第32話 ようこそ、ヴェールデンへ
境界の森を抜けた先には、一本の街道が伸びていた。
人が歩き、馬が駆け、荷車が何度も通ったのだろう。
踏み固められた土には、いくつもの車輪の跡が残っている。
森の中にあった獣道とは違う。
この道は、人の暮らす場所へ続いている。
「本当に、出たんだな……」
振り返れば、背後には深い森が広がっていた。
あの中で、たくさんのことがあった。
せん人様やスゥと出会い、リィルやリーフ族のみんなと出会い、ベルさんと出会った。
失ったものもある。
それでも、俺たちは森の外へ出た。
俺の隣で、スゥがぷるりと身体を震わせる。
少し前を歩くリィルは、何度も辺りを見回していた。
今のリィルは、リーフ族の姿ではない。外の人間から見れば、幼いエルフの子どもくらいに見える姿へ変わっている。
そして俺の近くには、二体の棒人間がいた。
一体は、せん人様。
相変わらず何を考えているのか分からないまま、すんとした様子で歩いている。
もう一体は、腰によれた剣を差した棒人間。
ベル。
俺が作った棒人間の依り代に、ベルさんから離れ、宙をたゆたっていた光を宿した存在。
あれが本当に魂だったのか、俺にはまだ分からない。
それでも、俺はそう信じたい。
彼女の声は聴けない。
口も表情も分からない。
それでも、こうして俺たちと一緒に歩いている。
「リュート、足はもう大丈夫なのです?」
リィルが振り返った。
「ああ。まだ少し痛むけど、歩ける」
「無理をしてはいけないのです。森の外には、休める場所がたくさんあると本に書いてあったのですよ」
「それは街に着いたあとの話だろ。街までどれくらいかかるんだ?」
「そこまでは書いてなかったのです」
「肝心なところが抜けてるじゃないか」
「本が情報不足なのです」
本のせいにして、リィルは再び前を向いた。
その背中を見て、俺は思わず笑う。
ほんの少しだけ、胸が軽くなった。
先のことは、まだ何も分からない。
どんな街があるのか。
俺たちが生きていけるのか。
これから、どうやって生計を立てていけばいいのか。
不安がないわけじゃない。
でも、ひとりだった頃とは違う。
「行こう」
俺たちは、街道を歩き始めた。
――どれくらい歩いただろう。
足の痛みが強くなり始めた頃、背後から車輪の音が聞こえてきた。
がらがらと土を鳴らしながら、一台の荷馬車が近づいてくる。
リィルが道の端へ寄り、スゥも俺の足元へ近づいた。
ベルは腰の剣へ手を添える。
「ベル。まずは、ちゃんと話してからな」
俺が声をかけると、ベルは剣へ手を置いたまま動きを止めた。
荷馬車は俺たちの少し手前で速度を落とした。
御者台に座っていたのは、日に焼けた顔の男だった。
年齢は四十歳前後だろうか。
男は俺たちを順番に眺め、最後にせん人様とベルを見て首を傾げた。
「珍しいところに旅人がいると思ったら、旅芸人か何かか?」
「そう、見えるかもしれませんね」
「何だ、旅の一座ではないのか?」
「そうですね。愉快な一団てのは違いないですが、旅芸人ではありません」
俺が答えると、男は声を上げて笑った。
「そいつは悪かった。俺はトルネ。見てのとおり、街道を行き来している行商人だ」
「俺はリュートです。こっちはリィルとスゥ。それから、せん人様とベルです」
「そっちの二人はどこかの種族か?」
トルネはせん人様とベルに不思議そうな視線を送っている。
「正直、俺もよく分かりません。こいつらは話すことができませんが、言葉は伝わるし、根はいい奴らですよ」
「そうか。世の中は広いんだな……」
トルネは深く追及せず、街道の先へ視線を向けた。
「お前たち、どこへ向かっている?」
「ヴェールデンへ行こうと思っています。この道で合っていますか?」
「ああ、ヴェールデンならこの先だ。ただし歩きなら、あと三日はかかるぞ」
「三日……!」
俺の足を見たトルネが、少し考えるように顎へ手を当てる。
「荷物の隙間でよければ、乗っていくか? 俺もヴェールデンへ戻るところだ」
「いいんですか? でも俺、持ち合わせなくて……」
「いいってことよ。荷台にはまだ余裕があるし、それに信用と恩を売ることも俺には大事な商売だからな」
「ありがとうございます。とても助かります」
「ところで、ヴェールデンには何をしに行くんだ?」
そう聞かれて、少し戸惑った。
俺たちには、まだはっきりとした目的があるわけじゃない。
ただ、ベルさんはヴェールデンのギルドから依頼を受けて、境界の森へ来ていた。
なら、その街へ行けば、何か分かるかもしれない。
それに、森の外で生きていくには仕事が必要だ。
ベルさんが冒険者として関わっていた街なら、俺にも何かできることがあるかもしれない。
「冒険者になりたくて向かっています。ヴェールデンには、冒険者ギルドがありましたよね?」
「ああ、この大陸でもひときわ大きなギルドがある。そうか、兄ちゃんたちは冒険者の卵か……さあ、乗った乗った。出発するぞ」
俺たちは、トルネの荷馬車へ乗せてもらうことになった。
荷台には木箱や布袋、乾燥させた薬草の束が積まれている。
俺たちは、その隙間へ身体を収めた。
馬車が再び動き出す。
スゥは、初めて見る馬に興味があるのか、揺れる尻尾が気になっているようだった。
リィルは街道脇の道標や、遠くに見える畑へ忙しく視線を動かしている。
「森にはない景色が広がっているのです……」
「これから、たくさんの世界を見て回ろうな」
「はいなのです!」
リィルは少し興奮した様子で答えた。
せん人様は荷物に腰をかけ、揺れる馬車の中でも微動だにしない。
ベルは俺の隣に座っていた。
馬車が大きく揺れるたび、腰に差したよれた剣が小さく跳ねる。
俺はその姿を見ながら、そっと拳を握った。
止まるわけにはいかない。
ベルさんが何を望んでいたのか、今の俺にはまだ分からない。
それでも、ベルと一緒に進むと決めた。
今は、それでいい。
――途中で一度野営を挟み、翌日の夕方。
街道の先に、石造りの壁が見えてきた。
「あれがヴェールデンだ」
御者台からトルネが告げる。
街を囲む城壁。
大きく開かれた南門。
その前には、荷馬車や旅人が列を作っていた。
「わぁ、とっても大きいのです……」
リィルが目を丸くする。
俺も同じ気持ちだった。
召喚された直後にいた建物とも、リーフ族の里とも違う。
人間たちが造り上げた、大きな街。
ここから、俺たちの新しい生活が始まる。
順番が来ると、トルネは首にかけていた商会証を衛兵へ見せた。
「トルネか。今回はずいぶん早いな」
「道中で雨に降られなかったからかな」
「後ろの連中は?」
「街道で拾った旅人だ。身分証はないらしいが、冒険者登録を希望している」
衛兵の視線が、俺たちへ向けられる。
スゥを見て眉を上げ、リィルを見て納得したように頷き、せん人様とベルのところで動きが止まった。
「……そいつらは何だ?」
「仲間です」
「そいつらは、どこかの種族か?」
「えーと、そんな感じです」
俺は説明を諦めた。
「……そうか」
衛兵もそれ以上、考えることを諦めたようだ。
「身分証がない場合、街へ入るには一時保証人が必要だ。問題を起こせば、保証人にも責任が及ぶ」
「俺が保証する」
トルネが迷わず答えた。
俺は驚いてトルネを見る。
「本当にいいんですか?」
「ここまで乗せてきて、門の前で放り出したら寝覚めが悪い。日暮れまでに冒険者ギルドへ行って、登録を済ませろ」
「ありがとうございます」
「礼は、そのうち返してくれればいいさ」
「はい、きっと返します」
俺は初めて森の外の優しさに触れた気がした。
衛兵がトルネの名前と、俺たちの特徴を書き留める。
そして、俺たちは南門の検問所をくぐった。
街へ入った瞬間、音と匂いが押し寄せてきた。
商人たちの呼び声。
石畳を踏む靴音。
馬のいななき。
鍛冶場から響く金属音。
どこかから、肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
俺の隣で、スゥがぴくりと反応した。
「先にギルドだぞ」
声をかけると、スゥが名残惜しそうに屋台の方を見つめる。
リィルも同じ方向を見ていた。
「お前もか」
「違うのです。この街の食文化を調べていたのです」
「次は味覚の調査になりそうだな……」
トルネが笑いながら、中央通りの先を指差す。
「冒険者ギルドは、中央広場の手前を右だ。剣と羽ペンが交差した看板が出ているから、すぐに分かる」
「トルネさんは?」
「俺は市場へ荷を下ろしに行く。しばらくは街にいるから、困ったら商業通りにある俺の店に来い」
「分かりました。本当にありがとうございました」
「無事に登録できるといいな」
トルネと別れ、俺たちは中央通りを進んだ。
通りを歩く人たちが、何度もこちらを振り返る。
エルフの子どもに見えるリィル。
ぷるぷると屋台で足を止める、ピンク色のスゥ。
そして、二体の棒人間。
トルネの言う通り、これは誰が見ても旅芸人の一座だ。
俺ひとりなら、ここまで目立たなかっただろう。
「あったのです」
リィルが指差した先に、大きな建物があった。
木と石で造られた頑丈そうな建物。
入口の上には、剣と羽ペンを組み合わせた看板が掲げられている。
冒険者ギルド。
俺は一度息を吐き、その扉を押した。
中は、人であふれていた。
依頼書が貼られた壁。
長い受付台。
奥には食事場だろうか、酒を飲みながら騒ぐ冒険者たち。
武器や防具を身につけた男たちが、あちこちで声を張り上げている。
夕方だからだろう。
依頼から戻ってきた冒険者たちで、ギルド内はかなり混雑していた。
俺たちが入ると、いくつもの視線が向けられる。
リィルやスゥよりも、やはり注目を集めたのは、せん人様とベルだった。
「なんだ、あれ」
「落書きが歩いてるぞ」
「新しい見せ物か?」
好き勝手な声が聞こえてくる。
俺は聞こえないふりをして、受付へ向かった。
そこには、淡い緑色の髪をした若い女性が座っていた。
女性は俺たちを見ても表情を変えず、穏やかな声で話しかけてくる。
「ようこそ、ヴェールデン冒険者ギルドへ。受付担当のミントです。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者登録をしたいんですが」
「新規登録ですね。身分証はお持ちですか?」
「ありません。ですが、ステータスカードは持ってます。南門では、行商人のトルネさんに一時保証人になってもらいました」
「トルネさんの保証ですね。それと、ご自身のステータスカードも持っていらっしゃる……と」
ミントは書類を取り出し、俺たちの名前を順番に記入した。
「まず、リュートさんの職業と固有スキルを確認させていただきます。ステータスカードをこちらへ」
「はい」
俺はカードを差し出した。
ミントが内容を読み取っていく。
「職業は……クリエイターズ」
その言葉に、近くにいた冒険者の何人かがこちらを見た。
「固有スキルは、《棒人間召喚》……ですか?」
ミントが、せん人様とベルを見た。
「この二体が、その……召喚された棒人間ですか?」
「えーと、このふたりは少し違います。スキルで普通に召喚できるのは、別の子です」
「では、登録確認のため、スキルの確認をさせていただけますか?」
「ここでですか?」
「隣に、スキル確認用の結界室があります。結界の外へ被害が及ぶことはありません」
ミントが示した先には、透明な膜のようなものに覆われた部屋があった。
「必要であれば、外から見えないよう遮蔽することもできますが、どうされますか?」
スキルを見られるのは、正直、居心地が悪い。
でも、隠す理由はもうない。
こいつらは、俺が森を抜けるまで一緒に戦ってくれた仲間だ。
「見られて困るものでもないので、このままで大丈夫です」
「承知しました。それでは、こちらへどうぞ」
俺がそこへ移動すると、ギルド内の視線がさらに強く感じられた。
この嫌な感覚を、俺は知っていた。
召喚の間。
無能だと笑われた、あの場所。
でも、今はあの時とは違う。
俺はしゃがみ込み、床の上へ棒人間を描いた。
「来い。ボー、ヒョロ、ガーリ」
ぽぽぽん。
三つの音とともに、描いた棒人間たちが現れた。
ボー。
ヒョロ。
ガーリ。
境界の森を一緒に戦い抜いた仲間たちだ。
「確認できました。そのスキルは戦闘にも使用できますか?」
「はい、戦うこともできますし、守ることもできる子たちです」
「あなたの命令で動くのですか? それとも、それぞれが自立して動いているのですか?」
「このスキルに限っては、俺の命令で動いています」
「ありがとうございます。確認事項は以上となります。受付にお戻りいただいてもよろしいですか?」
ミントに促されるように結界室を後にした。
俺が部屋を出た瞬間――
「ぶっ……ははははは!」
誰かが吹き出した。
「本当に棒人間じゃねえか!」
「なんだよ、その落書き!」
「あんなんで冒険者をやるつもりか?」
「見ろよ。あいつが棒人間の使い手らしいぞ」
「棒人間使いだって。ずいぶん変な奴が来たもんだ」
笑い声が、ギルドの中へ広がっていく。
ミントは少し困ったように周囲を見たが、慣れた様子で登録作業を続けていた。
俺は、ボーたちを見下ろす。
三体は何も言わず、俺の命令を待っている。
耳の奥で、昔の笑い声が重なった。
胸が痛まないわけじゃない。
腹が立たないわけでもない。
けれど、もう心が折れるほどじゃなかった。
こいつらが、どれだけ頼りになるか。
せん人様やスゥ、リィルも、俺も知っている。
知らないのは、ここにいる連中だけだ。
だったら、これから知ってもらえばいい。
俺は小さく息を吐き、口元にわずかな笑みを浮かべた。
あーあ。
また、ここからか。
『スキル《棒人間召喚》の認知人数が、規定値に到達しました』
突然、頭の中に声が響いた。
『レベル上限を解放します』
「……は?」
俺の間の抜けた声が、笑いの残るギルド内へこぼれた。




