42. 少女、降る
少女は森の中を走っていた。
若草色の髪を振り乱し、涙で前などほとんど見えていない。息も切れ切れに、吸っても、吐いても、満足に呼吸できている気がしなかった。
「ごめんね、ごめんね!」
置き去りにしてしまった親友の二人の顔を思い浮かべながら、彼女はひたすら逃げる。
森の外に出てはいけないと、あれほど言われていたのに。つい好奇心に勝てず、親友達を誘って冒険気分で森を離れてしまった。
十五歳。扱える魔法も増え、なんでもできるような気になっていた。どんな危険も魔法で切り抜けられると、彼女達は意気揚々と森を飛び出し、そうして人攫いに捕まってしまったのだ。
「大人達の言う通りだった!」
森の外には人攫いがいる。子どもに言う事を聞かせるための嘘だと思っていたが、実際にそれはいて、今もこうして追いかけられている。
走る彼女の両方の耳に、草を踏み、駆ける足音が聞こえてきた。時折、オーン、と鳴いては、主人に少女の居場所を伝えている。人攫いのテイムモンスターである。彼女の両脇に二体の大きな狼、そして上空には鳥の魔物もいる。
「あっちだ!一攫千金のチャンスを逃すなよ!?」
「お嬢ちゃん、怖くないよぉ、ウヘヘヘ!」
声はどんどん近くなっている。隙をついて人攫いから逃げてきたが、もうここまで。
逃げられない、と思った時だった。
「これ・・・は」
急に森が開けて、そこには巨大な穴が大地に口をあけていた。
見るのは初めてだが、少女はその穴の存在を知っている。
「帰らずの渓谷」
恐怖とともにその名を吐き漏らす。
一度落ちたら戻ることはかなわない、無限に続く渓谷。穴はいつの間にか開き、いつの間にか閉じ、そしてまたどこかで開く。未熟で不安定なダンジョンなのだと、確か村長は言っていた。
少女は一度だけ、追っ手を振り返った。もうお互いの姿をしっかりと把握できる位置である。このまま捕まれば、誰かに買われ、どんな悲惨な人生が待っているかわからない。それならいっそ、と彼女は穴を見た。
いっそ自分で死を選ぶ方がいくらか楽かもしれない、と。
「ごめんね、・・・本当にごめんね」
自分のせいで悲惨な運命をたどることになる親友達を憂い、一人だけ楽な道を選択する愚かな自分を呪い、彼女は穴に身を投じた。
*
「ハッチのマップタッツ、見た?すごいだった?」
「見たよ。すごかったけど、あんな危ないことしちゃダメだよ?」
「危ないことしちゃない!」
大鰻とともに渓谷に落ちたハッチは、ミロによって一度送還され、またすぐに召喚するとで無事救出された。ミロは濡れた体を拭いてやろうと布を用意していたが、ハッチは髪の毛一本濡れていなかった。送還された時にリセットされるらしい。
「ハッチちゃんは小さいのにすごいパワーですね」
驚くラキムに、ミロはハッチの能力、武具のスペック吸収を明かす。
「そ、そんな能力が?それって最強の召喚戦士ってことじゃないですか!」
「違う!ハッチチャンは最強の護衛戦士だ!」
「はいはい、じゃあ最強の護衛戦士さんは、大鰻の解体をお願いしますね」
「マカにしてセロだ!」
首を傾げたラキムに、任せろってことだと思います、とミロが通訳する。
「じゃあ僕もお手伝いしてきます」
そう言ってラキムはハッチを追って扉の奥、<草原>へと向かった。
渓谷ダンジョンは目まぐるしく四季折々の変化を見せた。
春夏秋冬だけではない。晴天、曇天、雨天、湿地帯、乾燥地帯・・・、周回ごとにまったく違った景色が、都度ミロ達を楽しませた。採取できるものも様々で、オレンジとピンクを含むマーブル模様の岩塩や、食用油を多く含んだ多肉植物など、珍しいものばかりでミロの顔も自然と綻ぶ。
「この岩塩美味しいね。ここは第何候?」
ミロの問いに、ここは二十四候です、とベルベリが言う。
サラコナーテ・ダンジョンでは第何階層、第何区という単位だったが、この渓谷では、候という単位で<地図>には表示されている。
「じゃあ少なくとも二十四種類はコースがあるってことだね」
「今のところですと、五十二候が一番大きい数字ですね」
コースは第一候から順に変化していくわけではなく、その決定は一周ごとに完全にランダムのようである。
「もう二十周くらいになりますけど、ゴールというか、出口はあるんですかね?」
「落ちてきた穴から飛んで出れば良いじゃろ?」
ラキムの疑問に、さも当然のようにラナが言う。
「え、ラナさん、空を飛ぶスキルがあるんですか?」
「ラナは龍だから呼べるんですよ」
「りゅう?・・・あ、龍か。あはは、それはすごいですね」
「どれ待っておれ。ちと出れるかどうか試してきてやるでの」
そう言ってラナは水面に降り立ち、龍の姿に戻って飛んで行った。
「ぇぇええええええええっ!!」
ラキムは思わず御者台から身を乗り出し、そのまま渓谷に滑り落ちた。
「ら、ラキム君!」
「何やってんだヨ、ほらオイラの尻尾に捕まりナ」
「あ、ありがとうございます。すみません、ラナさんが龍ってあれ、冗談だと思ってて」
「まあ、初めて見るときは驚きますよね」
戻ってきたラナは、無事穴から地上に脱出できたようだった。
いつでも帰れることが分かったので、しばらくは攻略を続けることにする。
テッポウ鮎の塩焼きをおやつに、景色を楽しみながら、ミロは楽しそうに戦う仲間達を見守る。
隠し部屋の発見もダンジョン攻略の醍醐味だ。滝の裏、じっとしていると入れるようになる大岩の中、突進するとすり抜ける壁、冒険者からその存在を隠す仕掛けも面白い。
「ラナ、ちょっとこれ使ってみて」
隠し部屋の宝箱から獲得した魔道具の一つに目を留めたミロは、二重になった腕輪をラナに渡す。
魔力を流すと、ラナの肩のあたりから魔力でできた腕が生えてきた。
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千手の一角
魔力の腕を生み出します。
込める魔力の量に応じて、腕の本数が増加します。
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「魔力をたくさん込めるともっと増やせるんだって」
「ほう、面白いのう」
ラナがさらに魔力を込めると、腕の数は合計で十五になった。
「うわ、ここまで増えるとちょっと気持ち悪いね」
「ヤコに喜ばれそうですね」
「さすがベルベリ。僕もそう思ったんだ」
「これがあれば一度に幾つも飯が食えるの」
「ごめんラナ、これはヤコさんにあげようと思うんだ。それに、一度にたくさん持てるよになっても、食べる口は一つだからね」
ミロは言って、魔道具を<倉庫>に仕舞う。
「それもそうじゃな。では口が増える魔道具でも探してみるかの」
食に貪欲な龍である。
「じゃあそんなラナのために、僕はもう一品、魚料理を作ろうかな」
「あ、僕も手伝わせてください」
攻略はラナ達に任せ、ミロはラキムと<食堂>の厨房に向かった。
「何を作るんですか?」
尋ねるラキムにはソース作りを頼み、ミロは魚のフライを作る。
おろし金でパン粉を作り、切り身に衣を纏わせる。使った魚は、ラナ達が狩ったワナビイワナ。テッポウ鮎よりクセのない、淡白な味の魔物だ。
ソースは、粗みじんにした玉ねぎを<蔵>で1日分酢漬けにし、茹でて潰した卵と一緒にマヨネーズで和える。砂糖と塩、胡椒で味を整え、刻んだパセラン草を加えれば完成である。
「うわ、このソースだけでも美味しいですね」
「タルタルソースっていう名前みたいです」
魚フライにタルタルソースを付けて味見する。ラキムの口からサクッと小気味のいい音がした。
「ミロさん、すごいです!」
「いや、僕はレシピ通りに作っただけなので」
仲間達にも大変好評で、ハッチは早速パンに挟んで食べ始めた。スライストマトと葉野菜を挟んでやると、一層うまいと、震えながら喜び、
「パン同盟の会議のお時間をしてくる!」
その感動のまま、転移扉の奥へと消えていった。新作パンをヴォルフ達にも食べさせたいらしい。
「ミロの言う通り、塩焼きもフライも酒にも合うの!」
ラナはフライをつまみに、いつの間にか酒を作り出していた。
「おいラキム、おぬしも飲むか?」
「お酒は飲んだことありませんので」
「そうかそうか。初めて飲むのが妾の酒とは、なんとも幸運なやつめ!」
やんわり断ったつもりだったが、ラナは杯になみなみと酒を注ぎ、ラキムに渡した。
お手本とばかりに自らの杯を空け、さあさあ、とラキムに勧める。
「ラキム君、無理しなくていいですからね?」
「じゃあ、少しだけ、いただきます。・・・あ、意外と美味しいかも」
「ヒヒヒっ!よきかな、よきかな。呑み仲間が増えるのはいいことじゃ!」
何気ない仲間という響きに、ラキムの胸が小さく弾んだ。
「なア、マスター」
「あ、ごめんプトラ。魚フライ持って行くね」
フライを皿に移して持って行くと、そうじゃなくて、とプトラは空を見上げていた。
その視線の先、大穴から落ちてくる小さな点が見える。
「鳥・・・かな」
「いヤ、あれ多分ヒト族だゼ?」
「え、人が?助けなきゃ!プトラお願い!」
あいヨ!とプトラは返事をして、飛沫を上げながら渓谷を爆走する。直線距離より遠回りになるが、コース上を走る方が障害物が少ない。
近づくにつれ点は大きくなり、人の輪郭を成していく。ミロは目を凝らした。
「・・・女の子!?」
それは若草色の髪の少女だった。




