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第3話 距離ガバ、近藤さん

 ハスキーボイスの怒ったような声が、インカムを通して、流れていた。

「静岡県の通勤渋滞、エグいな!」

 そのハスキーボイスの持ち主は、カワサキのライムグリーンのバイク、エリミネーター400にまたがり、先頭を走っていたが、その先は通勤渋滞で詰まっていた。

 加藤さん、私、山本の順で続く。


「仕方ないっすよ。今日、平日ですから」

「ですね」

「マジで渋滞嫌い! 燃費が落ちるだろーが」


 話は、数日前に遡《さかのぼ》る。


 6月に入った、とある平日。昼休憩中の社内の喫煙室。

 昼食を終えると、毎日のルーティーンのように、私と加藤さんはここにタバコを吸いに来る。

 昨今、建物内で喫煙をすること自体が難しくなっているが、ここは会社の中。飲食店などとは違い、規制が緩いのか、まだ社内にはきちんとした喫煙室があった。


 ここで私たちは、普段滅多に見かけない人に遭遇する。

「おう、お疲れー」

 おっさんのような態度で入ってきたのは、背中までかかる黒髪ストレートのロングヘアーが美しい、加藤さんに負けないくらいの長身の女性だった。


「近藤さん。珍しいですね」

 近藤瑠奈(るな)。彼女は、PL、いわゆるプロジェクト・リーダーという立場で、中間管理職に近い。年齢は私と加藤さんより2つ上の28歳。その若さでPLになるのだから彼女はなかなか優秀だった。

 部署が私と同じなので、私にとっては直属の上司に当たり、別部署の加藤さんにとっても、顔見知りだった。


「お疲れ様です、近藤さん」

「お疲れ様です」


 近藤さんは、加藤さんと同じく、今時珍しい紙タバコに火をつけて口にくわえた。しかも、そのタール量は、加藤さんが吸っている3ミリよりも強い、10ミリのタバコだった。

 近藤さんは、プロジェクト・リーダーという立場上、仕事が私たちより忙しいから、ここでは滅多に遭遇しないのだ。


 そして、その近藤さんが唐突に口にしたことから、この無謀なツーリングがスタートした。

「お前ら、バイクで一緒にツーリングしてるらしいな」

「ええ、まあ」

(何で知ってるの?)

 と私は思ったが、彼女の情報ネットワークは、意外なところで強いらしい。


「何で私を誘わない? そんな面白そうなこと、私も混ぜろ」

 強引に提案してきたのだった。


 曰く。

 次の金曜日は、有休を使って休むから、お前らも一緒に休め、ということらしい。

 近年、1年に最低でも5日は、有休を使え、と上からお達しが来るらしく、彼女は天気がいいという予報の、次の金曜日に有休を取ってツーリングに行くことを提案。

 しかも、泊まりがけで行くらしい。


 私と加藤さんは、近藤さんがバイクに乗っているのを知っていたが、彼女は多忙なので、遠慮して避けていたのだ。


 そして、近藤さんから提案、というか強引に決められた行き先が。

「えっ。伊勢《いせ》神宮ですか?」

「そう、伊勢神宮」


「遠いですね」

「遠いですよ」

 加藤さんと私の声が被《かぶ》っていた。


「何、バイクがあればどこでも行けるさ。軽く伊勢神宮に行って、一泊して帰るぞ。ちなみに、金がもったいないから下道な」

「下道? マジっすか?」

「東京から下道ですか?」

(軽く行く距離じゃない)

 と思いながらも、私は逆らえずにいた。彼女は、実は怒ると怖いのだ。


「国1(こくいち)は途中からバイパスになってるから、問題ないだろ」

 ということで、あっさり決まって、金曜日に3人でツーリングに行くことが決定。


 泊まる場所は、一応、提案者の近藤さんがネットから宿を予約してくれた。そこはいいのだが、結局、私と加藤さんと近藤さんは、揃って同じ日に有給を使うことになり、後から同僚社員にどこに行ったかを聞かれたのだった。


 国道1号、午前8時。静岡県富士市。

 これだけの条件が整うと、遭遇するのが平日の朝の通勤渋滞だ。


 国道1号は、東京から京都を通過し、大阪まで行く、日本の国道の大動脈だが、静岡県にはいくつか渋滞ポイントがある。


 沼津市江原公園交差点、富士市宮島東交差点、静岡市清水区庵原(いはら)交差点、静岡市葵区長沼交差点、藤枝《ふじえだ》市薮田(やぶた)東インターチェンジ、浜松市南区石原町交差点などだ。

 私たちは、そのうち富士市の中心街の渋滞にハマっていた。


 私たちは、早朝の午前5時に、横浜市にある、国道1号添いのコンビニで待ち合わせをして、出発。ちなみに、近藤さんは東京都の西、多摩地区の立川市に住んでいる。

 横浜市のコンビニで待ち合わせをし、国道246号で御殿場を経由し、西に向かったのだが、再び国道1号に入ってしばらくして。

「エグいな、国1渋滞。さっさと抜けるぞ」

 言った後、エリミネーターに乗る近藤さんは、すり抜けを開始。


 普段はすり抜けを滅多にしない、加藤さんも渋々ながらも続き、私も続いた。


 結局、静岡市の渋滞を抜けて、バイパスに入り、静岡市から浜松市へと抜けて、愛知県の豊橋《とよはし》市に入った頃には、昼近くになっていた。


 ここで、コンビニで休憩していると。

「この先は、名古屋の都市高速か。ダルいな。船使うか」

 唐突に近藤さんが口に出した。


 この人は、ある意味、いつも唐突に決めてしまう、謎の行動力と判断力があった。地図アプリの距離と渋滞具合を考慮して、当初のルートを柔軟に変えたのだ。

「船って、どうするんですか?」

「知らんのか、加藤。伊良湖《いらご》岬から三重県の鳥羽《とば》まで、伊勢湾フェリーで行ける」

「なるほど。まあ、名古屋をぐるっと回るより、フェリーの方が休めますもんね」


「その通りだ。朝、早かったから、休憩にもちょうどいいだろ。決まったらさっさと行くぞ」

 そのまま、さっさとタバコを吸い終えて、彼女はバイクにまたがった。


 豊橋市から、渥美《あつみ》半島を駆け抜けるが、ここは都市部から離れているので、基本的に混まなくて快適だ。


 伊良湖岬に着いた頃には、昼の12時半を回っていた。

 フェリーは12時に出航しており、次のフェリーは13時40分発だった。

「飯、食うぞ」

 相変わらず強引というか、決断力が早い近藤さんが中心になって、フェリー乗り場に併設されているレストランに入る。


 ここで、伊勢うどんを食べながらも、彼女は疲れた様子を見せずに、地図アプリを開いていた。

「この先、どうするんすか?」

「ああ、鳥羽からは、パールロードって道を走って、伊勢神宮に行って、酒買って宿だ」

「元気ですねえ」

 ここまですでに出発から軽く300キロは走っているが、近藤さんは全然疲れた様子を見せていなかった。


「当たり前だろ。私にとって、バイクは仕事で疲れた、ストレス発散の目的もあるんだ。1日1000キロくらい走ったこともある。このくらい余裕だ」

「1000キロ! すごすぎます」

「相変わらず、距離ガバっすね、近藤さん」

 どうやら、彼女はこのエリミネーターで1日1000キロを走ったことがあるようで、聞いてみると、今までソロで1日で走った最高距離は1050キロ。

 東京から青森まで行って、津軽半島を一周したそうだ。ある意味、体力お化けだった。


 ちなみに、一般的には、ライダーが1日に走る最適なツーリング距離は、おおむね300キロ程度と言われており、慣れている人でも400キロ程度。1000キロは、その3倍以上の距離だ。


 結局、フェリーに乗ってから、加藤さんと近藤さんは、横になってしまいぐっすり眠っていた。

 近藤さんの場合、加藤さんとは違い、早朝に起きて眠いというより、


「長距離走る時は、疲れを感じる前に、休める時は休むんだ」

 だそうで、ある意味、非常に理にかなっていた。


 鳥羽からは、近藤さんの先導で、パールロードへ。ここは、海沿いの道で、海を眺めながら走れる快走路だった。


 伊勢神宮に着いた時は、すでに15時半を回っていた。

 ここは、内宮《ないくう》と外宮《げくう》に分かれていて、どっちも回るのが、ご利益があるらしい。


 しっかり回った後、近藤さんはというと。

「よっしゃ、キタコレ!」

 伊勢神宮前の参道兼買い物スポットともいえる、「おかげ横丁」の土産屋に入り、伊勢の地酒を手に取って、喜んで購入。ついでにつまみとして、伊勢名物の「赤福《あかふく》」を買っていた。


 後は、宿に向かったのだが。

 ある意味、そこからが近藤さんの本領発揮だった。

「よし、飲むぞ!」

 この人は、実は元・ヤンキーらしい。というより、元・暴走族のレディースだったらしい。らしい、というのは明確ではないが、社内の誰かが彼女の昔の写真を見たそうで、そこにはばっちり特攻服のような紫色の派手な服を着て、金髪に染めて、旧車のバイクにまたがっている近藤さんがいたそうだ。


 私たちは、怖いから彼女に直接確かめてはいなかったが、確かに姉御肌《あねごはだ》のさっぱりしたところはある人だった。

 そして、近藤さんは、酒が入ると、絡み上戸になる。


「相変わらず可愛いなあ、山本は」

「こっちはこっちで、美人だなあ。触らせろ」

 どこのセクハラおっさんかと思うくらい、私たちに絡んできた。


 しかし、酒には強いようで、買ってきた一升瓶の地酒を空にして、さらに別で買っていたビールもウィスキーも飲んでいた。

 結局、1日450キロくらいは走って、私たちの酒盛りは深夜まで続くのだった。


 季節は6月。すでに暑くなってきており、ライダースジャケットを着るのがツラくなってくる季節になっていた。

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