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天才様に人の気持ちはわからない!? ※本人に悪気はありません。  作者: 七月なのか


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第一章 2 イリーナ・セルビー 後

「ところで……」


 私は再び羊皮紙へ目を落とした。


「痛覚遮断薬の即効性は、もっと上げられるかい?」


「できなくはないわ。でも、即効性を上げるほど副作用も強くなると思うけど……」


 イリーナは考え込むように答えた。


「問題ない」


 私は即答した。


「丈夫な人間が使えばいいし、効果が続く時間も五分や十分はいらない。ほんの数秒でいいんだ。たった数秒、完全に痛みを消せれば十分なんだよ」


 イリーナは興味深そうに首を傾げた。


「それほど短時間なら副作用もほとんどないでしょうけど……何に使うつもり?」


「自分に魔弾を撃ち込むためだよ」


 当然のことを答えたつもりだった。しかし、イリーナは固まり、隣にいたカイルも聞き間違いではないかとばかりに私を見た。


「……え?」


「今、何て言った?」


「だから、自分に魔弾を撃ち込むんだ」


 私は二人の反応が不思議だった。仕方なく、考えていることを説明する。


「私が以前から魔導工学で人体用の魔弾を研究しているのは知っているよね。魔弾の種類を増やせないかと考えているんだ。身体強化や治癒、浮遊術式を自分に直接付与できれば、詠唱する時間がいらなくなる。でも、弾が当たれば痛いだろう? だから、命中する瞬間だけ痛覚を遮断できればいい。それが実現できるなんて、最高じゃないか」


 我ながら素晴らしい発想だと思う。私は満面の笑みを浮かべた。


 イリーナは少し考え込んでから、小さく頷いた。


「……理論上は可能ね。人体用の魔弾なら、反発を減らして安全性も高められそう」


「安全性って何だ」


 背後でカイルがぼそりと呟いた。


 自分に魔弾を撃ち込む時点で、いったい何をもって安全と言うのか。そんな疑問が顔にありありと浮かんでいる。


 けれど、私たちはすでに新しい研究の可能性に夢中だった。


「でも、人体実験を繰り返すと怒られちゃうのよね」


「そう。そこが課題でもある」


 私も残念そうに頷いた。


「私なんて、人体に使うものを研究することが多いのに。あらかじめ必要な投薬量や効果、副作用を確認しておいた方が、実際に使うときも安全でしょう? だから実験したいだけなのよ。もう」


 イリーナはもっともらしいことを言いながら、目を伏せた。


「時間奴隷を買ってみては?」


 いいことを思いついた、とばかりに私は提案した。


「時間奴隷ね……まだやったことがなかったわ。貴族社会では忌避されがちでしょう?」


 イリーナは顎に手を当てた。


「後ろ暗いことがある貴族や、大っぴらにできないような男が女を買うために使う、そんなイメージなのよ」


 爵位のある家に生まれたイリーナにとっては、なかなかハードルの高い提案だったらしい。


「まあね。でも、手軽ではあるだろう? 買う側と買われる側が互いに了承したうえで行うのなら、それほど人道的に問題がある話でもないし」


「そうねえ……検討する価値はありそうね。ふふ、いろいろ考えてくれてありがとう」


 イリーナは世間体を考えると難しいと思っているのだろう。それでも、私が自分のためにあれこれ提案していること自体は嬉しいようだった。


「そうか。時間奴隷が難しいなら……ううん、死刑囚でも使わせてくれれば話が早いんだけどね」


 私が平然と言うと、カイルの表情がぴたりと固まった。


 私は本気だった。人体実験について話しているというのに、まるで研究器具の調達方法を相談しているような口調だったらしい。


 カイルはちらりとイリーナに目を向けた。しかし、彼女は私の発言に何の違和感も覚えていない様子で、にこにこと話を聞いている。私が自分のために考えていることを、純粋に喜んでいるようだった。


 このままでは、話がどんどんよくない方向へ進みそうだ。カイルが止めるべきかと迷っていると、イリーナが何かを思い出したように手を叩いた。


「あら……でも、シェリル。あなた、人体実験をしていい部隊を持っているじゃない」


「まあね」


 私はあっさりと答えた。


「魔導実験隊のみんななら、協力してくれることになっている」


「待て」


 さすがに聞き捨てならなかったらしい。カイルが会話に割り込んできた。


「俺たちが協力すると言ったのは、実戦前の演習や訓練だ。人体実験の話なんか一言も聞いてねえ」


「似たようなものだろう?」


「全然違う!」


 魔導実験隊の隊長であるカイルは、頭を抱えた。


 あくまでも実戦前の演習や訓練の一環として協力しているのであって、魔弾が人体に及ぼす影響を調べる実験に同意した覚えはない。どうやら、帰ったら実験内容をすべて確認するつもりらしい。


「いつでも貸してくれていいんだけど?」


 イリーナはカイルを見ながら、悪戯っぽく言った。


「残念。あの実験隊は私の専属なんだ」


 断られることは予想していたのだろう。イリーナは軽く肩をすくめると、そのまま研究の話に戻った。


 研究の話が始まると、会話は一気に専門的なものになった。


「なるほど。その配合なら魔力反応をもっと安定させられる」


「ええ。でも、副作用との兼ね合いが難しくてね……少しサンプルを分けてあげるわ。今度魔弾に使ってみて、結果を教えてくれる?」


「もちろんだよ、イリーナ!」


 カイルには半分も理解できなかったようだ。少なくとも、私たちの話を聞きながら何度も眉間を押さえていた。それでも、二人が心から楽しそうに話していることだけは伝わっているらしかった。


「さすが学院を飛び級した天才ね。理論だけじゃなく、もう実用段階の話までできるなんて」


 サンプルを薬瓶に詰めながら、イリーナは苦笑した。


 魔弾に使用することを許してくれるなんて、イリーナは最高だ。お礼は必ずしなければいけない。


「いいや。イリーナの薬があったからこそ思いついた発想だよ。イリーナの薬がなければ、私は思いつきもしなかった」


 その言葉に、イリーナは少しだけ目を細めた。


「私たちの間にあった五年という歳月も、あっという間に縮まって、今じゃすっかり追いつかれてしまったわ……。あ、ちょっと待っていて。試作品を隣の棟に置いてきちゃったみたい。一つ持ってくるわね」


 そう言い残し、イリーナは研究室を出ていった。


「実物が見られるなんて最高だ! やっぱり来てよかっただろう?」


 私は机に広げられた羊皮紙を眺めながら、さっそく考えを巡らせた。


「イリーナの今回作った薬を元に、痛覚遮断と回復術式を組み合わせれば――」


 ――ギギギィン。


 パンッ!


 建物の外から、乾いた破裂音が響いた。


 私が顔を上げるより早く、カイルが反射的に立ち上がった。


「今の音は!」


 続いて、何か重いものが倒れる音がした。


「外だ」


 私たちは同時に研究室を飛び出した。廊下を駆け抜け、中庭へ出る。


 そこには、イリーナが倒れていた。


「イリーナ!」


 私は駆け寄り、膝をついた。白衣は真っ赤に染まり、肩から大量の血が流れている。


「しっかり!」


 脈を取る。まだ生きている。だが、意識はなかった。


 傷口を確認した瞬間、私は目を細めた。


「……魔弾」


「何?」


 周囲を警戒していたカイルが聞き返した。


「術式の残滓がある。普通の銃創じゃない。魔術式が発動した痕跡が残っている。魔弾だ」


 その言葉を聞いた瞬間、カイルの表情が鋭く変わった。彼はすぐに顔を上げ、周囲へ視線を走らせた。


「伏せろ!」


 突然、肩を掴まれた。私は地面へ引き倒され、同時にカイルが腰の銃を抜く。


「撃ったやつがまだいるかもしれねえ!」


 建物、屋根、窓。カイルは死角を一つずつ警戒していた。しかし、第二射は来ない。中庭には静寂だけが残った。


 私は身を起こし、イリーナの傷口へ目を戻した。今は犯人を探すよりも、傷の状態を確認する方が先だ。


「術式を解析すれば、使用者の癖や構成が分かるはず……いや、まずは止血からかな」


 腰に差した愛用のステッキへ手を伸ばす。短い詠唱とともに、淡い光を放つステッキがその手に現れた。


「ヒーリング」


 ステッキの上部にある星形の大きな魔石が薄い紫に輝く。傷口の表面が美しい青の光に覆われた。


 しかし――傷口は塞がらなかった。


「出血だけでも止められれば……なんだ、この……」


「どうした?」


「おかしい」


 私は傷口を凝視した。治癒魔術が効いていない。いや、正確には、効きが悪い。


「術式が阻害されているのか? ちっ……分析しないと、治癒魔術の効果が出ない」


 カイルが顔をしかめた。


「治せねえのか?」


「違う」


 私は即座に答えた。


「治せないんじゃない。治させない術式が組まれている」


 その事実に、胸が高鳴った。


 治癒魔術を阻害する魔弾。しかも、術式の残滓が傷口に残っている。いったい、どんな構成なのだろう。


 解析したい。今すぐに。


 私はイリーナから少し離れ、全身が見渡せる位置へ移動すると、ステッキを構え直した。


 そのときだった。


「何があった!」


 銃声を聞きつけたのだろう。王都警備兵たちが中庭へ駆け込んできた。


 目の前には、血だらけの女性。その傍らには、ステッキを構え、血の付いた私。そして、銃を構えた男。


 状況を見た警備兵の隊長が叫んだ。


「武器を捨てろ!」


 カイルはすぐに銃を地面へ置いた。こういうときは、武力を行使する意思がないことを示した方がいい。訓練でそう教わっているのだろう。


「俺たちは違う! 撃たれた直後に駆け付けたんだ。所属は魔導実験隊隊長、カイル・ヴァイス。こっちは王宮魔術師のシェリル・アイゼンだ!」


「その話は後で聞く!」


 兵士たちが一斉に武器を向ける。一人がイリーナのもとへ駆け寄り、状態を確認した。


「まだ息はある!」


「至急、治療班を呼べ!」


 別の兵士が私を見た。服には血が付いている。手には魔術具のステッキ。倒れた女性のすぐそばにいるのも、私だった。


「この女も確保しろ!」


「待って」


 私は静かに口を開いた。倒れたイリーナの傍らから動かず、ステッキを構えたまま傷口を見つめる。


「シェリル!」


 カイルが私を呼んだが、今は返事をする余裕がなかった。


 視線はイリーナの傷口だけに注がれている。治癒魔術を阻害する術式。その構成を、どうしても確かめたかった。


「アナライザー」


 私はステッキを構え直し、呪文を唱えた。


「動くな!」


 兵士の怒号が飛ぶ。


 銃声が響いた直後の現場。血を浴びた女が、魔術具を構えている。


 兵士たちには、それだけで十分だった。


「魔術を使う気だ!」


「取り押さえろ!」


 数人の兵士が一斉に飛びかかってきた。


「違う!」


 カイルが叫んだ。


「こいつは犯人じゃない!」


 しかし、兵士たちは聞く耳を持たない。私は抵抗しなかった。


「待ってくれ。術式だけ確認させてほしいんだ。このままだと証拠が――」


「黙れ!」


 乱暴に腕をねじ上げられた。ステッキが石畳へ転がり、乾いた音を立てて打ち付けられたかと思うと、魔術具は光とともに消えた。


「シェリル!」


 カイルが兵士を押しのけようとする。


「離せ! 彼女は王宮魔術師だ! 証拠保全を――」


「貴様も動くな!」


 別の兵士が剣を抜き、カイルへ突きつけた。その隙に、縄が私の両腕へ回される。ぎり、と縄が肌に食い込んだ。


 それでも私は、イリーナから目を離さなかった。


「……早く。傷口の術式が消える前に調べないと」


 その言葉は、兵士たちには言い訳にしか聞こえなかったらしい。


「両名、殺人未遂の容疑で拘束する!」


「話は牢で聞く!」


 カイルも両手を拘束された。


 私は抵抗しなかった。


 目の前では、イリーナが血を流して倒れている。治癒魔術を阻害する未知の術式が、今も傷口に残っている。


 どうしてこんなことになったのか。誰がイリーナを撃ったのか。


 考えるべきことはいくらでもあるはずだった。


 それでも私の意識は、傷口に残された術式へと引き寄せられていた。

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