第13話 大地と文無し用心棒
――カラン、コロン。
耳元で涼しげに響いたのは、下駄が小石を弾く乾いた音。 鼻腔をツンと突いたお化け屋敷の冷気は一瞬で消え去り、代わりに漂ってきたのは、甘辛い醤油がパチパチと焦げる、たまらなく香ばしい匂いだった。
「……うおっ!? まぶしっ!」
ダイチはパチパチと目を瞬かせ、自分の立ち位置を確認する。 視界いっぱいに広がったのは、どこまでも続く瓦屋根の長屋に、見上げるほど巨大な木造の火の見櫓。
行き交う人々はみんな、ちょんまげを結ったり着物を着たりしている。
「ま、街並みが江戸時代になってるじゃねえか! すげえ、タイムスリップかよ!」
ダイチは一瞬でテンションを跳ね上げ、お化け屋敷から持ち越した右手の『木刀』を、自分の腰の帯へと誇らしげに差し込んだ。
ふと自分の格好を見ると、サイズが少しブカブカな、泥だらけの紺色の着物を羽織っている。髪もなんだかボサボサだ。
どう見ても「金なし、仕事なし、やる気なし」の三拍子が揃った、小汚い浪人(おちぶれた侍)の姿だった。
「よし、侍なら侍らしく、美味いもんを片っ端から――」
鼻息を荒くして懐のポケットをまさぐったダイチだったが、すぐにカチコチにフリーズした。
普通の私服から着物に切り替わった懐の中には、お祭りのゴミやポップコーンの袋などの「ガラクタ」がパンパンに詰まっているだけで、小判の一枚、寛永通宝の一個すら入っていなかった。
「あ……お金、ないじゃん。俺、また安定の文無しじゃん……!」
絶望する大地の目の前には、賑やかな茶屋。 そこでは町人たちが、ツヤツヤとタレが輝くあつあつの「みたらし団子」をこれでもかと美味そうに頬張っていた。
「じゅるり……。ちくしょー、お腹減って死にそうなのに、指くわえて見てるだけなんて拷問だろ……!」
ダイチが茶屋の陰から、犬のような恨めしそうな目で団子を凝視していた、まさにその時だった。
「おい、見ろよ……!」「武家のお嬢様だ、お美しいなぁ……」
にぎやかだった街道の町人たちが、一斉にざわめき立ち、道をあけ始めた。 周囲の羨望の視線を浴びながら、何人ものお供の女中(お手伝い)を引き連れて、一人の少女が悠然と歩いてくる。
その姿を見た瞬間、ダイチの目が飛び出さんばかりに見開かれた。 海のサマードレスや遊園地の私服から一転して、彼女は一際目を引く、きらびやかで最高に美しい「武家のお嬢様(姫君)」の着物に身を包んでいた。
いつもの生意気な吊り目を少しだけすまして、いかにも高貴な身分になりきってノリノリで歩いてくる。
「おい! お前何やってんだよ!」
ダイチは茶屋の陰から飛び出して声をかけた。 しかし、少女はダイチを一瞥すると、フンとあからさまに鼻を鳴らし、すました顔のまま扇子で口元を隠した。
「これ、そこの小汚い文無し侍。私のような高貴な身分のお嬢様に、気安く声をかけないでくださる? お供の者に、つまみ出させますわよ」
「はぁぁ!? 何がお嬢様だ、偉そうにしやがって!」
いつものように意地悪くニヤリと吊り目を細め、ダイチの横をすれ違って通り過ぎていく少女。
そのすました横顔の裏で、彼女の胸は「ダイチに格好よく守られたい」という、ささやかで強烈な欲求でいっぱいになっていた。
少女がダイチの前に数歩進んだ、まさにその瞬間だった。
「――待てぇい! 武家の娘、命はもらったァ!」
街道のヤブの中から、覆面を被った一人の男(少女が仕組んだ刺客)が凄まじい勢いで飛び出してきた。 その手には、今にもボロボロと刃こぼれしそうな、サビだらけの安物の「刀」が握られている。
「ひっ……!?」「キャーーッ!」
周りの女中たちが、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。 突然の事態に、少女は「驚いたフリ」をしてその場に身をすくめ、恐怖でおののくお嬢様を完璧に熱演した。
「お、お助けになって、誰か……!」
男がボロい刀を大きく振りかぶり、少女に向かって一歩を踏み出す。 少女がぎゅっと目を瞑った、その刹那――。
「――まてまてまてまていッ! 俺の目の前で勝手な真似は許さねえ!!」
街道の土砂を爆音とともに蹴り飛ばし、ダイチが猛然と突っ込んできた。
これ以上ないほど「侍ぶった」ノリノリの叫び声を上げながら、ダイチは腰から元・割り箸の『木刀』を力強く引き抜く。
記憶はなくても、魂の奥底にある「こいつを絶対に守る」という野生の保護本能に突き動かされ、ダイチはボロ刀を持つ男めがけて、泥臭く真っ直ぐに駆け寄るのだった。




