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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
29/140

29:交錯する想いと仮面の稽古場

 演技の授業が終わると、教室の空気はやや重たく沈んでいた。


「来週も恋愛の演技を行います。今日の出来では話にならないわ。各自、もっと自然に感情を表現できるよう、しっかり練習してきなさい」


 如月玲奈の冷徹な声が、余韻として残る。

 その言葉の余波を、誰もが胸に感じていた。

 そして、鷹宮あかりもまたその一人だった。

 自分の演技が、あまりにもぎこちなくて。

 照れ笑いが芝居を壊してしまい、如月から目を背けたくなるほど怒られてしまった。教室を出たあかりは、落ち込みながら廊下の窓辺に立っていた。


「……だめだなあ、私。恋愛の演技なんて、心が追いつかない」


 ふと、背後から気配がして振り返ると、水瀬大河が立っていた。


「お疲れさま、あかり」


「あ、大河……」


「へこみすぎだよ。まあ、さっきのあかりは照れすぎてたけどね」


 その軽やかな声に、あかりは肩をすくめた。


「だって、好きでもない相手に好きって言うの、やっぱり恥ずかしくって……。頭ではわかってるのに、心がついていかなくて」


「そりゃ、恋ってそういうもんだからね。……でもさ、芝居なら練習すれば慣れるよ。今からみんなでやろうよ。男役も娘役も関係なしにさ。恋愛ごっこってことで、さ」


 その言葉にあかりは少し驚いて、次いで微笑んだ。


「……うん、ありがとう」


**


 教室の一角が即席の練習場となった。

 椅子を片づけ、中央を空けると、誰が言うでもなく輪になってペアを作る。

 ペアはその場の流れと、直感で決まっていった。


「よし、じゃあ私とあかりでやってみようよ!」


 大河が張り切って声を上げる。

 あかりは頷いたが、内心はまだ少し緊張していた。


「……わたし、うまくできるかな」


「できなくて当然。笑っていいよ。まずは楽しくやろう」


 そして演技開始。


「君のことが、ずっと好きだった――!」


「えっ……あ、ありが――ぷっ……!」


 笑いがこみあげ、あかりは手で口を押えて吹き出してしまう。


「ちょっと、大河、大げさにやりすぎ!顔が変だった!」


「変ってなにさ!」


 二人は顔を見合わせて笑った。その姿に、他の生徒たちも和やかに見守っていた。

 一方そのころ、別のペア――橘颯真と結城さらは、対照的に落ち着いた演技を披露していた。


「……会いたかったよ」


「私も。……あなたがいない毎日が、こんなにも寂しいなんて、思わなかった」


 セリフに感情がこもり、澄んだ空気が張り詰める。

 さらの声は静かに響き、颯真の目線もやさしく揺れていた。


「おお、あの二人、いい感じだね」


「うん、雰囲気が合ってる……」


 その完成度に、自然と周囲から感嘆の声が上がる。

 同じく、紫堂エリカと水城ひまりのペアもなかなかの演技力を見せる。


「……お願い。行かないで」


「……お前が、そう言うなら……俺は、ここにいる」


 演技であるはずなのに、エリカの声には冷静な強さと、感情の揺らぎが微かにあった。

 だが誰にも、それを気づかせない程度の見事な制御。

 ひまりの目にわずかに涙がにじむ。


「やっぱり、エリカってすごいな……」


 その演技の合間。別のペア、神田麻琴と一ノ瀬ゆらのペアでは、


「もっと感情を込めてって言ってるでしょ!“好き”って言葉、心で言わなきゃ届かないのよ!」


「うっ、そんなこと言われても……!」


 麻琴が珍しくたじろぎ、ゆらが手を腰に置いて説教している。周囲が笑いをこらえるなか、ゆらの娘役魂が炸裂していた。


**


 その後、ペア替えが行われた。


「じゃ、今度は私と組んでみようか」


橘颯真が、あかりに手を差し出した。


「えっ、でも……私、男役だよ?」


「うん。でも今は恋愛の演技の練習だからさ。相手の動きやタイミングを覚えるのにも役立つよ。私、アドバイスするから」


 あかりは少しためらったが、颯真の自然な笑顔にほぐされるように手を取った。

 舞台の中央に立ち、颯真が口を開く。


「まずね、立ち方。男役としての立ち方がまだ不安定なんだ。重心をもう少し後ろに、肩を落として、視線は相手の目をちゃんと見据える。そう、それで――もう一度、セリフを言ってみて?」


「……君に出会って、私は……変わったんだと思う」


「あかり、悪くないよ。でも、その言葉に『本当に変わった』っていう実感がこもってない。思い出して、何か、自分が本当に変われた瞬間……たとえば、入学してからのことでもいい。そこから引き出すんだ」


 あかりは頷き、呼吸を整える。


「君に出会って、私は……変われた。そう信じてる」


 その声は、先ほどよりも芯があり、少しだけ優しさが滲んでいた。


「……うん、だいぶ良くなった。君の声って、やっぱり優しい。男役でも、その優しさを武器にすればいい」


 あかりは頬を赤らめながら小さく笑った。


「ありがとう、颯真。なんか、少しだけ掴めた気がする」


 そのやり取りを、少し離れた場所から見つめていた結城さらは、小さく唇を噛んでいた。


(……あの子、橘さんとあんなに楽しそうに……)


 さらは無意識に、あかりの背中を目で追っていた。

 視線が逸らせない自分に戸惑いながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。


**


 一方、教室の別の一角。

 紫堂エリカと綾小路澪が、無言で対峙していた。

 エリカが、ついに意中の綾小路澪と組む番が巡ってきた。

 澪と向き合った瞬間、エリカの心臓が、痛いほど跳ねる。


(落ち着いて、私は紫堂エリカよ……)


「……始めましょうか」


 澪の静かな声に、エリカは頷いた。

 演技が始まる。


「……あなたがそばにいると、心がざわつく。けれど、それは嫌じゃない」


 エリカの声は冷静で、滑らか。完璧な男役のトーン。

 だが――。


(だめ、見ないで。そんな目で私を見ないで……)


 彼女は、演技の中で澪を見る。

 しかしその視線の奥には、舞台の演技ではない「自分」の想いが混じってしまいそうで、ギリギリのバランスで演じていた。

 澪はそんなエリカの目線に、わずかな違和感を覚えていた。


(……エリカさんの視線、なんだろう。役としての目じゃない。まるで、何かを探るような……)


 澪は悟った。

 この相手の目は、役ではなく、役の外の「私」を見ている。

 それが気づいてしまったことで、逆にどう振る舞っていいか分からず、やや硬さのある対応をしてしまう。

 エリカはそれに気づき、ますます息が詰まりそうだった。


(……澪、あなたは……私を見てない。いつもあの子を見てる)


 エリカの視線が、練習を終えて笑い合っているあかりと颯真に一瞬向かう。

 目の奥に、何とも言えない暗い感情が滲んだ。


(私のことなんて、ただの同級生としか思ってない……)


**


 しばらくして、練習も終盤にさしかかる。

 あかりは別のペアと組みながらも、誰かが自分を見ているような感覚を覚えていた。


(なんだろう……視線を感じる。でも……まさかね)


 彼女の心は、演技と緊張でいっぱいで。

 周囲の想いに、まるで気づかないままだった。


「よし!今日もみんなよく頑張ったーっ!」


 大河の明るい声が教室に響き渡る。


「よし、寮に帰って夕食を食べよう!」


「お疲れ様ー!」


 練習を終えた生徒たちが、少しずつ教室を後にしていく。

 でも、その背中にはそれぞれ、演技だけではない「想い」の揺らぎが残っていた。

 仮面の中に隠した、誰にも言えない気持ち。

 それぞれの恋と葛藤が、ゆっくりと、確かに動き出していた。

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