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「なんでって、ユウ君が名前知りたいっていうから」
「じゃあなんで仮面取ったんだよ。名前だけ言えばいいじゃねーか」
「自己顕示欲ってあるでしょ? 隠し続けるのって苦痛な訳よ」
そう言って比留間さんは微笑んだ。
俺は馬鹿みたいに目を擦ったのかもしれない。今目の前にいる人間が、本物のように思えなかったというのが正直かもしれない。だってこんなに仲がよさそうに話せているなんて。俺はずっと彼女の生活の傍らにいた。傍らにはいたが、意思疎通なんてできないし、握手もしゃべることもできなかった。そんな人と話せている。しかも目の前にいる。
「驚いた? 私が何でここにいるかって」
「当たり前だろ。なんでここに。魂が二つもあるっていうのか?」
「その答えを教えてあげましょう。実は私、ユウ君よりも先に自殺してます」
「嘘だろ」
「んーん。本当。私はユウ君が飛び降りる半年前には自殺してた。それは本当」
「じゃあなんで……」
自殺したはずの人間と俺たちは、何事もなかったかのように過ごしていたのだ。大学の中で見かける比留間さんの姿に偽りはなかった。あれは正真正銘、比留間さんだった。高山と話し合ったのがいい証拠だ。高山にもそう見えていたということなのだから。
もしかして、彼女もか。
「そう。私もこの部屋に来てしまった。そうして後悔を探した。探し当てたのは、虐待とか親とかそんな綺麗な形にはなっていなかった。だから探すのに苦労したのよ? ユウ君のことを」
「え、俺……?」
「覚えてないでしょ。大学一年の夏頃かなあ。私は大学の図書館で勉強してた。四人席に一人で座ってたら、目の前に座ったのがユウ君だった。勉強しに来たわけじゃないみたいで、ずっと小説を読んでた。しかもくそ暑い夏なのに長袖。馬鹿なんじゃないかと思った。でも、なんか惹かれたのよ、その姿に。暑いけど暑がろうとしない。大学一年の夏休みって言ったら、みんな遊びそうなものじゃない。海に行ったり、サークルの仲間で集まってバーべーキューしたり、ワイワイやったり。わざわざ大学の図書館に来てまで、自前の小説を読んでるなんてありえないでしょ。なんか、そんな姿に惹かれたのよ。
勉強になんか集中できなかった。ぞっと何話そうとか、どうやって話しかけようなんて考えてたら、結局話しかけられなかった。いつの間にか周りの人はいなくなってて、閉館の十九時まで二人でずっと机に向かい合わせだったって訳。
司書の先生に言われて、私たち二人は追い出された。二人一緒に出たからかな。ユウ君私に話しかけたのよ。『本は好きですか?』って。
ユウ君の読んでた重力ピエロって本さ私も買ったんだよ。今度読んだら感想聞かせてねって言われたから。だから本を買って読んだら、また会えると思った。話しかける口実ができたと思った。その日の帰りになけなしの貯金はたいて本屋さんで小説を買った。その日は徹夜だった。馬鹿みたいでしょ? 次の日なんてルンルンで学校に登校したわよ。でもよく考えたら学科どころか名前も知らなかった。図書館に行けば会えるかと思って毎日一時間は図書館に行ったね。
でも、ユウ君とまた会うだろう日までの間に私は自分に負けた。環境に物申されて、私は自殺なんかしてしまった。そこからは、今のユウ君と同じように透明人間で生きていたって訳」
そんなことを言われても、俺にはまるでそんな記憶はなかった。夏休みに図書館に行ったことなどあっただろうか。
「それで後悔を見つけたと」
「うん。あれはあれで楽しかったなあ。ユウ君て本当につまんない生活してるよね」
「うるせえ」
「でも楽しかったんだ。なんか一緒に生活してるみたいで。ユウ君は無視しまくってたけど」
「声が届かないだけだろ」
「うん、まあ。それで解消したのよ。私の後悔は、ユウ君に重力ピエロの感想を伝えたかったってことだった。ちゃんと言ったわよ。目の前で」
「全然覚えてないんだけど」
「当たり前よ。だって消えちゃったんだもの」
「どういうこと?」
「私が消滅したってこと」
どういうことだ。後悔を解消したというのに、なぜ消滅しなくてはならないのだ。最初に言ったはずだ。選択肢は二つあると。一つが後悔を取り除くこと。二つ目がここで消滅する……。
ああ、と思った。勝手に現世に戻れるものだと思っていたのだ。ただ、「選択肢が二つある」と言われただけだ。だからおそらくは元から筋道は決まっていた。元から、ここへ来たら消滅するしかなかったのだ。黄泉の川なんかではない。普通に死ぬか命乞いするかのどちらかという選択肢しかなかったのだ。
「元々ここに来た時点で成仏するしか方法はないのよ。成仏するか、消滅するか。この二択」
「消滅するとどうなるの?」俺は聞いた。
「ユウ君の言葉で言うと、仮面を被って外套を羽織ってブーツを履いてここの支配人になる」
「それは死ぬことと何か違うのか?」
彼女の話から察すると、彼女は成仏したのではなく、消滅したということになる。今仮面を被っているのが証拠だ。だが、死ぬ前の俺の大学には、確かに比留間さんはいた。そこが気になった。
「コピーなのよ。ユウ君と過ごしてた私は」
コピー?
「仮面を被ってここの支配人になる代わりに、現世にはコピーの私が戻る。記憶がないのはそういうこと。コピーの私はオリジナルの私じゃない。ここにいたときの出来事も、ここで悔やんだ後悔も、全部その類の出来事はなかったことになった」
「じゃあ、俺の記憶もなかったことになったってこと? その夏休みに図書館に行ったってことも。確かに俺の中でそんな記憶ないし」
「そういうことになるね。今じゃ私だけの宝物よ」
にわかに信じがたい出来事は、SFの中だけではないようだった。比留間さんは笑ってごまかしているように見えない。目と目を合わせて嘘をつけるなんて、もしついているんだとしたら、俺の今まで見てきた比留間さんは優しくなかったはずだ。もっと適当に生きていたはずだ。
「私、馬鹿だよね。後悔が消えたから、現世に戻ってユウ君と一緒にこれから先も幸せになれるかもって余念が消えなかった。でも私は消滅しなきゃならない。だから私は仮面の男になった。コピーの私が、これから先ユウ君と一緒に幸せになることを願って、託したのよ」




