29:交錯する想いと仮面の稽古場
演技の授業が終わると、教室の空気はやや重たく沈んでいた。
「来週も恋愛の演技を行います。今日の出来では話にならないわ。各自、もっと自然に感情を表現できるよう、しっかり練習してきなさい」
如月玲奈の冷徹な声が、余韻として残る。
その言葉の余波を、誰もが胸に感じていた。
そして、鷹宮あかりもまたその一人だった。
自分の演技が、あまりにもぎこちなくて。
照れ笑いが芝居を壊してしまい、如月から目を背けたくなるほど怒られてしまった。教室を出たあかりは、落ち込みながら廊下の窓辺に立っていた。
「……だめだなあ、私。恋愛の演技なんて、心が追いつかない」
ふと、背後から気配がして振り返ると、水瀬大河が立っていた。
「お疲れさま、あかり」
「あ、大河……」
「へこみすぎだよ。まあ、さっきのあかりは照れすぎてたけどね」
その軽やかな声に、あかりは肩をすくめた。
「だって、好きでもない相手に好きって言うの、やっぱり恥ずかしくって……。頭ではわかってるのに、心がついていかなくて」
「そりゃ、恋ってそういうもんだからね。……でもさ、芝居なら練習すれば慣れるよ。今からみんなでやろうよ。男役も娘役も関係なしにさ。恋愛ごっこってことで、さ」
その言葉にあかりは少し驚いて、次いで微笑んだ。
「……うん、ありがとう」
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教室の一角が即席の練習場となった。
椅子を片づけ、中央を空けると、誰が言うでもなく輪になってペアを作る。
ペアはその場の流れと、直感で決まっていった。
「よし、じゃあ私とあかりでやってみようよ!」
大河が張り切って声を上げる。
あかりは頷いたが、内心はまだ少し緊張していた。
「……わたし、うまくできるかな」
「できなくて当然。笑っていいよ。まずは楽しくやろう」
そして演技開始。
「君のことが、ずっと好きだった――!」
「えっ……あ、ありが――ぷっ……!」
笑いがこみあげ、あかりは手で口を押えて吹き出してしまう。
「ちょっと、大河、大げさにやりすぎ!顔が変だった!」
「変ってなにさ!」
二人は顔を見合わせて笑った。その姿に、他の生徒たちも和やかに見守っていた。
一方そのころ、別のペア――橘颯真と結城さらは、対照的に落ち着いた演技を披露していた。
「……会いたかったよ」
「私も。……あなたがいない毎日が、こんなにも寂しいなんて、思わなかった」
セリフに感情がこもり、澄んだ空気が張り詰める。
さらの声は静かに響き、颯真の目線もやさしく揺れていた。
「おお、あの二人、いい感じだね」
「うん、雰囲気が合ってる……」
その完成度に、自然と周囲から感嘆の声が上がる。
同じく、紫堂エリカと水城ひまりのペアもなかなかの演技力を見せる。
「……お願い。行かないで」
「……お前が、そう言うなら……俺は、ここにいる」
演技であるはずなのに、エリカの声には冷静な強さと、感情の揺らぎが微かにあった。
だが誰にも、それを気づかせない程度の見事な制御。
ひまりの目にわずかに涙がにじむ。
「やっぱり、エリカってすごいな……」
その演技の合間。別のペア、神田麻琴と一ノ瀬ゆらのペアでは、
「もっと感情を込めてって言ってるでしょ!“好き”って言葉、心で言わなきゃ届かないのよ!」
「うっ、そんなこと言われても……!」
麻琴が珍しくたじろぎ、ゆらが手を腰に置いて説教している。周囲が笑いをこらえるなか、ゆらの娘役魂が炸裂していた。
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その後、ペア替えが行われた。
「じゃ、今度は私と組んでみようか」
橘颯真が、あかりに手を差し出した。
「えっ、でも……私、男役だよ?」
「うん。でも今は恋愛の演技の練習だからさ。相手の動きやタイミングを覚えるのにも役立つよ。私、アドバイスするから」
あかりは少しためらったが、颯真の自然な笑顔にほぐされるように手を取った。
舞台の中央に立ち、颯真が口を開く。
「まずね、立ち方。男役としての立ち方がまだ不安定なんだ。重心をもう少し後ろに、肩を落として、視線は相手の目をちゃんと見据える。そう、それで――もう一度、セリフを言ってみて?」
「……君に出会って、私は……変わったんだと思う」
「あかり、悪くないよ。でも、その言葉に『本当に変わった』っていう実感がこもってない。思い出して、何か、自分が本当に変われた瞬間……たとえば、入学してからのことでもいい。そこから引き出すんだ」
あかりは頷き、呼吸を整える。
「君に出会って、私は……変われた。そう信じてる」
その声は、先ほどよりも芯があり、少しだけ優しさが滲んでいた。
「……うん、だいぶ良くなった。君の声って、やっぱり優しい。男役でも、その優しさを武器にすればいい」
あかりは頬を赤らめながら小さく笑った。
「ありがとう、颯真。なんか、少しだけ掴めた気がする」
そのやり取りを、少し離れた場所から見つめていた結城さらは、小さく唇を噛んでいた。
(……あの子、橘さんとあんなに楽しそうに……)
さらは無意識に、あかりの背中を目で追っていた。
視線が逸らせない自分に戸惑いながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
**
一方、教室の別の一角。
紫堂エリカと綾小路澪が、無言で対峙していた。
エリカが、ついに意中の綾小路澪と組む番が巡ってきた。
澪と向き合った瞬間、エリカの心臓が、痛いほど跳ねる。
(落ち着いて、私は紫堂エリカよ……)
「……始めましょうか」
澪の静かな声に、エリカは頷いた。
演技が始まる。
「……あなたがそばにいると、心がざわつく。けれど、それは嫌じゃない」
エリカの声は冷静で、滑らか。完璧な男役のトーン。
だが――。
(だめ、見ないで。そんな目で私を見ないで……)
彼女は、演技の中で澪を見る。
しかしその視線の奥には、舞台の演技ではない「自分」の想いが混じってしまいそうで、ギリギリのバランスで演じていた。
澪はそんなエリカの目線に、わずかな違和感を覚えていた。
(……エリカさんの視線、なんだろう。役としての目じゃない。まるで、何かを探るような……)
澪は悟った。
この相手の目は、役ではなく、役の外の「私」を見ている。
それが気づいてしまったことで、逆にどう振る舞っていいか分からず、やや硬さのある対応をしてしまう。
エリカはそれに気づき、ますます息が詰まりそうだった。
(……澪、あなたは……私を見てない。いつもあの子を見てる)
エリカの視線が、練習を終えて笑い合っているあかりと颯真に一瞬向かう。
目の奥に、何とも言えない暗い感情が滲んだ。
(私のことなんて、ただの同級生としか思ってない……)
**
しばらくして、練習も終盤にさしかかる。
あかりは別のペアと組みながらも、誰かが自分を見ているような感覚を覚えていた。
(なんだろう……視線を感じる。でも……まさかね)
彼女の心は、演技と緊張でいっぱいで。
周囲の想いに、まるで気づかないままだった。
「よし!今日もみんなよく頑張ったーっ!」
大河の明るい声が教室に響き渡る。
「よし、寮に帰って夕食を食べよう!」
「お疲れ様ー!」
練習を終えた生徒たちが、少しずつ教室を後にしていく。
でも、その背中にはそれぞれ、演技だけではない「想い」の揺らぎが残っていた。
仮面の中に隠した、誰にも言えない気持ち。
それぞれの恋と葛藤が、ゆっくりと、確かに動き出していた。




