28:恋という名の演目
午後の陽射しが窓越しに差し込む演劇ホールに、凛とした空気が漂っていた。
「今日は、“恋”を演じてもらうわ」
如月玲奈の声が響く。
その目は昨日の早朝の講堂で、あかりと澪を見つめていた眼差しとは打って変わって、どこか鋭く、氷のように静かだった。
「舞台に立つ者にとって、“恋”の芝居は避けて通れない。
愛を語り、愛に傷つき、愛に堕ちる――それを、他人の心を動かす形で表現するのが、演者よ」
そう言って、玲奈はふわりと立ち上がる。
女らしい装いのまま、ステップ一つで空気が変わった。
「じゃあ、お手本を見せるわ。男役の立場でね」
そう前置きしてから、玲奈は目の前に一人の女生徒を立たせた。
優しい笑みの仮面をまとったその瞬間、教室中が息を飲む。
「……僕は、君の笑顔を守るためなら、何だってする。
君の涙は、僕が全部、拭ってあげるよ」
低く包み込むような声、しなやかでいて力強い所作――
元男役トップスターの凄みが、演劇ホールに満ちていた。
「……ひゃ、ひゃい……」
玲奈に迫られた女生徒は真っ赤になり、思わず後ずさった。
「はい、ここまで」
玲奈がぴたりと動きを止めると、室内がどっとざわついた。
拍手と感嘆の声が重なる。
「さあ、あなたたちの番よ。ペアになって。まずは……そうね、紫堂と一ノ瀬」
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エリカとゆらのペアは、さすがの安定感だった。
男役の立ち姿、娘役のしなやかさ――どこを切り取っても「優等生」そのもの。
声のトーンも動きも寸分の狂いがない。
しかし、玲奈の評価は厳しかった。
「紫堂、あなたの演技は確かに正確よ。でも――心が、ない」
エリカの表情が一瞬、凍りついた。
「あなた自身が“誰かを好きになる感情”を、自分の身体で理解していないのね。
形だけの演技では、観客の心は動かないわ」
それ以上は言わず、玲奈は視線をそらす。
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「次――鷹宮と結城」
呼ばれた瞬間、あかりの心臓が跳ねた。
娘役のさらと向かい合った瞬間、手が汗ばんだ。
「あ、あの、えっと……」
セリフを言おうとしても、どうしても目が合わせられない。
さらの顔が近づくと、それだけで息が止まりそうになる。
昨日の講堂での澪と見つめ合った瞬間が、あかりの脳裏をかすめる。
そのまま、見事に言葉が詰まり、セリフが崩れる。
「鷹宮! 照れてどうするの? これは芝居なのよ!」
玲奈の鋭い声が飛んだ。
「あなたは何をしにここへ来たの!?
“舞台の上で恋をする”――そんなことも演じられないで、どうやって観客に愛を届けるの?」
あかりの頬が熱を帯びる。悔しさと情けなさで胸がいっぱいになり、俯く。
その視線の先で、さらは小さく肩をすくめていた。
彼女にも、いたたまれない空気があったのだろう。
**
「最後に……綾小路と水城」
教室の空気が変わったのがわかった。
澪とひまりが舞台に立ち、向き合う。
澪の目には、さっきまでの静かな揺らぎはなく、どこか決意の色が浮かんでいた。
「……僕は、君のことを、守りたい」
低く、まっすぐな声が放たれた瞬間、
教室のざわつきはぴたりと止まった。
澪の仕草には迷いがなかった。
一歩近づき、指先でひまりの髪にそっと触れるような動き。
まるで本当に恋人同士であるかのように自然で、優しく、
それでいて、どこか切なさがにじんでいた。
「……君が泣くのを見るのは、僕にはつらい。
だから、笑っていてよ――ね?」
ひまりが小さく息を飲むのが、後列の生徒たちにもわかった。
演技が終わったあと、ひまりは目を伏せながらぽつりと呟いた。
「……ドキドキ、した。澪って、ずるいね……」
しかし、澪はそれに何も答えなかった。
目を逸らすようにして、そっと立ち位置に戻る。
玲奈は、その様子をじっと見ていたが、なぜか何も言わなかった。
ただ、その横で――
紫堂エリカの視線が、鋭く澪を捉えていた。
彼女の眼差しは、明らかに何かを探るようなものだった。
(さっきの澪……何を思って、誰に向けて、あんな演技を……?)
そんな問いが、彼女の胸をかすめていた。
**
授業の終わり、玲奈は一言だけつぶやいた。
「“恋”を演じることは、あなたの中にある誰かへの想いを借りることよ。
その誰かを、間違えないことね――あなたの心は、舞台に全部、出るのだから」
講師のその言葉に、教室全体が静まり返った。




