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第7話 雨と拠点と一斉早退

 冷たい。


 最初に感じたのは、それだった。

 背中が濡れている。

 服が肌に張り付いている。


 草木を敷いただけの寝床は見る影もなく、ただ水を吸った何かになっていた。


「……うそだろ」

 

 目を開けると、木々の隙間から細い雨粒が落ちてきていた。

 

 ぽつぽつ、ではない。

 しとしと、でもない。

 しっかりと降っている。

 

 ついに来た。

 森に来てから一度も降っていなかった、雨だ。


「よりによって、今日かよ……」

 

 起き上がろうとして、背中に冷たい泥がべっとりついていることに気づく。

 

 最悪だ。

 

 昨日までの俺の寝床は、大木の根元に草木を敷いただけの簡単なものだった。

 雨が降らなかったから何とかなっていただけだ。

 だから雨対策なんて何もしていない。

 

 つまり、俺の寝床は崩壊した。

 三匹の子豚で言えば、わらの家どころか、濡れティッシュの家である。

「……寒っ!」

 吐いた息が白い。

 身体の芯が冷えている。

 

 焚き火は、かろうじて煙を上げているだけだった。

 火はほとんど死んでいる。

 

 「これが風前……いや、雨天の灯火ってやつか……」

 

 足元を見ると、スゥが小さく丸まってぷるぷる震えていた。

 半透明の身体が、雨粒を受けてぬめるように光っている。


「スゥ、大丈夫か?」


 ぷる……。

 返事は弱々しい。

 いつもの元気なぷるんではない。


 その一方で、少し離れた大木の根の陰に、せん人様がちょこんと座っていた。

 そこは雨が直接当たりにくい場所で、地面も比較的乾いている。


「お前だけ、避難が早いな!?」

 せん人様は何も答えない。

 ただ、くるりと巻いた腕を膝の上に乗せ、静かに森の奥を見ている。

 

 何だその達観した姿勢。

 

 「仙人か!!」

 

 いや、せん人様だった。

 ……名前負けしてないのが腹立つ。

 

 とにかく、このままじゃまずい。

 空腹より、雨より、何よりまずいのは冷えだ。

 体温を奪われたら終わる。


 異世界に来てから、俺は何度も死にかけた。

 魔獣に襲われ、キノコに腹をやられ……あと、せん人様にも腹をやられた。


 だが、まさか雨で死にかけるとは思わなかった。

「今日は……寝床を作り直す。いや、寝床じゃダメだ。拠点だ!」

 

 そうだ!――拠点。


 家と呼ぶにはおこがましい。

 小屋と呼ぶには材料も技術も足りない。

 でも、雨と風を防げる場所が必要だ。


「目標は……木の家未満、秘密基地以上!」


 そう宣言すると、スゥが少しだけぷるんと震えた。

 応援してくれているのか、呆れているのかは分からない。


 まずは人手だ。

 いや、人ではないけど。


 俺は地面の泥を指でならし、棒人間を描いた。

 

 丸。

 線。

 手足。

 

 昨日より少しだけ、指の動きが慣れてきている。

 手足はまだ下手だ。

 

 だが、前より迷いが少ない。


「出てこい、ボー!」


 ぽんっ。

 光の粒から、小さな棒人間が飛び出す。


 細い。

 頼りない。

 でも、俺にとっては大事な戦力だ。


 続けて二体目。

「ヒョーロ!」

 ぽんっ。


 三体目。

「ガーリ!」

 ぽんっ。


 ……名前については何も言うな。


 最初の子はボー。

 二体目はヒョーロ。

 三体目はガーリ。


 ネーミングセンス?……無いよ、そんなの。


「よし、ボーは枝集め。ヒョーロは蔓。ガーリはせん人様付近の整地だ!」


 三体は一斉に動き出した。


 ボーは近くの枝を抱え、ヒョーロは細い蔓を引っ張り、ガーリはせん人様の側でいそいそと枯草などを片付けている。


「おお……言う通りに動いてる。俺のスキルがちゃんと働いてるよ……!」

 

 ちょっと感動した。

 だが、その感動は長く続かなかった。

 

 ぽんっ。

 ぽんっ。

 ぽんっ。


 三体がほぼ同時に消えた。


「早っ!」


 数十秒か訓練で日々時間は伸びているのだが……。

 いや、体感ではもっと短い。


「うちはホワイト企業のはずなんだが、まとめて一斉早退は非常に困る!」

 

 当然、誰も聞いていない。

 

 せん人様は相変わらずそっぽを向いて森の奥を見ている。

 スゥだけがぷるぷる震えていた。

 

 笑ってる?

 笑ってるよな?


 「くそっ、もう一回だ!」

 俺は再び棒人間を描いた。


 召喚。

 作業。

 消滅。

 

 召喚。

 作業。

 消滅。


 これを何度も繰り返す。

 正直、効率は悪い。

 魔力も削られる。


 身体がじわじわと重くなる。

 でも、ひとりでやるよりは何倍もいい。


 ボーが枝を運ぶ。

 ヒョーロが蔓を引きずる。

 ガーリはせん人様の周りの掃除だ。


 ボーが持ってくるのは枝だけでなく、倒木や太い丸太も拾ってきてくれた。

 想像よりも力持ちな奴らだ。

 

 けれど、戻ってくる途中で、丸太を運んでくるボーがプスンッと消える様は見ていてとても儚い。


 途中、本当に大変だった。


 ヒョーロが運んできた蔓っぽい草が俺の足に絡まり、派手に転んだ。


「お前、良い罠だな! 俺に対しての!!」


 ヒョーロは皮肉交じりの俺の方へ顔を向けた。

 だが、何も答えず、すぐに消えた。


 定時退社である。


 ガーリは掃除の途中で、雨に足を取られて横に倒れた。

 そしてそのまま消滅。


「掃除中に殉職するな!」


 ボーは太い枝を抱えたまま消えた。

 枝だけが落ちて、俺の足に当たった。


「あたっ! 退勤時の置き土産が酷い!」


 だが、悪いことばかりではない。

 度重なる訓練の賜物か、ボーたちは成長しているようだ。

 

 「背も伸びてるよな?」


 初めは園児と見間違えるほどのサイズだったが、今は小学生くらいか。


 紆余曲折あったが、俺がそれらを監督、材料を組み合わせた。


 まず、大木の根元を中心にする。

 後ろには太い幹。

 横には少し大きめの倒木。


 これを壁代わりにすれば、少なくとも三方向のうち二方向は守れる。


「よし、ここを拠点にする」


 問題は屋根だ。

 雨を防ぐには、大きな葉が必要だ。

 

 ヒョーロが藁と共に適当に集めてきてくれた大きめの葉。


 その葉を選別しようと手を伸ばした瞬間。


 スゥが跳ねた。


 ぷるんっ!

 パシッ!


「いた!」


 スゥは俺の手元の葉を、触手みたいな手で叩き落とす。

 そして別の方向へ跳ねていった。


「この葉はダメってことか?」


 スゥは少し離れた場所で、大きな葉をぷるぷる揺らしている。

 表面に雨粒が乗っても、ころころと弾かれて落ちていた。


「……お前、雨を弾く葉が分かるのか?」


 ぷるん!

 得意げだ。


 スゥ、すごい……そして可愛い。


「スゥ、お前……森のホームセンターだな!」


 ぷるんぷるん!


 褒められたと思ったのか、スゥが少し明るい色に変わる。


 やはり可愛い。

 そして有能。


 それに引き換え……俺の視線はせん人様へ。

 相も変わらず鎮座している。

 

 俺はスゥが選んだ大きな葉を集め、枝の骨組みに重ねていく。

 蔓……のような、しなやかな草で縛る。


 隙間を草で埋める。

 足元には乾きが良さそうな草を厚く敷く。


 ――作業は進む。

 ゆっくりだが、進んでいる。


 雨は相変わらず降っている。

 服は濡れ、手は泥だらけ。

 指先は冷たく、身体は重い。


 それでも、少しずつ形になっていく。


 大木の根元に寄り添うような、小さな雨よけ。

 倒木と枝で囲った、歪な壁。

 大きな葉を何枚も重ねた屋根。


 入り口には、細い枝を吊るした簡単な鳴子。


 家とは呼べない。

 小屋とも言い難い。

 でも、俺にはそれが、この世界で初めて作った居場所だ。


「……できた!」

 思わず声が漏れた。


 俺はゆっくりと中に入る。


 雨音が少し遠くなる。

 完全には防げていないが、雨ざらしで寝ていた時よりいい。


 地面はまだ湿っている。

 壁は歪んでいる。

 屋根も頼りない。


 それでも、外よりずっとマシだ。


「すげぇ……俺、拠点作った……」


 胸の奥が少し熱くなる。


 前の世界の俺は、家なんてお金で得るものだと思っていた。

 屋根があって、壁があって、布団があって、エアコンがある。


 それが当たり前だった。


 でも今は違う。

 濡れない場所を作れただけで、泣きそうになる。


「よし、じゃあ一番居心地が良さそうな、乾いてる場所に――」


 座ろうとした瞬間、トコトコと来たせん人様が当然のようにそこに座った。


「そこ、俺の場所じゃないの!?」


 せん人様は、プイッと顔をそらした。


「何もしてないやつが、一番いい場所を取るな!」


 ぷるぷるぷる。

 スゥが震えている。


 笑ってる?

 絶対笑ってるよな……。


「いや、待てよ。もしかしてお前、ずっと周囲を見張ってたのか?」


 せん人様は答えない。

 ただ、静かに森の奥を見ている。


 ……そうかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。


 でも、有事には動いてくれる。

 それはもう分かっている。


「分かったよ。そこは神座ってことにしてやる」


 せん人様は動かない。

 神座を得たせん人様は、ただ雨の森の方を向いている。


 俺はその横の、ちょっと湿った場所に腰を下ろす。


「主の待遇、低くない?」


 誰も答えない。

 

 だが、不思議と嫌ではなかった。

 

 優しくなった雨音。

 スゥの跳ねるような水音。

 せん人様の沈黙……はいいか。


 独りではない。


「何か……いいな、この感じ」


 だが、安心するにはまだ早かった。

 雨のおかげで、地面がぬかるんでいる。

 そのせいで、拠点の周りにはいろんな跡が残っていた。


 俺は焚き火の場所を少し高くしようとして、泥の上にある足跡に気づいた。


「……これ!?」


 小さな足跡だ。

 三本の爪。


 先日も見たものに似ている。

 

 たぶん、普通の獣。

 腹が減れば獲物を追い、腹が満たされれば逃げる。

 そんな生き物の足跡だ。 


「これは……狼系の獣っぽいな」


 だが、その横に別の跡があった。


 大きい。

 そして深い。


 爪の形が異様に長い。


 小さな足跡を追うように、泥へ食い込んでいる。


 俺は無意識に息を止めた。


「普通の獣じゃない……よな」


 腹が減ったから追ってる?

 そういう感じじゃない。


 うまく言えない。


 スゥが俺の足元に寄ってくる。

 いつものぷるんではなく、体を小さく縮めていた。


「スゥ……これ、やばいやつか?」


 ぷる……。


 肯定なのか、恐怖なのか。

 どちらにしても、良い反応ではない。


 せん人様を見やる。

 彼は相変わらず神座に……寝そべってる!!


 初めて見た、せん人様の横バージョン!

 クルリと巻いた手で、器用に頬杖付いている。

 

 前の世界にもあったな……こういう偉そうに寝そべった像。


 とても愛らしい。

 だが、相変わらずその心中は読めない。


 あと足りないモノは――


「罠でも作るか」


 俺はそう呟いた。


 罠と言っても、大したものは作れない。

 落とし穴なんて、今から掘る余裕も体力も残ってない。


 モブが雨の森で思いつくことなんて、そう多くはない。

 それでも、何もないよりマシなレベルだ。


 細い枝を整列させて入り口に吊るす。

 低い位置にツタを張る。

 石を積み、何かが触れたら崩れやすいように設置する。


 泥の上には、あえて柔らかい場所を残して足跡が分かるようにする。

 

 ボーを呼ぶ。

 ヒョーロを呼ぶ。

 ガーリを呼ぶ。


 一度の召喚で描いた光の軌跡が消える前であれば、そこから次の子を出せることを知った。


 何度も描かなくていい。

 それからは複数召喚もほぼ同時だ。 


 ボーは罠の設置。

 ヒョーロには石罠の設置。

 ガーリは周囲への警戒。


 ぽぽぽんっ。


「こんな時まで一斉早退すんな!」


 それでも、何度でも召喚する。

 何度でも消える。

 何度でもやり直す。


 その繰り返し。


 ラッキーだったことは再召喚した彼らはそれまでの行動の記憶が残っているという点だった。


 また、指示し直さなくて済むのは有難い。


 気づけば、拠点の周囲には、頼りない罠がいくつも並んでいた。


 ……防衛ライン完成。


 「これで信頼度、3パーセント!」


 低い……低すぎる。


 でも、ゼロよりはいい。


 ――夜になった。


 雨は弱まるどころか、少し強くなっていた。

 拠点の屋根に雨粒が当たり、ぱたぱたと音を立てる。

 隙間から少し水が落ちてくるが、前よりはずっとマシだ。


 焚き火は小さく燃えている。

 煙は少し目に染みる。


 一酸化炭素中毒には気を付けなきゃな。


 だが、火があるだけで心が落ち着く。

 スゥは俺の足元で丸くなっている。

 

 せん人様は神座に寝そべったまま動かない。


「……今日も変わらず寒いな」


 俺は膝を抱えた。


「でも、今朝よりはマシか」


 そう思った瞬間だった。


 ガラッ、ガシャッ!


 外で、石が崩れる音がした。


 身体が一気に硬直する。


 雨音に紛れて、ほんの小さな音だった。

 でも、聞き間違いじゃない。


「……崩れたよな?」


 スゥがびくりと震える。

 

 せん人様の顔が、ゆっくりと外へ向く。


 俺は慌てて地面に指を走らせた。


「ボー、ヒョーロ、ガーリ!」

 ぽんっぽんっぽんっ。


 三体の棒人間が現れる。


 足元がぬかるんでいるが、彼らは棒だから難なく歩いている。

 何なら、軽快にすら見える。


「頼もしい奴らだ!」


 外を見る。

 雨の向こう。

 木々の間。


 二つの光があった。

 あれは……目だ!


 俺は息を呑む。

 次の瞬間、その奥にまた二つ。

 さらに奥に、もう二つ。


「一匹じゃない……のか」


 喉が鳴る。

 雨の匂いに混ざって、獣臭も鼻を突いた。


 ボーが前に出る。

 ヒョーロがその横へ。

 ガーリは入り口近くで構える。


 だが、三体は同時に震えるように光り――


 ぽんっ。

 ぽんっ。

 ぽんっ。


 消えた!


「ああ、今だけは消えるの止めて!」


 俺の嘆きは雨に吸われる。

 その時、せん人様が立ち上がった。


 久々のご出陣だ。


 こちらが命令したわけでもない。

 頼んでも聞いてくれない。


 ただ、せん人様は静かに立ち上がり、俺の前に出た。

 くるりと巻いた右手が、淡く黄金に輝き始める。


 スゥが俺の足首に体を寄せてくる。

 明らかに震えている。


 雨の向こうで、光る目がひとつ、またひとつと近づいてくる。

 そのさらに奥。

 ひときわ大きな影が、木々の間に立っていた。

 

 狼じゃない……ただの獣でもない。


 もっと大きくて、もっと静かで、もっと嫌な感じがするもの。


 俺はその瞬間、理解した。


 俺たちの拠点は、完成したばかりで――

 もう、試されようとしていた。

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