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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
66/140

66:右京に足りないもの

 特別選抜に選ばれたあかりは、朝から夕方までは通常の授業、放課後は選抜レッスンと、慌ただしい日々を過ごしていた。

 それでも、身体の疲れとは裏腹に、心の奥底には確かな手ごたえが芽生え始めていた。


 バレエでは足の運びが滑らかになり、日舞では扇の角度ひとつまで意識できるようになった。

 声楽では霧島要から教わった発声法が身につき、演技では玲奈の鋭い指導のもと、感情を役へと落とし込めるようになってきた。


 「私、少しずつだけど……変わってきてるかもしれない」


 そんな小さな実感が、あかりの中に灯をともしていた。


**


 ある夜、夕食を終えたあかりたちは、寮の談話室でくつろいでいた。

 柔らかな照明のもと、ソファや椅子に腰をかけた数人の1年生たちが、お菓子とお茶を囲みながら談笑する。

 その中で、ひとりがふと話題を切り出す。


 「そういえば、2年生の卒業公演、演目決まったらしいよ。『エデンの東』なんだって」


「えっ、あの有名な?」

 

 「うん。主役のケイレブを嶺山奏先輩がやるんだって」


 談話室の空気が、一気にざわめきに変わった。


 「え? ケイレブって、てっきり芦原右京先輩かと……成績トップだし」


 「それが違うらしいの。エイブラ役が御堂しずく先輩で、ケイレブは嶺山先輩」


 「なにそれ、どういうこと?」


 思い思いの声が飛び交う中、さらがこっそり言った。


 「やっぱり、劇団が嶺山先輩を推してるんじゃない?」


 「え〜、でも右京先輩って、めちゃくちゃ舞台映えするじゃん。しかも、いつも成績1位でしょ?」


 「でも、主役って毎回同じ人がやるわけじゃないから。芦原先輩はこれまで何度か主役やってるし、今回はバランス”見たのかも」


 会話に加わっていたゆらが、静かに言葉を挟んだ。


 「……単純に、成績順で配役されるわけじゃないんだと思う」


 一瞬、場が静かになった。

 ゆらは、湯のみをそっと置き、続けた。


 「舞台に立つってことは、実力ももちろん大事だけど……それだけじゃない。運や、タイミング、それから……美しさも。舞台でどう“光るか”ってことじゃないかな」


 あかりも、そっと頷いた。

 舞台の上で何が真実になるかは、成績や努力だけで割り切れるものではない。

 どれだけその役とひとつになれるか、どれだけ観客の心に届くか。

 そんな、掴みどころのない“何か”が必要なのだ。


 「なんか……舞台って、ほんとに奥が深いんだね」


 澪がぽつりと呟いた。

 その横顔は、いつもより少しだけ遠くを見つめているようだった。


**


 談話室の外、渡り廊下から見える中庭の方では、2年生たちが遅くまで稽古をしていた。

 暗がりにぼんやりと灯る稽古場の窓からは、鋭く伸びた声が聞こえる。


 「嶺山奏先輩、やっぱりすごい迫力……」


 「でも、御堂しずく先輩のエイブラも気迫がすごいよ。冷たいのに、どこか哀しさがあって……」


 1年生たちは、2年生の背中を見つめながら、

 それぞれが自分の「次の舞台」を想像していた。


 “あの場所に、立ちたい。”


 小さな憧れと、少しの焦りが胸の奥にじわじわと広がる。

 やがて、あかりは静かに立ち上がった。


 「私、もうちょっと練習してくる」


 澪がすぐに立ち上がり、何も言わずに後を追う。

 談話室に残ったさらが微笑んで言った。


 「……うん、がんばらなきゃね。私たちも」


 それぞれの想いが、確実に次の舞台へと向かって動き始めていた。



***


【専門学校・教室】

 卒業公演『エデンの東』の舞台稽古が終わった後、稽古場の照明が落ちる頃、芦原右京は一人、舞台中央に立ち尽くしていた。


 ――主役は、自分ではなかった。


 決して演技力が劣っていたわけではない。

 バレエ、日舞、声楽、どの科目も、すべてトップの成績を収めてきた。

 講師陣の信頼も厚く、後輩からも憧れられている。


 だが、「主役」は与えられなかった。


 それが意味するものが、右京には痛いほどわかっていた。


 舞台の上で「男役」として最も輝く存在――それが「スター」。


 そして、男役スターにとって絶対に必要とされるもの。

 それは、顔――その輪郭、その目、その鼻、その光。


 「……私は、何かが足りないんですね」


 静かに呟いたその声に、背後からもう一つの声が重なる。


 「足りないのは、確信じゃないかしら?」


 右京が振り返ると、薄暗い客席の通路から、如月玲奈が静かに歩いてくるのが見えた。


 「如月先生……」


 玲奈は照明の消えかけた舞台を見渡しながら、ゆっくりと歩を進める。


 「芦原。あなたの踊り、台詞回し、声の響き。どれも完璧よ。欠けているものなんて、なにもない」


 「……でも、顔が……」


 右京の声は、いつになく弱々しかった。


 「私は奏ほどの整った顔立ちじゃありません。ポスターや舞台写真に並んだとき、自分だけが浮いて見える。……そんなことばかり、考えてしまうんです」


 玲奈は舞台の端まで歩み寄り、そっと舞台の床に触れるようにしてしゃがみこむ。

 そして、顔を上げて言った。


 「舞台は写真じゃないわ。動いて、話して、息をして、生きる場所よ。写真で並べたときに誰が映えるかなんて、スターの本質とは違う」


 右京は思わず言葉を失った。

 玲奈の目は、どこまでも真っ直ぐだった。

 あの天翔歌劇団の舞台で、何百、何千というスポットライトを浴びた元トップスターのまなざしだった。


 「あなたには、光があるわ。自分で自分の輝きを疑わないで。……あなた自身が、私はこの舞台で誰よりも生きてると確信できたとき、その光は誰の目にも見えるのよ」


 「……でも、現実には、顔で選ばれることもあるでしょう?」


 右京の声はまだ少し震えていた。

 玲奈は立ち上がり、静かに頷いた。


 「ええ、現実には、ね。でも、顔は武器になっても、心を越えることはない。それに、あなたは顔が劣ってるなんて言ってるけど、私はそう思わない」


 「え……?」


 「美しさは、造形の美だけじゃない。気高さ、姿勢、まなざし……。あなたの凛とした気配、それは多くの舞台人には真似できないわ」


 玲奈の声には、一切の感傷も、甘やかしもなかった。

 ただ、一人の舞台人として、同じ世界で生きてきた者の重みだけがあった。

 右京は目を伏せたまま、ふっと息を吐いた。


 「……ありがとうございます、先生」


 玲奈はそれ以上多くを語らず、ゆっくりと踵を返した。

 客席へと降りる階段に差しかかったところで、右京がぽつりと問いかけた。


 「……先生。私に、スターの可能性はありますか?」


 一瞬の沈黙のあと、玲奈は振り返らずに答えた。


 「それを信じられる人にだけ、可能性はあるのよ。右京さん」


 静寂が、舞台を包んだ。

 そしてその中で、右京の心に小さな炎がともる。

 ――自分の光を、信じてみよう。

 まだ小さな灯だが、それでも確かに、そこにあった。


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