第15話 お前、弱いな
茂みが揺れた。
さっきまでの気持ち悪い静けさを破るように、低い唸り声が森の奥から聞こえてくる。
「……来る」
スゥが足元でぷるぷると震えている。
ボー、ヒョロ、ガーリが、俺の前に並ぶように立った。
次の瞬間、茂みの奥から小さな影が飛び出してきた。
「ギィッ!」
緑がかった肌。
低い背丈。
歪んだ口。
手には、木の枝を削ったような粗末な棍棒。
ゲームやアニメで見たことがある。
あれは、そう――
「ゴブリン!?」
一体ではない。
二体目。
三体目。
茂みを割って、合計三体のゴブリンが姿を現した。
俺の背筋に、緊張が走る。
初めて見る、二足歩行の魔物だ。
こいつらは、武器を持っている。
それに知能もある。
低い唸り声を上げながら、三体のゴブリンが一斉に走り出し距離を詰めてくる。
「ボー、前! ヒョロ、右! ガーリ、左を見ろ!」
俺は反射的に叫んだ。
ボーが正面へ飛び出す。
ヒョロが右から回り込もうとする一体の前に立つ。
ガーリは左側の茂みに向かい、細い枝で草むらを探るように動いた。
スゥが触手の形を、ぐにぐにと変化させていた。
触手で何かを作ろうとしているようだった。
だが、思ったようにできていないみたいだ。
よし。
前回、拠点前に置いてあった大きな棒は今日は持ってきてない。
つまり、今の俺たちは丸腰だ。
「すぐに防具の生成だ!」
急いで地面に指を動かす。
鉄素材、丸い、後ろに持ち手のある盾。
ぽんっ。
鉄っぽさは弱いが、重さは十分にある。
「ヒョロ、この盾で守備を頼む!」
怪力のヒョロにポイッと投げ渡す。
次だ。
焦りで想像が追い付かない。
「とにかく強い武器がいい、長剣だ!……あー、俺には描けない!」
なんでもいい!
再び、指に意識を入れて地面に描く。
剣のような形、長めで、よく切れる刃物。
ぽんっ。
「これは……鉈だな」
長剣とはほど遠い、ココナッツを割るやつだ。
「でもまぁ、いける……!」
そう思った瞬間、正面のゴブリンが飛びかかってきた。
ボーがそれを正面から受け止め、相手に絡みつく。
ゴブリンが嫌がり、振り落とそうと身体を振る。
不意を突いた粘着攻撃に、思わず棍棒を落とす。
「そろそろ、時間切れがくるか!?」
俺は前の戦いを思い出していた。
一斉に出せば、一斉に消える。
消えた瞬間が一番危ない。
前回は三段シフトで空白を減らした。
けれど今回は遭遇戦だ。
どこから、何体来るか分からない。
なら、消える直前に呼び直す。
空白を作らない。
今の俺にできるのは、それくらいだ。
ボーたちの召喚から時間のおおよそをカウントスタート。
今の彼らの召喚時間はざっくり六十秒。
カウント五十秒を経過した後、再召喚の準備を開始。
消えたタイミングで、即時再召喚。
召喚の最大数は三体まで、消える前に再召喚してしまうと不発に終わる。
これは、召喚の練習で何度も失敗したことだ。
ぽぽぽふんっ!
一斉に消えた。
カウントが少しずれていたが、およそのタイミングはバッチリだった。
「ギギッ?」
戦っていた相手が突然の消失。
ゴブリンたちは消えた相手を探し、一瞬あっけにとられた。
その間にボーとヒョロを再召喚。
十五秒時間を空けてガーリを召喚。
現れた彼らは、俺が指示する間もなく、戦闘していたゴブリン目がけて一直線に駆け出す。
ボーは消失前にゴブリンが落とした棍棒を奪い取った。
「ギィッ!?」
ようやく、さっきの相手を見つけたゴブリンが我に返る。
だが、ボーはすでに奪った棍棒を振りかぶり、振り下ろす体勢に入っていた。
一瞬の静寂。
ぶおんっ!!
勢いのある風切り音が森に響く。
振りかぶった刹那、棍棒はゴブリンの頭に直撃した。
「グギャッ!」
首がありえない方向に曲がった!?
ボーの棍棒が直撃したゴブリンが白目で倒れる。
口からは紫色の液体を吐いた。
撃破。
「ボー、すごいぞ!!」
褒められた当人は、胸を張ってアピール。
胸は棒だけど。
右側では、ヒョロが別のゴブリンの突進を止めていた。
渡した盾は彼の消滅と一緒に、地面に転がった。
再召喚で復帰したヒョロは、初めに盾を拾いに行く。
ゴブリンはヒョロが盾を拾う前に気配に気が付く。
「グギッ!」
ヒョロを目がけて棍棒が、振り下ろされる。
ぐにっ!
棍棒が当たった場所は、形が凹み変形している。
唯一の弱点である中心部は、避けていたようだ。
ヒョロの身体は、くねっとしていた。
さすがは棒だ。
棍棒の力はその勢いを失い、ヒョロの身体に吸収される。
一瞬の隙。
ヒョロは落とした盾を、足に引っ掛けて手に運ぶ。
攻撃が直撃しても、お構いなしのその動き。
とても堂々たるものだ。
生成した盾を、手に取り戻したヒョロ。
彼の腕がほんの一瞬、膨らむように見える。
――次の瞬間。
ごーんっ!
ゴブリンの身体が押し返され、宙を舞う。
木に叩きつけられた。
ゴブリンはその場で、たまらずうずくまる。
やっぱりヒョロは防御向きだ。
なぜ、怪力のヒョロを防御担当にしたかだが。
それは――
防御は最大の攻撃だからだ!
前の世界では逆だった。
それは前提の守るべき本陣に距離があるから。
森での戦闘の場合、そのほとんどが距離のない接近戦だ。
ボーたちは、コアをやられても俺が何度でも呼び直せる。
だが、俺は別だ。
敗れること、倒されることはゲームオーバーを意味する。
勝つためには、俺は死ねない。
つまり、俺が倒されないことが勝利条件。
現状で能力が判明しているのはヒョロだけ。
期待の戦力をあえて盾持ちにした……というわけだ。
左側でもガーリが動いている。
ガーリは拾った枝を器用に投げ、ゴブリンの足元を狙った。
枝が当たる。
ゴブリンの動きが一瞬止まる。
そこへ、スゥの粘液が足元に広がった。
「ギッ!?」
ゴブリンの足が滑る。
「いいぞ!」
俺は思わず声を上げた。
いける。
ガーリとスゥで互いの戦力不足を補強した布陣だ。
決め手はないが、押し返せている。
今日は俺の采配が光ってる!
そう思った。
油断。
慢心。
左側のゴブリンが、突然動きを変えた。
「マジか!?」
ガーリの攻撃を避ける。
スゥの粘液を、踏み抜くように跳ぶ。
その目が、俺を見た。
一番後ろにいる、指示出し人間。
獲物。
つまり、俺だ。
「まずいっ……!」
俺は後ろへ下がろうとした。
またもや、足がもつれる。
さっき身体を拭いたばかりのぬるい湧き水のそば。
足元はぬかるんでいた。
ずるっ。
「うわっ!」
俺は尻もちをついた。
ゴブリンが笑ったように見えた。
「ギャギャギャッ!」
いや、笑っただろう。
狩る側の目だ。
こいつは分かっている。
この中で俺が一番弱いと。
「ガーリ!」
ガーリが振り向く。
しかし、間に合わない。
ボーは倒した相手に棍棒でつんつんしていた。
ヒョロは右側で交戦中だ。
スゥも一瞬のことで固まっている。
ゴブリンが棍棒を振り上げた。
俺は腕で顔をかばう。
今度こそ、駄目か。
分かってたのに。
俺は弱いな。
仲間の戦力をどれほど強化しても、俺自身は強くならない。
試行錯誤しても、俺の身の安全は図れない。
なのに。
少し、勘違いしていた。
「くそっ……!」
ゴブリンの棍棒が振り下ろされる。
その瞬間――
森の空気が、斜めに裂けた。
銀色の線が走った。
「ギッ――」
目の前のゴブリンが、声にならない声を漏らす。
次の瞬間、その身体が肩から二つに割けた。
何が起きたのか、分からなかった。
(ん……人影?)
俺の前に、誰かが立っていた。
革鎧。
使い込まれた長剣。
一つにまとめられた、少し乱れた髪。
細身に見えるのに、立ち姿には一切の揺れがない。
女だった。
森の中に、ひとりの剣士が立っていた。
彼女は倒れたゴブリンを一瞥し、それから俺を見下ろした。
そして、開口一番。
「お前、弱いな」
(……は?)
ゴブリンと一緒だ。
俺まで真っ二つに裂けた音がした。
「初対面だけど……口撃力も高いようだ」
「だが、間違っちゃいないだろ」
女は短く言った。
返す言葉がない。
だが、返す!
そこまで言われるほど、俺は親しい間柄ではない!
「ゴブリンを倒してくれてありがとう! だが、その口で俺まで倒す気か?」
俺は弱い。
(けど、口くらいは……まだ動く!)
俺は恥じらいもなく、尻もちをついたまま強がってみせた。
「ちっ!」
彼女は舌打ちした。
かと思ったら、見下ろしていた視線を森へ移す。
茂みが、さらに揺れる。
「ギィッ!」
追加で二体。
奥からゴブリンが飛び出してきた。
「またか!?」
俺が叫ぶより早く、女戦士は動いていた。
一歩。
長剣が振られる。
一体目のゴブリンが、棍棒を振り上げる前に崩れた。
半歩。
女戦士は身体をひねり、返す刃で二体目の腕を弾く。
そのまま、流れるように斬る。
ゴブリンが倒れた。
速い。
いや、速いだけじゃない。
無駄がない。
俺たちが必死に止めていたゴブリンを、この人は一瞬で終わらせた。
強い。
けれど、それ以上に戦い慣れている。
そして口も悪い。
(そっちの方は魔王級だ!)
森で魔物を斬ること。
命がけの間合い、その死地に立つこと。
そしてその意味を知っている。
彼女は長剣を軽く振り、刃についた汚れを払った。
「立てるか」
「あ、うん。大丈夫」
「急いでここから離れるぞ。こいつらの血の匂いで、別のが寄ってくる」
「はい!」
俺は慌てて立ち上がった。
膝が少し笑っている。
情けない。
ボーたちはこちらに向かって駆けてくる。
勝利の喜びもひとしおのようだ。
てこてこ、ぽぽふんっ!
こちらに戻ってくる途中で、就業時間を迎えた。
スゥも足元にいて、跳ねてもいいものか悩んでいるようだ。
「スゥもありがとう」
ぷるんっ!
喜びの舞……跳ねた。
彼女はぶっきらぼうな顔をしている。
ふと、その視線が、スゥで少し止まる。
「スライムを連れてるのか」
「連れてるというか、まあ、俺の仲間です」
「妙なやつだ」
「そう……ですかね」
「あぁ、森でおかしなやつに出くわしたものだ」
否定はしない。
彼女は長剣を納めた。
(悪い人ではなさそう……か?)
確かに辛口な女性だ。
この人の表現は、ストレートすぎる。
(だが……やっぱり口が悪い!)
弱いと言われた棘が、いつまでも抜けない。
けれど、彼女の助太刀がなかったら、俺がやられていた。
お礼くらい言っておいてやるか。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
俺は女戦士に頭を下げた。
「礼はいい。お前、こんな森の奥で何をしてる」
「……迷子です」
「それは見れば分かる」
即答だった。
俺の説明は不要だったらしい。
とりあえずは休戦だ。
はじめに自己紹介でもするか。
武士たるもの、まず己から名乗るもの。
腰が砕け、足が笑った武士だが。
「えっと……俺はリュート」
「……」
「あなたは?」
女剣士は少しだけ俺を見る。
無言の間が一瞬あった。
「ベルヴェット、ベルヴェット・クロウゼンだ」
「ベルヴェットさん」
「さん付けされると、痒くなる」
「あ、じゃあ、ベルヴェット……さん?」
「長い」
「え?」
「ベルでいい。みんなそう呼ぶ」
「あ、はい。ベルさん」
ベルはかすかに眉を動かした。
さんも余計だったかもしれない。
でも、いきなり呼び捨てにできるほど俺の肝は太くない。
ベルは周囲を見回し、警戒を解いた。
そして空を見上げた。
木々の隙間から差し込む日差しは、さっきより少し弱くなっている。
「そろそろ日が落ちる。野営場所を探さないと」
「野営ですか?」
「ああ、そうだ。アタシはギルドの依頼で、この森の調査に来た」
「ギルド……」
やっぱりあるのか、ギルド。
ファンタジー世界らしい単語が、ついに彼女の口から出てきた。
というか、俺を奴隷にしない初めての一般人だ。
「その途中で道を逸れてしまってな……途方に暮れていた時にお前を見かけた……というわけだ」
「なんだ! ベルさんも迷子だったのですね」
「お前と一緒にするな……と言いたいところだが、アタシも道が分からないから返す言葉はない」
ベルさんはぶっきらぼうに答えた。
「調査のために、しばらくはこの森にいるつもりだ」
「ここ最近、森の魔物が妙に騒がしいらしくてな」
「この森、毎日、騒がしいですよ」
「……お前にとってはな」
呆れた顔を向ける。
「話は戻すが、それで直接、調べに来たというわけだ」
「ん……ということは、森に来たのは必然でも、俺と出会ったのは偶然だってことですか?」
「そうなるな」
無神論者の俺ですら、女神さまに感謝したくなる衝動にかられる。
もっとも、この世界の女神様は、ただいま戦闘中で留守らしいが。
女神よ!
今だけは、お出かけ中でも、偶然の助太刀に感謝します……。
妄想にふけっていると、ベルが冷ややかな視線を向けていた。
「はぁ……アタシは森の入り口付近なら、何度か入ったことはある。けど、この森でここまで奥に来たのは初めてだ」
「そうなんですか?」
「ああ、正直、この辺りで夜を越すのは気が進まない」
ベルはそう言って、森の奥へ視線を向けた。
その表情は、さっきまでゴブリンを斬っていた時よりも少し険しい。
こんなに強い人でも、この森の奥は気味が悪いのか。
俺は少し迷った。
言うべきか。
言わざるべきか。
でも、助けてもらったばかりだ。
それに、この人がいれば、帰り道の安全度はかなり上がる。
「あの……実は俺、成り行きで今この森の中に住んでます」
ベルの目が、こちらを向いた。
「……は? 今、何と言った?」
バカ者を見る視線。
そして低い声。
当然の反応だ。
「いや、住んでるというか、拠点というか、雨風をしのげる場所を作っていて……」
「この……森にか?」
「はい」
「正気か?」
「それは、俺も何度も自分に確認してみました」
ベルは無言で、バカ者を見る目をしていた。
そして今、その目は大バカ者を見る目に変わった。
やめてくれ。
その目は、さっきのゴブリンよりも痛い。
「何か事情があるのか?」
「まぁ……そうですね」
「追われてるのか?」
「……いろいろな人たちから、追われてます」
ベルはそれ以上、踏み込んでこなかった。
ただ、少し考えるように、口に手を当て目を細める。
「その拠点とやらは、ここから近いのか?」
「そこまで離れてないですね。俺が帰り道を覚えてさえいれば……」
「拠点までの帰り道は、任せて大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だと思います?」
「おいっ、質問を質問で返すな」
ベルが呆れたように息を吐く。
その感じが、ちょっぴり懐かしく思えた。
そういえば、姉さんも、俺が変なことを言うと、よくそんな顔をしていた気がする。
口うるさくて、少し怖くて。
でも、気にかけてくれていた。
そんな顔だ。
「まあいい」
ベルは長剣の柄に手を添えた。
「拠点までの案内を頼む」
「俺の拠点に来るんですか?」
「この辺りで野営するよりはマシだ。道中の雑魚くらいは露払いしてやる」
「露払い……」
頼もしすぎる。
(この人、仲間になりたそうに――ならないかな?)
うん、無理か。
さっきまで俺たちが全力で戦っていたゴブリンが、この人にとっては雑魚扱い。
森にいながら、この世界の広さを感じる。
いや……同時に俺の器の狭さも感じる。
「それじゃ、我らが拠点まで帰りましょうか!」
そういうと、辺りをくるりと見渡し、俺はフリーズした。
「どうした……?」
そして、スイッチが入ったようにベルへ振り向いた。
「あの……帰り道って、どっちですかね?」
「………………っ」




