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比留間さんが再び大学に訪れるまでの一か月もの間、俺はその時間の多くを大学で過ごし続けた。特に用事がある訳でもないので、娯楽に出かけるようなこともないし、出かけたとしてもやることと言ったらそれなりに限られてきてしまう。強いて言うなれば、洋服を見て回ることぐらいだろうか。試着すらできないのだ。
一度、都心のショッピング街で洋服を見て回った日があった。誰に話しかけられることもなく、人目を気にすることもなく見て回ることができるので、気兼ねなくその時を過ごした。俺が気になった洋服に見入っていたときに、一人の若い男性が無言でその服を持ち去って行くと未だに驚いたりする。無言なのは当たり前。
何か鬱憤を晴らそうとカラオケなんていく必要もなかった。街がコンサートホールみたいなものなのだから、大声で叫んでも誰も見向きもしない。いいね。街中で歌えるなんて凱旋ライブみたい。観客はいない。
ってなわけで、それ以降は大学にずっといたわけだ。今まで行ったことのなかった場所、知らなかった人、知らない会話、事情、それらすべてを知ることができる環境だった。噂も耳にしてしまった。それはプライバシーの侵害と言ってしまえばそこまでだが、俺にそれくらいの娯楽を与えてくれてもいいだろう。透明人間で人間に触ることすらできない俺に、他に娯楽なんてないに等しいのだから。
死んでしまえば、神様みたいに見下ろす存在になれるようだった。おまけに、盗み聞きをしたという事実は絶対に本人たちに伝わらないのだから、尚更罪悪の意識は薄れていった。
噂は人間の娯楽の一つであり、とっつきやすい話題でもある。寧ろ日常と言ってもいいのではないだろうか。報道、事件、芸能人、スキャンダル。様々な情報がネットやテレビによって拡散され、「あーそれね!」「私も知ってるー」なんて盛り上がれば、それはどんどん人間らしさを増幅させて、その個々が集合して、合体して、雲霧になって社会に溶け、文化の輪郭築き上げていく。彩っていく。
俺の自殺もその類だった。
「なんかうちの生徒、狂って自殺したんだってね」
「知ってる知ってるー。友達が同じ講義受けてたみたいで、いきなり首にペン差したんだってさ。頭おかしいよねー」
巷ではその話題で持ち切りのようだった。そこにいる彼らも、椅子に座る彼女らも、学食の傍らで昼食をとるネクタイを緩めた男性たちも、みんな楽しそうだった。話題に困らない、笑顔。笑顔。笑顔。笑いがこぼれて、これ以上ないくらい活気に満ち溢れている。
隙間を縫うように彼らの間を歩いて見渡していた。食堂。廊下。階段。エレベーター。講堂。教室。そしてキャンパス。右に見えた彼。左に見えた彼女。その皆から笑いがこぼれている。
「なんか自殺した奴、女の子まで巻き込んだらしいな。死ぬなら一人で死んでくれよって感じだよな」
「わかるわー。自殺するなら迷惑かけないで一人でやって欲しい。人身事故とか遅延するからマジやめて欲しいし。自分の家で首つって死ねよって話だわ」
「まあでも、初めて人が死んでるとこ見たわ。頭、吹っ飛んでんの初めて見た。ありゃあグロかったな」
「えー、俺も見たかったなー」
歩きながら話す話題にしては、ちょいと重すぎないかい? お兄さんたち。首吊りは失禁するからしたくないね。俺は額に右手の側面を当てながら覗いた。
「この間死んだ子と同じ学科なんでしょ?」
「話したことはあったんですけど、別に死ぬような人には見えなかったし、全然悩み抱えている様には見えなかったんだけど……」
「なんであんたが落ち込んでんのよ」
「でも、もうちょっと何かしてあげられたかなって思って……」
あんたみたいな美人に言われて怯むような意思だったら、自殺なんかしないよ。俺は腕組みをしながら二度頷く。
「この間の子って連絡通路から落ちたんだよね。もうあそこ怖くて通れないよ。霊とかでそうじゃん」
「確かに。私なんかエレベーターですら怖くなっちゃったもん。このまま落下したらなんて考えちゃって。まあ、今乗ってるんだけどさ」
立ったままなら、内臓だけが床に落ちるんじゃないかな。エレベーターの隅に寄り掛かって呟く。
「いやー講堂は静かで和むね。みんな自殺した奴の事ばっか話しててバカみたいだな」
「ああ。それよりこのアイドルの事なんだけどさ――」
何物にも呑まれない、その心、いとをかし。
そんな俺の自殺も一週間、二週間経って、三週間が経とうとする頃には、巷で消えかけていた。
他人から見た自分の評価というのは、真っ当な人間、まあここではマジョリティーとでも呼ぼうか、それに当てはまる多くの人間は気になるところであると思う。少し言いすぎたかなと仲の良い友人と喧嘩したときや、好きな異性と対面したときは、嫌でも気にすると思う。まあそうでない人もいるのだろうが、俺はその種の人間に当てはまっていた。
他人の評価を気にしないと割り切っていた面があったとはいえ、本当に気にしていなかったのかと言ったらそれは否定し難い。
教授たちの反応を気にしていたのも致し方ない。
そんな中で比留間さんはどう過ごしていったのか。俺を追いかけてきた理由とやらは、少しだけ気になっていた。もしかして俺に気があったのではないか、なんて想像を巡らしたりもするのだが、普通の人間が、付き合っても結婚してもいない人間の自殺を自分の身を投げ出してまで止めようとするだろうか。結婚して、付き合っている人でも止めに行かないだろう。駆け落ちなんてドラマぐらいでそうそうあるものではない。だから、良くて比留間さんが呼び止めるけども、結局俺は落ちて、彼女が泣き喚く、という想像ができるくらい。そう思うのだが、あのときの比留間さんは何も俺に言葉を投げることなく一緒に身を投げた。「やめて」とか「死なないで」とか「飛び降りないで」なんて言葉を背中で聞いた記憶はなかった。俺が覚えているのは、なぜ振り返ったのかは覚えていないのだが、振り返ると比留間さんが俺の脚を掴んでいた。まあ、足を掴んでいたということは、その行動を通して「死ぬな」って伝えたかったのかもしれない。
そこがすごく気になったのだ。悪いとは思っても、俺はあのときの比留間さんの心情が知りたかった。なぜ俺の後ろに姿を現したのか。なぜ何も言葉を発さなかったのか。自分の身を投げ出してでも俺に伝えたかったこと。それが知りたくて、俺はいつも以上にのめり込んで比留間さんの私生活に溶け込んでいった。
それでもプライバシーとやらは守りたい。彼女の家にまで行ってその姿を見ようとは思わない。思わなかったはずなのだ。




