第2話 女子力(物理)の洗礼
都心から少し離れた住宅街の端にある、通称『枯れ井戸の迷宮』。
ここは、発生してから数十年が経過し、出てくる魔物もスライムやラットといった最弱種ばかりの、いわば初心者用の練習場だ。
普段なら、数人の駆け出し探索者が屯しているはずなのだが、今は運良く(あるいは俺の格好を考えれば幸運なことに)人影はない。
「よし、ドローンカメラ。俺の背後一メートルを維持。……みんな、聞こえてるか? 今、ダンジョンの入り口に到着した」
俺が宙に浮くカメラに向かって語りかけると、スマホのモニターに文字が流れる。
『梓、まだその格好で歩くのかw』
『職質されなかったのが奇跡だな』
『同接5人、全員がお前の勇姿(失笑)を見守ってるぞ』
「茶化すな。こっちは命がけなんだ」
俺は巫女服の袴を少し持ち上げ、井戸の横に設置された階段を降りる。
ひんやりとした冷気と、ダンジョン特有の土と魔素が混じった匂いが鼻を突いた。
一歩踏み込むごとに、俺の脳内にはシステムログが点滅し続ける。
【ステータス補正維持:全能力値 +1.2倍】
【現在ジョブ:見習い巫女(Eランク)】
「……よし。体が軽い、気がする」
正直、一・二倍程度では劇的な変化は感じられない。だが、これまでの「ただのひょろい男」だった俺とは違う。
暗い通路の先に、青白く光る不定形の物体を見つけた。スライムだ。
「出たな。初戦、いくぞ」
俺は背負った安物の弓を手に取った。
本来、俺には弓の適性などない。だが、この格好をしている今、不思議と弓の構え方が「知識」として頭に流れ込んでくる。
「ジョブスキル発動――『破邪の矢』」
弦を引くと、矢の先端に頼りないほど小さな光の粒が宿った。
ピシュッ、と放たれた矢は、スライムの体の中央に命中する。
ドシュッ!
「……あ」
スライムは、派手に弾け飛んだ。……わけではなく、少し表面が波打っただけで、そのままこちらへ這い寄ってくる。
『よわっwww』
『今のは「破邪」じゃなくて「挨拶」だろ』
『威力低すぎてスライムも困惑してんぞ』
「くそ、やっぱりクオリティEランクじゃこんなもんか!」
俺は焦って二の矢を放つが、今度は焦りから狙いが逸れ、壁にカツンと弾かれた。
スライムが跳躍し、俺の袴にベチャリと張り付く。
「うわっ! 冷たっ! 待て、脱げ、脱げる!」
粘着性のある粘液が、薄い袴の生地を汚していく。
必死にスライムを振り払おうとしてバタバタと暴れる俺の姿が、バッチリとカメラに抜かれていた。
『これ、何のプレイだよw』
『巫女さんがスライムに襲われる配信(中身は男)』
『梓、お前足のラインは結構綺麗だな。ウィッグズレてるぞ』
「あ、ウィッグ……!」
慌てて頭を押さえたが、時すでに遅し。激しく動いたせいで、ロングヘアのウィッグが右側に大きく傾き、俺の寝癖だらけの自毛がコンニチハしている。
【警告:女装クオリティが低下しています】
【メイク崩れ、衣装の乱れ、ウィッグのズレを検知】
【ステータス補正:+1.2倍 ➡ +1.05倍】
「威力が下がった!? 嘘だろ、ここからさらに下がるのかよ!」
体が目に見えて重くなる。
スライムの体当たりを受け、俺は尻餅をついた。
「いって……。笑えよ、たかがスライム相手に。俺はこんなところで終わるのか?」
地面に手をついたとき、指先に何かが触れた。さっき落としたメイクポーチだ。
俺は必死にスライムを蹴り飛ばして距離を取り、ポーチの中から「それ」を取り出した。
ドラッグストアで一番安かった、赤色のリップだ。
「……クオリティを上げれば、威力も戻る。そうだよな、システム!」
俺は鏡も見ずに、震える手でリップを唇に塗りたくった。
はみ出しても構わない。今は「女性らしくあろうとする意志」を、このシステムに示すしかないんだ。
さらに、傾いたウィッグを強引に引き戻し、破れかけた袴の裾を整える。
『おい、梓が戦闘中に化粧直し始めたぞ』
『ガチすぎるだろww』
『ちょっと待て、ログ見てみろ』
【女装クオリティ:再計算中……】
【「逆境における美への執着」を検知】
【総合女装クオリティ:Eランク(微増)】
【ステータス補正:+1.2倍 ➡ +1.5倍】
ドクン、と心臓が高鳴った。
指先に力が宿る。視界が研ぎ澄まされる。
「今だ……! 『破邪の矢』!」
再び引き絞られた弓から放たれた光は、先ほどよりも一回り大きく、鋭い。
矢はスライムの核を正確に貫き、今度こそ青い体細胞を霧散させた。
魔石が地面に転がる。……勝った。
「はぁ、はぁ……。見たか、これだ。これが『コスプレ・ジョブ』の戦い方だ……!」
俺はカメラに向かって、はみ出した赤い口紅のまま、不敵に笑ってみせた。
同接数は――いつの間にか「8」になっている。微増だ。だが、この3人の増分は、俺の「本気」を見てくれた結果だと信じたい。
『梓、お前……口紅はみ出すぎてピエロみたいだぞ』
『でも、今の必死さは嫌いじゃないw』
『女子力(物理)の使い方がワイルドすぎるだろ』
「うるさいな。次はもっと綺麗に塗ってやるよ」
俺はドロドロになった袴の裾を払いながら、次の通路を見据えた。
確かに恥ずかしい。死ぬほど惨めだ。
だけど、このバフがかかった瞬間の、万能感。
これまでの俺が一生かかっても手に届かなかった「力」が、この不格好な女装の先に確かにある。
「次はアイラインだ。……あいつら(魔物)に、俺の勝負メイクを叩き込んでやる」
俺は一歩、暗がりの奥へと足を踏み出した。
ひらりと揺れる巫女服の裾は、まだ俺の体には馴染んでいないけれど。
それでも、俺の探索者としての鼓動は、かつてないほど激しく打ち鳴らされていた。




