第一章 4 弟子
石造りの廊下に、規則正しい足音が響いた。カツ、カツ、と一定の間隔で近づいてくる音に、牢番たちが一斉に姿勢を正す。
「王子殿下がお見えだ!」
重い扉が開き、黒を基調とした王族の礼装に身を包んだ少年が姿を現した。年の頃は十五。王族の特徴をよく表した艶やかな黒髪に、夜空を思わせる黒い瞳。まだ幼さの残る顔立ちだが、まっすぐ伸びた背筋と凛とした佇まいには、王族らしい品があった。
ノワル王国第四王子、エリオット・ノワル。護衛騎士たちを従え、ゆっくりと牢の前まで歩いてくる。そして、鉄格子の向こうにいる私を見た瞬間――。
「…………」
王子は静かに目を閉じた。まるで、見てはいけないものを見てしまったかのようだった。背後に控える護衛騎士の一人も、普段なら感情を表に出さないはずなのに、カイルと私を視界に入れた途端、何とも言えない呆れ顔になった。
「またですか」
心底疲れたようなため息が地下牢に響く。私は嬉しくなって顔を上げた。
「やあ、エリオット王子。よく来たね。歓迎するよ」
「師匠……」
王宮には、すでに連絡が行っているのだろう。私が牢に入れられたと聞いて、弟子であるエリオットが様子を見に来たらしい。別の人間に確認させてもよかったはずだ。それでも本人がここまで来たのは、律儀で真面目で、何より優しい性格ゆえだろう。目の前の師匠を見て、呆れるやら嘆くやら、複雑な感情に振り回されているに違いない。
可哀想に。せめて少しくらい労ってあげよう。
「久しぶりだね」
できるだけ朗らかな声をかけると、エリオットはじろりと私を見た。
「三日前に研究室でお会いしましたけど?」
おや。思ったよりつんとした反応だ。私は首を傾げた。
「そうだったかな。まあまあ、師匠によく顔を見せてくれないか? 会えて嬉しいよ」
エリオットは額に手を当てた。どうやら、呆れているらしい。
「どうして師匠は、普通に休日を過ごせないんですか……」
「今回は事故だよ。巻き込まれてしまったんだ。私に責任はない」
「前々回もそうおっしゃっていました」
「そうだったかな? そもそも、人助けをしようとしたところを邪魔されたんだ。研究にはイレギュラーが付きものだからね」
「牢屋まで付いてくる必要はありませんよ……。師匠のことは世界一尊敬していますが、それと同じくらい困りごとも持ち込まれますね」
「人間、みな長所と短所があるからね」
「…………」
エリオットはもう一度、大きくため息をついた。
「……まずは事情を聞かせてください」
「もちろんだよ」
私はにっこりと笑った。
「持つべきものは、頼りになるかわいい弟子だね」
「その頼りになるかわいい弟子が、毎回迎えに来る羽目になっているんですが」
「そうだったかな」
「そうです」
まったく、いつもの調子だった。ここが牢であることを忘れてしまいそうなほどに。騎士の礼を取っていたカイルも、思わず苦笑している。
すると、エリオットの視線がカイルへ移った。
「カイルもいたのなら、ちゃんと止めてくださいよ」
「いやあ……シェリルも途中まではいい子だったんですけどね……」
フォローになっているのか、いないのか。何とも微妙な言葉だった。エリオットの護衛騎士が、無言で呆れた視線をカイルに向ける。エリオットは力なく首を振った。
「師匠が何か事件を起こしたと聞くたびに、私の寿命が縮む気がします」
「事件を起こしたわけじゃない」
「巻き込まれたんですよね」
「その通り」
「今回は、ですが」
エリオットはそう言って、背後に控えていた護衛騎士へ視線を向けた。騎士は一礼すると、バスケットを差し出す。
「まったくもう……。かわいい弟子からの差し入れですよ。昼食をまだ召し上がっていないでしょう」
「おお」
私の顔がぱっと明るくなる。これは嬉しい。
「すばらしいね。ピクニックとしゃれこもうじゃないか」
「牢屋ですけど……?」
エリオットの突っ込みを聞き流し、私は包みの中身を興味津々に眺めた。エリオットは疲れたように肩を落としたが、すぐに何かを思いついたように顔を上げる。
「もう……。ですが師匠私は頼りになる弟子なので、もう一つ、とっておきの差し入れがありますよ」
「なんだい? もったいぶるね」
私がますます楽しくなって笑うと、エリオットもいたずらっ子のような笑みを浮かべた。品のある顔立ちなのに、こういうときは年相応に見える。
「ロイド」
短く名前を呼ばれ、一番呆れた顔で私たちを見ていた護衛騎士が心得たように一歩前へ出た。彼は手にしていた布の包みを開く。
「こちらを」
中から現れたのは、一発の魔弾だった。
「現場から回収されたものです」
その一言で、私は思わず身を乗り出そうとしたが、完全拘束服のせいでほとんど身動きが取れない。
カイルも寄ってきて支えるようにしてくれたが完全拘束服で牢に固定されてしまってはうまく動けなかった。
「ああ……よく見えない」
どうしようもなくて困ってしまって呟く。とても悲しい気持ちだった。
それを見たエリオットは近くにいた騎士へ視線を向けた。
「拘束を解いてください」
「しかし、殿下……」
「責任は私が持ちます」
騎士たちは顔を見合わせたあと、小さく頷いた。牢番から鍵を受け取り、数人がかりで拘束具を外し始める。ごそごそと布が擦れる音が響き、ようやく自由になった私は、大きく息をついた。
「ふう……」
両腕を軽く回し、肩を鳴らす。やっぱり、自由に動けるのはいい。
だが、少し気になることがある。
私はカイルの前まで歩み寄った。
「どうした?」
「におうかい?」
「は?」
「拘束服」
カイルは怪訝そうな顔をしながらも、少し身をかがめて私の首のあたりに顔を近づける。そして、くん、と鼻を鳴らす。
「……いつものシェリルの匂いだな」
「そうか」
私は満足して頷いた。どうやら問題はなさそうだ。
一方、そんなやり取りを見ていたエリオットと護衛騎士たちは、何とも言えない表情で私たちを見つめていた。
「…………」
「…………」
「仲がよろしいことで」
エリオットが小さく呟く。私は気にせず、ロイドの持つ布包みに視線を戻した。
「さて、見てもいい?」
「どうぞ」
魔弾を受け取り、指先でころりと転がす。表面に刻まれた術式をじっと見つめた。
数秒後、私は小さく呟いた。
「へえ……」
次の瞬間、懐から一本のステッキを取り出す。一般的な魔術師が使うものより一回り大きく、長く伸びた持ち手の先には、拳ほどもある大きな青い魔石が嵌め込まれている。透明感のある石の奥で、淡い光が揺らめいていた。
私は使い慣れたステッキを構える。
「アナライザー」
分析の呪文を唱えると、先端の青い魔石が強く輝いた。手のひらに載せた魔弾を包み込むように光が広がり、術式の構造が浮かび上がる。私はその流れをじっくりと眺めた。
「なるほど……」
目を細め、さらに細部を確認する。
「うん。いいね」
あらかた確認が終わって魔弾をエリオットへ返すと、彼はさっそく尋ねてきた。エリオットもここに来る前に分析をしたのだろう。
「どうです?」
「うーん……そうだね。なんていうか、とても頑張ってるね、というのが感想かな」
「そうですね?」
「努力は認めるけど」
「ええ」
「でも」
私とエリオットは、ほぼ同時にため息をついた。
「「下手」」
声までぴったり重なった。
エリオットは呆れたように魔弾を持ち上げた。
「こんなに下手な魔弾を、師匠の作品と見分けられないなんて……がっかりです。師匠が牢に入れられたという話と一緒に、この魔弾が持ち込まれたんですけど。こんな粗悪品が師匠の作品だと思われるのは腹が立ちますね」
「術式の流れが雑なのかな。威力を上げようとした意図は読み取れるけど、魔力の効率が悪い。なんというか……こんがらがっている」
私は魔弾を指差しながら続けた。
「一応、発動はするけど、無駄が多いね」
「はい。師匠なら、こんな配置にはしません」
「しないねえ」
「それに、魔力が逃げていますよね。これでは威力が下がってしまいますし、安全機構もない……。死ぬ気でしょうか?」
「自分が使った武器に殺されるなんて……愚かだね」
私は心底同情しながら言ったが、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、事件当時に解析を行った際、興味深い現象が起こったんだ」
「興味深い現象?」
「うん。イリーナが怪我をしていたから、癒しの魔術を使おうとしたんだけど、術式を阻害されたようにうまく発動しなかったんだ」
「術式阻害? ……妙ですね」
「そうなんだ。面白いだろう?」
師弟二人で、事件に使われた魔弾を囲み、ああでもないこうでもない、自分だったらこうすると楽しく論評を続ける。途中、カイルがバスケットからサンドイッチを取り出し、私の口元へ運んでくれていたので私は私を彼に任せることにした。
カイルにサンドイッチを口元に差し出されるたび、私はぱかりと口を開けて受け取る。ひな鳥にでもなった気分だが、話に夢中になっていると食事を忘れがちなので、これはありがたい。
「まあ、はっきりと言えることは……」
エリオットが呆れ顔で締めくくった。
「師匠の作品ではないですね」
「断言できる?」
「もちろんです」
彼はきっぱりと言い切った。
「こんな粗悪品を師匠の作品と間違えるなんて、あり得ません」
その声には、揺るぎない自信があった。私はにっこりと笑う。ちょうど口に入れられた最後のサンドイッチを食べ終えたところで、牢番と警備隊が慌てた様子で駆け込んできた。
「失礼いたしました! 誤認逮捕でした!」
「すぐにお二人を釈放いたします!」
鉄格子が開く。私は立ち上がり、軽く伸びをした。
「もう終わりか」
「残念そうに言わないでください」
エリオットが即座に突っ込む。
「せっかく合法的に休めたのに」
「牢屋を休暇扱いしないでください」
「カイルとも牢屋を観光できたし」
「観光でもありません」
カイルは笑いをこらえながら肩をすくめた。
私はエリオットが護衛騎士に渡そうとしていた魔弾をちらりと見やり、それから牢の出口へと向かった。粗い術式。無駄の多い魔力の流れ。安全機構すらない。けれど、使われている技術そのものは、間違いなく私の魔弾を参考にしているだろう。
「制作者に会ってみたいなあ」
「え?」
エリオットが、私の意図を測りかねたように聞き返す。
私は振り返り、にっこりと笑った。
「これ、もっと良くできそうじゃない?」




