49. 地下牢の者々
一つ目の「*」まで、きつい描写があります。
魔物や森の民達が囚われている地下室は、目も当てられないほど劣悪な環境だった。
重厚な鉄格子が嵌められた牢屋がいくつも並び、垂れ流した屎尿の臭いと、放置されたままの死体の腐臭が空間に充満している。
ミロは一瞬眉をひそめたが、何事もなかったように平然と部屋の中に入っていく。「鼻を剥がすだけじゃ足りないな」と小さく呟いたのを、ラキムは聞き逃さなかった。
助けに来たこと、隷属の腕輪を安全に外す手段があること、怪我や病気を治療すること、大陸中どこへでも、望む場所に必ず送り届けることをミロは丁寧に説明し、涙しながら差し出された腕から隷属の腕輪を回収、自由になった者を次々と<草原>に送っていった。
「せっかく助けて頂くのに、姉上が起きなくて・・・」
幾つかめの牢屋で、猫の獣人が申し訳なさそうに言った。彼女は同じ猫の獣人の、ひどく腐敗が進んだ死体を抱きかかえ、「姉上からお願いします」と腕輪のついた姉の腕を差し出した。
「すみません、姉はずっと寝たきりで水浴びもしていないので、その、」
「お風呂を用意するので大丈夫ですよ。治療が終わったら綺麗にしてあげましょうね」
ミロは言って、行き場のない怒りに震えながら、それでも彼女に微笑む。腕輪を回収した後、「お二人一緒に移動させますね」と断ってから<収納>した。
「ミロさん・・・」
声に振り向くと、ラキムは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「すみません、僕、こんな酷いことになってるなんて思わなくて」
ミロを巻き込んでしまったことに責任を感じているのだ。
それを察してか、ミロは首を横に振る。
「よかったです。まだ助けられる人達がいて」
そう言って一つの牢屋に目を向ける。
もう助けることのできない者達が、人も魔物も無差別に、ゴミか何かのようにうず高く積み上げられていた。
「通りにくいな・・・」
ミロは鉄格子に手を触れ呟く。するとミロの体は鉄格子の間を通り抜けられるサイズにまで小さくなり、牢の中に入った直後、また元の大きさに戻った。
<悪路運行>の新たな一面であるが、今のミロにはそれを気にする余裕がなかった。
「来るのが遅くなってすみませんでした」
声が届くはずもない者達に言って、ミロは<ユニット操作>で新たに<草原>を作り、一人一人、一体一体、丁寧に<収納>していく。怒りと悲しみがぶつかり合って相殺されることなどあるはずがないのに、ミロの心は不思議なほど凪いでいた。ただ涙だけが、頬を伝って流れていた。
そうしてミロは全ての森の民や獣人達を<収納>、プトラに説得を任せておいた魔物達も全て<収納>し、牢を後にしたのだった。
*
暗殺ギルドと大神殿をつなぐ地下道の途中。横穴に鉄格子を嵌めただけの牢屋の中で、その聖職者はただひたすら神に祈りを捧げていた。
もう何年こうして囚われているだろうか。二年目あたりまでは数えていたが、いつしか意味を見出せなくなり辞めてしまった。四十は超えたはず。四十五はもう過ぎただろうか。自らの歳すら知る術がない。
日に一度だけ食事が運ばれてくる時を一日の始まりとし、それ以外は祈ることに時間を費やす。魔力を乗せた祝詞の一言一言が、蛍火のごとく辺りを薄っすら照らしては、闇に溶けて消えていく。魔力が尽きれば眠り、また新しい一日を迎える。
それが彼、ユゼンの日々であった。
そんなユゼンに数日前、突然神託が下った。
神託があった時は、食事を持ってくる者に報告しなければならないのだが、しかしその日に限って、ユゼンは報告することなくその内容を心の内に秘めた。
《運び手、来たる、楔、解放、ユゼン、共に》
名指しでもって下された神託だったからだ。
だからであろう、囚われて以来初めてやってきた来訪者に対して、彼は狼狽えることなく居住まいを正した。
「お主は何者じゃ?」
一人先んじて偵察にやってきたエルテは、牢の奥に向かって問うた。
「私は司祭のユゼンと申します。失礼ですが、あなた様が神託にあった運び手様であらせられるか?」
「神託。運び手。・・・ふむ。いや、おそらく儂はその従者であろうな」
しばし待たれよ、とエルテが言ってから数分と経たないうちに、複数の足音が近づいてきた。
「主殿、こっちですじゃ」
「ありがとう、エルテ」
「何やら主殿が来るとの神託があったようで」
「神託って、シェシュマ様からってこと?」
その通りです、と答えたのはユゼンだった。
「運び手が私を解放する、共に行け、といった内容でした」
「そうでしたか。じゃあ、もう少しこちらへ来てもらっていいですか?」
悪事を働いて捕まっているというケースも考えられたが、シェシュマ神が言うなら、その心配もない。
「初めまして、ミロと言います」
「私はユゼンです。すみません、暗闇での生活が長く、目が・・・」
「あ、すみません。じゃあ僕が行きます」
ミロは言って<悪路運行>で鉄格子を通り抜ける。
「安全に腕輪を外す方法がありますので、腕を見せてもらいますね」
「え、どうやって中に?鉄格子には錠がされていませんでしたか?」
「されてましたよ。スキルで通り抜けたんですけど、後で説明しますね」
腕輪を回収して、目が不自由だというユゼンのため、ラキムに付き添いを頼む。
「一旦<草原>に送るから、ベルベリに頼んでユゼンさん用に<寝室>を作ってもらって」
「了解しました!」
二人を<草原>に送り、ミロはふう、とため息をついた。
「お疲れのようですのう」
体より、むしろ心の方が、とエルテは思った。
ミロのスキルになってからというもの、ミロの感情をどこかで感じるようになっていた。
「うん、まあね。でも保護した人達の治療もしなきゃだし、もう一踏ん張りしなきゃ」
「それでこそ我が主ですじゃ。ご立派ですぞ」
「ふふ、ありがとう」
建物から出たミロは、荷台の中で酒を振舞っていた――本人はあくまで治療の一環であったラナを呼んだ。
最後に暗殺者ギルドの建物を<収納>して、今作戦は終了である。
「なんじゃ、この住処も持っていくのか?」
「隷属の腕輪とか、物騒な魔道具を放置するわけにもいかないし、一応ね」
「なるほど、それもそうじゃの」
では、と言ってラナとエルテは同時に人化を解いた。
ミロは門兵に見つからないうちにさっくり終わらせてしまおうと思っていたが、これらの巨体が見つからないはずがない。にわかに西門が騒がしくなった。
「な、なんだ!?」
「どど、ドラゴンだ!!ゴーレムもいるぞ!!」
「災害級モンスター襲来!西鐘を鳴らせ!門を閉じろ!」
「「はっ!!」」
カァンカラン、カン・・・カァンカラン、カン・・・と独特のリズムで西鐘が鳴る。
東西南北、四つの門にはそれぞれ、東鐘、西鐘、南鐘、北鐘、とリズムがあてがわれており、これをまとめて四門鐘という。王都の民はこの四門鐘を以って、どの門に外敵の襲来があったかを知るのだ。
西鐘のリズムで反射的に西の方角を見た者達は、城壁の向こうに高くそびえるラナの姿に目を疑った。多くの者が生まれて初めて見るドラゴンの姿がそこにはあった。
「わ、もう見つかっちゃった」
「まあそうじゃろうな」
「ささっと終わらせて、森の民の里に帰ろ!」
ラナは蔦で補強された建物を引っ張り、エルテは建物を底から木々で押し上げながら、引き抜きやすいように周囲の土をほぐす。
「ふんっ!!」
掛け声とともにラナは大きな芋でも収穫するかのように、暗殺者ギルドの建物をずろん、と地下室ごと引き抜いた。
「よし、撤退!」
建物を丸ごと<収納>し、ミロ達はラナの翼で北西の空へと飛び去った。
「うぉおおお!王都を死守しろ!ルッサンモーヲ王国に、命を、ささ・・・げ?」
西門に駆け付けた王国騎士団とギルド有志の冒険者達は、静まり返った外の様子にたたらを踏み、しばらくして何かが足りないと違和感を抱いた。
「運び屋ギルドが・・・なくなっている?」
残骸すら残らず、大きな穴だけになってしまった運び屋ギルドの跡地を呆然と眺め、これは一体何だったのかと誰もが首を傾げた。
「ただの気まぐれだったのか?なんにせよ、これだけの被害で済んで良かった」
誰かが言った。しかしこれだけの被害をただの気まぐれで出されたのなら、それはそれでたまったものではない。ここには多くの運び屋と魔物がいたはずだ。
この翌日以降、「巨大なドラゴンとゴーレム襲来」の話題は商人や冒険者達を介して、大陸中へと広まっていくのであった。
*
「ベルベリ、治療の方はどう?回復薬は足りてる?」
「数は足りておりますが、回復薬では対応できない方がおりまして」
特に魔物達は扱いが酷かったようで、保護した時点ですでに瀕死の者が多かった。
それらのうち少なくない数が、暗殺ギルドの壊滅を聞いて、眠るように息をひきとったのだとか。
「そっか。ツィーレにでも行って、ちゃんとした回復術士の人に見せた方がいいのかな」
「いえ、そのことなんですが」
ベルベリは言葉に詰まって、あちらを、と顔を向る。その先には重症の獣人に魔法をかけるユゼンがいた。
「ユゼンさん!」
「すみません、お止めしたのですが」
「あ、ミロさん、すみません」
ベルベリとラキムが頭を下げる。
ユゼンは目を布で覆い、ラキムに誘導してもらいながら回復魔法をかけていた。
「その声は、ミロ様ですね」
「いや、普通にミロでいいですよ」
「ではミロ君。どうかベルベリとラキム君を怒らないでやってくださいね。私が無理を言ってお願いしたのです」
「お体は大丈夫なんですか?」
「はい、後で詳しくお話ししますが、私は生かしておく価値があったようで、毎日食事を与えられ、それなりの暮らしをさせてもらえていました。お粗末ながら回復魔法も使えますので、どうか力にならせてください」
「そうだったんですか。じゃああまり無理せずにお願いしますね。魔力回復薬が必要な時はベルベリに言ってください。ラキム君も、ユゼンさんをよろしくお願いしますね」
「ありがとうございます」
「はい!」
ハッチはプトラに通訳してもらいながら魔物達の世話をしている。サラコナーテ・ダンジョンでヴォルフを保護した時以来、よくやってくれている。
ベルベリは比較的軽症な森の民や獣人達の世話をし、ユゼンはラキムのサポートを受けながら、人魔物問わず重症な者から回復魔法をかけてくれている。
「こっちは大丈夫そうだね。僕は何か食べる物を作ってくるから、何かあったら呼んでね」
「承知いたしました」
消化にいいスープあたりが妥当だろうか、とミロは<荷物リスト>で食材を検索する。
そういえば、ハンバーガー等を作り置きしてしまったため、野菜の在庫が心許ない。
「野草を採取するのは時間がかかるし、手っ取り早くツィーレで買ってこようかな」
「そうですね。ついでですので、ジニあたりに暗殺ギルドの処理の仕方を聞いてみてはどうでしょう」
「お!さすがベルベリ」
ミロは言ってギルドカードを取り出した。
「わっ!」
タイミングよく鳴ったディアコードのコールに、ミロは思わず声を上げた。
さすがとしか言いようがない、相手はジニだった。




