nAmBAr.02「輝きの名」
ローニャが帰って来るまで時間が掛かるかも知れない。私なりに状況を整理しておこうと思う。
今までローニャの言う仮称アメロッカ、フレワーミッシュと言う幼少期イバにとっての根幹、信念と呼べる何かを根源とした防衛リアクションの数々を乗り越えて来た。そしてフレワーミッシュ由来の一つ目では我々はピンチを打開する時に心音の共鳴までも果たしている。心音ベースライン、とローニャが形容したその事実をまるで知っていてそれを上書きするかの様に。これから降り掛かる事もアメロッカ、フレワーミッシュに準えられた何かになるのだとして、その試練が苛烈だった場合またあの共鳴に助けられる事になるかも知れないのは想像に難くない。
今が今で2歳世界。と言う事は我々にとって見ようとしている核、それの位置が1歳辺りなのか0歳そのものなのかもっと言えば受精の瞬間なのかは不明だが段々と我々の核への接近速度は遅くなっている。加齢による体感時間減少と言う概念が有るがここまで極端では無いにせよ我々が歩んでいる道筋もある程度はそれをなぞっている物である。20歳から10歳、そして10歳から2歳、更には2歳から最長受精までの何処か。等間隔に感じられたそれらはその実等間隔では無く段々と実際に進んだ距離は短くなっている。子供の時の体感時間が長い、と言う事とこれを組み合わせるとイバにとっての幼少期が如何に大切であったかと言う事が見えて来る様に思う。本人にとって大切な、大切にしていた時間であったと言う事は勿論、彼と言う人間形成においてもそれは重要で不可欠な密度の濃い時間であったと。
そしてローニャだが、彼女は私と違いイバの初恋の君の幻影として地球に於いて人であった記憶の影が残っている。飴を食した経験、と言う言葉にもその事実は顕著だった。私の様に完全に経験値から隔離されていると言う立場では無い分何故自分が地球に居られないのか、と言う思いは人一倍濃い筈だ。そんな事で気分を沈めない為の地球に準えたあーし、あちきだと言うのは分かっているが、ここで彼女は本名を形作った。言わば2歳世界突入に際してのねじり鉢巻きだ。ローニャ、黒子、そしてダイア。このダイアと言う第三の名前に来る一人称はなんなのだろう、そして私はその一人称を導ける所まで渡り歩けるだろうか、イバへの命のバトンを託す暗中模索のこの幻想世界を。また、私とローニャは、そのバトンを託した後でどんな形での命の「続き」を約束されるのだろうか。何もまだ見えない、分からない。ただ出来る事は、”なん”と”よん”で私を応援してくれたり、ガトー、ダイアと言う輝きの名を私に示してくれた彼女の笑顔をどうにかまだ見ぬ明日へと繋いで行く事だ。イバが彼女の元の人物に惚れたと言うのなら、それに近い淡い感情は人としての在り方が未だ不完全な私の中にもぽっと芽生え始めていた。




