第33話 木偶人形、立つ
『レベル上限を解放します』
「……は?」
俺の間の抜けた声が、笑いの残るギルド内へこぼれた。
だが、それきりだった。
頭の中に響いた声は、それ以上何も言わない。
説明も補足もしてくれない。
認知人数が規定値に到達した。
レベル上限を解放する。
分かったのは、それだけだ。
「いや、待て。何をどう解放したんだよ」
当然、返事はない。
俺は小さく息を吐いた。
「相変わらず、不親切な世界だな……」
もう少し説明してくれてもいいだろ。
ゲームではシステム告知は饒舌なものだ。
「人見知りか……!」
けれど、考えてみれば今さらだった。
この世界に来てから、丁寧に説明された覚えなんてほとんどない。
最初の召喚の時だってそうだった。
訳も分からないまま召喚されて、訳も分からないまま《棒人間召喚》なんてスキルを押しつけられて、訳も分からないまま森で死にかけた。
今さら、世界の親切心に期待する方が間違っているのかもしれない。
そう考えた、その時だった。
「……ん?」
足元にいたボーの身体が、かすかに震えた。
最初は、ただ線が揺れたように見えた。
紙に描いた線を水面へ映した時みたいに、細い身体がゆらりと歪む。
続いて、ヒョロ。
そして、ガーリ。
三体の身体が同時に震え始めた。
「お、おい。何だ?」
「落書きが震えてるぞ」
「気持ち悪っ」
周囲の笑い声が、少しだけざわめきに変わる。
俺は反射的に一歩踏み出した。
「ボー? ヒョロ? ガーリ?」
返事はない。
三体は、俺の命令を待つ時と同じように、そこに立っている。
ただ、その身体が淡い光に包まれていた。
細い線だった腕に、厚みが生まれていく。
一本の棒のようだった足が、丸みを帯びた木の脚へ変わっていく。
奥行きのなかった丸い頭が、木でできた球のように膨らんでいく。
身体の節々には、関節のような継ぎ目が生まれた。
指らしきものはまだ曖昧だ。
口もない。
表情もない。
それでも、明らかに違う。
さっきまで、ただの棒人間だった三体が。
落書きみたいだと笑われていた三体が。
今は、木で作られた人形として、ギルドの床をしっかり踏みしめていた。
「……木偶人形?」
思わず、そんな言葉が口からこぼれた。
すると、すぐそばで別の光が収束した。
「え?」
せん人様だった。
すんと立っていたせん人様の身体も、立体的な人形へと変化していた。
そして、ベルも。
腰によれた剣を差した棒人間もいつの間にか、木偶人形へと変わっていた。
「いや、待て。なんでせん人様とベルまで……?」
せん人様やベルは、通常の召喚体とは違う特別枠だったんじゃないのか?
やっぱり説明が足りない。
足りなすぎる。
そう思った直後、胸の奥に引っかかるものがあった。
この姿を、俺は知っている。
この世界に召喚された直後。
帝国の召喚の間で、最初に現れた、あの人形。
丸い頭。
立体的な身体。
棒人間よりも、少しだけ人に近い姿。
「……あの時の、あいつだ」
あれは何だったのか。
あれ以来、今日まで一度も現れることはなかった。
やっぱり、どんなに考えても今の俺には分からない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
それは、この瞬間、ボーたちが変わったということだ。
俺の《棒人間召喚》は、何か次の段階へ進んだのだ。
ギルド内は、一瞬だけ静まり返っていた。
さっきまで笑っていた冒険者たちも、木偶人形になった五体を見て言葉を失っている。
しかし、それも長くは続かなかった。
「……はっ」
見ていた冒険者のひとり、そいつが鼻で笑った。
赤茶色の髪をした、体格のいい男だった。
革鎧を着崩し、腰には剣を差している。
周囲の冒険者たちが、その男へ視線を向けた。
「おいおい。棒人間が木偶人形になっただけじゃねえか」
男はにやつきながら、こちらへ歩いてくる。
「少し立派な落書きになったからって、何を驚いてんだ?」
「ラウドさん」
ミントが静かな声で呼んだ。
ラウド。
それが、あの男の名前らしい。
ミントは受付台の向こうから、表情を崩さずに続けた。
「現在、登録手続き中です。リュートさんおよび召喚体への接触は控えてください」
「ああ? 触るなってほど大したもんなのかよ」
「手続き中です」
低い声でミントが警告する。
「へいへい。分かってるよ」
ラウドはそう言いながら、まったく分かっていない顔で笑った。
その横にいた痩せた冒険者が、せん人様を見下ろす。
「こいつ、さっきから偉そうに立ってやがるな」
「おい、やめとけって」
俺が声をかけるより早く、男の手がせん人様へ伸びた。
掴む。
そう思った瞬間だった。
せん人様が、ひょいと身体を横へずらした。
大げさな動きではない。
ただ、ほんの少し位置を変えただけだ。
伸びてきた男の手が空を切る。
次の瞬間、せん人様はその腕を取っていた。
くるり。
小さな木偶人形の身体が、軽く回る。
「へ?」
男の声が間抜けに響いた。
ぱたん。
気づいた時には、男は床に仰向けに転がっていた。
ギルド内が、また静まり返る。
せん人様は何事もなかったかのように、すんと立っていた。
「……今、何した?」
誰かが小さく呟いた。
俺も知りたい。
というか、せん人様。
相変わらず、やる時だけ急に強いな。
「てめえ!」
倒された男の仲間が、顔を真っ赤にして剣を抜いた。
「ラウドさん!」
ミントの声が鋭くなる。
だが、剣を抜いた男は止まらない。
せん人様へ向かって踏み込もうとする。
まずい。
ギルド内で剣を抜くなよ。
いや、抜いた時点でかなりまずいだろ。
「ボー、武器を止めろ!」
俺は反射的に命じた。
ボーが動く。
木偶人形になったボーの手には、以前より少し形のはっきりした、小さな武器が握られていた。
剣とも棒ともつかないそれを、ボーは男の剣へ向ける。
ぶつかった、というほど強い音はしなかった。
こつん。
ただ、軽く触れたように見えた。
なのに、男の剣先が不自然に横へ流れた。
「なっ……!」
男の手首が跳ねる。
握っていた剣が、するりと手から抜け落ちた。
金属が床を滑る音が響く。
男は、自分の手を見て固まっていた。
「おい、今の何だよ」
「剣、落としたぞ」
「弾いた……のか?」
俺にも分からない。
壊したわけじゃない。
力任せに叩き落としたようにも見えなかった。
ただ、ボーが武器に触れた瞬間、相手の剣が役目を失ったように見えた。
「ボー、お前……」
俺が言いかけたところで、今度は別の冒険者が前に出た。
巨漢だった。
俺より頭一つ分は大きい。
丸太みたいな腕を持った男が、苛立った顔で拳を鳴らしている。
「木の人形ごときが、調子に乗りやがって!」
その拳が振り上げられた。
「ヒョロ、止めろ!」
ヒョロが前へ出る。
木偶人形になったヒョロは、ボーよりも一回り大きく見えた。
細長いだけだった身体に、明らかな厚みがある。
巨漢の拳が振り下ろされる。
鈍い音がした。
けれど、ヒョロは下がらなかった。
片手で、巨漢の拳を受け止めている。
「……は?」
巨漢が目を見開く。
その腕に、さらに力が込められた。
ヒョロの足裏が床を踏みしめる。
木の関節がぎしりと鳴った。
それでも、ヒョロは倒れない。
むしろ、一歩踏み込んだ。
巨漢の腕を抱え込むようにして、身体ごと押し込む。
「なっ、待っ――」
どすん。
巨漢の背中が床へ沈んだ。
ヒョロはそのまま、相手の腕を押さえ込む。
巨漢は暴れようとしたが、動けない。
俺は思わず喉を鳴らした。
強い。
棒人間だった頃とは、明らかに違う。
その時、視界の端で小さな光が揺れた。
ガーリだ。
ガーリが、右手を前へ出していた。
その指先に、小さな火が灯っている。
「……え?」
俺が固まる。
周囲の冒険者たちが、一斉にざわついた。
「おい、火だ」
「あの木人形、火を出してるぞ」
「まずいだろ、ここで火は!」
確かにまずい。
ギルドの中だ。
冒険者がたくさんいる。
酒もある。
紙の依頼書も山ほど貼られている。
ここで火は、しゃれにならない。
「ガーリ、待て!」
俺が叫ぶと、ガーリの指先の火がふっと消えた。
ガーリはそのまま、何事もなかったように俺の方を向く。
いや、すました顔をするな。
顔はないけど。
今、火、出したよな?
はっきりと出たよな?
いつから使えたの?
「てめえ……!」
ラウドの低い声が響いた。
見ると、ラウドが顔を歪めてこちらを睨んでいた。
仲間は床に転がされ、剣を落とされ、巨漢はヒョロに押さえ込まれている。
それがよほど気に入らなかったのだろう。
ラウドは大股で俺へ近づいてきた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ、棒人間使い!」
「いや、先に手を出したのはあんた達だろ」
「うるせえ!」
ラウドの手が、俺の胸倉へ伸びる。
その瞬間、ベルが飛び出した。
おい!?
俺は、何も命令していない。
俺が止めるより早く、ベルの木の身体がラウドの足元へ滑り込む。
足を払った。
「うおっ!?」
ラウドの身体が宙に浮く。
次の瞬間、床へ背中から落ちた。
ベルはそのまま、ラウドの腹の上へ馬乗りになる。
小さな手で、ラウドの胸倉を掴んだ。
「ベル、待て!」
俺が叫んだ時には、ベルの拳が振り下ろされていた。
ぽこっ。
「痛っ!」
ラウドの額に一発。
「ベル、そこまで!」
ぽこっ。
「いってえ!」
二発目。
「ベル!」
今度は強めに呼ぶ。
ベルの手が、ぴたりと止まった。
よかった。
止まった。
やれやれ。
何て気性の荒さだ。
そう思った直後。
ぽこーん。
「うがっ!」
ラウドの悲痛な叫びがギルドに響く。
おまけみたいな一発を額に入れてから、ベルはようやくラウドの上から降りた。
「おい、最後のそれ、絶対いらなかっただろ!」
ラウドは額を押さえて、床の上で呻いている。
ベルは腰のよれた剣に手を添えたまま、ずかずかと俺の横へ戻ってきた。
いや、ずかずかじゃない。
今のは普通にやりすぎだ。
「ベルって、こんなにじゃじゃ馬なのか……?」
俺が呟くと、ベルは何も答えず、ただ小さく胸を張ったように見えた。
その時、受付台の向こうでミントが静かに息を吐いた。
「ダリオさん、お願いします」
ミントの声が、妙にはっきりと響いた。
奥の扉が開く。
そこから出てきたのは、屈強な男だった。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。
短く刈った髪。
厚い胸板。
丸太のような腕。
冒険者と言われても違和感がない。
むしろ、そこらの冒険者よりずっと強そうに見える。
男はゆっくりと歩いてきて、床に転がっているラウドを見下ろした。
「ラウド、またお前か……」
低い声だった。
ラウドの肩が、びくりと震える。
「……げっ、ダリオ」
「登録手続き中の新人に手を出すなと、何度言わせる気だ」
「いや、これはだな……」
「これで何回目だ?」
「……」
ラウドは黙った。
ダリオと呼ばれた男は、ラウドの襟首を片手で掴み、軽々と引き起こす。
ついでに、床に転がっていた痩せた男と、剣を落とした男と、ヒョロに押さえ込まれていた巨漢へ視線を向けた。
「お前らもだ。ギルド内で武器を抜くな。次にやったら依頼停止にする」
「……すんません」
「悪かったよ」
冒険者たちは気まずそうに目を逸らした。
ヒョロは俺の方を見る。
「ヒョロ、離していい」
俺が命じると、ヒョロは巨漢から手を離した。
巨漢は無言で起き上がり、腕を押さえながら仲間のところへ戻っていく。
ボーも武器を下ろした。
ガーリは指先をじっと見ている。
多分、自分でも火が出たのが気になっているのだろう。
せん人様は、相変わらずすんとしている。
ベルは、なぜかすっきりとした顔で立っている。
顔はないけど。
ダリオは俺たちを一度見てから、ミントへ視線を向けた。
「状況は?」
「登録手続き中、ラウドさんたちがリュートさんの召喚体へ接触。注意した後も止まらず、リュートさんが制止行動を行いました」
ミントは淡々と答える。
「ただし、剣を持った個体については、リュートさんの制止後にも手が出ていました。今後は十分に注意してください」
「あ、はい。すみません」
俺はすぐに頭を下げた。
「ベルは……俺の命令だけで動く存在とは、少し違うみたいで」
自分で言っていても、説明としてはかなり弱い。
けれど、それ以上の説明が今の俺にはできなかった。
ミントは少しだけ考えるように、腰に剣を差した木偶人形を見る。
「通常の召喚体とは異なる、ということですね」
「多分、そうだと思います」
「分かりました。今後、ギルド内での行動には十分注意してください。特に、武器を所持している個体については、必要に応じて申告を求める場合があります」
「分かりました」
ダリオはラウドの襟首を掴んだまま、低く告げる。
「今回の件は、先に手を出したお前らが悪い。分かったな」
「……分かったよ」
「声が小さい」
「分かった!」
ラウドは悔しそうに叫んだ。
それから、ぎろりと俺を睨む。
「覚えてろよ、棒人間使い」
「いや、俺は登録しに来ただけなんだが……」
「次は油断しねえからな」
「何の次だよ……」
俺の言葉は、ラウドには届いていないようだった。
ラウドは額を押さえながら、仲間たちと一緒に奥の食事場の方へ消えていった。
その背中を見送りながら、俺は小さくため息をついた。
面倒くさいのに目をつけられた気がする。
ダリオは俺の前で足を止めた。
「新人」
「はい」
「ギルド内での私闘は禁止だ。だが、今回はお前から仕掛けたわけじゃない。そこは報告しておく」
「ありがとうございます」
「ただし、スキルや仲間を御しきれてないなら、それもお前の責任になる」
重い言葉だった。
俺はベルを見る。
ベルは、相変わらず胸を張っている。
さっきの余計な一発を、まったく悪いと思っていなさそうだ。
「……気をつけます」
「そうしろ」
ダリオはそれだけ言うと、ミントの方へ戻っていった。
ミントは何事もなかったかのように、書類へ視線を落とす。
「では、登録手続きを再開いたします」
「この状況で普通に続けられるんですね……」
「ギルドでは、よくあることですので」
「よくあるのか……」
あまりあってほしくない。
ミントはステータスカードを専用の板の上に置き、何やら短く確認を行った。
淡い光がカードの表面を走る。
「リュートさん。冒険者登録が完了しました」
ミントはステータスカードを俺へ返した。
「こちらが登録済みのステータスカードになります。今後は、ヴェールデン冒険者ギルド所属の新人冒険者として、依頼を受注できます」
「ありがとうございます」
俺はカードを受け取った。
今、ここでカードを見たら、ステータスを公開してしまう。
あとで宿屋に行ったらじっくり確認しよう。
しかし、分からないことだらけだ。
なぜボーたちが木偶人形になったのか。
なぜせん人様とベルまで変わったのか。
ボーが相手の武器に何をしたのか。
ヒョロの力が、明らかに強すぎること。
ガーリはなぜ火を出したのか。
そして、俺自身は強くなったのか。
説明はまったくない。
やはり、寡黙な世界なのだろう。
俺はカードを握りしめ、変化したみんなに目をやった。
紐のようなペラペラな棒人間。
それが、今や立体的な木でできた仲間たち。
その中心で、せん人様がいつも通りすんとしている。
ベルはなぜか、少し満足げに見えた。
「……とりあえず」
俺は小さく呟いた。
「今日は、宿を探そう」
検証しなきゃいけないことは山ほどある。
でも、まずは今夜の寝床だ。
冒険者としての一日目は、どうやら最初からかなり騒がしいものになりそうだった。




