第一章 3 牢屋
重い鉄格子が閉まる音が、石造りの牢に響いた。
王都の地下牢。湿った空気と冷たい石畳。決して居心地のいい場所ではない。
取り押さえられる際にステッキを取り出したシェリルは、「犯行に及ぶ恐れあり」と判断され、魔術師用の完全拘束服を着せられていた。両腕の自由も奪われ、身動きひとつ満足に取れない。
普通なら、不安に押しつぶされてもおかしくない状況だ。
だが――。
「……懐かしいなあ」
隣の牢から、のんきな声が聞こえた。
カイルは思わず聞き返す。
「……何がだ」
「牢屋」
「牢屋に入れられることを、久しぶりって言うな」
カイルは額を押さえた。
今回起こった、イリーナが魔弾で撃たれた襲撃事件。現場にいた二人は、事情聴取という名目で拘束された。
もちろん無実だ。証拠が揃うまでは仕方ない――とは思う。思うのだが。
「しかし、この拘束はどうなんだろう」
シェリルは、服の上から着せられた拘束服を見下ろした。
「こんなので魔術師を止められると思っているのかな」
「……」
「口を塞がなければ呪文は唱えられるし、魔術具を持っていなくても発動できる術式はある。王都の警備は、もう少し魔術師についても魔術についても勉強した方がいいと思う。不勉強だ」
少し早口になっている。どうやら、いらだっているらしい。
「あと、この拘束服」
シェリルは鼻をひくつかせた。
「臭う」
「……」
「着心地も悪い。最低限、清潔であるべきでは?」
「快適さを求める場所じゃねえからな」
「職務の怠慢だと思う。改善案を提出した方が――」
「するな」
牢の改善案なんて提出された方も困るだろうし、そもそも牢屋での過ごし方に快適さを求めるな。
カイルが心の中で突っ込んでいると、シェリルはしばらく黙って鉄格子を眺めた。
「……以前に入れられた牢とはずいぶん違うな。前のところは割合さっぱりとしていたけれど、やはり王都の牢は歴史があるのか、重厚感のある雰囲気だね。……私は前回の方が好きかな」
「牢屋を比べたりするのはお前くらいだよ……」
「そうかな」
少し考え込んだあと、シェリルは笑った。
「前回は司法取引もあったからね。思い出の部屋なんだ」
「……」
カイルは小さく息を吐いた。
あのときか。
幼い頃の出来事が、ふと脳裏をよぎる。
流れ星を自分たちの手で作ってみたい。
そんな子どもらしい願いから始まった研究は、いつしか魔力を何倍にも増幅する技術へと姿を変えた。完成した魔力増幅の魔石は、王国が「国家機密級」と判断するほど危険な発明だった。
そして、その発明を完成させたのはシェリルだった。
設計も理論も、魔石の加工方法も、すべて彼女が考えたものだったからだ。
ちょうどシェリルが逮捕された頃、カイルは実家の領地へ戻っていてシェリルと離れていた。実験には協力していたものの、完成の瞬間には立ち会っていない。
「帰ってきたら、一緒に完成させよう」
そう約束して別れた矢先の出来事だった。
カイルがきたときに驚かせようと、シェリルは一人で実験を進めていたらしい。そして、完成した魔石とともに捕まった。
カイルが王都へ戻ったその日には、すべてが終わっていた。シェリルはすでに王国との司法取引を成立させ、魔力増幅技術を譲渡することを条件に釈放されることになっていたのだ。
カイルが彼女と再会したのは、まさに釈放されたその日だった。
子どもの遊び心から始まった研究は、その日を境に、王国が管理する国家機密級の技術となった。
後になってシェリル本人も、「少しやりすぎたね」と苦笑していた。二人で作った魔石まで取り上げられ、嘆くカイルを慰めるように「目的は達成したから大丈夫。二人でまた新しいものを作ろう」と言っていたのだ。
……まったく反省も懲りてもいないシェリルに、思うところはあったが。
過去を思い出していたカイルをよそに、シェリルはさっさと話題を切り替えた。
「それより、さっきは邪魔されて最後まで解析はできなかったが、イリーナに使われていたのは魔弾だった。でも、少し違和感がある。発砲音も、術式も……。途中で警備隊の邪魔が入ったことが悔やまれる。いつも大した仕事をしないくせに、邪魔することばかり優秀で……」
先ほどまでの気楽な口調とは違う。すっかり研究者の顔になっていた。
警備隊も仕事をしていただけなのに、この言われようだ。カイルは少し同情した。
「弾は回収されたかな。術式を見れば分かることが多いんだけど」
「俺たちが見られる保証もねえけどな」
無罪放免で、この牢から出られるとは限らない。
「大丈夫」
シェリルは笑った。
「私みたいな優秀な人材を、牢屋に遊ばせておくほどこの国は愚かじゃないはずさ」
「……」
「……何だい?」
「いや」
カイルは呆れたように、ふっと笑った。
「自信があるってかわいいなって思って」
「……」
シェリルは鉄格子越しに、じっとカイルの横顔を眺めた。
「……なんだ?」
「牢屋にいても、君の横顔は美しいね」
「は?」
「今日一番の角度じゃないか」
「……」
「この退廃的な雰囲気に、君のハニーブロンドがよく映えている。普段より少しくすんで見えるのにも芸術点を追加したい。新緑を思わせるような瞳も、こんな薄暗い場所できらめいているように見えるのは、ひいき目かな」
「牢屋で人の顔を鑑賞するな」
「いやあ、酒が欲しくなる景色だ」
「飲めるか」
ようやくカイルは苦笑した。
「……シェリル。少しは危機感を持て」
シェリルは首をかしげる。
「無実だから?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、何?」
本当に分からないという顔で聞き返される。
昔からそうだ。研究に関しては驚くほど鋭いのに、それ以外の危険に対する感覚は、どこかずれている。
「でも」
「?」
「君といると、牢屋でも何でも楽しいね」
カイルは一瞬、言葉を失った。
「……牢屋だぞ」
「うん」
「遊びじゃない」
「そう?」
「そうだ」
「でも、初めて来る場所はわくわくしない?」
「しない」
「私はする」
「……知ってる」
だから困るんだ。
どんな場所にいても、どんな危険が迫っていようとも、シェリルはカイルを見て、いつもと変わらない顔で「楽しそう」と言う。
「しかも! 今回は合法的に休めるし」
「休暇じゃないけどな」
「くだらない催促の手紙や、パーティーの招待状も届かない」
「届いてるぜ。研究室にな」
「そうなの?」
「ああ。たぶん今頃、研究発表会の後のパーティーの招待状が来てるはずだ」
「ああ……」
シェリルは残念そうに肩を落とした。その様子に、カイルは苦笑する。
「本当にお前は……」
「ん?」
「こんな状況でも楽しそうだな」
「君がいるからね。君と一緒なら、なんだって楽しい」
さらりと言われ、今度はカイルが黙る番だった。
本人に他意はない。分かっている。分かっているからこそ、余計にたちが悪い。
そのとき、牢番が慌ただしく駆け寄ってきた。
「シェリル・アイゼン!」
「はい?」
「王子殿下がお見えだ!」
カイルは肩をすくめた。
「……お、迎えが来たみたいだぜ」
「もう少しおしゃべりしていてもよかったけどね」
「カフェみたいに言うなよ」
鉄格子の向こうから、呆れきった声が響く。
「師匠……何をのんきなことを言ってるんですか」
現れたのは、頭痛をこらえているような顔をした弟子――エリオットだった。




