第8話 大地とご褒美と金の海亀
思春期のダイチ君
もうこんなドキドキないだろうなー
「……は? 海亀ぇ!?」
ダイチがスイカを喉に詰まらせそうになりながら、少女の指の先を見つめた。
見れば、きらめく波間に、確かに眩い黄金の光を放ちながらスイスイと泳ぐ亀のシルエットがあった。
「あんな遠いとこ、どうやって行くんだよ! まさか、そこまで泳いで行けってか!?」
「ええ、そうよ」
少女はくすくすと楽しそうに笑いながら、ダイチの焦る顔を見つめている。
「もし見事にあの金の海亀をゲットできたら――ご褒美に、私の水着姿、見せてあげちゃおうかな?」
ドクン、とダイチの心臓が大きく跳ね上がった。
だが、13歳のウブなプライドが全力でそれを否定する。ダイチは一瞬で顔を真っ赤にすると、やけくそ気味に怒鳴り返した。
「だ、誰が見てえよそんなもん!! 需要ねえわ!」
「あら、イキがっちゃって。じゃあ一生あそこに泳いでる海亀を眺めてなさいよ」
「上等じゃねえか! よっしゃあ!!」
ダイチは気合を入れ直すように、砂浜で大きく腕を回して準備体操を始めた。
「俺はイルカだ! いや、カッパだ! 川の王様だ!!」
よくわからない変な呪文をブツブツと唱えながら、砂を踏みしめていく。そんなダイチの様子をジト目で見ていた少女は、呆れたようにため息をつくと、海の家の裏手へと歩いていった。
そして、黄色と青の鮮やかなエアボートをごろごろと引きずって戻ってくる。
「はい、これ使いなさい。さすがに溺死されたら寝覚めが悪いからね」
「お、おう……サンキュ。お前、たまには気が利くじゃねえか」
「私はいつでも気が利くわよ。ちょっと待ってて、今オールを取ってきてあげるから」
少女が踵を返し、海の家に向かって歩き出した、その直後だった。
背後から、砂浜を爆破するようなダイチの雄叫びが響き渡る。
「おらおらおらおら! 進めぇぇぇぇッ!!」
「えっ!?」
少女が驚いて振り返ったときには、もう遅かった。
ダイチはエアボートの上に座るどころか、そのフチに両手でしがみつき、身体を完全に海へと投げ出していた。そして、ボートを巨大なビート板代わりにしながら、全力のバタ足で凄まじい水飛沫をあげていたのだ。
「ちょっと! あんた何やってるのよ! オール――」
少女の声は、激しい波の音にかき消される。
13歳男子の野生の馬力は凄まじい。イルカかカッパになりきったダイチは、猛スピードで金の海亀へと向かっていく。
さっきまでは小さくきらめいていた黄金の光が、近づくにつれて、天に向かって真っ直ぐにそびえ立つ『金色の光の柱』へと姿を変えていく。
その光の真上へとたどり着いた瞬間、ダイチの肌に触れる海水が、それまでの生ぬるい夏の海とは打って変わって、胸の奥がゾクッと凍りつくような異様な冷たさへと変貌した。
あまりの寒さに、全身がガタガタと震え出す。
(な、なんだこれ……めちゃくちゃ冷てえ……!)
一瞬だけ不気味な寒気に躊躇しそうになるが、ダイチは泥臭く根性を振り絞り、ドボンと勢いよく海中へと潜り込んだ。
水中では、太陽の光と海亀の放つ金色の輝きが混ざり合い、神秘的な光景が広がっている。ダイチは冷たさに耐えながら力強く水を掻き、優雅に泳ぐ亀の甲羅へと飛びついて、あっさりとその身体を抱きしめた。
その瞬間、腕の中で海亀がパッと弾け、一粒の美しい『金色の球体』へと姿を変える。
「プハァッ!!!」
海面に顔を突き出したダイチは、大きく息を吸い込むと、手に入れたその球体を青空へ向かって高々と掲げた。
海水でびしょ濡れになりながら、ガキっぽい満面の笑みで大声で叫ぶ。
「よっしゃあああ! 金玉ゲットォォォォ――ッ!!」
大海原に響き渡るアホ全開の雄叫びに、砂浜まで戻ってきた少女は、完璧な絶対零度のジト目を起動させて盛大に呆れていた。
ゴムボートを引っ張り、鼻の頭を真っ赤にして砂浜へと這い上がってきたダイチを、少女はじとーっと見下ろす。
「……最低。よくそんな下品なセリフを全力で叫べるわね。でも、まぁ……」
少女はフンと鼻を鳴らすと、ふっと悪戯っぽく吊り目を細めた。
「そんなに私の水着姿、見たかったんだ?」
「は、はあ!? ばっ、ばか、見たくねえよそんなもん!」
「はいはい、約束だもんね」
少女はダイチに背を向けると、着ていたダボッとしたTシャツの裾に白い細い指先をかけ、ゆっくりと上へと持ち上げ始めた。
「――っ!?」
ダイチは一瞬で顔を破裂しそうなほど真っ赤にし、慌てて両手で顔を覆い隠した。だが、13歳男子の悲しい性、指の隙間を思い切り広げて、そこからガン見している。
しかし、少女がTシャツを脱ぎ始めるのと完全に同時に、ダイチの手の中にある『金色の球体』が猛烈な光を放ち、周囲の空間をグニャリと歪ませ始めた。次の世界への移行が始まってしまったのだ。
――パリンッ!
硝子がひび割れるような儚い音が鳴り響き、周囲の景色が真っ白な光に包まれていく。
(あ、おい! ちょっと待て! 空間! 光! 空気読めよ!!)
ダイチは心の中で血を吐くような思いで絶叫した。
(あとちょっと! あとちょっとだろ!! 次の世界、待てぇぇぇぇーーーーーーッ!!!)
ダイチの必死の願いも虚しく、世界は非情なスピードで消え去っていく。
白い光の渦の中、少女がゆっくりとTシャツを脱ぎ捨て、水着姿でこちらを振り返る――。
ダイチに与えられたその時間は、コンマ5秒。
眩しい残像だけを残して、波の音も、潮の香りも、すべてが真っ白な光の中に溶けて消え去っていった。




