第2話 加藤さんの渋滞回避術
5月初めのゴールデンウィーク。
私たちの仕事は、基本的にカレンダー通りなので、大型連休に入る。
私は、ちょうどどこかにバイクで遊びに行こうと思い、会社用ではなく、個人的に聞いた、加藤さんのメッセンジャーアプリにメッセージを送った。
―どこかに走りに行かない?―
と。
メッセージはすぐに既読になったが、返信はやや遅れてから返ってきた。
―いいぜ―
相変わらず男の子のような返信だった。
―場所は、そうだね。箱根なんてどう? 今の時期なら気持ちいいよ―
と、私が勧めたのは、首都圏から日帰りで行ける、近場の有名観光地、箱根だった。
しかし、加藤さんは、あまり乗り気ではない様子で、
―箱根か……。あそこ、混むんだよな―
と返ってきた。
―まあ、それはしょうがないんじゃない? 連休だし、どこも混むだろうし―
ややあってから、彼女から返ってきた反応は、私の予想を上回るものだった。
―よし、早朝に出発しよう―
―早朝って、何時?—
―5時だ―
―5時!—
この時期の東京の日の出は、4時50分頃。つまり、「夜明け直後」になる。
しかし、加藤さんの常識は、ある意味で「非常識」だった。
―5時に、東名の海老名サービスエリアで。じゃ―
―えっ、待ってよ、加藤さん―
返信はそれっきりで、私が追加でメッセージを送っても、既読にもならず、当然返事も返ってこなかった。
(マジか。これは朝、3時起きか)
ようやく私は、加藤さんが「変人」で「非常識」であると知ることになる。
恐らく「渋滞嫌い」な彼女のことだ。渋滞を回避するために、早朝に行くのだろうけど、それにしても早すぎる。
仕方がないので、私は前日に、いつもだとありえない、21時頃に布団に入ったが。
(眠れない)
そりゃ、そうだ。と思うのだが、私は普段は遅くまで起きていて、深夜0時から1時、遅いと2時頃まで起きている、ある意味、「夜型」の私には、この時間に寝るのが大変だった。
仕方がないので、風呂に入り、少しだけ寝酒を煽り、何とか22時には就寝。
起きたのは、午前3時。
やはりあまり眠れなかった。というより、あまり眠った気がしなかった。
眠い目をこすりながら、私はシャワーに入り、コンタクトを入れて、出発の準備をする。
考えてみれば、千葉に住んでいる加藤さんは、ウチよりも遠いから、午前3時に起きても間に合わない。恐らく2時台には起きているだろう。
一体どういう感覚の持ち主か、と思った。
そして、何とか準備をして、午前4時前に私は自宅を出発し、高速道路に乗った。
さすがにこの時間帯は、トラックくらいしかいなくて、道は空いている。そして、「深夜割引」が効く時間であることを私は、後に知ることになる。
午前4時50分頃。
神奈川県の海老名サービスエリアに到着。
当然ながら、まだほとんどバイクの姿はなかったが、すでに駐輪場に、赤と黒の目立つバイク、CBR650Rの姿があった。
「もう来てたんだ」
彼女の姿はなかったが、予想はつく。
私の足は、喫煙所に向かった。
そこで、薄暗い中、一人紙タバコを吸って、紫煙を朝の空に向けて吐いている、長身の女性がいた。加藤さんだ。
「おはよう。早いね、加藤さん」
「ああ、おはよう。まあ、私は遠いから、かなり前に出たしな」
「何時に出たの?」
「3時半くらいかな」
「3時半! アホなの?」
私は、ポケットから、電子タバコの筒を取り出し、タバコをセットし、口に含む。
「まあ、この時間帯じゃないと、箱根の混雑は避けられないしな。じゃあ、さっさと行くぞ」
勝手に紙タバコの先端を揉み消した彼女。
「待って、まだ私、吸い終わってない」
電子タバコは、紙タバコと違って、1本吸い終わるまでの時間が長い。
「早くしろ。私は準備をしてくる」
加藤さんは素早く喫煙所を出て、さっさと自分のバイクに向かって歩き出していた。
自由人というか、自分勝手というか、やはり加藤さんは少し「変わって」いたのだ。
なお、ツーリング自体は、確かに彼女の言う通りだった。
海老名サービスエリアから、東名高速道路に入り、すぐに小田原厚木道路に入る。後は真っ直ぐに進み、いわゆる「箱根新道」と呼ばれる、バイパスのような国道1号に入る。
そこからは登り坂になるが、旧道の国道1号よりは、曲がりくねっていないので、走りやすい。
結局、連休の混雑や渋滞とは無縁のまま、早朝の箱根峠に着いてしまった。
時間的には、まだ朝の6時だった。
そして、
「ふう。やっぱり早朝の山の空気は美味いな」
と、山登りの人みたいなことを言いながら、道の駅箱根峠で、加藤さんはタバコを吸いながら、目の前に広がる、雄大な新緑の森と芦ノ湖を眺めるのだった。
「さすがに早すぎじゃない? まだどこもやってないし。これからどうするの?」
とりあえず聞いてみた。
私は、確かに「箱根に行きたい」と言ったが、正直あまりプランを考えていなかった。というより、午前5時に待ち合わせという時点で、箱根をどう回るかというプラン自体が既に崩れていたのだ。
当然ながら、店なんてどこもやってないし、昼食を箱根で食べようという計画から崩れていた。
「箱根を適当に回って、後は混まない西伊豆に逃げて適当に走る」
「なるほど。まあ、いいか。じゃあ、任せるよ」
と、言ったのが失敗だったと、後に後悔することになる。
自由人で、変わっている加藤さんは、ほとんど休憩をしないまま、「走りまくった」のだ。
芦ノ湖を一周する芦ノ湖スカイラインを1周し、国道1号を降りて、静岡県に入り、沼津の市街地を抜けて、2時間も休憩なしで突っ切り、気が付くと、沼津市の海沿いのコンビニにいた。
「疲れたー。加藤さん、2時間走りっ放しはキツいよ」
「1時間に1回休憩なんて、タルいことはしたくないんだ。それと、ダラダラしてると混むだろ」
ライダーは、おおむね1時間に1回程度の休憩を推奨される。それは車よりも運転自体に神経を使い、疲れるからだ。
しかし、そんな常識は彼女には通用しなかった。
時刻は、それでもまだ8時半前。
コンビニしかやっていない状況だった。
その後は、西伊豆の海沿いの、交通量が少ない、観光地とも言えないような場所を走り、昼頃に再び西伊豆に戻ってきて、適当に昼食。
そのまま、箱根に戻る加藤さんだったが、インカムからは、
「眠い。日帰り温泉に行くぞ」
という、加藤さんの眠そうな声が響いてきた。
「そりゃ、朝の3時半に出発したら、眠いでしょ。何時に起きたの?」
「2時半」
「それ、もう深夜だよ」
「とりあえず、眠いからさっさと温泉に行くぞ」
ということで、加藤さんが先導する形で、箱根から往路とは逆方向の、国道138号に入り、乙女峠を越えて、再び静岡県に入り、峠の途中にある、日帰り温泉に到着。
そこから先は、早かった。
加藤さんは、さっさと温泉に入って、さっさと出てしまい、気が付くと、休憩所で寝ていた。
周りには、ゴールデンウィークの連休を狙ってきた、家族連れが多く、子供たちの明るい声が響いていたが、彼女はというと。
「爆睡してるし」
周囲がうるさいにも関わらず、彼女は寝息を立てて、完全に爆睡していた。
しかも、なかなか起きない。
さすがに起こすのも申し訳ないので、放っておくと、いつの間にか夜になっていた。
さすがに夜になって、彼女はむっくりと起きてきて、二人で施設内のレストランで晩飯を食べる。
そして、加藤さんの目は、スマホの地図アプリに行く。
「やっぱり混んでる?」
箸を動かしながら問うと、彼女は頷いた。
「ああ。というか、激混みだ。大和トンネルで大渋滞だ」
大和トンネル。中央道では、小仏トンネルが渋滞ポイントだが、東名の場合は、この大和トンネル付近が毎週末になると、渋滞する。小仏トンネル同様、20キロや30キロの渋滞はザラだ。
晩飯を平らげた後。
「じゃ、閉店間際に起こしてくれ」
と、言ったまま、加藤さんは再び休憩室で横になっていた。
「え、マジで」
また寝ていた。
寝つきがいいのは子供みたいで、羨ましいが、それにしてもよく寝る人だった。
ちなみに、ここの施設の閉店時間は21時。田舎なので、少し早いのだ。
仕方がないので、私はスマホで漫画を読んで時間を潰す。というより、私もさすがに眠くなって少しだが、寝ていた。
20時50分頃。
私は閉店のアナウンスが流れた20時30分頃に起きたが、すでに、閉店のアナウンスが流れてからだいぶ経つのに、加藤さんは全然起きなかった。
仕方がないので、彼女を起こす。体をゆっくりさすりながら、声をかけると。
「ん、何時だ?」
「20時50分。閉店10分前だよ」
すでに、館内には私たち以外の人影がほとんどいなかった。
「よし、行くか」
ぐっすり寝たためか、彼女はすっかり元気になっていた。
結局、この日帰り温泉施設を出発したのは、21時頃。
ここは峠の途中にあるから、さすがに辺りは真っ暗だった。
ここから、東名道の一番近いインターチェンジ、御殿場インターチェンジまでは10分もかからない。
すでに深夜と言っていい時間に、ようやく私たちは高速道路に乗るが。
「まだ、混んでやがる。足柄サービスエリアに寄って行くぞ」
「まあ、いいけど」
もうどうにでもなれ、という気持ちで、彼女に任せることにした私。
足柄サービスエリアの喫煙所で、またも地図アプリを眺める彼女。紫煙を吐きながら、
「まだちょっと混んでやがるな」
と、毒づくように呟いていた。
「加藤さん。本当に渋滞が嫌いなんだね」
「当たり前だ。大体、バイクにとって、渋滞ほど嫌な物はない。低速すぎてバランスが悪くなってコケる可能性があるし、燃費は悪くなるし、何よりも走っててつまらないだろ」
スクーターに乗っている私にとっては、「渋滞」というのは、「すり抜ければ問題がない」ため、この感覚はいまいちわからないのだが、大型バイクに乗る彼女が、最も重要視するポイントが、この「渋滞」にあることはわかった。
結局、22時頃まで粘って、出発。私は23時半頃に帰宅したが、千葉に住んでいる加藤さんが帰宅したのは、日付を回った午前0時半頃だったそうだ。
加藤さんの渋滞回避術は、極端だった。




