第35話 ルーキーの初仕事
目を覚ますと、目の前に木目があった。
「……近いな」
顔を少し動かす。
すぐ隣には、せん人様の足。
せん人様はベッドの中央を占拠して横になっていた。
コイツ、寝てる……よな。
俺はその横で、ベッドの端に身体を寄せるようにして眠っていたらしい。
狭い。
めちゃくちゃ狭かった。
けれど、身体を起こしてみると、思っていたほど疲れは残っていなかった。
森の拠点で寝ていた時より、背中も腰もずっと軽い。
「やっぱり、布団ってすごいな……」
柔らかい寝床のありがたさを噛み締めながら、俺はベッドから降りた。
反対側のベッドでは、リィルが布団を抱きかかえるようにして眠っている。
その足元では、スゥが丸くなってぷるぷると震えていた。
ベルは昨夜と同じ場所に座り、部屋の扉へ顔を向けている。
「ベル、おはよう」
声をかけると、ベルがこちらへ顔を向けた。
こくり。
小さく頷く。
起きていたらしい。
眠る必要があるのかは、いまだによく分からない。
「今日は、冒険者として初仕事だ」
ベルは腰のよれた剣に手を添え、少し胸を張った。
「だから、問題は起こすなよ」
ベルの胸が、ほんの少しだけ元に戻った。
分かっているのか、いないのか。
マルタさんお手製の朝食を済ませた。
俺たちは、彼女に一週間分の宿代を支払い、ヴェールデン冒険者ギルドへ向かった。
せん人様は今日は宿で、鋭気を養うらしい。
要は面倒くさくて、行きたくないのだろう。
朝の街は、昨日の夕方とはまた違う賑わいを見せている。
店先には商品が並び始め、荷車が石畳の上を行き交っていた。
昨日まで森の中で暮らしていたことが、すでに少し昔のことのように感じる。
ギルドへ入ると、すでに何人もの冒険者が集まっていた。
受付へ向かう者。
仲間と話し合っている者。
壁際にある大きな掲示板を眺めている者。
「あれが依頼の掲示板か」
壁一面を使った大きな板には、数え切れないほどの依頼札が貼られていた。
護衛。
討伐。
調査。
採取。
札には、それぞれ異なる色のギルド印が押されている。
赤や青。
銅色や銀色。
中には、遠くからでも分かるほど鮮やかな金色の印が押された依頼札もあった。
「金色……」
内容を見る。
山岳地帯に出没する大型魔獣の討伐。
推奨人数、六名以上。
過去に負傷者多数。
「うん。見なかったことにしよう」
俺はすぐに視線を外した。
掲示板の片隅。
低い位置に、他よりもずっと狭い区画が設けられていた。
そこに貼られている依頼札には、どれも白いギルド印が押されている。
白がルーキー向けの目印らしい。
貼られている依頼は、宿屋の掃除。
倉庫の荷運び。
街中への配達。
下水路周辺の害獣調査。
そして、薬草採取。
「見事に地味だな……」
「ルーキーなんだから、仕方がないのです」
リィルが掲示板を見上げながら言った。
「お前、文字は読めるのか?」
「当然なのです。リュートとは違うのです」
「俺はこの国の文字を知らないから、読めないはずなんだが……不思議と読める」
「読めれば十分なのですよ。書くのはリィルにお任せなのです」
リィルは不思議と嬉しそうだった。
再びルーキー向けの区画に視線を向けた。
俺は白い印の依頼札を順番に見ていく。
その中に、回復薬の材料となる薬草の採取依頼があった。
「ナオリ草を三十束……」
ナオリ草……。
治りそう。
「……しょうもな」
「何かおかしな点でも?」
「うわっ!」
すぐ後ろから声をかけられ、俺は肩を跳ねさせた。
振り返ると、ミントさんが不思議そうにこちらを見ていた。
「いえ、何でもないです」
「そうですか?」
「本当に何でもありません」
異世界でも、薬草の名前を付けた人間の感性は、俺とそれほど変わらないのかもしれない。
「こちらの依頼を受けますか?」
「はい。初仕事ですし、採取依頼から始めようと思います」
「薬草なら、巨人のリュートより、リィルの方が役に立つのです」
「巨人……?」
ミントさんが首を傾げた。
まずい。
「ああ、これは、その……」
俺は慌ててリィルの前へ出た。
「こいつ、森の暮らしが長かったので、ヒト族みたいな種族を、まとめて巨人と呼ぶ癖があるんです」
「そうなのです。リュートは大きくて、そのうえ態度も大きい巨人なのです」
「余計なことは言わなくていい」
「変わった呼び方ですね」
「本当に、ただの癖ですから」
ミントさんは少し不思議そうにしていたが、それ以上は追及しなかった。
「では、依頼内容をご説明します。採取するのはナオリ草、三十束です。ヴェールデンの南側に広がる草地で採取できます」
ミントさんは依頼札を外し、受付台の上に置いた。
札にはナオリ草の絵が描かれている。
細長い葉が数枚、円を描くように広がった草だ。
「似た形の草も生えていますので、採取する際は注意してください。また、郊外には魔物や魔獣が出没することがあります。危険を感じた場合は、無理をせず引き返してください」
「分かりました」
「依頼を受ける場合は、こちらにお名前をお願いします」
ミントさんに筆記具を渡された俺は、固まった。
見慣れない文字が書かれている。
意味は分かる。
だが、自分で書けと言われると、やはり手は動かない。
「リィル……頼む、代わりに書いてくれ」
「仕方がないのです」
「ミントさんごめんなさい。俺は文字は読めるのですが、書けません。連れの代筆でも大丈夫ですか?」
「問題ありません。そういった冒険者もいらっしゃいます。大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
リィルは筆記具を受け取り、依頼書に俺の名前を書いた。
流れるような文字だった。
「お前、字がきれいなんだな」
「大人の嗜みなのです」
リィルは胸を張って嬉しそうだった。
依頼の受付を終え、俺たちは再びギルドを出た。
南門へ向かう途中、俺はリィルへ声を落として話しかける。
「リィル」
「何なのです?」
「俺の前では巨人って呼んでもいい。だが、人前では少し気をつけてくれ」
「どうしてなのです?」
「普通のエルフは、ヒト族を巨人とは呼ばないだろ」
「呼ばないのです」
「だから、お前の言動は変に思われる。そこからお前がリーフ族だって気づかれる可能性もある」
リィルは少しだけ考え、腕を組んだ。
「巨人たちは、いちいち気にしすぎなのです」
「次の日、檻の中に入れられて見せ物や奴隷……って、こともあるかもな」
俺は少しイジワルな笑みを浮かべて言った。
「わ、分かったのです。これからは、リュートと呼んであげるのです」
「いつもそう呼ばれていた気がしたが……リィルさんや、動揺がにじみ出てるぞ」
「そんなことはないのです」
南門を抜け、街道から少し外れた草地へ向かう。
ヴェールデンの城壁からそれほど離れていない場所。
森の中とは違い、見晴らしも良かった。
背の低い草が風に揺れ、その中に色の異なる小さな花が点々と咲いている。
「この辺りなら、人もいないな」
本来の目的は薬草採取。
だが、今日はもう一つ、確かめなければならないことがある。
俺は周囲を確認してから、指先を地面へなぞった。
「来い、ボー、ヒョロ、ガーリ」
ぽぽぽんっ。
三体の木偶人形が、草地の上へ姿を現した。
「やっぱり木の人形のままだ。棒人間じゃない」
昨日だけの一時的な変化ではなかったらしい。
ボーが小さく腕を上げる。
ヒョロは細長い身体を揺らし、ガーリは両手を腰に当てた。
「よし。次だ」
ステータスカードに表示されていた最大召喚数は五体。
三体を呼んだ今も、まだ召喚できそうな余力が残っている。
俺は、今までと同じように棒人間を召喚してみた。
地面へ線を描き終える。
「出てこい」
ぽんっ。
だが、現れたのは、木偶人形ではなかった。
以前のボーたちと同じ、線だけで描かれた棒人間。
ただし、その大きさはかなり小さい。
俺の腰にも届かないほどだった。
同じように召喚をしても、その個性はそれぞれに違うようだ。
「こいつは棒人間のままなのか」
「新人なのです」
リィルの言葉に、小さな棒人間がぴょこんと跳ねた。
「四体目の棒人間か……また、名前が必要だな」
「リュート、ちゃんとカッコ可愛い名前を付けてあげるのです」
「ミニ、ちょこちょこ動いているから、チョコは?」
チョコと聞いて、リィルと棒人間が同時にピクリと動いた。
「チョコは、まあまあにいい名前なのです」
チョコは両手を上げ、その場でくるりと回った。
「気に入ったみたいなのです」
「名前の意味が分かってるのか?」
もし、分かってたら、きっと暴動が起きるだろう。
だが、気に入っているから問題はない。
続いて俺は、もう一体を描く。
ぽんっ。
五体目も、初期型の棒人間だった。
サイズはいつも通りの子だ。
チョコだけ特別に小さいのだろうか。
現れた棒人間は、両手を胸元で合わせ、今までのタイプとは違う雰囲気を纏っていた。
「お前も……名前ほしい感じ?」
五体目の棒人間がこくこくと頷く。
「名前がない子はかわいそうなのです」
「わかってるよ。確認で聞いてみただけだ」
正直、名前を付けるのは本当に苦手だ。
思えば中学の時、俺にゲルニカ学習帳って名づけたやつ、あいつは名づけの天才だったことに今更ながらに気がついた。
「ピカッと出てきたから、ピカリ、ふわっと出てきたからフワリはどうだ?」
「フワリ……やっとそこそこの名前が出てきたのです」
フワリと告げられた棒人間は、胸元の手を強く引き寄せた。
「フワリで決定なのです! この子も気に入っているのですよ」
「なら……よかったよ」
これから、こんな感じで命名が増えていくのだろうか。
そう考えただけで憂鬱な気分になった。
フワリが、ぽわんと両手を広げる。
これで五体。
新たな二体は、ボーたちのように木偶人形へ進化していない。
これまでいた三体だけが変化したということだろうか。
「まずは依頼を終わらせようか」
「ナオリ草なら、あっちに生えている草なのです」
リィルが草地の一角を指差す。
近づいてみると、依頼札に描かれていたものとよく似た草が、いくつも生えていた。
「これがナオリ草か」
「葉の先が少し丸くて、根元が赤いものなのです。根まで抜かずに、茎から切るのですよ」
「詳しいな」
「薬草の見分け方くらい、里の子供たちでも知っているのです」
リィルの話を聞きながら、茎の途中から薬草を採っていく。
少し離れた場所に同じような草の群生地があった。
その場所で、俺は手を伸ばした。
ぺしん。
「痛っ!」
スゥの触手が、俺の手の甲を叩いた。
「なんだよ、スゥ」
スゥは俺が触ろうとした草と、ナオリ草を交互に指すように身体を伸ばした。
「これ、違うのか?」
スゥがぷるぷると大きく震える。
「毒なのか?」
今度は、ぽよんと一度だけ跳ねた。
「危なっ……」
見た目はそこまで変わらない草だ。
馴染みのない俺には、ほとんど違いが分からない。
「毒を見分けられるなんて、ぷるぷるはとても優秀なのです」
「ぷるぷるって……相変わらずお前は頼りになるな。ありがとう、スゥ」
スゥは嬉しそうに、ぽよんぽよんと跳ねた。
リィルの知識と、スゥの毒判別。
二人がいなければ、初仕事からミントさんに怒られていたかもしれない。
「ボー。これ、使ってみるか?」
俺は《道具生成》で、小さな採取用ナイフを作った。
ボーへ渡す。
ナイフを握る手が様になっている。
ボーはナオリ草の前へしゃがむと、リィルが示した位置へ刃を当てた。
すっ。
茎だけを、きれいに切り取る。
「……うまいな」
もう一本。
今度も、根を傷つけずに切った。
「ボーもガーリに似て、器用なんだな。でも、ガーリの器用さとは何かが違う気がする……」
ボーはナイフを掲げ、少しだけ胸を張った。
「ボー、薬草採取を手伝ってくれてありがとう」
採取を続けていると、リィルが少し離れた場所で立ち止まった。
「ここにも生えているのですが、大きな石が邪魔なのです」
見ると、ナオリ草を挟むように岩と岩が邪魔をして採ることができない。
「ヒョロ。この岩、動かせるか?」
ヒョロが岩の前へ立つ。
両腕を伸ばし、岩へ手をかけた。
ぐぐぐ、と細長い身体がしなる。
次の瞬間。
ごろり。
大きな岩が、地面から持ち上がった。
「おお……!」
ヒョロは岩を抱えたまま数歩進み、草の生えていない場所へゆっくり置いた。
「やっぱり、力はかなり強くなってるな」
ヒョロは両腕を上げた。
やはり、力こぶはどこにも見えない。
ヒョロよ、そのパワーの源は何処から……。
「チョコは何が得意なんだ?」
すると、何やら遠くの方を指さした。
「あっちを見れるってことか?」
こくりと頷く。
「なら、見てくれるか?」
チョコは元気よく片手を上げた。
そして、小さな身体で草の間を駆けていく。
背が低いので、少し離れただけで姿が見えなくなった。
「ああ、見れるってそういうことだったのか……足で稼ぐ従来のスタイルね」
しばらくすると、草むらが揺れ、チョコが戻ってきた。
「お、戻ってきた。どうだった?」
チョコは両手を頭の上へ伸ばした。
次に、両手を口元へ持っていき、何かが突き出しているような動きをする。
さらに、指を二本立て、草むらの方を指差した。
「そうか……なるほど」
「リュートにも、チョコが言っていたことが分かったのですか?」
チョコが期待するように俺を見る。
「……全く分からん」
リィルとチョコの肩が、一緒にがくりと落ちた。
「大きな耳の魔物が二匹、ということではないのです?」
「リィル、分かるのか?」
「リュートが分からなすぎるのです」
チョコは頭をぽりぽりとかいた。
それから地面へしゃがみ込み、指先で土の上に線を引き始める。
丸い身体。
長い耳。
そして、口元から伸びる二本の牙。
「牙ウサギか……魔獣じゃなくて、凶暴な獣だったな」
チョコが弾むように頷いた。
その横へ、丸を二つ描く。
「二匹いるんだな」
チョコは両手を上げた。
「絵なら分かる。さすが俺の召喚した棒人間だ」
「身振りでは何も伝わらなかったのですよ……大変なご主人を持つと苦労するのです」
「それは今後の課題だな……」
チョコが示した草むらが揺れる。
長い耳。
丸い身体。
大きく突き出た牙。
牙ウサギが一匹、こちらを覗いていた。
その後ろにも、もう一匹いる。
「本当にいたな」
牙ウサギが低く身構える。
だが、ベルが一歩前へ出た瞬間、その身体がびくりと跳ねた。
ベルは剣を抜いていない。
ただ、静かに牙ウサギを見ているだけだ。
牙ウサギたちは耳を立てると、勢いよく反対方向へ逃げていった。
「ベル、お前、何したんだ?」
ベルは不思議な出来事に首を傾げた。
「外界の牙ウサギは、少し臆病なのかもしれないのです」
「確かに……森の牙ウサギは強烈だった」
森での過酷な暮らし、初めて牙ウサギと遭遇した時のことが蘇った。
地球では狩られるものが、こっちでは襲い掛かるものになっていたイメージの崩壊。
その時の感覚を思い出し、身の毛がよだった。
それでも、今は森の中じゃない。
俺たちは気を取り直して、ナオリ草の採取を続けることにした。




