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あなたのすべてを手に入れたい【百合】令嬢のすべてが欲しい  作者: 予也木


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11/13

栄転

 山間の暴風雨がいつ完全に止んだのかは定かではない。

 あの夜の山小屋での涙も、触れ合いそうになった唇も、まるで朝霧に包まれた荒唐無稽な高熱の悪夢のようだった。

 雨は早すぎも遅すぎもしない、絶妙なタイミングで上がった。許嵐枝は慎重に顧知微の腕を支え、足を取られそうなぬかるんだ斜面を一歩一歩下り、暖房の利いた四駆へと送り届けた。

 帰路の丸三時間、車内は息が詰まるほどの沈黙に支配されていた。

 ワイパーがフロントガラスに残る霧の膜を機械的に拭い去る。許嵐枝はハンドルを固く握りしめたまま前方を凝視し、顎のラインをピンと張り詰めて、一度として横を向こうとはしなかった。後部座席の顧知微もまた視線を落とし、同じように一言も発しなかった。

 車は顧知微が暮らす賃貸マンションの前に滑り込んだ。許嵐枝がリュックを下ろしてやると、顧知微は「許さん、ありがとうございました」と小さく呟いた。許嵐枝はその目を見ることすらできず、「今週は休みなさい。来週月曜には出勤すること」と喉の奥から絞り出すように硬く告げると、すぐさまウィンドウを閉めて車を発進させた。

 息苦しい無言の拒絶は、明るいオフィスビルへ戻ったからといって消えることはなく、むしろ異常なほどの距離感へと姿を変えていった。

 月曜の朝、顧知微が部署のフロアに足を踏み入れたとき、空気はすでに一変していた。

「あ、知微ちゃん。給湯室のマシンがさ……」総務の李がいつもの調子で顔を上げ、入ってきたばかりの顧知微に溜まったコーヒーかすを片付けさせようとした。だが、その言葉が最後まで紡がれるより早く、主管オフィスのすりガラスの扉が内側から勢いよく押し開かれた。

「自分の手はないの?」

 許嵐枝の声は決して怒鳴ってはいなかった。だが、平坦で冷え切ったその声音は、フロア中のタイピング音を一瞬にして消し去った。

「共有スペースのかす一つ自分で捨てられないわけ?カビが生えてキノコでも生えたら総務から報奨金でも出るのかしら」許嵐枝は細い指先でドアの縁を冷たく叩き、全員の視線を受け止めながら、オフィス中をゆっくりと見回した。「今日から、自分が使う備品は自分で補充し、汚した場所は自分で片付けなさい。技術支援グループの事務員は、あなたたちの雑用係でも召使いでもないわ」

 李は青ざめ、何度も頭を下げながら、慌てふためいて粉受けトレイを抱え洗面所へと逃げ込んだ。

 同僚たちの息を呑むような視線が集まる中、顧知微は書類を抱えたまま立ち尽くしていた。

 許嵐枝を見つめ、胸を微かに震わせながら、唇を動かして声をかけようとする。「許……」

 しかし、許嵐枝はその視線すら受け止めようとしなかった。言い終えたばかりの細身の背中は一切立ち止まることなく、そのままオフィスへと引き返した。「バタン」とブラインドが乱暴に下ろされ、顧知微の投げかけた視線も探りも、容赦なく遮断されてしまった。

 許嵐枝は彼女を守っていた。ほぼ理不尽なまでの強引さで、フロア中に潜むあらゆる陰湿な当て擦りや、顧知微に向けられていた軽口や雑用を根こそぎ断ち切ったのだ。しかし同時に、許嵐枝は狂おしいほどに彼女を避けていた。

 一週間以上、許嵐枝はオフィスから一歩も外に出ようとしなかった。すべての指示は社内システム上だけでやり取りされ、毎朝の朝礼さえもテキストによる同期連絡に切り替えられた。顧知微がコードの確認を求めて送ったプライベートチャットへの返答も、事務的で機械的なドキュメントのURLが短く返ってくるだけだった。

 わずか数メートル先のすりガラスを隔てているだけなのに、二人の間にはまるで凍てつく氷河が横たわっているかのようだった。

 顧知微には分かっていた。許嵐枝が怯えているのだと。あの豪雨の夜、呼吸が絡み合う断崖の淵で、許嵐枝の心の防壁には巨大な亀裂が入っていた。だからこそ、理性が戻った今、彼女は自分自身をより分厚く頑丈な殻の中に閉じ込めてしまったのだ。

 顧知微を息苦しくさせるような膠着と引き裂かれそうな日々の中、父親の顧崇天がヨーロッパでの大型買収をまとめ上げ、慌ただしく帰国した。

 週末、郊外の深い林に佇む顧家の本邸。白檀の香りと葉巻の煙が漂う書斎で、老茶の芳醇な香りが静かに満ちていた。

 顧崇天は眼鏡を外し、充血した眉間を指先で揉みほぐしながら、銘木の一枚板の茶台を挟んで向かいに座る娘を見つめた。顧知微は飾り気のない部屋着のニットを着て、慣れた手つきで茶針を扱い、静かにお湯を注いで茶葉を洗っていた。

「聞いたぞ。少し前に趙廷敬の連中が、私の不在をいいことに、お前のいる子会社へ乗り込んで難癖をつけたそうだな」顧崇天は茶杯を手に取り、濁りながらも鋭い双眸を細めた。その声には、長年頂点に君臨してきた者特有の冷淡さと品定めが滲んでいた。「どうだ。現場での半年間、あのような下劣な小細工に巻き込まれて辛くなったか?耐えきれないと言うなら、いつでも本社の投資部門へ戻してやってもいいが」

 顧崇天は彼女を試していた。顧家の後継者は温室の花であってはならない。傍系の小さな揺さぶりに屈して弱音を吐くようなら、家族信託の配分や中核の議決権について再考するつもりだった。

 しかし顧崇天は知る由もなかった。今この瞬間、顧知微の胸中を激しくかき乱しているものが、趙廷敬の企みでも、一族の利害の駆け引きでもないことを。

 彼女の脳裏には、許嵐枝の姿しかなかった。

 顧知微は伏し目がちに、温かな茶杯を父親の前へと滑らせた。その表情はどこまでも穏やかで、嫌がらせを受けた後の狼狽も怨みも微塵も感じさせない。

「趙副ディレクターの手下たちは、過去の帳票を口実に騒ぎ立てただけにすぎません。大した波風も立たず、その場で潔白は証明されました」顧知微は顔を上げ、澄み切った瞳で父親を見据えた。「お父様、本社に戻るつもりはありません。ただ……子会社の技術部門で過ごしたこの半年間で、派閥の足引っ張り合いなどより、グループ全体が今すぐ目を向けるべき重要な存在に気づきました」

 顧崇天は片眉を上げ、茶をすすった。「ほう?何のことだ」

「子会社に、極めて卓越した戦略的視野と基盤構築能力を備えた管理職がいます。許嵐枝という女性です」

 その名を口にした瞬間、顧知微の指先が無意識に茶杯の縁をなぞり、胸の奥に熱く、ほんのり苦い疼きが込み上げた。深く息を吸い込み、彼女への名状しがたい感情を飲み込んで、言葉を整える。

「海外のトップラボから多額の報酬で引き抜かれたアーキテクトです。彼女が手掛けた設計案やモデルを密かに分析しましたが、その根底にあるロジックは子会社の業務規模を遥かに超えており、グループの今後三か年の戦略構想と完璧に合致しています。あのような逸材を子会社の中間管理職に据え置いておくのは、あまりにも深刻なリソースの無駄遣いです。彼女の技量であれば、本社の技術意思決定層へ直接登用されるべきです。少なくとも、新事業部門なら申し分ありません」

 顧知微の声は落ち着き払っており、一握りの私情すら感じさせないほど筋道が通っていた。

 顧崇天は意外そうに目の前の娘を見つめた。これまでの顧知微は一族の中で常に控えめで、人事の推薦や介入には一切関わろうとしなかった。その彼女が、子会社の一技術者のためにこれほどの論陣を張っている。

「許嵐枝……」顧崇天は茶杯を置き、その名前を反芻するように呟いた。「お前にそこまで言わせるからには、相当な腕前なのだろうな。ちょうどグループ本社のコア事業部が再編中だ。アーキテクチャを理解し、現場を力強く率いられる人間を探していたところだ。外様として副ディレクターを送り込み、古株どもに釘を刺すには悪くない手だな」

 二日後の午前十時。

 グループ人事本部からの公式通達が、何の前触れもなく社内イントラネットのトップページに大々的に掲載された。

【許嵐枝氏のグループ新事業開発部業務担当副ディレクターへの任命に関する決定】

 子会社の技術フロアは瞬く間に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 異例の飛び級昇進、そしてこの工業団地の中心にそびえ立つ、最も格式高いタワービルの上層階への異動。グループの歴史においてすら前代未聞の破格の抜擢だった。

 ようやく、主管オフィスの扉が開いた。

 許嵐枝の手には、薄い辞令が握りしめられていた。周囲は誰もが彼女の破竹の出世を羨望の眼差しで見つめていたが、許嵐枝本人は、辞令の末尾に押された最高意思決定室の偽造防止ホログラムを目にした瞬間、骨の髄まで凍りつくような冷気を覚えていた。

 この「破格の贈り物」が誰の手によるものか、彼女に分からないはずがなかった。

 グループ全体を見渡しても、事務員を装ったあのお嬢様を除いて、新参者のためにこれほど障害のない出世街道を切り拓ける絶対的な権力を持つ人間が、他に誰がいるというのか。

 許嵐枝はオフィスを飛び出し、群がる同僚をかき分けて問い詰めに行こうとした。

 しかし、斜め向かいのあのデスクには、誰もいなかった。

 顧知微の姿はない。

 デスクの上は綺麗さっぱりと片付けられていた。

 エレベーターホールでは、人事部の引き継ぎ担当者がエグゼクティブ専用の備品ボックスを抱えて待機しており、恭しい笑みを浮かべて急かした。「許ディレクター、役員連絡会より、本日午後二時の幹部定例会へのご出席を求められております。個室の執務室と専用セキュリティパスはすでに用意されておりますので、速やかに着任手続きをお願いいたします」

 祝福と世辞が飛び交う騒がしいフロアの中央に立ち尽くす許嵐枝の耳の奥で、キーンと甲高い耳鳴りが響いていた。

 異動専用のエレベーターの扉が、音もなく目の前で開いた。

 許嵐枝が乗り込み、ガラス扉がゆっくりと閉じていく。視線の先で、あの主を失った無人のデスクが、完全に切り離されて消えていった。

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