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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
45/140

45:中間試験1

 目覚まし時計のベルが、いつもより少し鋭く耳に刺さった。

 鷹宮あかりは、ベッドの中で小さく身体を丸めたまま、それをしばらく眺めていた。


 (……いよいよ今日か)


 この1週間、あれほど練習したはずなのに、気持ちは不安定なままだった。

 それに、昨日の深夜の講師棟、宝生聖子の部屋での甘やかな時間。それもまた、今の自分を形作るひとつの断片であることに、まだ気持ちが追いついていない。


 「おはよう、あかり」


 向かいのベッドから、綾小路澪の澄んだ声が届く。

 カーテン越しに差し込む朝の光が、澪の銀の髪にやわらかく触れていた。

 寝起きにもかかわらず、どこか神聖な気配をまとったその姿に、あかりは少しだけ胸がざわついた。


 「うん、おはよう、澪」


 あかりはいつものように笑って答えたが、昨夜の夢の余韻と、今日という特別な日の緊張が、声に微かな揺れを残していた。


 「準備、できたら行こう。朝食はしっかり食べておいたほうがいい」


 「うん、そうだね」


 ふたりは制服に袖を通し、寮の食堂へと向かった。


**


 朝の食堂は、いつもより静かだった。

 パンの焼ける匂いと、スープの湯気が満ちた空間に、試験前の緊張感がうっすらと漂っている。

 あかりと澪は、いつもの席に着くと、ほどなくして橘颯真、結城さら、水瀬大河、一ノ瀬ゆらたちも合流した。


 「……いよいよだね」


 さらが口を開くと、皆がうなずいた。


 「バレエに日舞に声楽に演技。やっぱり緊張するなぁ……」


 大河が冗談まじりに肩をすくめる。


 「でも、ここまでやってきたじゃん。自信持とうよ」


 あかりが明るく言うと、さらが目を細めて微笑んだ。


 「うん。私、あかりの頑張ってる姿にすごく励まされたんだ」


 「え……ありがとう。うれしいよ」


 あかりは少し照れくさそうに笑い、澪のほうを見た。

 澪は静かにスプーンを口に運んでいたが、その目はどこか遠くを見ているようだった。


 「やっぱりトップはエリカなんだろうなあ」


 大河が苦笑まじりにぼそっと言う。

 その言葉に、あかりは首を振る。


 「誰だって一生懸命頑張ってる。誰が上でも、私たちは私たちなりにやろう。……ね?」


 その言葉に、周囲の空気が少しだけ明るくなった。

 さらも、ゆらも、そして颯真も――それぞれの瞳に静かな火を灯していた。



***


【中間試験 ・第一科目:バレエ】


 試験用に冷やされた講堂の床に、バレエシューズの音だけが響いていた。

 空調の音さえ吸い込まれそうな沈黙のなか、生徒たちはひとりずつ順番に中央へと進み、決められた課題を踊っていく。

 鷹宮あかりは、緊張で手のひらに汗が滲むのを感じながら、自分の出番を待っていた。


 (大丈夫、大丈夫……練習してきた。昨日も、大河と一緒に……)


 そう言い聞かせても、喉は乾き、心臓の鼓動が耳の奥で騒いでいた。


 「次、紫堂さん」


 講師の声に、あかりは思わずそちらを見た。

 エリカが静かに立ち上がり、舞台中央に進む。

 その動きすら、まるで指先まで設計されたような無駄のない美しさだった。

 演目は短くても内容は濃い。ターン、ポーズ、アラベスク――

 彼女の動きには一切の迷いがなく、まさにカウントぴったりで空間を支配していく。

 講師たちがメモを取りながら、時折うなずくのが視界の端に見えた。


 (やっぱり……すごい)


 あかりは、その完璧さに息を呑む。

 悔しいけれど、尊敬もしていた。


 「次、綾小路さん」


 呼ばれた名前に、空気がまた少し変わる。

 澪が静かに立ち上がり、中央に進むと、その瞬間――

 空間に凜とした緊張感が生まれた。

 長い手足、揺るがぬ軸、そして彫刻のように整った顔立ちが、ポジションに立つだけで観る者を引き込む。


 動き始めた途端、それは“踊り”というよりも**一篇の詩のよう**だった。

 重力すら忘れたような軽やかな跳躍。流れるような腕の軌道。

 どの角度から見ても隙がない、美しさの塊だった。

 講師のひとりが、ペンを置いてただ見入っていた。


 (……やっぱり、澪は……すごいな)


 その美しさに心を奪われながらも、あかりはふと、自分が“その澪と同じ舞台に立っている”という事実に、奇妙な感動を覚えた。


 「次、鷹宮さん」


 肩をすくめるほどの緊張が押し寄せる。

 あかりは深呼吸をしてから立ち上がり、震える膝に力を込めて、舞台中央へと進んだ。


 (大丈夫、大丈夫……落ち着いて)


 音楽が流れ出す。

 その瞬間、自分の呼吸と心音が急に遠くなったように感じた。

 初めのポーズ――うまく決まった。

 腕を上げる角度、足のポジション、バレエの基本は体に叩き込んだはずだ。

 だが、肝心のターンの場面――


 (よし、今……!)


 回った瞬間、ほんのわずか、重心が崩れた。


 「っ……」


 足が床をかすめ、軸が揺れた。

 けれどあかりは、どうにか体勢を立て直し、最後のポーズまで踊り切った。

 音楽が終わった瞬間、息を整えるのに必死だった。


 (……やっちゃった、かも)


 講師たちの目線が突き刺さるようで、立っているのもやっとだった。

 だが、誰も何も言わない。ただ、淡々と次の生徒の名が呼ばれる。

 控室に戻ると、さらが小声で「おつかれさま」と声をかけてくれた。


 「……ありがとう」


 あかりは小さく笑ってみせた。


 (及第点は……取れた、かな)


 足元は少し震えていた。

 でも、それでも――心のどこかには、確かな手応えもあった。

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