第27話 揺れる火の向こうに
「……もう、行くんですか?」
「ここで躊躇してても仕方がない。トレントの領域の内側に少し踏み込んで、様子を見る。それが今回の目的だ」
「この先に、何があるんですかね?」
「分からない、だが、危険と判断したらすぐに引く」
ベルさんは迷いなく言った。
それが、この人の強さなのだろう。
入る。
見る。
危険なら下がる。
単純だ。
単純なはずなのに。
足が重い。
「行くぞ」
ベルさんが一歩前へ出た。
俺も意を決して、黒く染まった大地へ足を踏み入れた。
辺りには黒い霧のようなものが薄っすらと立ち込め、夜でもないのに視界がぼやけた。
ぷるんっ。
足元の近くにいたスゥが、びくりと震えた。
「スゥ……?」
次の瞬間。
ぽよんと跳ねて、せん人様の頭の上へ飛び乗る。
「俺の頭じゃないんかい!」
ひりりつくような状況で、必死に空元気を見せる。
スゥはせん人様の頭の上で、ぷるぷると震えている。
寒いからじゃない。
怖がっている。
本能的に、何かを嫌がっている。
「スゥが、こんな反応をするなんて……」
「スゥ、大丈夫か?」
ベルさんが聞いた。
その声には、不安と警戒が滲んでいた。
「少し先へ進むぞ」
ベルさんは短く言った。
俺たちは、黒い森の中へ進んだ。
足元の土は、踏むと妙に柔らかかった。
何かが崩れたあとの灰の上を歩いているような、嫌な感触だった。
ボーたちを呼び出そうか迷った。
無駄な魔力を使いたくない。
そう考えた時、頭の奥に、妙な違和感が走った。
ザザッ。
「……あれ?」
頭を過るノイズ。
そして耳鳴り。
いや、耳鳴りじゃない。
声だ。
誰かの声が、頭の奥でざわめいている。
笑い声。
ざわざわとした声。
宴会芸だ。
無能だ。
使えない。
あの召喚の間で浴びた嘲笑が、頭の奥から浮かび上がってくる。
「っ……」
俺は足を止めた。
胸の奥がざわつく。
喉が詰まる。
分かっている。
あれは過去の記憶だ。
もう終わったことだ。
なのに、それがなぜ。
違うはずなのに。
笑い声が、消えない。
そのさらに奥に、別の声が混じった。
遥か遠い声。
前の世界で聞いたような懐かしい声。
はっきりとは分からない。
ただ、一言。
――リュート……また、一人なんだね。
「誰だ……!?」
俺は思わず、つぶやいた。
「リュート?」
ベルさんの声で、俺は我に返った。
ベルさんがこちらを見ていた。
そのベルさんも、一瞬、その顔が曇った。
「ベルさん……?」
ベルさんは我に返ったように、はっとした顔を見せた。
「ああ……何でもない」
そう言いながら、ベルさんは額に手を当てた。
その目が、わずかに焦点を失っている。
「アタシは……決して正しくない」
ベルさんが、小さくつぶやいた。
「ベルさん、大丈夫ですか?」
「……いや、大丈夫だ」
ベルさんは歯を食いしばった。
その表情を見て、俺はようやく理解した。
これは、俺だけじゃない。
ベルさんにも何かが起こっている。
心の奥を、無理やりかき回されている。
胸くその悪い気分だ。
「引き時だ。これ以上は、何があるか分からない」
ベルさんが言った。
「ドライアドの領域まで引き返すぞ」
その声は明らかに疲労していた。
「はい、戻りましょう」
俺も逆らわなかった。
この場所は何かがおかしい。
そう思った。
俺たちは、黒い大地を後にした。
たった、数分の出来事だった。
それでも黒い領域の外へ戻った瞬間、肺に入る空気が少し軽くなった気がした。
スゥはまだせん人様の頭の上で震えている。
せん人様は、相変わらずだ。
何事もなかったかのように、すんとしている。
俺はその姿を見て、ふっと息を吐いた。
「いったい……さっきのは、何だったんだ?」
「魔瘴の影響か、アタシらの精神に干渉してきた」
ベルさんは額を押さえたまま言った。
「ベルさんも?」
「ああ……少しな」
「俺は……気分が悪くなりました」
「ああ、アタシもだ……」
ベルさんは頭をトントンと叩くと話を続けた。
「もしかしたら、過去の記憶に侵食してくるもの、かもしれないな」
ベルさんはそう言ってから、口を閉ざした。
それ以上は話したくない。
そんな空気があった。
俺も深く聞かなかった。
聞けない。
その時だった。
手の甲が、熱を帯びた。
「……っ」
葉紋が、淡く光っている。
フィオナが付与してくれたもの。
その紋様が、今は静かに震えるように光っていた。
『……聞こえますか?』
頭の奥に、声が響いた。
「誰……?」
俺は反射的に周囲を見回した。
ベルさんがすぐにこちらを見る。
「どうした?」
「いえ、何か声がして……」
「大丈夫か?」
ベルさんが不思議そうな顔をしている。
『私です。フィオナです』
「フィオナ?」
思わず声に出す。
だが、目の前に彼女の姿はない。
木々の向こうにも、空にも、どこにもいない。
『葉紋を通して、あなたの心に、直接、声を届けています』
「心に……」
「おい、リュート。いったい誰と話している?」
ベルさんの声が鋭くなる。
「フィオナです。今、葉紋を通して話しかけてきて……」
「アタシには何も聞こえないぞ」
「え、聞こえないんですか?」
『この声は、パスを持っているあなたにしか届きません』
「俺にしか聞こえないそうです」
「まだ、魔瘴に当てられているんじゃないだろうな」
「いや、もう、大丈夫ですから」
「なら、いいが……」
『ベルヴェットさんにも、私の声を届けることはできます』
フィオナの声が、頭の奥で続いた。
『葉紋のある手で、彼女の手に触れてください。短い間ですが、意識をつなげられます』
「ベルさん」
「何だ……?」
「ちょっと、手を貸してもらっていいですか」
「どういうことだ?」
「フィオナの声を共有できるそうです」
ベルさんは俺の手を見た。
俺の手の甲で、葉紋が光っている。
彼女はほんの少し迷ったあと、黙って手を差し出した。
俺は、その手を取った。
温かく、そして硬い手だった。
長く剣を握ってきた人の手。
その手に、俺の葉紋のある手を重ねる。
次の瞬間、葉紋の熱が強くなった。
『聞こえますか?』
ベルさんの眉が動いた。
「ああ……聞こえる」
『よかった』
フィオナの声は、少し安堵していた。
『トレントの領域は見られましたか?』
「はい、見ました」
俺は答える。
「ドライアドとの境界線、ギリギリのところまで黒く染まっていました。木々から精気が抜けていて、黒い根のようなものが、未だに広がり続けているように見えました」
『やはり……そうですか』
彼女の声が沈む。
「それに、あそこにいるだけで、頭が引っ掻き回されているような感覚でした。俺たちは少し入った後、すぐに引き返しました」
『正しい判断でした』
フィオナは、少し間を置いた。
『魔瘴は生ある者を蝕むと聞きます。そのせい、なのかもしれません。黒蝕樹は、すでに深くまで広がっているのですね』
「はい……」
『エルダリア様は、きっとその中心におられます』
中心。
その言葉を聞いた瞬間、嫌なものが背筋を這った。
『トレントの領域のさらに奥。漆黒に染まりきった場所。そこに、黒蝕樹となったあのお方がいるはずです』
ベルさんの手に、わずかに力が入った。
『おそらく、もう芯まで魔瘴に蝕まれているでしょう』
「魔瘴に……」
『私たちは、エルダリア様を元に戻す方法を探したいと思っていました。けれど、あれほどまで黒き森が広がっている今となっては、もう猶予はありません』
彼女の声は震えていた。
明るく、生命力のある彼女の声が、今はひどく苦しそうだった。
『このままでは、いずれ私たちドライアドの領域にも、大地を通じて黒き侵食が始まるでしょう』
「……」
『お願いです。黒蝕樹を止めては、いただけないでしょうか』
言葉が重い。
止める。
それが何を意味するのか、聞かなくても分かった。
『これは、あなた方に危険が及ぶかもしれないお願いです。今すぐ答えを出してほしいとは申しません。もし、決意が固まりましたら、今一度、私へご連絡ください』
その言葉を最後に、声はふっと途切れた。
同時に、葉紋の光も弱まる。
「っ……」
遅れて、頭の奥に鈍い痛みが走った。
「痛っ……」
「どうした」
「頭が少し……痛いです」
「離れた場所の彼女と、会話した反動か?」
「ああ! あの時、フィオナが話していた効果。そうかもしれませんね……」
俺はこめかみを押さえた。
痛みは強くはない。
だが、葉紋を通じて意識をつなげることは、少なからず俺の体にも負担がかかるらしい。
ベルさんは、しばらく黙っていた。
何かを必死に考えているようだった。
そして、はっきりと言った。
「一度、戻ろう」
「え……?」
「街まで戻ったほうがいい」
その声に迷いはなかった。
「今回の目的はあくまで調査だ。そして、すでに調査は終わった。魔瘴が広がり続けていることも、それが厄介だということも分かった。なら、今、アタシたちが取るべき行動は、報告と補給だ」
「でも……!」
「フィオナたちを助けたい気持ちは分かる。だが、あの先に何があるのかも分からない。分からない以上、慎重に行動すべきだ」
ベルさんは俺を見る。
「エルダートレントがいるのは、さらに奥だ。あの領域の中心。お前は、奥にいる存在の怖さを分かっていない」
言い返せなかった。
けれど、胸に詰まるものを感じた。
「街に行ったら、ここに戻ってくるのにどのくらいかかるんですか?」
「急いでも、三週間はかかる」
「そんなに……!?」
「森を抜けるのに五日。街まで三日か四日。補給と報告を一日で済ませたとしても、ここへ戻るには再び同じ道を歩く。ここまで戻ってくる頃には、二十日は過ぎている」
ベルさんは、淡々と言った。
「それでも……戻るべきだ。今の戦力で奥へ踏み込むのは自殺行為だ」
「二十日もかかったら……今いるドライアドの領域まで侵されちゃうかもしれないじゃないですか」
「かもしれない。だからといって、準備もなく踏み込んでいい理由にはならない」
ベルさんの声は厳しい。
正論だ。
おそらく、ベルさんが正しい。
でも。
「今なら、止められるかもしれないじゃないですか」
「その根拠は何だ?」
「根拠は……」
ない。
ないけど。
「俺も少しは剣を振れるようになりました。ボーたちもいる。スゥも、せん人様もいる」
「危なくなったら逃げればいい。そう教えてくれたのはあなたじゃないですか」
「その考えが、甘いと言っているんだ」
ベルさんの声が低くなった。
「すべての敵が都合よくお前を逃がしてくれるとでも思っているのか」
「それは……」
「さっきの領域に少し入っただけで、あの様だ。そのエルダリア様とやらの、脅威もいまだ計り知れない」
俺には返す言葉も見つからない。
「アタシは反対だ」
はっきりとした言葉だった。
「今は攻めるべき時じゃない。一度戻った方がいい」
沈黙が落ちた。
俺の中で、何かが熱くなる。
怒りではない。
焦りか。
恐怖か。
俺自身も分からない。
けど、今ここで引いたら、フィオナたちを見捨てることになる気がする。
リィルが住む里。
フィオナたちドライアドの領域。
今、黒く染まってしまった森。
その全てが、頭の中に浮かんだ。
「ベルさんは、今あなたが正しいと思うことをしてください」
口から出た声は、自分でも驚くほど冷たかった。
ベルさんの目が細くなる。
「リュート……お前」
「今回も、ベルさんの言うことは、きっと正しいんでしょうね」
自分で言いながら、胸が痛くなる。
「でも、俺はそんな簡単に割り切れません」
ベルさんは何も言わない。
「今、ここで引いたら、助けられたかもしれない命を見殺しにしてしまう気がするんです」
「それを……勇気とは呼ばない」
ベルさんが言った。
「お前のそれは蛮勇だ。勇気と蛮勇を履き違えるな。自分の身を危険に晒すだけだ」
その時、足元に小さな気配が近づいた。
せん人様だった。
ちょこちょこと歩いてきて、俺の足元で止まる。
そして、くるりと巻いた手で、俺の足をちょんちょんとつついた。
「せん人様……?」
見下ろすと、せん人様はゆっくりと首を横に振った。
ベルさんの言葉に同調するように。
やめておけ。
そう言っているように見えた。
その瞬間、俺の中の熱がさらに強くなった。
せん人様まで、あんたまで俺を止めるのか。
俺は奥歯を噛んだ。
「すみません。やっぱり、俺は行きます」
口から出た言葉は、すべて重く俺にのしかかった。
俺はベルさんを直視することができなかった。
助言してくれたせん人様は、それ以上何もしなかった。
やれやれとでも言うように、くるりと巻いた手を下げた。
「ベルさんは街に戻ってください。俺とは……ここでお別れです」
俺は背を向けた。
顔を伏せたまま、歩き出す。
「待て……!」
ベルさんの声がした。
俺は足を止める。
振り返ると、俺を見るベルさんの瞳は、俺を映していなかった。
どこか遠いものを見ているような顔だった。
「……分かった。アタシも行く」
「ベルさん」
「勘違いするな。お前の判断を認めたわけじゃない」
ベルさんは、苦い顔で言った。
「本当に危なくなったら引く。それだけは約束しろ」
「……はい」
「今日はもう遅い。行くのは明日だ。今夜はここで野営する」
「分かりました」
それ以上、言葉は続かなかった。
結局、胸の奥のモヤモヤは、消えずに残った。
――その夜。
俺たちは、黒い森から少し離れた場所で火を起こした。
火は小さかった。
あまり目立たないように、周囲を覆い、煙も抑える。
ベルさんの話では、春が近いらしい。それでもここは拠点よりも格段に寒さが厳しい。
防寒対策をしていても、手はしびれるように痛い。
けれど、揺れる火があるだけで、心が少し落ち着く。
ベルさんは火の向こうに座っていた。
いつもより、口数が少ない。
俺も何を言えばいいのか分からず、しばらく火を見ていた。
ぱちり。
枝が爆ぜる。
その音に混じるように、ベルさんが口を開いた。
「お前は向こうの世界で、なりたかったものはなかったのか?」
「唐突ですね……」
「少しお前の世界のことを、聞いてみたくなってな」
「俺は……何かを作って、人に見てもらう仕事に憧れてました」
「お前の世界では、妙なものに憧れを持つことがあるのだな」
ベルさんは不思議そうに話を聞いていた。
「ベルさんには、昔なりたかったものってなかったのですか?」
「アタシか……」
「ベルさんって何でもできるから。逆に何か目指していたものは、なかったのかな……って」
ベルさんは少し考えた。
「東の大陸に、魔法剣士と呼ばれている者たちがいる」
「魔法剣士……? ベルさんのように魔導剣を扱う人たちのことですか?」
「全然違う。アタシが普段使っている剣は、ただの魔導剣にすぎない。こっちの大陸の技術で、魔導晶を糧に剣に魔力を通すものだ」
ベルさんが淡々と語る。
「言わば魔法剣士のマネごとを、誰でも手軽に再現できるように作られたものだ」
「誰でも手軽に……すごい技術ですね」
「ああ、そうだな。だが、魔法剣士は違う。彼らは自らの魔力そのものを糧に、剣に属性をまとわせて戦う者たちだ」
「自力かアイテム頼りか……って、ことですか?」
「そうだ、そのくらい違う」
魔法剣士のことを話すベルさんの声は、かすかに柔らかかった。
「アタシが憧れていたのは、その先だ……」
「魔法剣士の、その先?」
「一部の魔法剣士のみが、到達できる高みがある。極属性剣」
ベルさんの声が、少し変わった。
「エクスエレメンツへと至った者は、剣そのものを属性に変える」
「剣そのものを……?」
「そうなんだ。さらに、剣を振るう己自身ですら、属性の一部と化す」
火の向こうで、その目がわずかに輝いた気がした。
「炎なら炎の奔流の一部となり、雷なら雷鳴の一部となる。それはもはや、剣技と魔法の共鳴、とでも言うべきものだ」
「すごいんですね……」
「……ああ。すごい者たちだ」
ベルさんは小さく笑った。
「戦士の身でありながら、剣と魔法を超越する存在。そんな高みに……」
「今でも、なりたいんですか?」
俺が聞くと、ベルさんは火を見た。
そして、静かに言った。
「昔は、本気でそこを目指した。だが、結局アタシにあったのは、そこそこの雷適性と、何に使えるか分からない重力系の適性だけだった……」
ベルさんが遠い目をした。
「諦めるのに、そう時間はかからなかったよ」
「そう……だったのですね」
「もう、昔の話さ……」
それ以上は、聞かなかった。
「ところで……」
ベルさんは、再び話題を変えた。
「お前には、きょうだいはいるのか?」
「きょうだい……ですか」
「ああ」
またも、唐突な質問だった。
でも、不思議と嫌ではなかった。
「姉がいます」
「姉か……」
「はい。母が生きていた頃は、そこそこ仲が良かったと思います。でも、母が亡くなってから、少しぎくしゃくしてしまって」
火を見ながら言う。
「お互い、気を使っていたんだと思います。何を話せばいいか分からなくて、距離を取ってしまったというか」
「そうか……」
「そういえば、姉さん、元気かな……」
言ってから、少し苦笑した。
「どことなく、ベルさんに似ているんですよね。うちの姉さん」
「アタシにか」
「はい。口が悪いところとか、雑に見えて実は根が優しいところとか」
「なら、お前も苦労したんだな」
「そうですね。ですが……とてもいい姉さんでした」
そういうと、ベルさんはわずかに目を伏せた。
火の光が、その横顔を揺らす。
「アタシにも……弟がいた」
「弟さん……」
「ああ」
ベルさんは、火を見たまま言った。
「いつもアタシの後ろをついてくるような奴だった。戦士の村の生まれなのに、戦士には向かないタイプだった」
「向かないタイプ?」
「優しすぎたんだ……」
その言葉は、静かだった。
「倒した相手のことまで気にする。傷ついた獣を見れば放っておけない。誰かが困っていれば、理由も聞かずに手を差し伸べる。そんな奴だった」
「…………」
「どことなく、お前に似ている」
ベルさんの表情がよく分からない。
昔の弟を、その目に映しているのだろうか。
「あいつは、よく言っていた。姉さんはいつも正しいよ……って」
ベルさんの声は淡々としている。
でも、その奥に、何かが沈んでいるのが分かった。
「アタシの方が剣の技術は上だった。弟はそんなアタシを超えようとはしなかった。だから、何かある度、口癖のようにこう言った」
焚き火を見ながら、ベルさんは、ここにはいない弟の声をなぞるように言った。
「姉さんはいつも正しいよ……」
その言葉が、ベルさんの中でどう響いているのか。
俺には分からない。
さっき黒い森で、彼女が一瞬つぶやいた言葉を思い出していた。
「弟さんは……」
「病で死んだ」
ベルさんは短く言った。
「だからリュート、お前を放ってはおけなかった」
その言葉の重さに、俺は息を止めた。
「…………」
「ま、それも遠い昔の話ついでに、愚痴くらいに聞き流してくれ……」
ベルさんはそう言って、話を切った。
俺は黙って頷く。
火がゆらゆらと揺れている。
揺れる火の向こうにいるベルさんは、いつもより遠く、そして淡く見えた。
強くて、口が悪くて、何でもできて。
それでも、理想にあがいて、いろんなものを背負っている人。
ベルさんに無理を言った。
そう思うと、火の温かさまで、今夜は少し痛かった。




