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第8話 雨夜の初防衛戦

雨の向こうに、光る目がいくつも浮かんでいた。


 一対。

 二対。

 三対。


 いや、もっといる。


 木々の隙間に揺れるそれは、焚き火の光を反射しているだけではない。

 こちらを見ている。

 俺たちを、確かに見ている。


 雨音が、急に遠くなった気がした。


「……マジかよ」


 喉が鳴る。

 心臓が急いでいる。


 せっかく作った拠点。

 木の家未満、秘密基地以上。

 信頼度三パーの防衛ライン。


 完成したばかりのそれを死守するターンが来た。


 いや、早い。

 いくら何でも早すぎる。


 新品の傘を買ったその日に台風直撃、みたいな理不尽さである。


 スゥが俺の足元で小さく震えている。

 もっと細かく、身体の芯から怯えているようだった。


「スゥ、大丈夫か?」


 返事はない。

 代わりに、俺の足首へぴたりと寄ってくる。


 ……大丈夫じゃないらしい。


 外から、低い唸り声が聞こえた。


 グルルルル……。


 腹の底を揺らすような音。

 馬車を襲った狼型の魔獣と、たぶん同じ系統だ。

 ただ、今見えている影は一匹じゃない。


 群れだ。


「ボー、ヒョーロ、ガーリ!」


 俺は慌てて地面に指を走らせる。

 泥の上に光の線が走り、三体の棒人間が現れた。


 ぽんっ。

 ぽんっ。

 ぽんっ。


 三体は俺の前に並ぶ。


 ボー。

 ヒョーロ。

 ガーリ。


 細い。

 頼りない。

 だが、今の俺にとっては唯一の前線だ。


「頼むぞ、お前ら……!」


 三体は、くるりと巻いた腕を構える。

 見た目だけなら、幼稚園児がヒーローごっこしているようにしか見えないだろう。


 だが、今は笑っていられない。


 外の影が動いた。


 最初に鳴ったのは、枝の罠だった。


 カランッ。


 続いて、低く張った蔓に足を取られたのか、泥が跳ねる音。


 ズシャッ!


 そして、石の山が崩れた。


 ガラッ、シャッ!


「おおっ、罠が――!」


 次の瞬間、魔獣の影は何事もなかったかのように、罠を踏み越えてきた。


「通知機能しか作ってなかった!」


 俺の防衛ライン、信頼度3パーセント。

 どうやら本当に3パーだったらしい。


 いや、待て。

 音が鳴っただけでも十分だ。

 アラーム機能としては十分な仕事をした。


 俺は自分にそう言い聞かせる。

 だが、慰めている暇はない。


 一匹目が飛び込んできた。


 雨を裂き、泥を跳ね、牙を剥き出しにした魔獣。

 体格は普通の狼よりずっと大きい。

 肩までの高さは俺の腰よりある。

 目は濁った黄色で、筋肉のつき方が異常だった。


 何よりひときわ目を引く、長く伸びた爪だ。

 その先は肉を引き裂けるように鋭く伸びている。


 家造りのためにボーに取って来てもらった木材たち。

 余ったそれらを武器としていくつか拠点の外壁に立てかけておいた。


 召喚した順にクルリと手に武器を回収していくボーたち。


 ボーが前に出る。

「ボー、止めろ!」


 ボーは細い身体で、魔獣の進路へ飛び出した。

 当然、正面から受け止められるはずがない。


 魔獣の前足が振り下ろされる。


 ボーの身体が大きく曲がった。

 くの字を超え、つの字に湾曲した柔軟な身体。


「ボー!」


 だが、ボーは飛ばされなかった。

 曲がりくねった身体で、魔獣の足にしがみつく。


 ナイスガッツだ!


 ほんの一瞬。

 たったそれだけ。


 けれど、その一瞬で、ヒョーロが横から飛び込んだ。


「ヒョーロ、足元!」


 ヒョーロは泥を蹴って進み、魔獣の後ろ足へ攻撃するために振りかぶる。

 

 その一連の所作はとても優雅!

 まるでコマ送りのようにゆっくりに見えた。

 

 だが、次の瞬間……。

 

 ぶんっ!!


 優雅なモーションが嘘のようだった。

 ヒョーロの可愛い腕に巻き付いていた木の棒はグニャッとしなって見えるほどの速さで魔獣にヒットした。


 バットスイングみたいな一撃を受け、魔獣が宙を舞った。


 ギャンッ!


 いとも簡単に宙を舞って吹き飛ばされる。

 

 「ヒョーロ、何て怪力なんだ!」

 これは耐えられるかもしれない。

  

 ガーリは表情一つ変えず入り口付近で構え、俺とスゥの前に立った。

 表情の変化はわからないけど……。


 いいぞ!

 悪くない。


 ボーが止める。

 ヒョーロが崩す。

 ガーリが守る。


 完璧ではない。

 でも、形にはなっている。


「いける……!」


 そう思った瞬間だった。


 ぽんっ。

 ぽんっ。

 ぽんっ。


 三体が同時に消えた。


「こんな時に!」


 前線が崩れるレベルではない。

 前線が消滅した。


 本当に文字通り、消えた。


 さっきまで魔獣の前にいた三体が、光の粒になって消えたことで、俺たちの前には何も残っていない。


 雨。

 泥。

 魔獣。

 そして、俺。


 次の魔獣が低く身を沈める。


 飛びかかってくる。


「やられるっ――!」


 足元でスゥが跳ねた。


 ぷるんっ!


 透明な身体が広がり、雨のぬかるみに薄く溶け込む。

 次の瞬間、突っ込んできた魔獣の前足がぬるりと滑った。


 ズルッ!


 魔獣の身体が横へ流れる。


 牙が俺のすぐ横を通り過ぎ、拠点の入り口に組んだ枝へ突っ込んだ。


 バキバキッ!

 折れた枝が何本か魔獣の横腹に刺さっている。


「スゥ!」


 スゥが水たまりの中でぷるぷる震えている。

 雨水と泥とスゥの粘液が混ざって、地面がとんでもなく滑りやすくなっていた。


「ありがとう、助かった!」


 ぷるん!


 今のぷるんは得意げだ。

 いや、たぶん。


 だが、二匹止めても終わりじゃない。

 外には魔獣が残ってる。


 三匹目。

 四匹目。


 木々の間から、別の魔獣が姿を現す。


「くそっ、もう一回!」


 俺はボー、ヒョーロ、ガーリを同時に呼び出した。


 ぽんっ。

 ぽんっ。

 ぽんっ。


 三体が再び並ぶ。


 防げる。

 数十秒なら、防げる。


 でも――数十秒後に、一斉に消える。


 その瞬間が、一番危ない。


 それはさっきの一戦で分かった。


「一度に出したら、一度に消える……」


 そんなことは当たり前だ。

 当たり前すぎる。


 なんで気づかなかったんだ。


 同じ時間に召喚、同じ時間に消滅する。

 そりゃそうだ。


「なら……ずらせばいい!」


 俺は必死に頭を回す。


 今の持続時間は、だいたい三十秒から四十秒。

 正確な秒数は分からない。

 だが、体感ではそれくらいだ。


 一体目を出す。

 十五秒後に二体目。

 さらに十五秒後に三体目。


 そうすれば、一体が消える頃には、次の一体が残っている。

 前線が完全に空白になる時間を減らせる。


 攻めには向かない。

 一気に叩く力は落ちる。


 でも、守りなら使える。


「三段構え……いや、棒人間式三段シフト!」


 言ってから思った。

 ネーミングよ……響きが最悪だ。


 だが、今は名前なんてどうでもいい。


「ボー!」


 まず一体目。

 ボーを出す。


 ボーは前に出る。


「十五秒……十五秒だ……」


 俺は心の中で数える。


 一、二、三。


 雨音がうるさい。

 魔獣の唸り声が重なる。

 心臓が速すぎて、数が分からなくなる。


「くそっ、落ち着け俺!」


 ボーが魔獣の前足の爪を受け流す。

 いや、受け流すというより、吹き飛ばされて転がった。


 「ガードは難しいか!」


 でも立ち上がる。


 偉い。

 すごい。

 頑張れ!


「ヒョーロ!」


 二体目。

 ヒョーロを出す。


 ボーが消える前に、ヒョーロが前線へ入る。


 ボーが魔獣の注意を引く。

 ヒョーロが横から足元を狙う。


「ガーリ!」


 三体目。

 ガーリを入口近くに配置する。


 ボーがそろそろ消える。


 ぽんっ。


 ボーが消えた。


 だが、ヒョーロとガーリが残っている。


「よし!」


 完全な空白じゃない。

 前線は残っている。


「ボー、再召喚!」


 俺は再びボーを描く。


 ぽんっ。


 新品同様のボーが現れる。

 ボーは前と同じように動いた。


 消える直前の記憶が残っている。

 さっきの動きの続きのように、すぐ前へ出る。


 ぽんっ。

 突然、ボーが消滅した。


「え、今の消えるの早くないか!?」


 だが、考えている余裕はない。

 俺はすぐにボーを呼び戻した。 


「いける……これ、いけるぞ!」


 戦力外の俺でも、指示だけなら出せる!


「ボー、右から新手が来る! ヒョーロ、サイドから足だ! ガーリ、ボーが復帰するまでの繋ぎを頼む!」


 三体が動く。

 ぎこちない。

 完璧じゃない。


 それでも、俺の声に従って動く。


 胸の奥で、何かが小さく鳴った。

 

 抗え、立ち向かえ!!


 そう思えた、その瞬間だった。


 魔獣の群れの奥から、一回り大きな影が出てきた。


「……なんだ、あいつ」


 他の個体より、明らかに大きい。

 背が高い。

 毛並みが黒く、雨を吸って重く垂れている。

 額から鼻先にかけて、灰色の筋のような模様が走っていた。


 そいつが低く唸ると、周囲の魔獣の動きが変わった。


 ただ突っ込んでくるだけだった魔獣たちが、左右に散る。

 正面の個体は俺たちの注意を引き、別の二匹が横から回り込もうとしている。


「あのデカいのが、群れのリーダーか……!」


 魔獣って、ただの獣じゃないのか。

 いや、普通の獣でも群れは連携する。

 でもこれは違う。


 もっと嫌な感じだ。


 狩り慣れている。


 命を狩ることだけに、動きが最適化されている。


 その司令役らしきボス魔獣が、一歩前へ出た。


 ボーが向かう。

 弾かれる。


 ヒョーロが足元へ入る。

 軽々と避けられる。


 ガーリが俺とスゥを守る。

 横から来た魔獣に体当たりされ、泥の上を転がる。


「どうする、どうすればいい!」


 俺は追加で描こうとする。

 だが、指先が重い。


 魔力が削れている。

 身体の芯から力が抜けていくような感覚。


 それでも、描くしかない。


「ボー、もう一回!」


 光が走る。

 ボーが出る。


 すぐに前へ。


 ヒョーロが消える。

 再召喚。


 ガーリが消える。

 再召喚。


 頭の中で秒数を数えながら、雨の中で指を走らせる。


 もう、何をしているのか分からなくなってきた。

 でも、止めたら終わる。


 スゥが俺の横から飛び出した。


 ぷるんっ!


 木と木の間へ、細く伸びた粘液が張られる。

 雨に紛れて見えにくい、透明な糸。


 横から回り込んできた魔獣の足が、それに引っかかった。


 ギャウッ!


 魔獣が体勢を崩し、水たまりに突っ込む。

 そこにはスゥの粘液が混ざっている。


 ズルッ!


 魔獣は派手に滑り、泥の中へ転がった。


「スゥ、君はできる子だ!」


 ぷるん!


 今度ははっきり得意げだ。


 だが、司令役の魔獣だけは止まらない。


 スゥの粘液を避ける。

 

 棒人間の消えるタイミングまで見ているかのようだ。

 じりじりと距離を詰めてくる。


 賢い。

 ほんと嫌になる。


 時間切れで一体消えた後、次の再召喚までの召喚ロス《サモンロス》が、一番痛い瞬間だ。


「こいつ……!」


 ボス魔獣が跳んだ。


 狙いは俺。

 いや、俺の後ろにいるスゥかもしれない。

 どちらにせよ、避けられない。


 その瞬間、せん人様が動いた。

 さっきまで俺とスゥの後ろで魔獣が来た方角を見つめていた。


 神座で寝そべり、基本的に何もしなかったせん人様。

 俺からの頼み事も、数々スルーしてきたそのお方だ。


 そのせん人様が、静かに前へ出た。


 くるりと巻いた右手が、黄金に光を纏う。

 ボス魔獣が牙を剥く。


 せん人様は、避けなかった。


 真正面から、右拳を叩き込んだ。


 ドゴォッッッ!


 雨音を裂くような衝撃。

 ボス魔獣の身体が、横へ吹き飛んだ。


 太い木に叩きつけられ、幹が大きく揺れる。

 葉に溜まっていた雨粒が、ザーっと落ちてきた。


「……せん人様だ!」


 やっぱり強い。

 意味が分からないくらい強い。


 だが、ボス魔獣はまだ動いていた。

 よろめきながら立ち上がる。

 口元から黒い息のようなものが漏れている。


 せん人様は追撃しない。

 俺たちの前に立ったまま、右手を構えている。


 守ってくれている。


 そう分かった。


 すべては倒すためではない。

 俺たちを防衛するために動いてくれている。


「……俺も、止まってられないよな」


 俺は歯を食いしばった。


「ボー、右の足止め! ヒョーロ、スゥの糸に追い込め! ガーリ、サモンロスのサポートを頼む!」


 三体が動く。


 魔獣たちはまだ多い。

 雨は強い。

 魔力は残りわずか。


 それでも、さっきより少しだけ光明が差す。


 俺がやるべきこと。


 見る。

 考える。

 指示を出す。


 そしてみんなで、生き残る!


「スゥ、左の水たまり!」


 ぷるんっ!


 スゥが左の泥へ粘液を流す。

 魔獣が足を取られる。


「ボー、今だ!」


 ボーがフルスイングする。

 魔獣が吹き飛ぶ。


「ヒョーロ、下がれ! ガーリ、前!」


 ヒョーロが消える前に下がる。

 ガーリが前に出る。


 完璧じゃない。

 格好よくもない。

 泥だらけで、雨まみれで、叫びっぱなしだ。


 でも、少しずつ耐えている。


 耐えて、耐えて、耐えて――


 それでも、限界は近かった。


 俺の指先の光が弱くなっている。

 胸が苦しい。

 呼吸が荒い。


 魔獣はまだ残っている。

 何匹かは倒れた。

 何匹かは動きが鈍い。


 だが、まだいる。


 ボス魔獣も、せん人様と対峙している。

 あちらはせん人様が優勢だが……。

 でも、いつもの余裕はない。


 右手は黄金に輝いている。

 

「気がかりがあるのか!?」


 別の何かに意識を散らしているようだ。


「くそ……ジリ貧か……!」


 もう一度、ボーを呼ぼうとした。


 ――その時だった。


 殺意むき出しの魔獣たちが静まる。

 耳が、一斉に動いた。


 ピクッ。


 雨音の中で、それだけが異様にはっきり見えた。


 ボス魔獣も、せん人様から視線を外す。

 森の奥を顧みる。


 群れ全体が、何者か呼応したように動きを止めた。


「……何だ?」


 唸り声が消えた。

 牙を剥いていた魔獣たちが、低く身を伏せる。


 俺たちを狙っていたはずの目が、それぞれの方向を向く。


 次の瞬間、魔獣たちは後退し始めた。


 一匹。

 二匹。

 続いて、他の個体も。


 ボス魔獣までもが、せん人様に背を向ける。


「逃げ……てる?」 


 助かったのか!?


 ――いや、違う。


 あれは俺たちから逃げているんじゃない。


 もっと奥から来る、何かから距離を取っている。


 スゥが、俺の足首に張り付いた。

 さっきまでとは比べものにならないほど震えている。


「スゥ……?」


 返事はない。


 せん人様が、ゆっくりと姿勢を変えた。

 いつもの余裕の佇まいではない。


「せん人様!?何をして……」


 全身を逆立たせ、全力の臨戦態勢。

 全身が、淡い黄金の光をまとい始める。


 くるりと巻いた腕が、わずかにほどけるように伸びた。


 俺は理解した。

「何かとてつもない、やばいのが来るのか!?」


 せん人様に、余裕がない。


 さっきまで魔獣のうめき声で煩かった雑音。

 今度は雨音が異常にうるさい。


 バキッ、メキッ!


 雨の向こうで、森が揺れた。


 風……じゃない。

 もっと大きな何かが、木々の奥を通っている。


 バキッ。


 太い枝、木々が折れる音。


 ザアァッ。


 葉に溜まった雨が、一斉に落ちる音。


 木々の隙間を、巨大な影が横切る。


 狼の形をしていた。

 だが、俺の知っている狼って、こんな次元の生き物だったか!?

 牛より大きいとか、馬より大きいとか、そういう話じゃない。

 

 異形のそれは森の中を歩いているはず……。

 なのに、まるで茂みをかき分けるように進んでいる。


 体高だけで、小屋くらいは優にある。

 全長は、いったい何メートルになるのか見当もつかない。

 

 黒とも灰ともつかない毛並み。

 雨を吸って重く濡れた背。

 闇の中、こちら側に大きく、鈍く光るものが向けられた。


 それが目だとわかるまでにどれくらいかかっただろう。

 だが、その目は、俺たちを見ていなかった。


 魔獣の群れも見ていない。

 拠点でもない、スゥも、ボーたちも、俺も。


 何にも興味がない。


 邪悪に見えたそれ。

 ただ、そこを通っただけ。


 人が足元の小虫に気づかず歩くように。

 そこに雑草があっても、何も感じないように。


 雨の夜、そいつは森の中を通っていった。


 魔獣の群れは、完全に姿を消していた。

 

 せん人様は、俺の前に立ったままだった。

 全身に黄金の光をまとい、微動だにしない。


 戦おうとしているようには見えなかった。

 だが、退避行動にも見えない。


 ただ、俺の前に立っている。


 その巨大な影は、一度もこちらに牙を向けなかった。

 唸り声すら上げなかった。


 やがて、森の奥へ消えていく。

 雨音が、少しずつ戻ってくる。


 俺はその場から動けなかった。


 膝が震えていた。

 指先の光は消えている。

 呼吸の仕方すら、一瞬分からなくなる。


「……助かった、のか?」


 声に出してから、自分で違うと思った。


 助かったんじゃない。


 勝ったわけでもない。

 守り切ったわけでもない。

 誰かが俺たちを助けてくれたわけでもない。


 あいつには、俺たちが見えてなかった。


 ただ、それだけだ。


 スゥが足元で震えている。

 いつもより、小さく見える。


 せん人様は、ようやく全身の光を弱めた。


 けれど、いつものようにすぐ神座へ戻ることはなかった。

 しばらく、森の奥を見続けていた。


 俺は、雨で濡れた拠点を見た。

 スゥを見た。

 せん人様を見た。


 そして、さっき巨大な影が消えた森の奥に視線を移す。


「俺たちは……見逃されたんだな」


 いや、違う。


 見逃された、ですらない。

 俺たちは森の小虫と一緒だったんだ。


 その事実が、魔獣の牙よりも冷たく、俺の背中を這い上がってきた。


 雨は、まだ降り続いていた。

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