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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
21/140

21:舞台に立つ覚悟

 翌朝、校舎の空気はどこか張りつめていた。

 天翔専門学校の一角、厚いカーテンで日差しを遮った黒塗りの演劇教室。そこには、重い静けさと、かすかな緊張が漂っていた。


 午前中の授業は――演技。


 その名を聞くだけで、多くの新入生が姿勢を正す。

 なぜなら、講師はかつて天翔歌劇団で男役トップスターだった伝説の人物――如月玲奈。

 革張りの椅子に背筋をまっすぐ伸ばして座る如月は、冷たい美貌と鋭い目線を持ち、教壇に現れるだけで空気が変わる。


「あなたたちが憧れてる“舞台”って、何? スポットライト浴びて拍手もらって、夢を見させるだけの世界だと思ってる?」


 開口一番、如月は唇の端をわずかに持ち上げて言った。だがその目は一切笑っていない。


「違う。舞台は、命を削る戦場。覚悟がなければ、足を踏み入れる資格すらない。今日は“声”から始めます。演劇は声だ。舞台上では“声”が身体になる」


 如月が低く響く声で言い放つ。

 次に、講師席近くに設置されたマイクを手に取り、柔らかいけれど芯のある声を発した。


「——花は咲く。私はのぞみ、腕を広げて——」


 その声は普段の如月玲奈とはまるで別人。男役の低音域を意識した深みがあり、しかし聴く耳を惹く艶や艶美があった。


「男役の声は“腹”から作る。胸声ではなく腹声。そして“芯”を訪れること」


 生徒たちは寝転ぶようにして小声で真似をする。お互いの声が、小さなうねりのように空気を揺らす。


「次は男女の立ち振る舞いだ」


 如月は立ち上がって歩き出す。ゆっくりとした足取りで女性らしい歩幅、腰の軽い揺れ――それを娘役の歩きと断言する。

 続いて如月がぴたりと止まり、真逆、男役の歩き方を実演した。歩幅は広く、腰は固定。胸を張って、視線はまっすぐ前に。動けど動じない、風が吹いても揺れない植木のような強さが感じられた。


「あれが男役だ。娘役とはまったく違う。お前たちはその区別がつくのか?」


 如月の視線が鷹宮あかり、紫堂エリカ、綾小路澪の3人に鋭く注がれる。

 生徒たちは固唾を呑み、静まり返る中、如月は名簿を開いた。



***


「綾小路澪、前へ」


 静かに立ち上がったのは、黒髪のストレートが揺れる美貌の少女――綾小路澪。

 彼女はまだ“娘役”という夢を捨て切れていない。 だが、彼女の身長は168センチ――どう見ても男役の枠に収まるべき存在だった。


「娘役のように立つな。お前は男役だ。認めたくなくても、現実を見ろ」


 言葉は冷たい刃だった。

 澪の瞳がわずかに揺れる。だが、彼女は何も言わず、静かに目を伏せた。

 如月は続ける。


「夢と現実、そのどちらにしがみついても、お前は客に“嘘”を見せることになる。観客は“嘘”に金を払わない」



***


 続いて名指しされたのは 紫堂エリカ。


「紫堂エリカ、来なさい」


 彼女は堂々と歩き出すが、話す声は機械的だ。

 脚さばきは安定しているが、指先の余裕、目元の余韻が何か機械めいていて、観客に“心”が届く余地がない。

 如月が言う。


「動きすぎよ。演じすぎなんだ。

 自分が作りすぎる“私の演技”を。

 お前は演技を“狙っている”。“届く演技”とは、狙わないものでつくるものよ」


 エリカの頬に、わずかに血色が差す。


「……そこまで言われるとは……申し訳ありません」


 これでいいのか、自問するように、エリカは拳をぎゅっと握っていた。



***


「鷹宮あかり、前へ出なさい」


 名指しされた瞬間、教室の空気がぴんと張り詰めた。生徒たちの視線がいっせいに、彼女に注がれる。

 あかりは、立ち上がる足がわずかに震えるのを自覚しながらも前へ進み出る。いつも通りの立ち姿――のはずが、肩がほんの少し前に出てしまっていた。緊張が、背筋をまっすぐに保つのを許さなかった。


「姿勢、崩れているわ」


 如月の声が鋭く飛ぶ。

 あかりは慌てて背筋を伸ばしたが、それすらもぎこちない。


「歩きなさい」


 言われた通りに、あかりは男役の立ち振る舞いで教室を歩こうとする。しかし、どこか体がぎこちなく、脚の動きは地面を滑らず、視線も定まらない。

 如月の吐息が、静寂のなかに混じって響いた。


「……何をしにここに来たの?」


 その一言は、まるで刃物のように、あかりの胸をえぐった。


「あなたの動きは“私も舞台に立ってみたいですぅ”という小学生の憧れそのものよ。よくそれで“トップになる”なんて言えたわね」


 鼻で笑うような声音だった。


「“なる”じゃなく、“なりたい”なら分かるわ。でも、覚悟も所作も甘いままで、夢の続きを語るのは観客に失礼。舞台は遊びじゃないのよ」


 その言葉は静かに、しかし確実にあかりの胸に突き刺さった。

 彼女は何も言い返せなかった。唇を震わせ、両手をぎゅっと握りしめて立ち尽くす。けれどその瞳には、次第にある“熱”が生まれ始めていた。


(悔しい)


 でも、それ以上に、自分の甘さに気づかされたことが、悔しかった。


(このままじゃ……舞台にすら立てない)


 授業の最後、如月が黒板に書き残したいくつかの言葉。

「重心」「視線の意味」「相手役の呼吸」「舞台の中央とはどこか」

 そのすべてを、あかりは一つ一つノートに書き留めた。乱れた字。震える指。でも、彼女の瞳は揺らがなかった。

 日舞の授業のときと同じ。あのとき、初めて評価された歓び。

 けれど、今回は「叩き潰された痛み」だった。

 それでも、あかりはペンを止めなかった。


——逃げたら、終わり。

——見返すためじゃない。

——本当に、舞台に立ちたいから。


 静かに、しかし確実に、彼女の中に小さな炎が灯った。


 それを、遠くの席で澪が見ていた。 優しい目をしながらも、どこか自分を投影するように。

 そして教室の隅では、紫堂エリカが腕を組みながら、ふっと鼻を鳴らす。

 それぞれの思いが、静かに、しかし確実に重なっていく。

 幕が上がる準備は、もう始まっていた。

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