高すぎても効果はない。例えば、東京タワーやスカイツリーだったりすると、確かに絶景なのかもしれないが、それ以前に落ちてしまうのではないかと足が竦んで震えてしまう。
適度な高さが重要なのである。比較的に人の輪郭や細部が視認できるくらいの。
高校時代は、よく窓の外を眺めていた。とりわけ好きな女の子がいてその子の姿を眺めていたということではなく、そんなたそがれている自分に酔っていたわけでもないのだが、少し自分の本音に従順になるとしたら、そういう誰もが感じ取る普遍的な格好良さや雰囲気を醸し出す人に憧れを抱いていて、そこから来る行動だったとは言えるのかもしれない。
具体的に言うと、一目見ただけで哀愁が感じられるような人。たそがれているのにイタイやつだと思われない格好良さ。キザなセリフを言っても許される。それは言い過ぎだが、クラスに一人ぐらいはいる読書少年のような、あの独特のオーラを醸し出す人に少々の憧れを抱いていた。
そんな時代の名残かもしれない。数メートルの高さから見下ろしただけなのに、頭の中は余計な想いで溢れ返ってしまう。
教授が声を上げている。生徒はノートを取っている。話を聞いている。俯いている。寝ている。吐息交じりに話し声を響かせる。
そのどれにも当てはまらない俺は、一人教室の後ろで、この四階の教室からキャンパスの一面を見下ろすのであった。
彼女はすぐそこにいた。俺の数メートル先に座っている。茶色い明るめのブラウンヘアーをなびかせ、(本当はなびかせていないのだけれど、そう見えた)教授を見ているだろうその瞳が、俺の位置からは睫毛しか見えなかった。
とても不思議な子だと思う。この数日間彼女を曲がりなりにも観察してきたのだが、これと言って特徴のない子だった。ワイワイ騒ぐような子でもないし、あのモデル体型の子とはよく一緒にいるようだが、その子がいないときは、一人で活字と向き合うかスマホの液晶画面と対峙しているかのどちらかだった。かといって寂しそうにも見えないし、一人ぼっちなのかなとも思わせない。そういう人間は、俺の経験から言うと、大抵何か他人に影響を及ぼせるものを持っている人だった。彼女がそれに当てはまるとは言っていない。
彼女の席に近づいた。
横に立って手を振ってみる。
「おーい」
正面に立って、人差し指を振る。
「キレテナーイ」
教授と比留間さんを結んだ直線に遮って立つ。比留間さんの視線は、俺を通り越した後ろに向かれている。
「俺に気づけって」
ちょっと辛い口調で言ってみる……。
「まあ反応がある訳ないよね」
諦めて、比留間さんの前の席に座る。
「ねえねえ、最近調子はどう?」体を捻って後ろの机に肘をつく。
高校生ならこんな感じで話し合うだろうか。
「ねえ、明日カラオケ行こうよ」
椅子を馬にして跨る。
「いいカフェ見つけたんだ。今度行かない?」
比留間さんの視線はいつまで経っても、教授に向いていた。
俺は肩を落とした。
返ってこないとわかっている問いかけほど虚しいものはなかった。俺の心は虚ろだった。




