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雨音の行方  作者: 面映唯
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【美化された恋愛】

 気がつくと、俺は机に伏せていたようだった。顔を上げようとすると、暗かった視界に光が入ってきて、今まで俺の目の前にあったのが机の上だということがわかる。耳も冴えている。次第に雑音が聞こえ始めた。ここは。


 ニスが塗られて焦げ茶色になった壁。横幅の長い黒板。華やかな服装の女教授。そして対面している数多くの生徒。


 あの五限だ。俺が首にシャーペンを刺した、あの講義。


 比留間さん……。右前方には比留間さんの後姿があった。彼女は俺がこの教室を出た後、俺を追いかけてきた。自分の後ろから突然走り出してきた人間を、瞬時に理解して追いかける。そして追いつく。難しいんじゃないかな。普通は呆然とすると思う。たとえどこかの彼氏が後ろから狂ったように教室を出たとしても、彼女はそれを瞬時に理解して追いかけるだろうか。


 一度あったとしても、二度はないと思った。それくらい難しいことだ。


 俺は、多分教室を出たんだ。後ろから高山の声が聞こえた気がする。そして今俺は階段を上っている。俺はどこへ向かっているんだ。俺は本当に教室のドアを押したのか。


 懐かしいなと思った。何も変わっていない。一度経験したことが再び繰り返されているに過ぎなかった。今度死んだらどうなるんだろうな。おそらくあの伽藍堂に戻ることはない。多分そのまま死ぬ。


 五階の廊下を走っていた。


 重い扉を引くと、涼しい風が入って来た。


 走って。


 一メートル。


 三メートル。


 五メートル。


 一寸躊躇う。


 七メートル。


 八メートル。


 柵に右手を掛けた。


 そしてこの後柵に足を乗せて、飛び越えるはずだ。俺はまるで自分の身体を自分で操れていないかのように、冷静に物事の行く末を見ていた。きっと俺はこのまま飛び降りる。前回と同じようになる。そう否応なしに感じられるのは、わかっていた。


 驚いた。俺は柵に右手を掛けていた。確かに掛けているのだが、それ以上先に進まないのだ。足が柵の上に乗っていない。おかしいな。飛び降り方が今回は違うのかな。俺の視線はどこだ。空中か? それとも地面か?


「あれ?」


 重い扉を開け終わって、丁度バタンと鳴る音が聞こえた。


「ユウって名前だよね?」

「うん」

「あの、今日、いい天気だね」


 俺は空を見上げた。快晴の空を、薄い雲が雲足を上げて進んでいるのがわかった。風を肌では感じなかった。暖かく心地の良い日差しだった。


「あの、どこに行くんですか?」


 俺は咄嗟に「散歩かな?」と答えた。


「そう。散歩かあ」そう言って、比留間さんは空を仰いでいた。それは次の言葉を躊躇っているようにも見えた。


「あの、私もその散歩に、なんというか、連れて行ってくれませんか?」


 俺の返事を待つ比留間さんの顔は、俺の頭に三つの顔を想像させた。仮面の男、比留間さん、泣きじゃくる比留間さん。


 比留間さんは、物事を厭わず、難しいことを平気でできる人だった。普通の人が百回やったら五回程度しか繰り返せないことを、この人は腐らずに百回当たり前のようにやってのける。


 俺は見紛っていた。この目の前にいるのは、あの比留間さんだ。コピーじゃない。あの比留間さんの心そのままの空蝉。また飛んできてくれたのだ。一度どころじゃない。二度まで俺のところにまでついてきてくれた。それも、ほぼ関わりのなかった人が。


 死ぬのを止めた。一緒に死のうとした。それによって俺が行きつく行方が、どちらも同じ場所だということははっきりとわかっている。


 俺は多分笑ったんだ。


「比留間さんも連れっていってくれたね。俺の生きたいところに」




 渡り廊下には雨が降っていた。風に靡かれてうねるような大粒の雨。弾けるその雨音は、きっと誰かの象徴。それは確かにあなたが持ってきた、青い青い雨音。


 緑たなびく萌ゆる山峰に、そんな青い感情が消え去ることはない。雨が神様の涙とはよく言ったものだ。この豪雨みたいに泣きじゃくる青い雨を降らしている人は、きっと神様みたいに優しい人なのだろう。


 あなたのような人が世界を作っている。あなたのような人が泣いている。そんなことだけで、この世界を生きていく意味が見い出せた、そんな気がした。


 愛されることに怯えていたはずなのに、こんなにも愛に飢えている自分。誰かとその愛を共有したい。誰かと交わり合いたい。簡易的に排出された濁った液体は、いつも排出される前の自分を否定していた。何を馬鹿なことを思ったのだ。別に一人でいいじゃないか。


 そんなことも、これからは思わなくなるのだろう。







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