第一章 6 アナへのプレゼント前
牢に入れられてから数日。私はここのところ、忙しい日々を送っていた。
何といっても、イリーナに見せてもらった魔術薬のレシピだ。痛覚遮断薬の再現に、王宮研究発表会の準備。やるべきことは山積みだった。
痛みを遮断する魔術薬と魔弾。この二つを組み合わせれば、魔弾は単なる攻撃手段ではなくなる。
人を傷つけるためだけではない。使い方次第で、誰かを助けるための道具にもなれるはずだ。私は、その可能性を確信していた。
「隊長、報告が……」
先日、王宮魔術師であるイリーナが襲撃されたことで、著名な王宮魔術師たちのもとには護衛が付くことになった。当然、先の戦いで戦果を挙げた私のもとにも護衛が付いている。その護衛としての役目を担っているのは、幼馴染でもあるカイルをはじめとした、私の作った魔弾を使用する魔導実験隊だった。
研究室の扉から、ひょこりと顔を出したのはアリスだ。魔導実験隊でも数少ない女性隊員で、短く切りそろえた髪に、身軽そうな細身の身体をしている。研究室への出入りも多く、私や、手伝いとして出入りしているアナとも穏やかに付き合っていた。
何より、私の研究室ではアリス自身の身軽さが重宝されている。
私の研究室は、研究への情熱に比例するように、書類や実験道具で埋め尽くされていた。大柄な隊員が無理に入り込めば、積み上げられた書類を崩し、実験器具を倒しかねない。そのため、研究室へ頻繁に出入りできる隊員は自然と限られていた。
カイルは魔導実験隊の中では比較的細身なので、どうにか問題なく動ける。しかし、この隊には筋肉だるまのような隊員もいる。身軽で細身、気遣い屋のアリスは、研究室へ出入りできる貴重な人材として活躍していた。
「どうした?」
カイルが振り返る。
急いできたのだろう。アリスは少し息を整えてから、口を開いた。
「先日の襲撃で意識を失っていた王宮魔術師のイリーナ様が目を覚ましたと連絡が来ました。話もできるそうです」
「……本当?」
その言葉に、研究机へかじりつくように向かっていた私は顔を上げた。
「はい。先ほど騎士団から魔導実験隊へ連絡が入ったので確かです」
「そうか」
私はぱちぱちと瞬きをした。
ここ最近、王立研究発表会に向けた準備で、実験と論文の作成に追われていたせいもあり切り替えに少し時間が必要だった。
「お見舞いに行っても大丈夫か、確認は取れているのかい?」
「はい。面会しても問題ないそうです」
「……行くか? シェリル」
「うん、行こうかな。先触れを頼めるかい、アリス」
「はい」
アリスにイリーナへのお見舞いの先触れを頼むと、私は立ち上がった。
「よかったのかい、カイル。面倒をかけることになるけど・・・」
そう声をかけると、私の素晴らしい幼馴染はにっと笑った。
「ま、シェリルは最近すっかり人間らしい生活から遠ざかってたからな。ちょうどいい」
「おお……そうかい」
人間らしい生活とやらに関する自覚はなかったが、護衛する側にとって問題がないのならいい。
というか、ほとんど外出しない人間の護衛ってどうなんだろうか……。
そんな疑問を抱きつつ、とりあえず出かけるかと動き出そうとしたところで、キッチンあたりにいたはずのアナが近寄ってきた。
「せんせ、お出かけするなら、まずお着替えしましょ~」
「え?」
「その格好では患者さんのお見舞いには行けませんよお」
「研究室にいたのに?」
外で実験をしていたわけでもない。私としては、何の問題もないと思っていた。
「白衣も着ているし、大丈夫だよ。問題ない」
「あります」
アナはにっこり笑って、カイルへ視線を向けた。
何か言ってください、説得してください! というアナの意図を正確に受け取ったらしいカイルが、私に声をかける。
「……待ってっから、着替えてきな」
カイルからも着替えをするように言い渡されてしまい、私には反論の余地がなかった。
「……どこがいけなかったのだろうか」
私は自分の白衣を見下ろした。普段は実験で多少の汚れは付いているが、白衣とはそういうものだ。そもそも実験で使うための服なのだから、多少汚れているのは仕方がない。使用目的から外れているわけでもない。というか今日は論文しかしていないので綺麗だけど・・・?
私としては、何も問題はないという認識だった。
「病人のところに行くんだから、ちゃんとした方がいいだろ」
「……?」
カイルに言われ、私はしばらく考え込んだ。
「……あ、なるほど?白衣じゃ医者と間違われるということだね」
「・・・・・・まあ、そうだね」
結局、カイルに説得(?)され、私はアナに外出しても問題ない程度に身なりを整えられた。白衣ではない、ワンピースを着せられる。さらに手には、アナが用意したお茶菓子まで持たされる。
そうして私は、カイルを連れてイリーナの見舞いへ向かうのだった。
ーーー
「やあ、イリーナ」
アナに身なりを整えてもらったとはいえ、連日の寝不足でくたびれた雰囲気は隠しきれない。目の下には薄くクマが残っていたが、私はいつものように笑った。
「あら、シェリル。来てくれてありがとう」
ベッドから身を起こし、書類に目を通していたイリーナは、私を見るなり嬉しそうな笑顔を浮かべた。
イリーナは貴族出身の王宮魔術師だ。部屋にはイリーナの家の従者が控えていた。アリスの先触れを受けていたのだろう。従者は私とカイルのために椅子を用意し、お茶と、私が見舞いに持ってきた茶菓子を並べると、静かに部屋を出ていった。
私は素直に出されたお茶を口に運んだ。うん、なかなかおいしい。
隣では、カイルがそれを横目で見ている。以前、バーで起きた出来事を思い出しているのだろうか。なんだか苦々しい顔をしていた。そう警戒しなくても大丈夫だよという気持ちで視線を送る。まあ、余計に苦い顔になったが。
「長い間、眠り姫だったけど、気分はどう?」
襲撃されてから、ずっと意識を失っていたイリーナ。ようやく目を覚ました彼女は、書類を置いてこちらを向いた。顔色は少し青白いものの、それほどやつれているようには見えない。
一応、私なりに体調を心配しているつもりで声をかけると、イリーナは嬉しそうに笑った。
「そうね……悪くないわ。でもあなたから目覚めのキスがもらえるっていうなら、もう一度眠りについてもかまわないわね」
「そう?」
では、キスしようか、と言おうとしたところで
「お前らな……その茶番はそこらで終わりにしておけよ」
カイルが呆れたように口を挟んだ。
まあ、事実としてこの茶番は嫌いではないしイリーナもこういった軽口は嫌いではない様子なのでしばらくやる自信がある。
「あら、悪い魔女まで連れてきたの? シェリル」
「いい加減にしろ……」
イリーナの視線がカイルへ向けられる。まるで「邪魔者は連れてこなくてもよかったのに」とでも言いたげだった。もちろん、これは私の解釈ではなく、カイルの立場からすればそう見えるだろう、という話だ。
来たばかりだというのに、カイルはすでに疲れているようだった。
私はそんな幼馴染をちらりと見て、話題を変えてやることにした。
「イリーナ、体調はどうなんだい?」
イリーナはベッドの上にいるものの、起き上がっているし、顔色も悪くない。見たところ、快方に向かっていると言っていいのではないだろうか。
「ええ。寝ていた時間は長かったけど、経過は順調みたい。一週間後には退院予定よ」
「そうか。体がよくなっているならよかった」
私はイリーナに、にこ、と笑いかけた。可愛らしく、無邪気さを感じさせる笑顔だったと思う。会心の出来だ。
「そうね。あなたにとっては、私の一週間後の退院の知らせが最も嬉しい知らせなのではないかしら?」
イリーナも、にこ、と笑った。
寒くなるような笑顔の交換だった。
先程までの軽口とは違う、緊張を孕んだやり取りだ。理由は簡単。
「君には何でもわかってしまうな。そうだよ。五日後から始まる今回の研究発表は、眠り姫のおかげで私に軍配が上がる予定だよ」
「あら? 勝利宣言はまだ早いんじゃないかしら。私にはスペシャルなお薬があるのよ」
「媚薬のことだね?」
「ええ」
「たしかに。それは喉から手が出るほど欲しい御仁も多そうだ」
「でしょう? ぜひあなたにも試してもらいたいわ、一緒にね」
ふふ、と二人で寒々しく笑いあい、その横でカイルが深いため息をついた。
どうやら、この場所は彼にとって相当に疲れる場所らしい。
普段は会えば仲良く話しているが、研究者としての私たちは、国からの予算を奪い合う関係だ。今回の研究発表会に出られないイリーナの分の予算をもらうと、私は宣言しているわけである。
「それで・・・今日の本題は別にあってね」
私はようやく本題に入った。
「撃たれたあの日のことが聞きたくてね」
イリーナも笑顔を引っ込めて少し考えるような面持ちをした。
「何か不審者や、変わったことはなかった?」
「それなんだけど……特にこれといったものはないのよね」
イリーナは記憶をたどるように目を伏せた。
「気が付いたら痛くて、倒れていたの。それだけね。ただ、魔弾のような音は聞いたわ。普通の魔弾とは少し違っていたような気がするけど」
「撃たれたのに、音の違いまで覚えているなんて。さすがだね」
「ふふ、シェリルに褒められるなら、撃たれ甲斐があるわね?」
イリーナは、それはそれは綺麗ににっこりと笑った。
結局、イリーナから聞いた話は、すでに騎士団へ伝えられている内容とほとんど同じだった。
「ふむ……」
私は考え込む。
「怨恨などの線は?」
「うーん……個人的なものなら、ありすぎるわね」
「……だよね」
王宮魔術師は、あちこちから恨みを買う仕事だ。
開発した魔道具への個人的な嫉妬。研究成果を巡る対立。さらには、研究した魔術が戦争で利用されることによる国家規模の怨恨まである。容疑者を絞り込むには、あまりにも範囲が広すぎた。
「そういえば」
イリーナが、ふと思い出したように言った。
「庭先に、あなたのところの女の子が来ていた気がするわ」
「女の子?」
「ええ。アナ……だったかしら。何か荷物を持っていたと思うわ。シェリルに用だったのかしら」
「なるほど」
私は少し考えてから笑う。
「彼女は私の心強い手伝いをしてくれているんだ。私の研究室のなくしものを見つけるのが本当に上手でね。彼女が来てから、ずっと頼りっぱなしさ」
「あなたの研究室、すごいものね」
「褒めるなよ」
カイルが疲れた顔で私たちを見ていた。
……褒めていないのではないか、とでも言いたそうな顔だ。失礼な。私の研究室がすごいというのは、紛れもない事実である。
それはさておき、アナからは何も聞いていない。
荷物を持っていたということは、買い出しの途中だった可能性もある。
だが、病人のところに長居するのもよくない。ちょうど回診が来たため、私たちはそこで退室することになった。
「それじゃあ、またね」
「ええ。今度はゆっくり話しましょう」
イリーナに手を振る私。しかし、まだ何か聞きたそうな顔をしていたのだろう。
「ほら、行くぞ」
「ちょっと待ってよ、カイル」
「待たない」
カイルは私の肩を掴むと、そのまま病室の外へ押し出した。
「まだ話したかったのに」
「病人相手に何時間話すつもりだ」
「そんなに長くするつもりはないよ」
「お前の『そんなに長くない』は信用できない」
半ば強引に連れ出され、病室の扉が閉まる。
廊下を歩きながら、私は少し残念そうに呟いた。
「イリーナは、すぐに倒れてしまったと言っていたけど……」
「ん?」
「魔弾で撃たれたときの感覚が、どんなものだったのか聞きたかったんだ」
私は眉を寄せる。
「痛みはどの程度だったのか。撃たれた瞬間に何か違和感はなかったのか。魔力が身体に入ってくるような感覚はあったのか……。私の作った魔弾とは違うんだ。何か差があるかもしれないだろう?」
「……お前な」
カイルは呆れたように息を吐いた。
「普通、そこは心配するところだろ」
「もちろん心配しているよ?」
「だったら、まず休ませてやれ」
「それはそうなんだけど……」
私は振り返り、先ほどまでいた病室のほうを見た。
「まだまだ話したかったのに」
自分でも、残念そうな声になっているのがわかった。
カイルが横目で私を見る。何か言いたげな顔をしていたが、結局、何も言わなかった。
「回診が来てくれて助かった」
「どうして?」
「なんでもない」
カイルはそれ以上何も言わず、深いため息をついた。
……どうしてだろう。私はまだ、聞きたいことがたくさんあったのだけれど。




