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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
28/140

28:恋という名の演目

 午後の陽射しが窓越しに差し込む演劇ホールに、凛とした空気が漂っていた。


「今日は、“恋”を演じてもらうわ」


 如月玲奈の声が響く。

 その目は昨日の早朝の講堂で、あかりと澪を見つめていた眼差しとは打って変わって、どこか鋭く、氷のように静かだった。


「舞台に立つ者にとって、“恋”の芝居は避けて通れない。

愛を語り、愛に傷つき、愛に堕ちる――それを、他人の心を動かす形で表現するのが、演者よ」


 そう言って、玲奈はふわりと立ち上がる。

 女らしい装いのまま、ステップ一つで空気が変わった。


「じゃあ、お手本を見せるわ。男役の立場でね」


 そう前置きしてから、玲奈は目の前に一人の女生徒を立たせた。

 優しい笑みの仮面をまとったその瞬間、教室中が息を飲む。


「……僕は、君の笑顔を守るためなら、何だってする。

 君の涙は、僕が全部、拭ってあげるよ」


 低く包み込むような声、しなやかでいて力強い所作――

 元男役トップスターの凄みが、演劇ホールに満ちていた。


「……ひゃ、ひゃい……」


 玲奈に迫られた女生徒は真っ赤になり、思わず後ずさった。


「はい、ここまで」


 玲奈がぴたりと動きを止めると、室内がどっとざわついた。

 拍手と感嘆の声が重なる。


「さあ、あなたたちの番よ。ペアになって。まずは……そうね、紫堂と一ノ瀬」


**


 エリカとゆらのペアは、さすがの安定感だった。

 男役の立ち姿、娘役のしなやかさ――どこを切り取っても「優等生」そのもの。

声のトーンも動きも寸分の狂いがない。


 しかし、玲奈の評価は厳しかった。


「紫堂、あなたの演技は確かに正確よ。でも――心が、ない」


 エリカの表情が一瞬、凍りついた。


「あなた自身が“誰かを好きになる感情”を、自分の身体で理解していないのね。

形だけの演技では、観客の心は動かないわ」


 それ以上は言わず、玲奈は視線をそらす。


**


「次――鷹宮と結城」


 呼ばれた瞬間、あかりの心臓が跳ねた。

 娘役のさらと向かい合った瞬間、手が汗ばんだ。


「あ、あの、えっと……」


 セリフを言おうとしても、どうしても目が合わせられない。

 さらの顔が近づくと、それだけで息が止まりそうになる。

 昨日の講堂での澪と見つめ合った瞬間が、あかりの脳裏をかすめる。

 そのまま、見事に言葉が詰まり、セリフが崩れる。


「鷹宮! 照れてどうするの? これは芝居なのよ!」


 玲奈の鋭い声が飛んだ。


「あなたは何をしにここへ来たの!?

“舞台の上で恋をする”――そんなことも演じられないで、どうやって観客に愛を届けるの?」


 あかりの頬が熱を帯びる。悔しさと情けなさで胸がいっぱいになり、俯く。

 その視線の先で、さらは小さく肩をすくめていた。

 彼女にも、いたたまれない空気があったのだろう。


**


「最後に……綾小路と水城」


 教室の空気が変わったのがわかった。

 澪とひまりが舞台に立ち、向き合う。

 澪の目には、さっきまでの静かな揺らぎはなく、どこか決意の色が浮かんでいた。


「……僕は、君のことを、守りたい」


 低く、まっすぐな声が放たれた瞬間、

 教室のざわつきはぴたりと止まった。

 澪の仕草には迷いがなかった。

 一歩近づき、指先でひまりの髪にそっと触れるような動き。


 まるで本当に恋人同士であるかのように自然で、優しく、

 それでいて、どこか切なさがにじんでいた。


「……君が泣くのを見るのは、僕にはつらい。

だから、笑っていてよ――ね?」


 ひまりが小さく息を飲むのが、後列の生徒たちにもわかった。

 演技が終わったあと、ひまりは目を伏せながらぽつりと呟いた。


「……ドキドキ、した。澪って、ずるいね……」


 しかし、澪はそれに何も答えなかった。

 目を逸らすようにして、そっと立ち位置に戻る。


 玲奈は、その様子をじっと見ていたが、なぜか何も言わなかった。


 ただ、その横で――

 紫堂エリカの視線が、鋭く澪を捉えていた。

 彼女の眼差しは、明らかに何かを探るようなものだった。


(さっきの澪……何を思って、誰に向けて、あんな演技を……?)


 そんな問いが、彼女の胸をかすめていた。


**


 授業の終わり、玲奈は一言だけつぶやいた。


「“恋”を演じることは、あなたの中にある誰かへの想いを借りることよ。

その誰かを、間違えないことね――あなたの心は、舞台に全部、出るのだから」


 講師のその言葉に、教室全体が静まり返った。

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