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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
95/140

95:大切に育てられた花は美しい

 聖子の部屋でのレッスンを終え、昼下がりの陽射しが柔らかく降り注ぐ中、鷹宮あかりは花壇に向かっていた。

 寮の裏手にある花壇にしゃがみこみ、じょうろを傾けた。水のしずくがキラキラと太陽の光にきらめきながら、咲き誇る花々の葉を伝い、土に吸い込まれていく。チューリップ、パンジー、マーガレット。それぞれが競うように彩りを放っている。

 あかりはふと、じょうろを置き、額の汗をぬぐった。

 そのとき。


 「……いい顔してるわね」


 振り返ると、そこに立っていたのは――如月玲奈。

 午後の光の中、白いパンツスーツに身を包んだ玲奈は、まるでステージのスポットライトを浴びているかのようにまぶしかった。凛とした眼差しを向けながら、玲奈は歩み寄ってくる。


 「お疲れさま。お花の世話、ずいぶん丁寧にやってくれているのね」


 「はい。私、この花壇が好きで。ここ、春になると、いちばん元気なんです」


 「ふふっ、あかりらしいわ」


 玲奈はあかりの隣にしゃがみ、土の香りに顔を近づけた。


 「アルバイト……劇団ではどうだった? 一日中、裏側での仕事だったでしょう?」


 あかりは一瞬、返事に迷い、でもすぐに笑顔を浮かべた。


 「……すごく大変でした。でも、それ以上に、楽しかったです」


 「どんなことが楽しかった?」


 「お客様の顔を見たときです。ロビーでグッズを買ってる人たちや、パンフレットを手にして開演を待ってる人たちが、本当に嬉しそうで……。ステージに立つ人だけじゃなくて、劇団全体が夢をつくってるんだって、感じました」


 玲奈は黙ってうなずいた。


 「それに、私……改めて思ったんです」


 「何を?」


 あかりは空を仰いで、ゆっくりと息を吸い込んだ。


 「私も、夢を届ける舞台人になりたい。観ている人の心に、キラキラとか、わくわくとか、何か希望みたいなものが残るような……そんな舞台をつくれる人に」


 玲奈の目が少し潤んだように見えたが、すぐに優しく目を細めて、そっとあかりの頭を撫でた。


 「その気持ち、忘れないで。光を届けたいって思う人にしか、本当の光は宿らない。あかり、あなたはいい舞台人になるわ」


 「ありがとうございます」


 玲奈は立ち上がり、足元の花に目を落とした。


 「この花壇も、あなたみたいね」


 「え?」


 「根を張って、水を吸って、陽を浴びて、やがて咲く、誰かの心を癒す花。どんな花が咲くか、今はまだ誰にもわからないけれど、大切に育てられたその花はきっと美しく咲くわ」


 あかりは何も言えず、ただじっと花壇を見つめた。


 玲奈が歩き出す気配を感じて、あかりも立ち上がろうとしたそのときだった。

 

 「春休み、もうすぐ終わるわね」


 玲奈の声が背中越しに届いた。あかりははっとして立ち上がり、少し戸惑いながらも小さくうなずいた。


 「はい……あっという間でした」


 「新学期の準備は、できている?」


 その問いかけは柔らかだったが、どこかに鋭い眼差しが潜んでいるようでもあった。

 あかりは思わず、手のひらを見下ろした。澪とエリカと3人で汗を流した春休みの日々。聖子とのレッスンで涙を流した心。それらが、ほんの少しだけ、自分を強くしてくれた気がした。


 「……少しは、自信がつきました。でも、もっと頑張らないとって、思っています」


 玲奈は振り返らず、わずかに顔を横に向けた。


 「そのもっとが、大事よ」


 「……?」


 「もっと上に行きたいと思うなら、まずは――苦手をなくしなさい。演技でも、ダンスでも、歌でも。あなたが避けていることは、誰かが武器にしている」


 その言葉に、あかりの胸がどくんと鳴った。図星だった。自分の中にまだ拭いきれない弱点――それを、ずっと目を逸らしてきたことを、玲奈には見透かされている。


 「できることだけで戦おうとしないこと。できないことに挑む覚悟が、あなたの可能性を広げるのよ」


 玲奈は足を止め、ゆっくりと振り返った。


 「もうすぐ、2年生になるわね」


 「はい」


 「2年になれば、配役争いはもっと熾烈になる。友達だと思っていた子が、突然ライバルになることだってある。舞台の上では、“実力”がすべて。情や過去の努力じゃ、役は勝ち取れない」


 あかりは何も言えず、ただ静かにその言葉を受け止めていた。


 「この春休みが……おそらく、あなたがのんびり過ごせる最後の時間よ」


 玲奈はそう言い残すと、もう一度歩き出した。だが、数歩進んだところでふと立ち止まり、再びあかりの方へ視線を向けた。


 「それでもあなたが、この道を選び続けるなら……きっと、次の花を咲かせられるわ。諦めないで」


 微笑みとともに残されたその言葉は、やさしい風のようにあかりの胸に沁み渡った。

 玲奈の姿が講師棟の陰に消えたあとも、あかりはしばらく動けなかった。風に揺れる花の向こうで、自分の中にもなにかが静かに芽吹いている――そんな予感だけが、確かに残っていた。


 ――この夢を、きっと咲かせる。


 あかりは心の中で、静かにそう誓った。

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