第23話 隙間風とお湯だまり
拠点というものは、毎日少しずつ積み上げていくものらしい。
少なくとも、俺の拠点はそうだった。
「ここの隙間風が、俺を仕留めに来てます!」
「そうだな、早めに対処しないと、この冬は越せないだろう」
「この寒さのせいで顔が凍りついてここ最近、まともに寝れてないんですよね。もはや、隙間じゃなくて穴ですね」
「なら、塞げばいい」
ベルさんの返事は、とても簡潔だった。
前回、荒角鹿の毛皮を手に入れたことで、冬支度は一歩進んだ。
けれど、それはまだ素材でしかない。
ベルさんが今、下処理をしてくれている。
とはいえ、俺の身体はいまだ毛皮に暖めてもらえていない。
俺自身の防寒は、まだ借り物の布と、あり合わせの草に頼っている。
次は拠点の防寒対策に取り組む時がきた。
草屋根の隙間。
丸太の継ぎ目。
寝床の下からじわじわ来る底冷え。
布にくるまっても、寝床に横になると、下から冷気が這い上がってくる。
つまり、俺は気づいてしまったのだ。
このままでは冬は冷凍庫で暮らすことになる。
朝起きたら、きっと俺は冷凍マグロになっていることだろう。
「今日は、拠点の隙間という隙間を塞ぐ」
ベルさんは、そう言って地面を指した。
「草と泥を混ぜて、隙間に詰める。乾けば多少は風を止める。寝床の下にも草を厚く敷け」
「泥ですか……?」
「そうだ、泥だ」
「理想のマイホームから、どんどん遠ざかっていく……!」
「生き残る方へ近づいているんだ。喜べ」
「素直に喜べない……」
「せん人様も一緒にどうですか?」
「そうだな、あんたもたまには体を動かしてみたらどうだ?」
ベルさんも、せん人様の動向が気になっているらしい。
奥で寝そべっている、怠惰の塊に二人がかりで尋ねた。
(そして、せん人様はというと……)
クリクリの手で、ひょいひょいとして見せた。
つまり、俺たちは体よくあしらわれたのだった。
お約束とは分かっていても、悲しい。
「打っても響かず……か」
「いつも通りです。俺たちだけでやりましょう」
そういうと、俺は一度、拠点を後にする。
――俺は川まで水を汲みに行き、草を集め、泥を練った。
冷たい。
くっそぅ。
とにかく冷たい。
川の水に手を入れるたび、指先がじんじんと痛んだ。
手の甲は所々赤くなり、細かなひび割れまで浮かんでいる。
「これ、冬より先に冬支度に殺されます」
「ここは南寄りとはいえ、境界の森の冬だ。甘くはない」
「備えあれば、何とやらですか……」
「そうだ、今、備えないとこれからの冬が辛い」
ベルさんは容赦なく作業を進める。
ボーには草束を運ばせ、ヒョロには少し粘り気のある泥を持ってきてもらう。
ガーリには、俺と一緒に隙間に草を詰める作業を頼んだ。
細い手で、器用に細部を埋めていく。
「ガーリ、やっぱり手先が器用なんだな」
その細い体が小さく手を上げた。
褒められていることは、なんとなく分かっているらしい。
スゥはというと、泥の近くでぷるぷるしていた。
「スゥ、そこ踏むなよ。泥で汚れるから」
ぷるん。
(あ、汚れた……)
「隙間を埋めて、拠点を快適空間にしような」
スゥには、泥と草を混ぜる作業を頼んだ。
ぷるぷるしながら、泥を混ぜている。
(くそぅ、可愛いな)
そんなこんなで、俺たちはひたすら拠点の隙間を塞いでいった。
草を詰める。
泥を塗る。
木片を押し込む。
また泥を塗る。
作業を終える頃には、俺の手も服も、泥だらけになっていた。
いや、泥が俺の形をしている。
「青ツノムシから、泥ツノムシに進化したな」
ベルさんが言った。
「別の進化先を要求します!」
「だが、匂いが少しはマシになったか?」
「それは複雑!」
俺は自分の袖を見た。
泥。
草。
獣皮の匂いもする。
うん。
これはひどい。
「お風呂に入りたい……」
心の底から出た言葉だった。
「川で水浴びすればいいだろう」
「心臓が何度も止まります」
「気合いが足りんな」
「気合いで冷水浴びできれば、マグマだって根性でいけます」
その時、俺はふと思い出した。
「そういえば、リィルが言ってましたよね」
「前ここに来た、リーフ族の小さいのか……?」
「小さいけど大人なのです、って怒られますよ」
「本人がいないなら問題ない」
「この前みたいに突然、ぬっと現れても知りませんからね」
リィルの会話を再び思い出した。
「そう、そのリィルが、お湯だまりがあるって言ってたんです。大体の場所も聞きました」
「大体の……か」
ベルさんは立ち上がった。
「仕方ない……行くぞ。暗くなる前に戻る」
「行きましょう!」
俺は泥ツノムシの姿で、一歩を踏み出した。
湯。
お湯。
ゆっくり肩まで浸かれる湯。
それはもう、温泉と断言していいのではないだろうか。
森の中に現れた奇跡の楽園。
秘湯。
冬の水仕事に傷ついた俺の心を、優しく包み込んでくれるはずだ。
(俺は今日、身体の芯から温まって見せる!)
お湯だまりへ向かう道中、ボーたちも必要に応じて呼び出した。
森を移動する以上、油断はできない。
魔物や獣がいつ出るか分からないからだ。
ボー、ヒョロ、ガーリが道中の護衛を引き受けてくれた。
今、スゥは俺の肩近くでぷるっている。
どうやらお湯という言葉に、かなり期待しているらしい。
「スゥ、お前も入りたいのか?」
ぷるんっ。
「すごい食いつきだな」
ぷるぷるぷるっ。
「分かった。お前も入ろう」
ぷるんっ!
明らかに興奮している。
少し、見たことのある景色が続いた。
――リィルに教えてもらったポイント付近まできた。
「たしか、この辺りのはずなんだけど……」
俺は周囲を見回した。
似たような木ばかりで、正直かなり不安になる。
大体の場所を聞いたとはいえ、森の中で大体という言葉ほど信用できないものはない。
「本当に合っているのか?」
「たぶん……合っているはずです。リィルが、うさぎさんの巣の近くって言ってました」
「うさぎさん……か」
「俺もそこは若干不安です」
そう言いながら、さらに少し進む。
すると、木々の間から、白い湯気が見えた。
「湯気……!」
俺は思わず声を上げる。
ある。
確かにあるぞ。
湯気が立っている。
俺の心の中で、拍手喝采が起きた。
森林万歳。
リィル様万歳。
秘湯万歳。
俺は小走りで近づいた。
そして、足を止めた。
俺の欲望に衝撃が走った。
「これは……!? 浅っ」
そこにあったのは、確かにお湯だった。
岩のくぼみに湯が溜まり、ほのかに湯気が立っている。
手を入れれば、ちゃんと温かい。
冷えた指先がじんわりとほどけるくらいには、十分ありがたい。
だが、浅い。
とても浅い。
深いところでも、たぶん三十センチほどしかない。
人間が座って肩まで浸かるには、どう考えても無理だ。
「リィル、あいつ肩まで浸かれるって言ってたのに……」
ベルさんが湯だまりを見て、淡々と言った。
「リィルなら……確かに、肩まで浸かれるだろうな」
「あぁ……!」
俺はその場に、膝から崩れ落ちた。
希望は湯気とともに立ちのぼり、そして消えた。
「嘘は言っていない」
「……たしかに」
「浸かれないわけじゃない。足も温められれば、体も拭けるだろう」
ベルさんが慰めるように声をかける。
「そうですね、ここまでちゃんとしたお湯は、久しぶりですから……」
理解をしていても、頬からは温かいものがつたった。
「そうだ、ここにあるもので何とかするしかない」
「ただ……やっぱり、肩まで浸かりたかった」
「贅沢を言うな」
そう言われても、未練は消えない。
――せっかく来たのだし、とりあえずベルさんと交代で見張りながらお湯をいただくことにした。
俺は服を脱ぎ、まず足を入れた。
「あぁ……沁みる」
これは、ヤバい。
最高の心地だ。
川の水でじんじんしていた指先が、じわっと戻ってくる。
赤くなった指先も、お湯に触れると少し楽になった。
だが、やはり浅い。
座っても、腰までいかない。
しゃがむと膝が邪魔になる。
では、どうするか。
俺は考えた。
必死に考えた。
そして、出した結論。
寝転ぶしかない。
「……何をしている」
様子を見に来たベルさんが言った。
俺はお湯だまりの中で、横向きに寝転がっていた。
よく見ると、無防備な姿、全開だった。
「寝転び湯です」
「なんだそれは……?」
「新しい入浴スタイルです」
「魔物がいる森で……無様だな」
「言い方!」
「どうとでも言ってください。俺にとってはここでどれくらい癒されて帰るか、それが今後の森ライフを左右するのですから……」
「おかしな言い方をするな」
「それにしても……」
妙な視線を感じた。
「……そっちは小人か」
「成長期ですから! これからですから!」
「冗談だ、終わったら声をかけてくれ」
そう言って、ベルさんは茂みの奥に行ってしまった。
まったく、なんて品のない人なんだ。
品のない、無防備な姿のまま俺はそう思った。
しかし、これなら背中と腰の一部は温かい。
お腹は少し寒い。
だが、この方法が最も効率的……の、はずだ。
俺の試行錯誤の横で、スゥがすいーっとお湯の上を漂っていた。
完全に湯を満喫している。
「お前にとっては楽園じゃないか……」
ぷるん。
スゥは気持ちよさそうに浮かんでいる。
浅いお湯だまりは、俺には物足りないが、スゥにはちょうどいいらしい。
スゥに触れると、その表面は温泉と同じ、ぷにぷにな快適温度だった。
とても生温かい。
この……柔らかい弾力。
(これはもしや、前の世界のゲームで聞いた伝説のぱふ――)
どすっ。
「……ごめんなさい」
顔を近づける前に、スゥの伸びた手が脇腹に入った。
完全に見抜かれていた。
俺が悪い。
「どうかしたか?」
ベルさんが茂みの奥から、異変に気付き声をかけてきた。
「いえ、何でもありません」
「そうか、なんか妙な殺気がしたのだが……」
「はい……俺の煩悩があふれ出ました」
「その湯で洗い流せ」
「はい……」
ボディータオルを生成。
俺は泥と心の汚れを丁寧に洗い落とした。
湯だまりは浅かったが、心の洗濯はできた。
ありがとうリィル。
「次はアタシが使う」
「あ、はい!」
服を身につけ、スゥをそのままに少し離れる。
ベルさんは俺を見た。
「見るなよ」
「見ません!」
「もし見たら、次にここへ入る時には、適当なサイズにスライスしてやるからな」
「絶対に見ません!」
俺は勢いよく背を向けて、茂みの奥に逃げた。
振り向いてはいけない。
でも、振り向きたい。
人はなぜ、振り向くなと言われると抗いたくなるのか。
その哲学は、生涯をかけての俺のテーマだ。
だが、魅力的な箱は開けたら最後、俺自身がベーコンにされる。
絶対に開けてはならない。
衣擦れの音。
茂みの向こうから、かすかな水音が響いた。
俺は正面の木をひたすらに見つめた。
見つめ続けた。
木の模様と、人生で一番真剣に向き合った。
(ベルさんって……どことなく、姉さんに似てるんだよな)
粗野なところとか、あと口の悪さ。
でも、一番似ているのは、根が優しいところだ。
(うん……でも、やっぱり怖い)
しばらくして、ベルさんの声がした。
「もういいぞ」
「はい!」
俺は茂みから、お湯だまりの方へ戻った。
ベルさんはいつも通りの格好に戻っていた。
濡れた髪を軽く払っている。
それだけのことなのに、どこか少し空気が違う気がした。
俺は慌てて視線を逸らした。
「何をしている?」
「いえ、紳士としての気遣いです」
「意味が分からん」
「俺にもよく分かりません」
ベルさんは呆れたように息を吐いた。
ぷるん、ぷるん。
ベルさんの横から、妙につやつやしたスライムが現れた。
スゥだ。
こいつが、今日一番の幸せ者ではなかろうか。
「スゥ、気持ちよかったか?」
ぷるるん。
とっても満足そうだ。
すると、その横からもう一人、見慣れた姿がスッと現れた。
「え、せん人様!?」
拠点にいたはずのせん人様が、なぜかそこにいる。
「なぜ、あなたがここにいるのですか?」
「アタシがお湯に入る前、すでに湯に浸かっていたんだ」
状況がまったく理解できない。
せん人様、あなたは俺の物差しでは測れない存在。
だが、あえて言わせてほしい。
(なんでそこに、あなたがいるんですか!)
「せん人様、お湯は気持ちよかったですか?」
コクコクッ。
身体に合わない、大きな頭を振って肯定。
きっと、気持ちよかったんだろうな。
(召喚した棒って、気持ちいいとかあるのか?)
俺はそんなことを思った。
「しかし、湯は浅かったが、とても有意義だった」
「そう……ですね」
「体は拭けるし、手足も温められる。この森では十分すぎる」
「俺としては、やっぱり肩まで浸かりたいです」
「森を出たら、いくらでも探せ」
「それ、今後の目標にします」
「好きにしろ」
この場所を、リィルに聞いてよかった。
サイズ感に、やや種族の壁はあったけど。
拠点に戻ると、さっき直した隙間風はかなり改善されていた。
泥と草で塞いだ壁から、冷たい風が完全に消えたわけではない。
寝床の底冷えも、まだ残っている。
でも、朝よりもずっといい。
身も心もポカポカだ。
ぐぅ……。
腹の虫は不満げだ。
「腹減ったな、夕飯にでもするか」
「はい」
拠点の焚き火の傍ら、夕飯を食べながらベルさんがポツリと言った。
「そういえば、お前、近くにぬるま湯しかないって言ってたよな」
「はい、水がぬるい場所しか見つけられなくて……」
「火が使えたなら、なぜ沸かした湯を使わなかったんだ?」
「……ああ!」
その手があったのか。
森でのサバイバルに必死だった。
そんな簡単なアイデアも出せなかった自分に愕然とする。
「…………」
「そもそも、思いつかなかったのか……」
ベルさんは呆れた様子だった。
「はい、一生の不覚です……」
今日、回復した体力が削られていく気がした。
たしかに、体を拭くくらいならできた。
でも、あのお湯だまりに寝転んだ時の爽快感は、まるで別物だった。
「今日はあんないい場所を、紹介してくれたリィルに感謝だ」
「そう……ですね」
「それは、さておき」
ベルさんは拠点の床を軽く叩いた。
「近く、リーフ族の里に行くぞ」
「リィルの里ですか……」
「そうだ、これは外せない」
ベルさんが話を続ける。
「森の異変を調べるには、彼らに話を聞くのが一番早そうだからな」
「分かりました。俺にとっては、前回のリベンジです」
俺は手の甲の葉紋を見た。
リィルからもらったものだが、これだけが里へ行くための頼りだ。
今度こそ、迷わずにたどり着きたい。
夜、床に就きながら今日を振り返る。
隙間だらけの拠点。
泥まみれの補強工事。
温泉とは呼べないお湯だまり。
完璧なものは、何ひとつない。
けれど、少しずつ。
本当に少しずつだ。
ベルさんやせん人様、仲間たちの力を借りながら……。
俺は、この森で生きる形を覚え始めていた。




