第11話 大地とゾンビと金の馬
「う、うわああああっ!? ガチなやつ出たァァァ!!」
ダイチは驚愕し、本能のままに全力で反転して走り出した。子供騙しの仕掛けには腰を抜かしたが、本当の危機に直面した時の逃げ足の速さは一級品だった。
「ちょっと、待ってよ……っ!」
背後から、少女の悲鳴に近い声が聞こえた。中学生の女の子の足では、ゾンビの猛追と、ダイチの必死の全力疾走にまるでついていけない。
「チッ、何やってんだよ!」
ダイチは走りながら振り返り、迷うことなく右手をすっと伸ばした。そして、遅れそうになっていた少女の細い手を力強く、ぎゅっと掴み取った。
「掴んでろ! 走るぞ!」
「っ……!」
少女の目が暗闇の中で大きく見開かれる。ダイチの熱い手のひらに引かれ、必死に足を動かす。しかし――。
「あ――っ」
不意に、少女の足がもつれた。 派手にバランスを崩して激しくつまずき、地面に転んで手が離れてしまう。
押し寄せるゾンビの爪が、彼女の背中に届きそうになった、その刹那だった。
「おい、何してんだよ、仕方ねぇなー!」
ダイチは急ブレーキをかけて戻ると、転んだ少女の胴体を、まるで米俵でも扱うかのように、ひょいっと右肩に担ぎ上げた。
「きゃっ!? ちょっと、何すんのよ!?」
「うるせえ、非常事態だろ! 捕まったらあの金色のやつ探せなくなるだろ!」
少女を右肩に逆さまに担いだまま、ダイチは再び猛ダッシュを開始した。 だが、さすがに同い年の女の子一人分の体重だ。いくら泥臭く根性があっても、ダイチのスピードはガクンと落ちてしまう。
「アァァァ……ッ!!」
背後から迫る、ゾンビの腐臭と冷たい息。 少女はダイチの背中側を向いて担がれているため、迫り来る無数の手が、自分の鼻先まで迫っているのが丸見えだった。
「ちょっと! 追いつかれるわよ! もっと早く走りなさいよ、このバカダイチ!!」
恐怖と羞恥心でパニックになった少女が、ダイチの背中をドカドカと叩きながら喝を入れる。
「言われなくても走ってるわ! っていうか、お前意外と重いんだよ! ゾンビ映画のゾンビはもっと鈍いだろ、おかしいだろこれぇぇ!!」
文句を叫びながら、ダイチの胸の奥で「絶対にこいつを逃がす」という強烈な、爆発的な意志が弾けた。 その瞬間、ダイチは走りながら、肩の少女の体をスライドさせるようにして、腕の中へと持ち替えた。
いわゆる、完全なお姫様抱っこ。
「え――」
少女の思考が真っ白にフリーズする。 しかし当のダイチはといえば、生き残ることだけに脳ミソの全容量を使い果たしており、自分がどんなに甘酸っぱい格好で彼女を抱きかかえているかなど、本気で一ミリも気づいていなかった。ただただ必死に、野生の馬力で突き進む。
――その瞬間だった。ダイチの足に、信じられないほどの爆発的なパワーが宿った。
――ズバババババッ!!!
地面の土を爆音とともに蹴り飛ばし、ダイチのスピードが限界を突破してグングンと上がっていく。自分を追う風の音が、ゴーゴーと鼓膜を鳴らす。
(う、うお……っ!? 俺、なんかめちゃくちゃ足速くね!?)
景色が後ろへと音を立ててぶっ飛んでいく。 新幹線かよ。これ絶対、体感で時速300キロは出てるぞ。俺、いつの間にこんな特級のチーターになったんだ!?
無意識のルール書き換えによって自分の脚力が大バグを起こしているとも知らず、ダイチは脳内麻薬をドバドバと溢れさせ、自分の生み出した圧倒的なスピード感に脳内で完全に酔いしれていた。ニヤニヤとクソガキらしい笑みが顔に浮かぶ。
風圧で少女のチェックのプリーツスカートが激しくバタバタと音を立て、あまりの猛烈な加速に、ダイチの右手にがっしりと握られた木刀すら風を切り裂く特異な音を立てていた。
その超加速の視界の先、暗闇の空間を、周囲のゾンビを跳ね飛ばしながら猛烈な速さで並走する『何か』が現れた。
それは、まばゆい金色の光を放ちながら爆走する、一頭の『金の馬』だった。
「ダイチ、あれよ! あいつよ……っ! 捕まえて!!」
腕の中の少女が、並走する金の馬を指差して叫んだ。
「おいッ! 俺は右手に木刀持ってるし、左腕もお前を落とさないように固定してっから手が届かねえ! お前、手を伸ばせ! あの馬にタッチしろッ!!」
「無理ぃぃぃ! 早すぎて手がもげるぅぅぅ!!」
「いいから伸ばせぇぇぇ!! 」
少女は半泣きになりながらも、覚悟を決めてダイチの首元から手を離し、爆走する金の馬の胴体へと決死の思いで細い腕を伸ばした。 時速300キロ(ダイチの脳内計測)のデッドヒート。空間が摩擦で熱を帯びるなか、少女の指先が、金の馬の眩い背中へと――ついに届く。




