第13話 レベルアップした鍋のいい塩梅
塩壺を抱えて、俺は慎重に森を歩いていた。
大事なのは命。
次に大事なのは水。
そして塩だ!
「落とすなよ……絶対に落とすなよ……!」
決して、自ら落としたいわけではない。
俺は小さな壺を両手で包むように持っていた。
リーフ族にとっては大きな壺。
俺にとっては、現在最重要な小瓶、いや壺だ。
中身は待望の塩である。
ただの白い粒じゃない。
森の生活において、細胞が欲する希望の結晶だった。
スゥが足元でぷるんと跳ねる。
リィルや長老と話し過ぎて、ボーたちがいつの間にか消えていたことも忘れていた。
帰り道が少し不安になる。
「こういう時、せん人様がついてきてくれたら心強いんだけどな」
まあ、無理だろう。
尻に根を張ったかというくらい、微動だにしない。
さすがはその名前に引けをとらないお方だ。
もちろん、これは皮肉。
さて、護衛依頼のため、再び呼び出す。
ぽぽぽんっ。
三体の召喚はほぼノータイムだ。
(かなり召喚に慣れてきた……が、絵心は進歩なし)
――どうにか、俺は拠点まで戻ってこれた。
「ただいま……せん人様!」
拠点は無事だった。
無事、だったのだが。
「……ん?」
片付けたはずの拠点の中が、少し散らかっている。
木の枝が数本、変な場所に落ちている。
神座の近くには、朝にはなかった落ち葉が散っていた。
拠点の入り口付近も、土で汚れている。
「なんだこれ。何かあったのか?」
俺は神座を見る。
せん人様は、いつものように寝そべっていた。
余裕。
貫禄。
不動。
まるで、最初からずっとそこにいたような態度だ。
「せん人様、留守中に何かありました?」
もう一度、同じ質問。
返事はない。
「……まあ、拠点が無事ならいいか」
せん人様が何かしたのか。
招かざる客を追い払ってくれたのか。
それとも、風で散らかっただけなのか。
相変わらず、分からない。
分からないが、せん人様はいつも通りだ。
深く考えるのはやめよう。
思考を停止した。
それより、もっと重大な任務がある。
「今日は塩入り鍋を作ります」
俺は、厳かに宣言した。
今までの鍋とは格が違う。
もうキノコだけの鍋ではない。
肉入り鍋でもない。
「ふっふっふっ!」
テンションがおかしくなった。
ついに、塩が手に入った!
この差は大きい。
たぶん、今の俺にとっては王宮料理と雑草の差くらいある。
鍋といっても、相変わらず立派な鍋があるわけではない。
石で囲んだだけの簡単なかまど。
スキルで生成したヨレヨレの鍋。
それと今回は器も生成してみた。
大きな物でなければ、魔力の消費も少ないようだ。
水。
キノコと木の実。
あと、牙ウサギ肉の残り。
そこに、塩を加えるという単純なレシピ。
俺は壺の中を覗き込む。
「……入れすぎるなよ、俺。これは貴重品だぞ」
これは生命線だ。
今、欲望のままに入れたら、未来の俺は間違いなく絶望している。
俺は指先に、ほんの少し塩を取った。
本当に少し。
つまむというより、触れた程度。
それを鍋に入れる。
ぱらり。
白い宝石は湯に溶け、その姿を隠した。
(今日の俺は……詩人だ)
決してイカれたわけではない。
「……こんなので変わるのか?」
うん。
正直、不安。
「鍋は塩気を獲得した……!」
思わずボケる。
(だって、塩を入れても匂いじゃ分からないんだもん)
せめて、勢いだけでもつけておかないと。
俺は枝で作った箸もどきを手に取り、器に鍋の中身を汁ごとすくった。
初めて描いた器は、まるで陶芸家と芸術家のコラボ商品。
飲み口もヨレヨレ、唯一、褒めるなら穴が開いていないことだ。
湯気が立つ。
熱い。
でも、待てない。
口に運ぶ。
「……味がする」
たったそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりした。
キノコの旨味。
肉の脂。
木の実の甘み。
そこに、ほんの少しの塩気。
今まで食べていたものが、急に料理に生まれ変わった。
「うまい……」
声が漏れた。
大げさではない。
本当にうまい。
身体がうまいと言っている。
たぶん前の世界なら、たいした料理ではない。
いや、普通に考えれば、かなり雑な味だ。
醤油もない。
味噌もない。
調味料は塩のみ。
それでも、今の俺には十分すぎる。
「これが……いい塩梅ってやつか」
肉に木の実、そして塩。
これはもう、一足飛びにレベルアップした鍋だ。
ステータスカードに、表示されてもいいくらいだ。
【肉入りキノコ鍋】
スキル:塩分
能力:一時的な幸福の上昇
「微妙な能力だな……」
だが、それがいい。
うまいものは正義だ。
スゥが足元でぷるぷるしている。
「スゥも食べるか?」
ぷるん。
スゥは鍋の端に近づき、ほんの少し中身に触れた。
ぷるん。
「どうだ?」
ぷるぷる。
うん、分からない。
分からないが、悪くはなさそうだ。
俺はボーたちがいない空間を見た。
「お前らとも、いつか一緒に食べられたらいいんだけどな」
ボーたちは食べない。
口もない。
味覚があるのかも分からない。
でも、もし。
もし、いつか。
(あいつらと鍋を囲めたら……)
それは、かなり嬉しい気がした。
「分かち合えるって、けっこう大事なんだな」
俺は鍋をすすりながら、そんなことを思った。
前の世界では、食事なんて動画を編集しながら、適当に済ませることも多かった。
何を食べたか覚えていない日もあった。
うまいと思っても、それは自分だけのもの。
でも今は、ほんの少しだが考えが変わった。
誰かとシェアしたくなることがある。
気を許せる相手と、その時、その瞬間だけの感情の波。
ただただ、それを共有したい。
スゥはぷるぷるしている。
せん人様は偉そうにしてる。
ボーたちは……消えてる。
それでも、ひとりで食べた時より、ずっといい。
「リィルたちにも、ちゃんと礼を言わないとな」
塩をくれて、森の情報も教えてくれた恩人だ。
巨人扱いはされたが、最後は少し受け入れてくれたのかな。
いや、去り際まで巨人扱いだった。
まあ、それはいいか。
――今日は完食ができた。
ここ数日、味気ない食事を無理やり腹に押し込む日が続いていた。
食事を終えると、俺の意思に同調して、鍋と器が消え去った。
俺は身体の力が抜ける。
腹と気持ちが満たされる。
それだけで、心まで落ち着く。
「よし。次は地図の追加だ」
食後、俺は木の皮の地図を取り出した。
取り出したというより、拠点に置いていたものを拾い上げた。
地図はかさばって、持ち歩けなかった。
ポーチなんて便利なものはないし、手持ちで森を歩くには邪魔すぎる。
「地図アプリが欲しい……」
今は俺の記憶とこの地図だけが頼りだ。
(駄目だ……不安しかない)
俺は炭を手に取った。
まず、第二水場。
これは何とか分かる。
拠点からの距離。
方向。
近くにあった特徴的な根。
水場付近の牙ウサギの足跡。
そこに追記する。
【第二水場】
【牙ウサギ注意】
「ここは覚えてる」
問題は、その先だ。
リィルに案内されて行った、リーフ族の里。
木を右。
小川を越えて左。
苔の多い岩のところで少し曲がる。
それっぽい記憶はある。
あるのだが。
「全部、似たような景色だったんだよな……」
俺は炭を握ったまま固まった。
地図に線を引こうとして、止まる。
どこを曲がった?
どの木が目印だった?
小川はどこにあった?
苔の多い岩なんて、森の中に何個あったよ。
「……無理だ」
あの里の場所が分からない。
いや、方向は何となく分かる。
たぶん。
あっち。
いや、こっち。
だいたい、そっち。
「分かるか……!」
しかし、何の当てもなく歩ける森ではない。
長老も言っていた。
この森は道に迷う者が多い。
同じ場所を繰り返しているように感じる。
俺も実際、リィルに案内されながら、すでにそう感じていた。
「リィル、よく迷わず歩けたな……」
あの小さな身体で、森を普通に進む。
危険を承知で、木の実を採りに出る。
帰り道を覚えている。
俺が子ども扱いした相手は、俺よりずっとしっかりしていた。
また反省材料が増えた。
俺は地図の端に、とりあえず書いた。
【リーフ族の里】
【消息不明】
【再確認】
「これ、地図としてどうなんだ?」
つい、不安が口に出る。
自分で書いておいて、かなり頼りない。
だが、分からないことを分からないと書くのも、たぶん大事だ。
次に、森の名前。
俺が最初に兵士たちから聞いた呼び名は、【境界の森】だ。
でも長老は、【エルム・フォレスティア】と呼んでいた。
外の人間たちは、東大陸との境にある森だから境界の森と呼ぶ。
リーフ族は、この大森林をエルム・フォレスティアと呼ぶ。
つまり、同じ森のことか。
俺は地図上に追記した。
【リーフ族の呼び名:エルム・フォレスティア】
【外界の呼び名:境界の森】
「名前があると、急に世界が広がった感じがするな」
怖いだけの森ではなくなった。
俺にとっては奴隷から逃げ隠れする場所。
リーフ族にとっては暮らす場所。
兵士たちにとっては大陸の境界。
そしてここは、エルム・フォレスティア。
同じ場所でも、立場が違うことで見え方が変わる。
俺は炭を持ったまま、しばらく地図を眺めた。
次に、塩の情報。
塩は大河に近い岩場で採れるらしい。
ただし、危険。
大河。
長老は、危険だと言っていた。
近寄らない方がいいらしい。
俺は地図の未探索領域の方へ、小さく書き込む。
【大河方面】塩あり、とても危険。
本音を言えば、塩は欲しい。
めちゃくちゃ欲しい。
塩があるだけで、食事の質が変わる。
心の状態まで変わる。
今日の鍋で分かった。
だが、今はまだ止めておこう。
リィルの手土産も残ってるからな。
魔獣。
道迷い。
大河。
未知領域。
危険の盛り合わせだ。
「まずは、行ける場所を増やす方が先決だな」
リーフ族の里まで、もう一度行けるようになりたい。
塩の礼も改めて言いたい。
リィルには、もう一度ちゃんとお礼を言いたいな。
それに、あそこに行けるようになれば、もっと森の情報が聞けるかもしれない。
いや、ネタが目当てというより。
普通に、また会いたい。
久しぶりに誰かとまともに話せた。
その有り難みを、俺は今日、改めて思い知った。
「……もう一度行きたいな」
地図を見る。
リーフ族の里、消息不明。
事件の臭いがする表現だ。
俺は炭で、最後に小さく書き足した。
【リーフ族の里】再探索
書いてから、少し迷う。
その横に、もう一言添える。
無理はしない。
「これ、絶対大事だ」
声に出して確認する。
調子に乗ると死ぬ。
この森に来てから、俺が何度も学んだことだ。
無理は禁物。
急がない、焦らない。
未探索地域には、準備してから行く。
俺は地図を見下ろし、ため息をつく。
塩入り鍋は、うまかった。
リーフ族とも出会えた。
リィルとも、また話せたら嬉しいな。
けれど、もう一度行けるかは分からない。
「……まぁ、明日からの俺に頑張ってもらうか!」
そう言って、残った塩壺をそっと拠点の奥に置いた。
ここが、今の俺の大事なもの置き場だ。
置いてあるのは、魔獣の魔晶と塩のみ。
この森での、生活の足跡。
スゥがその横でぷるんと震えた。
「塩の壺、食べるなよ?」
ぷるん。
たぶん、食べないと言っている……はずだ。
神座のせん人様は、相変わらず寝そべっている。
いつも、何考えているんだか。
俺は火の始末を確認し、もう一度地図を見る。
明日以降は、もう少しくらい森を歩いてみるか。
もしかすると、あの里に、もう一度行けるかもしれない。
けど、また道に迷うかも。
どちらにしても、今日はもう十分に働いた。
塩味の残る口で、俺は小さく息を吐いた。
森の夜は、相変わらず静かだった。
けれど俺の口には、まだ少しだけ幸せが残っていた。




