第24話 葉紋が導く小さな里
冬は、すっかり深まっていた。
雪が積もるほどではない。
けれど、朝の空気は肌を刺すように冷たく、吐いた息は白く濁る。
「ほら、できたぞ」
そう言って、ベルさんが俺に放ってきたのは、荒角鹿の毛皮だった。
「これ……あの時の?」
「ああ。簡単なものだが、防寒具にはなる。文句を言うなよ」
「言いません。めちゃくちゃありがたいです」
肩にかけると、まだ少し獣の匂いが残っていた。
けれど、その重みと温かさは、間違いなく俺を寒さから守ってくれた。
これがなければ、俺は魔獣の冷凍食品になるところだったかもしれない。
いや、食品としての価値があるかどうかは別だが。
「何を自分の手なんか眺めている」
ベルさんの声がした。
俺は手の甲を見ていた。
リィルにもらった葉紋が、薄い緑の線となって浮かんでいる。
「今日こそ、迷わず行けるかなと思って……」
「リーフ族の里か」
「はい。前回は、もう一度行こうとして、見事に迷ってしまったので……」
「それがあって、迷ったら間抜けだな」
「そうなったら、数日は落ち込む自信があります」
ベルさんは自分の外套を軽く直し、腰の魔導剣を確かめた。
その横では、せん人様がいつものように、ぬぼーっと座っている。
正直、座っているのか、寝ているだけなのか、いまだに判別が難しい。
「今回、せん人様も来るんですか?」
俺が尋ねると、せん人様はこくりと頷いた。
「何か目的があるのですか?」
無反応。
(そっか、話せないもんな)
「里までの道中、魔物退治もお願いします」
無視。
(ただの散歩ではなさそうだけど……)
やはり、何を考えているのかは相変わらず分からない。
スゥも足元でぷるぷるしている。
この前のお湯だまりがよほど気に入ったのか、今日も機嫌がいいように見えた。
「今日は温泉じゃないぞ」
ぷるん。
「分かってるって……?」
ぷるぷる。
絶対に分かっていない気がする。
――軽く朝食を済ませ、出かける準備をする。
「早速、里へ行くぞ」
ベルさんの声で、俺たちは拠点を出た。
森の中は、いつもより静かだった。
真冬だからか、葉の数が減っている。
枝の隙間から差し込む光も弱く、足元の草はところどころ凍っていた。
ちなみに、この森の現在の季節は、ベルさんに教えてもらった。
聞けばこの世界も四季があるらしい。
どうりで寒いわけだ。
俺は手の甲の葉紋に意識を向ける。
すると、葉紋がほんのり温かくなった。
地図のように道が見えるわけではない。
右へ曲がれとか、左へ行けとか、そんな親切な道案内でもない。
ただ、こっちだ、と背中を押されるような感覚があった。
まるで、里へ導かれているみたいだった。
「不思議ですね……」
「何がだ?」
「手のこれです。道を教えるというより、里へ導いてくれる感じがします」
「リィルとの縁……か」
「ほんとに不思議ですね」
ベルさんは短く頷く。
「森で迷わず、動けるだけで十分だ」
「前回の俺に聞かせてやりたいですね」
「聞かせても、また迷うだろう」
「それは、否定できない」
道中、ボーたちを何度か呼び出した。
森の中を移動する以上、警戒は必要だ。
ボー、ヒョロ、ガーリで左右前方を守ってくれている。
召喚時間が伸びたとはいえ、まだまだ不便なスキルだ。
けれど、短い時間でも、彼らがいると心強い。
スゥは足元でぷるぷる移動している。
せん人様も、今回は一緒に来ている。
この人、本当に足音がしない。
まったく気配を感じられない。
いや、棒人間は人ではない。
――しばらく進むと、森の空気が少し変わった。
冷たさは、さほど変わらない。
けれど、さっきまでの森とどこか空気感が違う。
木々の枝が柔らかく重なり、足元の葉もどこか踏み心地が優しい。
葉紋が、さらに温かくなる。
「近いです……」
「分かるのか?」
「はい。何となくですが……この先です」
俺は足を進めた。
前回は、リィルに付き添って、たどり着いた場所だった。
でも今回は違う。
リィルの案内なしで到着できそうだ。
彼女に導かれている。
こういう感覚のことをパスが繋がるというのだろうか。
木々の間を抜けた先に、見知った大木があった。
その大木に近づいていくと、ふっと小さな家々が現れ始めた。
ここには視覚の阻害、認識の妨害効果があるんだったか。
いつ来ても不思議な仕掛けだ。
葉で編まれた屋根。
木の根元に作られた小さな扉。
人間から見れば手のひらほどの道。
前に来た時は、俺にとって小さな里にしか見えなかった。
けれど今は違う。
この場所には、リィルがいて、長老がいて、リーフ族たちの暮らしがある。
もう、ここはリーフ族の里だった。
「……着いた」
俺は思わず息を吐いた。
前回は迷子だったが。
今回は、ちゃんと来られた。
それだけのことだったが、胸の奥が少し温かくなった。
「ここが、リーフ族の里か」
ベルさんが周囲を見渡す。
その瞬間、里のあちこちから悲鳴が上がった。
「巨人だ!」
「前に来た巨人だぞ!」
「いや、今度は女の巨人もいる!」
「骨人間まで!」
「スケルトンだ……!」
「スケルトンが出たぞ!」
一気に騒がしくなった。
「誰が女巨人だ……」
ベルさんの眉がぴくりと動く。
「サイズに限って言えば、否定は難しいですね」
「お前はどっちの味方だ」
「命が惜しいので、中立です」
「ほう……それが中立の顔か?」
「俺もその一味ですから……」
リーフ族たちは、木の陰や小さな窓からこちらを見ている。
年配らしい者は落ち着いた声で若い者をなだめ、若い男らしいリーフ族は警戒した顔でこちらを見上げていた。
「騒ぐでない。あの方は前にも来られた者だろう」
「だが、連れが増えてやがる」
「あの骨人間、動いてるわ!」
「わちゃわちゃしてて、よく聞こえない」
みんなで絶叫していることは分かるんだが。
その時、聞きなれた小さな足音が近づいてきた。
「リュート!」
リィルだった。
緑がかった髪を揺らしながら、俺の前までやってくる。
相変わらず小さい。
でも、表情はどこか嬉しそうだった。
「今回は迷子にならなかったのですね!」
「リィルがくれた葉紋のおかげだよ。ありがとう」
「リィルの葉紋はすごいのです!」
「うん。めちゃくちゃ助かったよ」
リィルは胸を張る。
そしてベルさんを見上げた。
「こないだの女巨人も来たのです」
「呼び方を変えろ」
「じゃあ、大きいベルなのです」
「……やはり、さっきのでいい」
「リィルたちにとって、ヒトは皆、巨人なのです」
「それもそうか」
ベルさんが少し困ったような顔をした。
不思議なことに、リィルに対するベルさんの声は、普段よりほんの少し柔らかい。
子供扱いしているというより、小さな相手に気を使っているといった印象だ。
リィルは次に、せん人様を見た。
「あ、骨人間もちゃんと来たのです」
せん人様は、クルリと巻いた手を上げた。
「骨人間、今日はしっかり歩いて来たのです?」
こくり。
「この前、リュートのお家に行った時には寝てばかりだったのです」
無反応。
都合が悪くなると、聞こえなくなるタイプの方かな。
リィルはせん人様の反応などお構いなしに、ケラケラと笑っている。
この二人、不思議と会話が成り立っているように見える。
しかも、せん人様はなぜか満足げだ。
「今、長老を呼んでくるのです。みんな、なんだかんだで巨人たちの訪問に興奮しているのですよ」
「騒がれるのは分かるが、道化感がすごいな」
「巨人と棒人間は、里のお客様としては珍しいのです」
「まぁ、そうか……俺たちと違って悪意のあるやつもいるだろうしな」
「リュートは、もうリィルの大事な物リストに入っているのですよ」
「俺は物か……!」
言われて悪い気はしなかった。
リィルはニコニコしながら、里の奥へと消えていった。
前回はそれどころではなかったが、いい機会なので里の様子をまじまじと観察した。
リーフ族の里は、人間の目線だと小さな模型のように見える。
けれど、近づいてよく見ると、一つ一つの家や道にはちゃんと生活の気配があった。
干された小さな布。
木の実が入った籠。
枝葉で作られた道具。
それでなくても小さな見た目なのに、さらに小さな赤子のようなリーフ族が、年配の女性に抱きかかえられてこちらを見ている。
ここは俺たちにとっては模型のような存在。
でも、彼らにとってはここが世界のすべてなのだ。
里の趣きに浸っていると、リィルが戻ってきた。
その後ろから、ゆっくりとした足取りで長老がやってきた。
俺たちが里に入ったら、特撮怪獣のような大惨事になる。
やはり、今回も玄関前での会話になりそうだ。
「ょ……った、……ゅ……の」
声が遠すぎて、まったく聞こえない。
「お久しぶりです長老。相変わらずの声量ですね」
俺は前回と同じく、周囲を消し飛ばしてしまわないように、ゆっくりと腰を屈めた。
「よう来なさった、リュート殿」
腰を屈めて何とか聞こえてくる声の大きさ。
全神経を耳に集める必要がある。
「迷わず来られたようで何よりじゃ。リィルの葉紋が、きちんと働いたのじゃな」
「はい。大切なものを、いただきました」
「リィルは、よき縁を結んだようじゃ」
リィルが少し照れたように、頬をかいている。
長老は次にベルさんを見上げた。
「そちらの、女巨人殿は?」
「ベルヴェットだ。リュートと一緒に、この森の異変を調べている」
ベルさんは、深くため息をつきながら、自己紹介を済ませる。
「身なりから察するに冒険者ですかな。森もまた、よき縁をもたらしたものじゃ」
長老は最後に、せん人様を見上げた。
しばし沈黙する。
「それと、そちらの……骨殿もよう来なさった」
せん人様は、なぜか満足げにこくりと頷いた。
骨殿でいいのか。
本当にそれでいいのか。
いや、せん人様が満足ならいいか。
「長老。近ごろの森の異変について聞きたい」
ベルさんが本題に入る。
「リィルから、木の実の実りが悪いと聞いた。だが、それだけではないのだろう」
長老の顔が、静かに曇った。
「うむ。木の実に限った話ではない。葉の色、獣や魔獣の動き、木々のざわめき。森のあちこちが、少しずつ騒がしくなっておる」
「木々のざわめき?」
俺が聞き返すと、長老はゆっくり頷いた。
「この森には、古くから三つの大きな樹霊様の領域があっての。わしらは、それを三樹霊と呼んでおる」
「三樹霊……」
小さくつぶやき、俺は思わずベルさんを見た。
ベルさんは黙って話を聞いていた。
せん人様も、静止画像のようだ。
「大地と森の記憶を守るトレント。巨木の身体で森の営みを支えるジャイアントツリー。そして、花と葉を通じて森の息吹をもたらすドライアド」
長老の声は静かだった。
「その三つの流れは、近づきすぎず、離れすぎず、長い間この森の均衡を保ってきた」
トレント。
ジャイアントツリー。
ドライアド。
名前に限っていうなら、前の世界のゲームや物語で聞いたことがある。
だが、この森ではそれぞれに重要な役割があるらしい。
森そのものを支える、大きな流れ。
「そのバランスがおかしいということか?」
ベルさんが問う。
長老は、重々しく頷いた。
「特に、トレントからの巡りが乱れておるらしいのじゃ」
その言葉に、空気が少し重くなった。
「巡り……?」
「ドライアドの使者の方の話や、この広大な森の様子から判断しておる」
「その三樹霊に、話を聞くことはできないか?」
ベルさんなりの敬意で、長老に尋ねた。
「うむ、そのことなんじゃが……」
長老は、何かを思い出したように切り出した。
「リュート殿、ベルヴェット殿。お主らに会わせたい者がおる」
「会わせたい者?」
「今、森の奥より、使者殿が来ておる」
「使者というのは、三樹霊からの使いか?」
「うむ。お主らが訪ねてくる少し前、この里にドライアドの使者殿がお越しになり、その方とさっきまで話しておった、というわけじゃ」
長老が来るのに時間がかかったのは、そのせいか。
長老は、少し迷うようにせん人様を見上げる。
「よろしければ……骨殿もお聞きくだされ」
せん人様は、手を上げて反応した。
そのとき。
里の奥の葉が静かに揺れた。
リーフ族たちが、自然と道を空ける。
リィルも、いつもの調子ではなく、少し緊張した顔で俺のそばに寄った。
「リュート……フィオナ様がお越しになるのです」
「ん、誰……?」
「ドライアドの使者様なのです」
足音はしなかった。
けれど、空気だけが先に変わる。
その気配の奥に、ひとつの人影があった。
その人影は、はじめ小さな姿をしていた。
だが、こちらへ歩み出るにつれ、その身体はすっと伸びていく。
そして気づけば、俺やベルさんと変わらない背丈の女性が、そこに立っていた。
淡い花の飾りを髪に宿し、透き通るような肌をしている。
森の奥から、そのままの姿で歩いてきたような存在。
俺は息をのんだ。
小さな里に、森そのものの気配をまとった使者が静かに佇んでいた。




