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第16話 迷子の送迎者

 森の空気が一段冷えた気がした。


 いや、実際に冷えたわけじゃない。

 目の前に立っている女戦士――ベルさんの視線が、冷気を帯びただけだ。


 さっきまでゴブリンを一瞬で斬り伏せていた人間の目だ。

 俺を不審者でも見るような目で睨んでやがる。


「アタシも耳が悪くなったみたいだ。もう一度、聞かせてくれ」


「帰り道は、どっちですかね……と」


「お前は、拠点まで帰れるんじゃなかったのか?」


「そうですね……さっきまでは……」


「さっきまで?」


「たった今、もう一度迷子になりました」


「さっきから、迷子だったろう……」


 ベルさんは、深く息を吐いた。


 呆れ。

 苛立ち。

 諦め。


 たぶん、その三つを混ぜて煮詰めたようなため息だった。


 俺としても、好きで迷っているわけではない。

 さっきまでゴブリンに襲われていた。

 命からがら助かったのに、今はその俺がゴブリン扱いだ。


 精神的には、なかなかのダメージである。


 敵の次は帰り道が分からない。


 帰り道と俺の人生は、どこで踏み外したのだろう。


「ちゃんと、拠点は作ったんですけど……」


「だが、道が分からない……と」


「そこです!」


「今日出会ったばかりだが、お前の脳みそはゴブリン以下だな」


「まあまあ、あるじゃないですか」


「……ふぅ……」


「嘘です……ごめんなさい」


 殺気が辛い。


 この人、恩人だよな……口撃力が高すぎる。


 俺は周囲を見渡した。


 木。

 根。

 草。

 苔。


 あと、似たような木。

 さらに、似たような根。

 もう一つおまけに、似たような苔。


 (……駄目だ)


 全部が同じに見える。


「確か、こっち……だった気がします」


「だった気がする、か」


「はい。俺の中ではかなり有望な道です」


「その行いは無謀だな」


 (くそ……上手いこと言いやがる)


 ベルさんはそう言いながらも、周囲の気配を探るように目を細めた。


 その振る舞いには、隙がない。


 俺たちは三体のゴブリンに必死だったのに。

 この人は違った。


 姿を現したかと思ったら、あっという間だった。


 初めてこの世界に来て、出会ったまともな人間。

 強さの器が違う。


「ベルさんって、やっぱり剣士なんですか?」


 ふと、そんな言葉が口から出た。


 ベルさんは横目で俺を見た。


「違う……」


「え、でも剣を持ってますよね?」


「剣を持ってる者が剣士なら、夕飯の支度に包丁を持った者は料理人ということか?」


「……料理人でしょう!」


「んなわけあるか」


 この世界にはツッコミのスキルもあるのか!?


「アタシは戦士の村の生まれだ。強いていうなら戦士だ。今は冒険者としてギルドの仕事を受けている」


「戦士……」


 剣を振るだけじゃない。

 独りで森を歩き、気配を読み、戦況を見極める。

 生き残るための全部を含めて、戦士。


 カッコいいな。


「それで、戦士ベルさん」


「いちいち戦士をつけるな」


「この道で合ってると思います?」


「知らん」


「ですよね」


「だが、足跡はあるな」


「足跡……?」


 ベルさんが地面を指差した。


 そこには、泥の上に小さな跡が残っていた。

 三本の爪。

 見覚えがある。


「あ……」


「知っているのか?」


「牙の鋭いウサギ、かもしれません」


「ああ、牙ウサギか……なら、近くにいるな」


「名前合ってたんだ……」


「は?」


「いえ、何でもないです」


 ベルさんが剣の柄に手を添える。


 俺も慌てて地面に指を走らせた。


「ボー、ヒョロ、ガーリ!」


 ぽぽぽんっ。


 三体が現れる。


 ボーは前へ。

 ヒョロは俺の護衛へ。

 ガーリは少し横に散る。


 続けて鉈のような武器と盾だけ生成。

 ボーとヒョロに手渡す。


 スゥも足元でぷるんと臨戦モードだ。


 ベルさんの視線が、ボーたちに向く。


「そいつはさっきの連れか」


「はい。俺のスキルです」


「これが……スキル!?」


 ベルさんが、目を少し丸くした。


「なんだか、見た目は頼りないが……」


「それはご内密にお願いします」


「誰にだ?」


 ガサガサッ。


 その瞬間、茂みから二つの影が飛び出す。


 白っぽい毛玉。

 長い耳。

 鋭い牙。


 牙ウサギが、横から飛び出してきた。


 既視感のあるウサギだ。

 唯一、前の世界との違いは、赤い瞳が捕食者のそれだった。


「キシャアッ!」


「やっぱり出た!」


 俺が叫ぶより早く、ベルさんが一歩踏み出す。


 剣が抜かれた。


 銀色の線が走る。


 一匹目の牙ウサギが、空中で姿勢を崩し、そのまま地面に転がった。


 速い。


 斬った、というより、通り道に剣が置かれていたように見えた。


「すごい……」


「ボケっとするな。もう一匹いるぞ」


「はい!」


 二匹目が足元を狙って飛び込んでくる。


「ヒョロ、防御!」


 ヒョロが前に出る。


 次の瞬間、牙ウサギが飛びかかった。


 ごんっ!


 牙が盾にぶつかる。


 盾がきしむ。

 ヒョロの細い腕がぐにゃりとしなる。


 パワーで押し返す。


「よし!」


 すかさずガーリが横から枝を投げる。

 枝は牙ウサギの耳のあたりをかすめ、相手の意識をずらした。


 スゥが牙ウサギの足元に、薄く粘液を広げる。


 ずるっ。


 牙ウサギの足が滑った。


「今だ、ボー!」


 ボーが武器を振る。


 ぶんっ。


 ザクッ!


 牙ウサギの側面に直撃。

 ボーが振った武器は、勢いそのままに牙ウサギの身体を二つに割いた。


 白い毛玉が、ごろごろと地面を転がった。


「グロい! これはモザイクが掛かるレベルだ……」


 以前、牙ウサギを解体したことを思い出し、胃から何かが込み上げてくる気がした。


「気を散らすな!」


 ベルさんの檄(げき)が飛ぶ。


 三匹目。


 茂みの奥から飛び出した牙ウサギが、俺の顔面めがけて跳んでいた。


「うわっ!」


 俺は後ろへ下がろうとして、また足がもつれた。


 何度目だよ、俺の足。


 この世界の命の取り合いに、まだ体が適応しない。

 むしろ、俺が順応させるべきなのか。


 どちらにしても、俺の足腰は、どうやら異世界仕様になっていない。


 度重なる窮地。


 しかし、今回は転ぶ前にベルさんが横へ踏み込んだ。


 長剣が軽く振られる。


 牙ウサギは空中で勢いを失い、俺の横を通り過ぎて地面に落ちた。


 そのまま動かない。


 ベルさんは剣を軽く振り、汚れを払う。


 剣を鞘に収める。


「お前、実は食べられたいのか?」


 斬新な切り口から、ベルさんの攻撃。


「そんなわけあるか!」


 勢い余ってため口でツッコんでしまう。


「怪我はないな?」


「はい、大丈夫です」


 ボーたちが俺の近くに戻ってくる。


 ぽぽぽふんっ。


 消えた。

 お約束だ。


 スゥも足元でぷるんと勝利のポーズ。


 念のため、再召喚したが、杞憂だったようだ。


「みんな助かったよ。ベルさんもありがとうございます」


「礼はいい。……こいつらはスープにするとうまい」


 ベルさんは倒れた牙ウサギを見る。


「俺も前に解体してスープにしました」


 ぐぅぅぅ。


 思い出しただけで、腹の虫が活動を始めた。


 俺は倒れた牙ウサギを見た。


 そういえば、こいつらは倒しても消えない。

 前に戦った狼型の魔獣は、死体がなかった。

 代わりに紫色の石が残っていた。


 やっぱり牙ウサギは、消えずに残っている。


 俺はずっと、そこを曖昧にしていた。


「あの、ベルさん」


「どうした?」


「魔獣って、倒したら消えるんですか?」


 ベルさんは少しだけ眉を上げた。


「そうだ。魔獣は、獣が魔瘴(ましょう)に侵(おか)された姿だ。体の芯まで侵されたものは、倒せばその肉体は崩壊する」


「肉体が崩壊する?」


「黒い霧のように崩れて消え去る。あとには魔獣の核となる魔水晶(ますいしょう)だけが残る」


「魔水晶……惜しい名前だった」


 俺はポケットの中に、無造作に入れてある紫の石を思い出した。


 あれの名前、正しくは、魔水晶だったのか。


「魔に侵された獣が魔獣。魔瘴の濃い場所から直接生まれ出るものは、また別だ。そういうのは魔物と呼ばれることが多い」


「じゃあ、魔獣と魔物は違うんですか?」


「厳密にはな。もっとも、街の連中はまとめて魔物と呼ぶやつもいるがな」


「なるほど……」


 やっと少し分かってきた。


 普通の獣。

 魔に侵された獣、魔獣。

 魔瘴の濃い場所から生まれる魔物。


 この世界の常識が増えた。


 嬉しくない。


 俺は足元の牙ウサギを見る。


「じゃあ、こいつ魔獣じゃないんですか?」


「こいつは……ただ獰猛な獣だ」


「この世界のウサギこわっ!」


 思わず声が出た。


 こいつは、魔に侵されていたからではなく、通常仕様だったのか。

 牙を剥いて襲ってくるウサギが、ただの獣。


 俺の知っているウサギは、もっとこう、ふわふわで、丸くて、癒やしの象徴みたいな存在だったはず。


 この世界では違うらしい。


 癒やし枠が、クマ、トラと同じカテゴリーに仕分けられた。


 異世界、容赦ないぜ。


「普通の獣であれば、肉も皮も使える。冬を越すなら、そういう獣を狩って活用する」


「冬……」


 俺は自分の服を見下ろした。


 こちらの世界に来た時のまま。

 泥で汚れ、枝に引っかかり、ところどころ擦れて破けている。


 こっちに来てから、考えさせられることばかりだ。


 食べること。

 飲むこと。

 寝ること。


 それで精一杯だった。


 最近は寒さが増してきた気がする。


 森の寒さは、今でも十分きつい。

 これ以上冷え込んだら、俺はどうなるんだ?


「じきに冬がくる」


 森の奥へ向けていた視線を、ベルさんは俺に戻した。


「その格好では、冬は越せないな」


 ベルさんは、やれやれと言わんばかりだ。


「そうですよね……俺、着てる服しか持ってないんです」


「なぜ、そんな軽装でこんな危ない森へ来たんだ?」


 訝(いぶか)しげな視線が痛い。


「ははは……」


 (俺は無理やり、この世界に引きずり込まれたんだよ!)


 などと、口が裂けても言えない。


「……訳ありか」


「そう、ですね」


「話したくないことは、無理には聞かない」


「ありがとうございます……助かります」


 それにしても、当面は越冬が課題だ。


 金では買えない、衣・食・住。


 俺がしみじみしていると、再びボーたちが一斉にぽふんぽふんと消えた。


「お疲れ様……」


 すでに消えているが、届かない相手を労う。


「それは勝手に消えるのか?」


「時間が経つと、勝手に消滅します」


「弱点が多いスキルだ」


「俺もそう思います」


 ベルさんは牙ウサギを見下ろした。


「持っていくぞ。食料になる」


 そういうと、ベルさんは乱暴に牙ウサギの両耳を持ち、三匹まとめて左手で手繰った。


 (猟師持ち……ワイルドだ!)


「ですね。今日の夕飯にしましょう」


「その前に、お前の拠点だ」


「あっ!」


 忘れていた。


 いや、忘れてはいない。

 思考の隅に押し込んでいただけだ。


 俺は再び周囲を見渡す。


 木。

 根。

 草。

 苔。

 似た景色。


 うん。

 分からない。


「どうした」


「本当なら、もうとっくに着いてるんですが……」


「つまり?」


「……完全に迷子です」


「さっきも、そうだったろう」


「二重迷子ってやつです」


「遭難のように言うな。それは同じ迷子だ」


 ベルさんは額に手を当てた。


 その表情は、今日一番疲れて見えた。


「お前、本当にこの森で生きていたのか?」


「いや、ほんとラッキーでした」


「だろうな」


 反論できない。


 しばらく歩いた。


 俺は記憶を頼りに進んだ。

 たぶんこっち。

 いや、やっぱりあっち。


 この木、見覚えがある。

 ループしてるような錯覚が消えない。


 ベルさんは文句を言いながらも、周囲を警戒してくれていた。


 その背中が、少し頼もしい。


 (いや、かなり頼もしいぞベルさん!)


 俺だけだったら、今頃また別の方向へ迷い込んでいただろう。


 やがて、木々の隙間から見える空の色が変わり始めた。


 日が傾いている。

 森の影が、少しずつ濃くなっていく。


「おい!」


「はい?」


「お前の拠点は、移動でもしてるのか?」


「さっき、水を汲みにでかけました」


「…………」


「……ごめんなさい」


「結局、今日はこの辺で野宿か……」


 ベルさんがぼやいた。


 俺は慌てて両手を上げる。


「まだ諦めちゃだめです」


「なら、どこにあるんだ、その拠点は?」


「俺の心の中に……」


「今日の焚き火でくべる薪は、お前で決まりだな」


「ひどい!」


「燃えれば少しは役に立つだろう」


「俺への扱いが、薪以下!」


 スゥが足元でぷるぷると震えた。


 笑ってる。

 絶対笑ってる。


「スゥ、そこは慰めるところだぞ」


 ぷるんっ。


 返事だけはいい。

 俺が情けなく肩を落とした、その時だった。


 ガサッ。


 近くの茂みが揺れた。


 空気が変わる。


 ベルさんの動きは、俺よりも早かった。


 瞬間、彼女は俺の前に出る。

 片腕で俺を後ろへ押し下げ、もう片方の手で剣の柄を握る。


「下がってろ!」


「え?」


「こいつは、ヤバい……!」


 その声は低かった。

 初めて焦りと警戒感が滲む。


 俺の背筋に、緊張が走る。


 ぽぽぽんっ!


 三体を即座に召喚。

 武器と防具を連続生成。


 さすがにキツい。


 ガサガサッ。


 茂みが、もう一度揺れる。


 ベルさんの肩に力が入る。

 剣が、半分ほど抜かれた。


 そして――


 ひょこっ。


 茂みの隙間から、小さな影が現れた。


 丸い頭。

 細い体。

 くるりと巻いた手。


 あまりにも見慣れた、その貫禄のある佇まい。


 せん人様だ!


「待った待ったぁ!」


 俺は慌てて声を上げた。


「ベルさん、落ち着いて下さい! 味方です! この人、味方!」


 ベルさんは剣を抜きかけたまま、目を細めた。


 せん人様は、いつもと同じようにそこに立っていた。

 いや、同じではない……やっぱり同じだ。


 森の夕暮れの中、ひときわ存在感がある。


 ベルさんの額に、うっすら汗が滲んでいた。


「……お前の連れに似ているな」


「はい。同じ、俺のスキル……のはずです」


「はず?」


「俺にも、詳しいことが分からないんです」


「名前は?」


「せん人様です」


「……様?」


「はい。せん人様と呼んでいます」


「名付けたのはお前か?」


「はい」


「ふざけた名前だ……」


「当の本人も、怒っていました」


「だろうな……」


 せん人様は、そんな俺たちの会話を聞いているのかいないのか、じっとこちらを見ていた。


 顔には黒丸の目。

 奥行きもない。

 表情もない。


 それなのに、なぜか呆れている気がする。


 俺は一歩前に出た。


「もしかして……俺たちを迎えに来てくれたんですか?」


 すると、せん人様はくるりと巻いた手をゆっくり上げた。


 それは、肯定にも見えた。

 やれやれにも見えた。

 つまり、顔がないから解釈は自由ということだ。


 そして、せん人様は背を向けた。


 何も言わず、森の奥へ歩き出す。


「ついてこい、ってことだよな……」


 俺は思わず笑った。


 助かった。

 本当に、よかった。


 まさか自分のスキルに、送迎してもらう日が来るとは思わなかった。


「ベルさん、行きましょう。これで、ようやく拠点に戻れますよ」


 けれど、ベルさんはすぐには動かなかった。


 剣から手を離していない。

 視線は、せん人様の背中に釘付けだった。


 森の中を歩く細い背中。


 強そうに見えない。

 頼りないほど細い。

 相変わらずの線の集まりにしか見えない。


 そんな存在に、ベルさんは目を離せずにいた。


 やがて、彼女は小さく息を吐く。

 冷や汗を拭い、低くつぶやいた。


「……底が見えない」

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