第0話 美空と大地
――現実世界で傷つき、絶望した少女は、醒めない夢を見ていた。
それは、大好きな大地との、あたたかくて優しい思い出の数々。
この閉じた世界にいる彼女は、後にお化け屋敷や江戸の町でダイチを振り回すことになる、あの生意気で自由奔放な「吊り目の少女」ではなかった。
親がいない施設育ちであることを酷くいじめられ、いつも自分の殻に閉じこもっていた、引っ込み思案ではにかむ表情が染みついた、優しい目の少女――それが、美空の本当の姿だった。
大好きな思い出の箱庭に閉じこもり、このまま静かに消え去ろうとしていた、まさにその時。
「――おい!! 美空!!」
彼女の作った都合の良い夢を乱暴に踏み越えて、一人の少年が息を切らせて走ってきた。
ボロボロの私服を着た、本物の、大地だった。
(あ、え……? なんで大地がここにいるの……?)
最初は、自分が寂しさのあまりに作り出した、都合の良い幻影だと思った。
だけど、目の前の大地は、彼女の思い通りには動かなかった。
大地は美空の前に立つと、顔を真っ赤にして、見たこともないほど激しい剣幕で怒鳴りつけてきたのだ。
「お前、何やってんだよ!! あんな薬(良い夢を見る薬)を大量に飲んで、このままじゃ死んじまうぞ!! 早く目を覚ませッ!!」
「だ、大地……? 本物、なの……? なんでここにいるのよ……」
美空が呆然と声を漏らすと、大地は頭をガリガリと掻きむしりながら、ぶっきらぼうに、だけどこれ以上ないほど必死な声で告げた。
「俺もあいつ(同じ薬)を大量に飲んだんだよ。それで、お前の精神世界に無理やりダイブしてやったんだ」
「な……っ!? あんたバカじゃないの!?」
美空は驚愕し、血の気が引いた。
どこまでも向こう見ずで、命の危険なんて一ミリも考えていない大地の行動。
けれど、地獄のような現実世界から一人で逃げ出した自分を、死ぬかもしれないリスクを背負ってまで追いかけてきてくれた――その圧倒的な事実に、美空の胸の奥から、狂おしいほどの喜びと、彼にそんな危険なことをさせてしまった凄まじい罪悪感が、同時に溢れ出してぐちゃぐちゃになった。
「ほら、分かったらさっさと戻るぞ、美空。現実に帰ろう」
大地が差し出してきた熱い手のひら。
だけど、現実のいじめの恐怖が、美空の心を凍りつかせる。
美空はその手を強く振り払って、泣き叫んだ。
「嫌よ!! 帰りたくない!! あんな、誰も助けてくれない、いじめに満ちた世界になんて、絶対に帰りたくない!!」
「美空、お前……っ!」
「来ないでって言ってるでしょ!!」
激しい押し問答。大地は絶対に引かない男だ。
このままでは、大地は美空を力ずくで連れて帰ろうとするだろう。
だけど、それでは大地まで現実世界で薬の毒に侵され、二人とも死んでしまうかもしれない。
(ダメ……。大地を巻き込んで死ぬわけにはいかない。でも、私はもう現実には帰れないの……)
追い詰められた美空の脳裏に、悲痛な、だけど完璧な計画が浮かび上がる。
ここは私の夢、大地の精神を操作することだってできるはず。
(大地の記憶を、全部消そう。……私が誰かも、ここへ来た理由も、全部)
記憶をなくした大地を、自分の作った理想のデート(生への未練)に付き合わせる。
そして、小さい頃から共に過ごしてきた大地から、本当は言って欲しかった真っ直ぐな言葉を引き出す。
すべての未練を解消して大地に見送ってもらおう、それなら私は怖くない。
大地はその時に開放するね。もう少しつきあってね。
「……ごめんね、大地」
美空の瞳から、大粒の涙がハラリと頬を伝って落ちていく。
美空は泣きながら、大好きな大地に二度と本当の本心を悟らせないよう、自分の顔に、生意気で、自由奔放で、圧倒的にマイペースな「吊り目の仮面」をがっちりと被せた………。




