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第14話 迷えば湧き水に当たる

 しばらく続いていた憂鬱な天気が嘘のように、眩しいほどの日差しが森を照らしている。


 先日、改修した拠点は相変わらず、絶妙に微妙だ。

 俺は二番目に居心地の良い場所で、自作の地図を前に、腕を組んでいた。

 もちろん、最高のポジションはあのお方だ。


「今日は珍しく、座って……あ、今、横になった……」


 かなりご多忙な様子だ。


 冷ややかな視線から足元へ、地図に視線を戻す。

 地図というには、あまりにも頼りない代物。


 拠点。

 第二水場。

 牙ウサギ注意。

 大河方面、危険。

 リーフ族の里、消息不明。


 消息不明。


 消息不明は、俺の方かもしれない。

 こっちに来てから、心までもが迷子だ。


「分からないことがわからない」


 自分の置かれている現状を理解しようとして、疑問が解消する前に新たな疑問が生まれてくる。


 まるで、ハンマーを取り上げられたモグラたたきだ。


 俺は炭で書かれた線をじっと見る。


 リィルに連れて行ってもらった、あの里のことが頭に浮かぶ。


 あの小さな場所。

 足元に広がっていた、枝と葉、木の皮で作られた里。


 できればもう一度行きたい。


 ちゃんとした塩の礼もまだしてない。

 リィルとも、また話したい。


 他にも森の情報を得られるかも。


 ただ、行くには大きな問題がある。


 道が分からない。


「木を右、小川を越えて左、苔の岩で曲がる……だった気がする」


 口に出してみる。


 駄目だ。

 これだけ聞くと、完全に迷子フラグの呪文だ。


 この森には、木が多すぎる。

 小川もたぶん一つではない。

 苔の付いた岩なんて、昨日だけで何個見たか分からない。


 だが、里へ行く俺の決意は固い。


「今日は行けるところまで行く。無理そうなら戻る。深追いはしない」


 そう自分に言い聞かせた。


 ここで調子に乗ると死ぬ。

 これはもう、異世界生活あるあるだ。


 せん人様のいる神座に再び視線を向ける。


「今日は……いい天気だ」


 俺は飛ばされそうなほど軽すぎる旅支度を済ませ、せん人様に声をかける。

 なんせ、私物は奴隷支給の水の革袋のみだ。


「せん人様。今日も拠点警備、お願いします」


 返事はない。


「一緒についてきてもいいぜ?」


 もちろん、お返事はない。


 (うん、そうだろうさ!)


 これは……あれだ!

 神頼み、旅の祈願というやつ。


 (神様じゃなくて、俺のスキルなんだが……)


 この人、いや、この棒人間様は、俺がお願いした程度で動かない、不動の存在。


 何を考えているのか分からない。


 ふと、父親というものも、こんなふうに遠い存在なのだろうかと思った。

 俺の瞳に遠い過去が映った。


 俺は実の父親を知らない。

 幼い頃に事故で亡くなったと聞かされているが、母は父のことをあまり話したがらなかった。


 その母も、俺が高校を卒業する少し前に他界した。


 そういえば、姉さん。

 元気でやってるかな。


 そこで、俺は我に返った。

 いつまでも考えていても仕方ない。


 意を決して拠点を出る。


「じゃあ、留守番お願いします」


 せん人様は、明王(みょうおう)だ……つまり不動。


 俺はそれを了承と解釈した。

 解釈は自由だ。


 ぽぽぽんっ。


 ボー、ヒョロ、ガーリを召喚する。


「今日は再探索だ。ボー、ヒョロ、ガーリは前後に展開。今日も警備を頼む。それと、スゥは俺の癒し担当」


 スゥがぷるんっと喜んだ気がした。

 癒し担当、不思議系アイドルのようなポジションだ。


 担当という言い方には、語弊があるのかもしれない。


 今はこの子が居てくれることが、俺の癒しだ。


「よし。行くか」


 今日も地図はお留守番だ。

 お前はかさばる。

 折ったら読めなくなりそうだし。


 今回も、頼れるのは記憶だけ。


 不安しかない。


 ――森は昨日と同じように見えた。


 木。

 根。

 草。

 苔。

 土。


 そして、どこを見ても似たような景色。


「この木、見覚えあるな」


 しばらく歩いて、俺は立ち止まった。


 太い幹。

 根元が少し曲がっている。

 苔が右側についている。


 たぶん、昨日も見た。


「こっちで合ってる……よね」


 もう、不安だ。


 俺は右へ進む。


 少し歩くと、せせらぎが聞こえる。


「おお、小川だ。これは合ってるだろ」


 俺は少し嬉しくなる。


 リィルが案内してくれた時に通った気がする小川。

 それを越えれば、次は苔の岩だったはずだ。


 俺は小川を慎重に越える。


 ボーが前を確認し、ヒョロが邪魔な枝を払う。

 ガーリが後ろを見る。


 彼らの時間制限による退勤は相変わらず。

 出社作業もかなり慣れてきた。


 スゥは足元でぷるぷると仕事をしてくれている。


 この布陣、だいぶ慣れてきた。


「よし、次は苔の付いた岩だ」


 俺は周囲を見る。


 苔の岩があった。


 その奥にも苔の岩があった。


 左にもあった。


 右にもあった。


「残像か!?……多すぎない?」


 苔の岩、まさかの大量発生。


 リィルが言っていた苔の岩がどれか分からない。

 いや、正確にはリィルは、苔の岩とは一言も言っていない。

 俺が勝手に目印として覚えていただけだ。


 つまり、問題は俺の記憶力だ。


「こっち……かな」


 俺は一番それっぽい岩の横を曲がった。


 しばらく進む。


 木が増える。

 根が絡む。

 足元が少しぬかるむ。


 見覚えはある。

 あるような気がする。

 でも、全部初めて見たような気もする。


「あー、全部、同じに見えてきた!」


 迷った。


 あっという間の、フラグ回収か!?

 迷子の最速記録更新か!?


 俺はちゃんと認めたぞ。


「俺は今、道に迷っている!」


 声高(こわだか)に宣言、自らの過ちを認めることで、自分を落ち着かせる。

 俺の目は完全に、周囲を泳いでいる。


「いや、俺はまだ負けてない。少し方向がズレただけ」


 それが迷子だ。


 乗りツッコミをしても、パニックは加速していった。


 スゥが足元でぷるんっと震えた。


「スゥ、お前の仕事は順調そうだな」


 ぷるんっ。


 癒し担当が少し冷静さをくれた。


「ありがとう、少し落ち着いたよ」


 再び、ぷるんっと反応する。


 あれ!?

 たぶん何か違う。


 スゥは少し先を向いている……気がした。

 近頃、わずかだが言いたいことが分かってきた……気もする。


 結局、気持ちの問題だ。


「何かあるのか?」


 俺はスゥの向いた方へ耳を澄ませる。


 水音がした。


 ちょろちょろ、という小さな音。

 第二水場の時にも聞いたような、細い水の音。


「水場か!?」


 道に迷えば湧き水に当たる。

 俺は心の中でそう呟きながら、草をかき分けた。


 少し進むと、木の根の間から水が湧き出している場所に出た。


 そこは、思ったより広かった。


 大きな岩のくぼみに水が溜まり、そこから細く流れ出している。

 周囲には苔が生え、薄い湯気のようなものが揺れていた。


「……湯気?」


 俺は眉をひそめる。


 湧き水に湯気。


 普通に考えれば、おかしい。


 手を伸ばして、そっと水に触れる。


「冷た……くない?」


 俺は思わず声を出した。


 森の水は冷たい。

 手が痛くなるくらい冷たいものだと思っていた。


 だが、この水は違う。


 ぬるい。


 いや、ほんの少し温かい。


「なんだこれ。温泉……ではなさそうだ。ぬるい湧き水?」


 入浴できるほど熱くはない。

 だが、身体を拭くには十分すぎる。


 そこで、俺はふと自分の腕を見た。


 泥。

 擦り傷。

 乾いた汚れ。

 木の汁みたいなもの。

 服も、ところどころ黒ずんでいる。


 そういえば。


 俺、この世界に来てから、まともに身体を洗ってない。


 雨に打たれ、泥にもまみれた。

 魔獣から逃げ、拠点を作った。

 戦った……鍋も作った。


 でも、風呂には入っていない。


「人生でここまで風呂と無縁だったこと、たぶんないな……」


 現代のジャパニーズ風呂文化。

 あれは偉大だった。


 蛇口をひねればお湯が出る。

 シャンプーとボディソープ。

 ボディタオル、バスタオル。

 ドライヤーまである。


 何だあの楽園。


 俺は今、ぬるい湧き水を前にして感動している。

 文明からの落差がすごい。


「少し、ここで身体を拭いていくか」


 ただし、ここで問題が浮上する。


 身体を拭く布がない。


 服で拭くか?

 いや、服を濡らしたら困る。

 そもそも服も汚れている。


 葉っぱで拭くか?


 怖いし、きっと痛い!

 何の成分があるか分からない。

 かぶれたら最悪だ。


 となると、選択肢は一つ。


「タオルを生成する」


 俺は地面に指を走らせた。


 タオル生成。


 長方形。

 布。

 風呂上がりに使うやつ。


 ぽんっ。


 手の中に、白い布のようなものが現れた。


「おお」


 見た目はタオルっぽい。


 白い。

 長方形。

 端は少し歪んでいるが、まあ許容範囲だ。


 俺はそれを腕に当てた。


「痛っ!」


 硬い。


 布というより、乾いた樹皮に近い。

 いや、タオルの見た目をした薄い板だ。


「これ、タオルじゃなくて紙やすりだろ!」


 俺は思わず文句を言った。


 試しに水につけてみる。


 水を吸わない。


 表面を水が滑っていく。


「吸水性ゼロかよ!」


 見た目はタオル。

 中身は完全に別物。


 なるほど。

 またひとつ分かった。


 形だけではダメだ。


 タオルは、ただの四角い布ではない。

 柔らかさ。

 肌触り。

 水を吸うこと。

 絞れること。


 そこまで含めて、タオルだ。


「もう一回だ」


 俺は失敗作を消し、もう一度地面に指を走らせる。


 今度は形ばかりではなく、使った感覚を思い出す。


 風呂上がり、ぽっかぽか。

 柔らかい布、ふわっふわ。


 水を吸って少し重くなる感じ、しっとり。

 肌に当てても痛くない感触、さらさら。


 これはいらないかな?


 雑念だ。


「柔らかくて厚みがある、水を吸う布。肌に当てても痛くないやつ」


 ぽんっ。


 今度のタオルは、さっきよりヨレヨレしていた。


 形だけなら一回目の方が綺麗だったかもしれない。

 だが、触った瞬間、違いが分かる。


「お」


 ふっわふわ。


 完璧ではない。

 高級ホテルのタオルとは比べるまでもない。

 むしろ安い雑巾に近い。


 だが、さっきの紙やすりよりは百倍いい。


 水につける。


 今度は、ちゃんと水を吸った。


「よし!」


 俺は思わず小さく拳を握った。


 これは戦闘スキルよりも嬉しい。

 これは、そう、生活スキルだ!


 ドヤッ!


 確実に生活の質が上がる。


 俺は周囲を確認する。


 ボーたちは警戒中。

 スゥは湧き水の近くでぷるぷると戯れていた。


「三人とも見張り、頼むぞ」


 ボーたちが腕を上げる。


 さすがに全裸での水浴びは無理か。

 この森での無防備は、あまりにも危険だ。

 魔獣に襲われた時、食材として完成されてしまっている。


 できる範囲で身体を拭く。


 顔。

 首。

 腕。

 胸元。

 髪。


 ぬるい湧き水を含ませたタオルで、泥と汗を落としていく。


「うわ……」


 タオルがすぐに汚れた。


 思った以上に汚い。

 数年、手つかずの空き家を拭いているようだ。


 水に浸して絞る。

 また拭く。


 少しずつ、赤茶けていた肌が戻ってくる。


 かゆかった場所が楽になる。

 髪に絡んでいた土が落ちる。

 服の汚れも、取れる範囲で落とす。


「俺の不潔レベルが、ようやく三くらい下がった気がする」


 今までが高すぎた。

 さっきまでの俺なら、魔獣ですら鼻を押さえて逃げていただろう。


 鼻を押さえて逃げ出す魔獣……想像すると笑えてくる。


 それくらい、俺は大自然をまとっていたと思う。


「リィルたち、よく何も言わなかったな……」


 優しさか。

 慣れか。

 それとも、巨人はそういう匂いだと思われたのか。


 巨大ラフレシアを想像した。


「まるで、催涙ガスだな」


 最後のはちょっと嫌だった。


 俺はタオルをもう一度すすぎ、軽く絞った。


「タオル生成、かなりイケてたな」


 戦闘では不要の産物。

 でも、こういう道具生成は、生きる活力になる。


 スキルは、攻撃技がすべてじゃない。


 使い方次第で、飯も食える。

 身体も拭ける。

 生活力が爆上がりだ。


 俺は濡れた髪を手で押さえながら、湧き水のそばに腰を下ろした。


「体を拭いただけなのに、軽くなった」


 水音が耳に心地いい。

 森の中にいるのに、気持ちがほんの少し落ち着いた。

 それは、小さな休憩所を見つけたみたいだった。


「……ここ、地図に書きたいな」


 そう思って、俺は周囲を見回す。


 特徴的な岩。

 湧き水。

 苔。

 曲がった木。


 覚えて、きっとまた来よう。

 これは大事な場所だ。


 天然浴場。

 ただし、身体を拭ける程度のぬる水バージョン。


 拠点からは少し遠いが、今後かなり役に立つ。


 そう考えた瞬間、俺は気づいた。


「……あれ!?」


 どっちから来た?


 俺は立ち上がり、周囲を見る。


 全方位のパノラマ、すべてが同じに見える。


 その全部に、見覚えがある。


 そして、全部、知らない場所に見える。


「まずい」


 休憩している場合ではなかった。


 本当に迷子になってしまったのか。


 そうだ、まだあるぞ。

 俺はわずかな希望を託して、ボーたちを見た。


 ボーは首を傾げた。

 ヒョロも首を傾げた。

 ガーリまで首を傾げた。


「完全敗北……!」


 膝から崩れ落ちた。

 それはフラグ回収完了のお知らせだった。


「……お前らも分からないのか」


 スゥがぷるんと震えた。


 その震えが、さっきまでとは明らかに違って見えた。


「スゥ?」


 スゥは湧き水の方ではなく、森の奥を向いている。


 心臓が呼応する。

 近くの水音が、やけに大きく聞こえる。

 さっきまで心地よかった森の静けさが、わずかに違って感じる。


 風が止む。

 鳥の声も今は聞こえない。


 気持ちの悪い静寂があたりを包む。


 俺は湿った髪を拭くのを止め、ゆっくりと周囲を見回す。


「……何か、妙だな」


 誰も答えない。


 森はただ、静かにそこにあった。


 けれど、その静けさの奥に、薄い不安が迫っている気がした。

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