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第34話 巨人たちの食事はなかなかなのです

「こちらが、ルーキーの手引きになります」


 冒険者登録を終えた俺に、ミントさんは薄い冊子を差し出した。


「新人冒険者向けに、依頼の受け方やランク制度、ギルド内での注意事項をまとめたものです。後ほど、必ず目を通しておいてください」


「分かりました」


 俺は手引きを受け取る。


 薄い冊子とはいえ、今の俺にはかなりありがたい。

 この世界は相変わらず説明不足だが、ギルドはまだ親切らしい。


 まあ、さっきギルド内でひと騒動あったばかりだけど。


「あの、ミントさん」


「はい」


「この街で、いい宿ってありませんか? できれば、あまり高すぎないところで」


 俺が尋ねると、ミントさんは俺の後ろへちらりと視線を向けた。


 そこには、せん人様とベルが立っている。


 どちらも木偶人形になったばかりだ。

 せん人様は相変わらず、すんとしていて何を考えているのか分からない。

 ベルは腰によれた剣を差したまま、なぜか少し胸を張っているように見えた。


 いや、お前はさっき余計なことをした当事者なんだが。

 

 誇るな。


 ミントさんはほんの少し考えてから、受付台の下から小さな紙片を取り出した。


「ギルドで紹介している宿はいくつかあります。リュートさんでしたら、こちらがよろしいかと」


「俺でしたら?」


「はい。眠り羊亭です」


 紙片には簡単な地図が描かれていた。

 ギルドを出て、通りを二つ進んだ先にあるらしい。


「高級宿ではありませんが、変わった同行者がいる冒険者への対応には慣れています」


「変わった同行者……」


 俺はもう一度、後ろを見る。


 せん人様。

 ベル。

 壁際で待っているスゥとリィル。


 うん。

 間違いなく変わっている。


「なるほど……助かります」


「ただ、部屋の空き状況はこちらではわかりませんので、直接、宿に行ってみて確認してください」


「分かりました」


 俺が礼を言うと、ミントさんは軽く頭を下げた。


「それでは、リュートさん。ヴェールデン冒険者ギルドは、あなたの今後のご活躍を期待しております」


 その言葉を聞いて、ようやく少しだけ実感が湧いた。


 冒険者。

 ヴェールデン冒険者ギルド。


 ベルさんが歩んでいた道。


 森の中で必死に生き延びていた俺が、今は街のギルドで冒険者登録を終えている。


 まだ実力は分からない。

 スキルのことも分からないことだらけだ。

 けれど、少なくとも第一歩は進めた。


 そう思ったところで、受付横の壁際から声がした。


「リィルも登録したかったのです」


 見ると、リィルが少し頬を膨らませていた。


 その横で、スゥがぽよんと跳ねている。

 騒動の間、二人は危ないからと壁際へ下がらされていたらしい。


 スゥは木偶人形になったボーたちが気になるのか、ぽよん、ぽよんと近づいては、ヒョロの周りを回っていた。


「リィルは登録しなくていいだろ」


「リィルも戦えるのです」


「いや、ギルド内でこれ以上問題事を増やさなくていい。あと、見た目が完全に子供だからな」


「リィルは大人なのです!」


「見た目はエルフの子供だし、冒険者登録はまた今度にしような」


「約束なのです」


「わかった、やれやれ……」


 リィルは不満そうだったが、もうリィルの年齢問題まで気にかける気力はない。


 その時だった。


 ぽふん。


 軽い音がした。


「あ」


 ボーが消えた。


 続いて、


 ぽふん。

 ぽふん。


 ヒョロとガーリも、淡い煙のように消える。


 ギルドの床には、もう三体の姿はない。


「時間切れか……」


 木偶人形になっても、持続時間はあるらしい。

 まあ、そこまで都合よく全部が解決するわけではないか。


 一方で、せん人様は相変わらずそこにいた。

 ベルも、よれた剣を腰に差したまま立っている。


 通常召喚の三体は消える。

 せん人様とベルは残る。


 ここは、今まで通りらしい。


 本当は、今すぐ試したいことが山ほどあった。


 ボーたちは次に呼んでも木偶人形なのか。

 今、ステータスカードはどうなっているのか。

 ガーリが出した火は何なのか。


 けれど、ここはギルド内だ。

 さっきみたいな騒動をもう一度起こすわけにはいかない。


 それに、今日は、もうくたくたで動けそうにない。


「……まずは宿だな」


 俺はそう呟いて、ギルドを出た。


 外へ出ると、ヴェールデンの街は夕方の色に染まり始めていた。


 石畳の通りを、荷車がきしきしと音を立てて進んでいる。

 遠くからは鍛冶場の金属音が聞こえ、屋台の方からは焼けた肉の匂いが流れてきた。


 人がいる。

 音がある。

 食べ物の匂いがする。


 森の中とは、何もかもが違う。


「宿は、こっちか」


 俺はミントさんにもらった地図を広げる。


 眠り羊亭は、ギルドからそれほど遠くない。

 これなら迷わず行けそうだ。


 そう思ったところで、重大なことに気づいた。


「……あれ?」


 俺は自分の服を見下ろす。


 財布。

 ない。


 いや、そもそもこの世界でまともに使える金なんて持っていない。


「……俺、金なくないか?」


 街には何とか着いた。

 冒険者登録もできた。

 宿を紹介してもらった。


 そして、宿代がない。


「街に到着早々、詰んでないか……?」


 これ、ゲームだったらスタート直後の街で野宿のやつだ。


 俺が地図を片手に固まっていると、横でスゥがぽよんと跳ねた。


「スゥ?」


 スゥは俺に何かを訴えるようにぷるぷる震えたあと、ぽよん、ぽよんと進み始めた。


「おい、どこへ行くんだ?」


 そこで、俺はさらに気づく。


「……あれ。リィルはどこだ?」


 さっきまでいたはずのリィルがいない。


 俺の背筋に嫌な汗が流れる。


 リィル。

 街。


 まさか、誘拐!?


 スゥの後を追って行くと、あっさりと見つかった。

 リィルは、とある屋台の前にいた。


「巨人たちの食事は、なかなかなのです」


 リィルが、串焼きを頬張りながらこちらに戻ってきた。


 手には串焼きが二本。

 どうやら肉串に香ばしいタレが塗り付けられている。


 口の端には、食いしん坊の証とも言えるタレらしきものが付着していた。


 とても満足そうな顔だった。


「……おい」


「何なのです?」


「何を食べてるんだ?」


「串焼きなのです」


「そんなことは見れば分かる。どこから出てきた」


「屋台からなのです」


「そうじゃない。金だ。金はどこから出した」


 俺が問い詰めると、リィルは少しだけ首をかしげた。


「フィオナ様から、今回の旅費として預かったものなのです」


「……旅費?」


「そうなのです」


「誰から誰に?」


「フィオナ様から、リュートにです」


「じゃあなんで今、お前のお腹に入ってるんだよ」


 リィルは串焼きをもう一口食べた。


「宿代には串焼きも含まれるのです」


「含まれない」


 俺が頭を抱えていると、リィルはもう一本の串焼きをスゥの方へ差し出した。


「実は、この串焼きはスゥのために買ったのです」


 スゥがぽよんと跳ねる。


 どうやら、これは嬉しいらしい。


 スゥは串焼きに近づくと、触手のような手を伸ばし受け取る。

 そして、串も丸ごと自分の体内に取り込む。


 透明な身体の中で、串と肉がゆらゆら揺れた。


 すると、肉だけがじわじわと溶けるように消えていく。

 最後に、きれいになった串だけが、ほいっと外へ押し出された。


「おお……」


 妙に器用だ。


 スゥは満足そうに、ぽよんぽよんと跳ねている。


「ね、スゥのためなのです」


「何が、ね……だ。そんなことじゃ、スゥは騙せても俺は騙されないぞ」


「リュートは巨人なのに、心はリーフ族よりも小さいのです」


「やかましい!」


 リィルは聞こえなかったふりをして、残りの串焼きを食べた。


 俺はため息をつく。


「で、その旅費は?」


「ここにあるのです」


 リィルはようやく、小さな革袋を取り出した。


 ずしり、とした重さがある。


 中を確認すると、金貨が十数枚。

 それから、銀貨や銅貨がじゃらじゃらと入っていた。


「小銭、多くないか?」


「大きい銀貨を出したら、お店の巨人がたくさん返してくれたのです」


「それは、お釣りだ」


「そう、お釣りなのです」


「分かってなかっただろ」


 リィルは目を逸らした。


 危ない。

 こいつはものすごく危ない。


 このままリィルに持たせていたら、宿に着く前に旅費が全部お腹に収まってしまう可能性がある。


 俺は革袋をしっかり握った。


「これは俺が預かる」


「リィルがフィオナ様から預かったものなのです」


「フィオナが俺に渡すために預けたもの……だろ」


 リィルは少しむくれたが、さすがに反論はできないようだった。


 袋の中には、金貨が十五枚ほど入っている。


 この世界の通貨はディアというらしい。


 貨幣は、銅貨、銀貨、金貨が基本。

 それぞれに一回り大きい大銅貨、大銀貨、大金貨があるらしい。

 さらに、一部の大貴族や商人だけが扱う、グラン金貨という高額貨幣も存在するようだ。


 さっき、リィルが食べていた串焼きが二本で四百ディア。

 

 銅貨なら四枚分。


 金貨は一枚で一万ディア。


 前の世界の感覚で考えるなら、金貨十五枚でだいたい十五万円くらいだろうか。


 そこに銀貨や銅貨が少し。

 いや、リィルが大銀貨を崩したせいで、かなりじゃらじゃらしている。


 贅沢しなければ、一、二週間はなんとかなりそうだ。

 逆に言えば、無駄遣いしていい額ではない。


「ここの巨人たちは、お金の数え方が細かいのです」


「お前が大雑把すぎるだけだ」


 俺は革袋を服の内側へしまった。


 これで、少なくとも今夜は野宿しないでよさそうだ。


「よし。今度こそ宿に行くぞ」


「串焼きはもう買わないのです?」


「買わない」


「リュートの分は?」


「買わない」


 スゥが少しだけしょんぼりしたように、ぷるんと縮んだ。


「飯のことはあとで考えるから、とりあえず宿に行こう」


 そう言うと、スゥはすぐにぽよんと跳ねた。


 分かりやすい。


 ミントさんの地図を頼りに通りを進むと、やがて目的の宿が見えてきた。


 大通りから一本外れた場所にある、二階建ての建物だ。


 派手さはない。

 壁も少し古い。

 けれど、窓から漏れる明かりは温かい。


 入口の上には、木の看板が掛かっていた。


 丸くなって眠る羊の絵。

 その下には、見慣れない文字が並んでいる。


 読める。


 いや、正確には文字を読んでいるというより、意味だけが頭に入ってくる感覚だ。


 眠り羊亭。


「ここか……便利だけど、気持ち悪いな、これ」


 扉を開けると、木の床がぎしりと鳴った。


 中は広くはないが、掃除はされている。

 受付を兼ねた台の奥に、年配の女性が立っていた。


 腕まくりをした、いかにも肝の据わった女将という感じの人だ。


「いらっしゃい。泊まりかい?」


「はい。ギルドの方に紹介されて来ました」


「ああ、ギルドの紹介かい」


 女将は俺を見て、次に後ろを見る。


 リィル。

 スゥ。

 せん人様。

 ベル。


 その視線が、一体ずつゆっくり移動する。


「……ずいぶん面白い連れだね」


「すみません」


「別に謝ることじゃないよ。うちは冒険者お得意様の宿だからね、妙な連れがいる客も珍しくない」


 妙な連れ……ね。


 まあ、否定はできない。


 女将は指を三本立てた。


「汚さない。壊さない。他の客に迷惑をかけない。それが守れるなら泊められるよ」


「分かりました、大丈夫です」


 俺はすぐに頷いた。


 そのあと、ちらりとベルを見る。


 ベルは腰の剣に手を添えたまま、こくこくと頷いた。


「お前が一番心配なんだよ」


 俺が呟くと、ベルは胸を張った。


 いや、褒めてない。


 女将はその様子を見て、少しだけ口元を緩めた。


「あたしはマルタ。この眠り羊亭の女将だよ。何かあったら、あたしのところへきな」


「マルタさんですね。俺はリュート、でこっちは……」


「リィルなのです。しばらく、お世話になるのです」


 俺は宿代を支払い、鍵を受け取る。


「部屋は二階だよ。ベッドは二つ。食事は別料金。基本は食堂で食べてもらうが、部屋に持っていくこともできる。必要なときは言っておくれ」


「はい、わかりました。では、夕食を三人分、部屋までお願いしてもいいですか?」


「あいよ、三人分だね。そっちの連れの分は……大丈夫そうだね」


 せん人様とベルを一瞥した女将さんが言った。


 宿代の支払いには金貨を使った。


 じゃらじゃらしていた小銭が、さらに増えた。

 前の世界でも、財布の小銭には困らされていたが、この世界の小銭は比較にならないほど重い。


 あと少し増えたら、きっと俺はムキムキになれるだろう。


 二階の部屋に入ると、そこは思ったよりも簡素だった。


 ベッドが二つ。

 小さな机が一つ。

 椅子が二脚。

 壁際に荷物を置く棚。


 それだけだ。


 けれど、今まで森で暮らしていた俺には最高の贅沢だ。

 慣れた拠点ではあったが、あそこで寝るよりは、ずっといい。


「ベッドなのです」


 リィルが目を輝かせた。


 スゥは床の上でぽよんと跳ねる。

 ベルは部屋の隅を確認するように歩き、せん人様は何も言わずにトコトコと進んだ。


 そして、俺が使おうと思っていた方のベッドのど真ん中に、ドシッと座った。


「あの……せん人様」


 せん人様は動かない。


「そこ、俺の寝床なんですけど」


 せん人様からの返事はない。


「ですよね……」


 俺は諦めて、ベッドの端に腰を下ろした。


 もう一つのベッドには、リィルがぽすんと座り、その横でスゥがぷるぷるしている。

 ベルはなぜかベッドの下を確認してから、壁際に立った。


 警戒してくれているのかもしれない。

 ただ、さっきの件があるので、頼もしいより少し怖い。


 ほどなくして、女将のマルタさんが食事を運んできてくれた。


 今日の夕食のメニューは、踊り鳥の甘辛焼きとホップコーンの野菜スープ、それとパンらしい。


 香ばしく焼いた肉に、照りの付いたソースがかけられていた。

 それとクリーム色のスープに野菜がごろごろと入っている。


 このパンは……パンだな。

 少し固そうに見えるが、バゲットのようなパンだろうか。


「マルタさんから今日の献立を聞いても、まったく味の想像がつかない」


 どれも見たことのない野菜ばかりだ。


「そういえば、さっきの屋台の店主も、踊り鳥の串焼きって言ってたのです」


「この街の名産品か何かなのか……?」


「リィルに言われても分からないのです」


「そう言われてみればそうだよな。リィルはここに来るまでの間、ずっとエルム・フォレスティアに引きこもってたんだもんな……なんかごめん。」


「リュートはイジワルな巨人なのです。それを生活というのです」


「そうだったな。森の引きこもりどうし、マルタさんの料理を楽しもうじゃないか」


「リュートは精霊様に、何度か心と体を清めてもらうといいのですよ」


「何それ……怖いんですけど」


 俺とリィルはそんな会話をしながら、森では味わえなかった街の料理に舌鼓を打った。


 ――食事を済ませ一息ついたころ。


「さて……」


 俺は懐からステータスカードを取り出した。


 さっき、ギルドで確認したら周囲に見られる可能性があった。

 だから、ここまで我慢していた。


 カードの表面は、ほとんど何も変わらない気がする。

 指を置くと、淡い光が浮かび上がり、詳細が現れるはずだ。


 俺は息を整えて、カードに触れた。


 淡い光が走る。


 そして、文字が浮かび上がった。


 【氏名】:リュート

 【種族】:ヒト族

 【所属】:ヴェールデン冒険者ギルド

 【冒険者ランク】:ルーキー


 【Lv】:10/30

 【職業】:クリエイターズ(階級:お絵描きニート)

 【スキル】:

 棒人間召喚(Lv10)最大数:5/持続時間:180秒

 道具生成(Lv3)サイズ:小型限定(魔力消費あり)

 アトリエポケット(Lv2)収納数:0/5


 【せん人様】:常時具現化/体術:Lv8/?????

 【契約獣】:スゥ(スライム)

 【ベル】:常時具現化/剣術:Lv4/?????


 【HP】:D 【MP】:C 【STR】:D 【VIT】:E

 【AGI】:D 【DEX】:D 【INT】:D 【LUK】:C


 【称号】:召喚されし者/雨夜の生存者/森の迷い子

 【概要】:

 描いたものを具現化するスキル(芸術センスに依存)


「なんか……微妙に増えてるな」


 まず、所属が追加されている。

 ヴェールデン冒険者ギルド。

 そして、冒険者ランクはルーキー。


 ここまでは分かる。


 問題は、その下だ。


「レベル、十の三十……」


 上限が、本当に上がっている。


 そして、《棒人間召喚》。


 最大数、五。

 持続時間、百八十秒。


「三分か……」


 前より、明らかに伸びている。


 最大数も三から五になっている。

 つまり、ボー、ヒョロ、ガーリ以外に、あと二体呼べるってことか? 


 ただ、何が起こるか分からないから、召喚はまた今度かな。


 新しく呼べる二体も木偶人形なのか。

 ガーリの火はスキルとして使えるのか。

 ボーが武器に触れた時のあれは何だったのか。


 やっぱり、分からないことばかりだ。


 分かったのは、少しずつではあるが強くなっているということ。


「やっぱり、今回もいろいろと検証しないと駄目だな」


 さすがにこの部屋で試すわけにはいかない。


 特に火。

 ギルド内でガーリが見せたあの炎はなんだったのか。

 

 ここでは絶対に駄目だ。

 放火魔になる未来しか想像できない。


 俺は指を離しカードを閉じた。


 今度はミントさんにもらった冊子を開いた。


 文字は相変わらず見慣れない。

 けれど、内容は分かる。

 この世界に来てからずっとそうだ。

 話すことも、読むことも、なぜか意味だけは通じる。


 ただ、書けと言われたら無理そうだ。

 俺の手は、この世界の文字をまだ知らない。


 そういえば、今さらだが、ステータスカードの内容も何の苦もなく読めていた。


 ルーキーの手引き。


 最初のページには、冒険者ランクについて簡単に書かれていた。


 ルーキー。

 Fランク。

 Eランク。

 Dランク。

 Cランク。

 Bランク。

 Aランク。

 Sランク。


 そして、その上に小さく、最高位の称号としてマスターランクという文字があった。


 マスターランク。


 そういえば、前にベルさんから聞いたことがあった。

 今の俺には遠すぎるどころか、見上げても見えないくらいの場所だ。


 俺はすぐに視線を戻した。


 今、大事なのはそこじゃない。


 ルーキーは、登録直後の見習い扱い。

 受けられる依頼は、街中の雑用や、危険度の低い採取依頼が中心。

 討伐依頼やダンジョン関連の依頼には制限がある。


 Fランクに上がれば、初級ダンジョンへの道が見えてくるらしい。


「まずは、ルーキーからか」


 まあ、当然だ。


 いきなりダンジョンに入れるほど、世の中甘くない。

 むしろ、制限がある方が安心できる。


 ここが新人の登竜門。

 ベルさんにも俺みたいな時期があったのだろうか。


 何にしても、明日はギルドで依頼を探す。

 できれば街の外へ出られる依頼がいい。


 そのついでに、俺のステータスをひとつずつ試す。


 最大数。

 木偶人形化。

 ボーの武器への反応。

 ヒョロの力。

 そして、ガーリの火。


 やることは山ほどある。


 けれど、今日はもう限界だった。


 森を出てから、トルネさんの助力で街に入り、ギルドで登録手続きをしている最中に、みんなが木偶人形になった。

 その後、ラウドに絡まれ、宿を探し、所持金問題で肝を冷やした。


 なんとも波乱万丈。


 冒険者一日目としては、十分すぎるくらい濃い。


 俺は手引きを閉じ、ベッドの端に身体を倒した。


「明日の朝食も、宿代に含まれるのです」


 隣のベッドから、リィルの声がした。


「含まれない。もう寝ろ」


「旅には食事の楽しみが必要なのです」


「食後によく、次の飯の話ができるな」


「巨人たちの食事は、なかなかだったのです。リィルは今まで、森の中で里の食事しか口にしたことがなかったのですよ」


「そうか……美味しかったか?」


「美味しくて……幸せだったのです。リュート、リィルも一緒に連れてきてくれてありがとうなのです」


「……こちらこそ、ありがとう」


 俺がそう返すと、リィルは少し満足そうに布団にもぐった。


「おやすみなのです」


「おう。おやすみ」


 スゥはベッドの足元で丸くなり、ぷるぷると小さく震えている。

 ベルは壁際に座ったまま、部屋の入口の方を向きながら静止している。


 もしかすると、寝ているのかもしれない。


 せん人様は、俺のベッドのど真ん中で相変わらずのままだ。


 俺はベッドの端で、身体を小さく丸めた。

 ひとりは十分に寝られるベッドなのに、せん人様のせいでこれでは森の拠点と変わらない広さ。


 それでもベッドは柔らかい。


 検証しなきゃいけないことは山ほどある。


 でも、まずは眠ろう。


 ヴェールデンでの最初の夜は、少し狭くて、少し騒がしくて、それでも森の夜よりはずっと温かかった。

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