プロローグ②
シェリルはある日の昼間、他の子供たちと一緒に運動時間として庭に出されていた。
庭にある小さな池に足を浸して、図書室から持ち出した植物図鑑を眺める。
庭にはほとんど視界を遮るものがないので、影もあまりない。今日みたいな暑い日は、水に足を入れるのが一番涼が取りやすいのだ。
日を反射して眩しく輝く植物図鑑を見ていると、年下のフロレッティとロイがやってきた。
「シェリル……」
「どうしたの?」
二人は落ち着かない様子で、せわしなく指を擦り合わせていた。落ち着きもないし、平時の顔色よりも暗い気がする。
これは何かあったのだろう。私は膝に本を置いて、二人に尋ねた。
「あのね・・・職員の人が言ってたの。三日後、お客様を迎えてバニーハントをするんだって」
「ああ・・・なるほど。だから今日は人の出入りも多いわけだ」
フロレッティは、オレンジがかった明るい茶色の瞳を不安げに揺らす、繊細な印象の少女だった。隣には、暗い緑の髪と瞳に、少し日に焼けた肌が健康的な印象を与えるロイが寄り添っている。この同い年の二人は特に仲が良く、いつも一緒にいることが多かった。
今日は朝から人の出入りが多かった。お客様用の正門付近は騒がしく、食料などを運び込む裏門もひっきりなしに人が出入りしていた。来客があるのは間違いなさそうだと思っていたが、それがバニーハントのためだとは思わなかった。
私は、今いる孤児院の子供たちの中で座学の成績が一番良かった。だから二人は何かいい案がないかと、私に相談しに来たらしい。
不安に彩られた二人の顔はこの孤児院にふさわしく愛らしかったが、その表情には隠しきれない恐怖が浮かんでいた。
「どうしよう……」
「痛いのは嫌・・・、それに、こわいよ・・・」
まったくもってその通りだった。
興奮した大人に追い回されるのは怖いのだ。
前回のバニーハントで、フロレッティとロイの仲の良かった子供が、次の日には孤児院から消えていた。
ご主人様が新しく見つかったのよ、幸せになるの。と院長先生は言っていた。
別れの挨拶はなかった。
消えたのは、バニーハントでしつこく追いかけられていた可愛い子だった。
「……私に考えがあるの。手伝ってくれるね?」
二人は何度もうなずいた。
素早く頭を回転させ、膝の上に本を広げたまま作戦を二人に伝える。
「シェリル!」
二人と話が終わった頃大きな声で呼ばれた。
ベスティナだった。彼女は私を見かけると、いつも突進してくる。
彼女はこの孤児院から出ていくことを目標にしているようで、事あるごとに「あんたは私と一緒にここを出るのよ」と言ってくる。絵画が得意だけど、座学が苦手、宿題が出るたびに答えを聞きに来る彼女のことだ。外に出てからも、きっと私を便利に使うつもりなのだろう。
それに、お客の前では私とよく並べられる。ベスティナの深い赤褐色が、灰をかぶったような私の髪色によく映えるからだろう。なんにしても、私は彼女にとって都合のいい存在というわけだ。
だからか、彼女は私が何をしているのか、よく気にして聞いてくる。今考えていることがばれたら面倒だ。ここはごまかすのが一番だろう。
「二人となに話してんのよ?」
後ろから抱きついてきたベスティナの腕を撫でる。こうすると、彼女は落ち着くことが多い。
以前、私が転んで膝を擦りむいたときも、彼女はしばらく離れようとしなかった。傷の手当ては終わっていたので、何をそんなに心配することがあるのか不思議だったが、背中を撫でていると落ち着いた。それ以来、彼女が抱きついてきたときはこうすることにしている。
肩越しに二人を見るベスティナの目は、年少の子供たちに向けるには少々鋭かった。
ベスティナの機嫌が直ったかどうかを確かめるため、私は肩越しに顔を覗き込んだ。
「もういい?」
「……何が?」
「落ち着いたかなと思って」
ベスティナは私の腕をぎゅっと抱きしめた。
「……ふん、あんたってホント、全然わかってないわね」
「……何が?」
「別に!」
何が問題だったのだろう。腕を撫でると落ち着くことが多いので、今回も同じようにしたのだけれど。
もっと強く撫でたほうがよかったのだろうか。それでも離れないところを見るとそれほど悪くもなさそうな気もするけど・・・。
まあ、よくわからないが、元気そうなので問題はなさそうだった。
「そうか」
「・・・それで、二人と何してんのよ」
「・・・三日後にバニーハントが行われるという噂を耳にしたようでね」
「なんですって?」
ベスティナの声が鋭くなった。
「それで、あんたは何をするつもりなの?」
「何って?」
「とぼけないで!」
どうやら、バニーハントの話を聞いただけで、私が何かを企んでいると察したらしい。
「まだ何もしていないよ」
「まだ、って何よ!」
「……声が大きいよ。職員に聞こえる」
ベスティナは口をつぐんだ。けれど、私の腕をつかむ手には力がこもっていた。
やっぱり、話さなければよかった。
ベスティナには余計なことを離さずにやり過ごすのが一番なのに・・・。後悔してももう遅い。
そもそもバニーハント事態三日後に始まるのだから言わないで当日を迎えた方がよかったか?
しかしそのあとに怒られるのも困る。
「それで?何をするつもりなのか言いなさい」
「どうして?」
「いままであなたがこういう時どんな失敗をしたのか忘れたの?」
「・・・・・・・・・・・」
私は答えずににこやかに笑うことに注力した。
藪をつついて蛇を出したくはないのだ。
「とくになにも考えていないよ。二人とはただ何の本を読んでいるのか聞かれていただけだよ」
フロレッティとロイが驚いたようにこちらを見る。
バニーハントでの作戦をベスティナに言わなかったことを驚いたのかな。
でもベスティナに言うと私がしようとすることを止められることが多いから言わないでやり過ごしたいんだよな。
「・・・ふうん?」
う・・・、疑惑の視線が強いな。
「危険はないの?」
「安心して、ベスティナ」
「・・・・・・・・・・」
「それじゃ、二人ともまたね」
私はベスティナを背中にくっつけたままフロレッティとロイの二人に手を振って、その場を離れた。背中に視線を感じて振り返ると、二人はちらちらとこちらを気にしながら、遠ざかっていった。
大丈夫だよ。
ーー
そうして迎えた三日後。
運動時間に、私たちは庭に出されていた。
今日はすでにお客様をお迎えしているらしく、塔の上からねばっこい不快な視線を感じる。
おそらく明日バニーハントを行うのだろう
運動時間は、子供たちにとって自由時間だ。楽しみにしている子も多い。思い思いに遊具で遊んだり、寝そべったり、木陰で本を読んだり、花を摘んだりして過ごす。
フロレッティとロイは花を摘んでいた。
普段の私は、他人の視線を避けるため、なるべく目立たないように端へ行く。けれど今日は、日の当たる場所でベスティナに誘われるまま、醜悪な見た目の遊具で遊んだりして、子供らしく過ごしてみせた。
ベスティナは、この三日間、私が余計なことをしないか見張るつもりなのか、ずっとべったりとくっついていた。
「今日はめずらしいわね! シェリル!」
いつも遊びに誘われても断ることのほうが多いからか、一緒に遊ぶ私を見てベスティナは上機嫌だった。
どうやら、私と遊ぶこと自体が楽しいらしい。遊具の種類にこだわりはないようなので、付き合うだけなら難しくない。
これだけ機嫌よくいてくれるなら、五回に一回くらいは遊びの誘いに乗って遊んであげてもいいかもしれない。
そう思ったのだけれど。
ベスティナは体力が有り余っていた。
言われるがままに付き合い、シーソーで遊びすぎた私は、運動の時間が終わるころにはすっかり疲れてしまった。
やっぱり、十回に一回にしよう。
ーー
そうして昼間、お客様が好みそう子供らしい姿で遊んでいたからか、チャンスが訪れた。
職員やお客様の食事会は、その日選ばれた子供たちが準備し、給仕をする。今日は食堂に一堂に会して食事をするらしい。
選ばれた子供たちの中には、私とベスティナ、フロレッティとロイ、他にも二人。
これだけの人数が食事のために用意されているということは、バニーハントのお客様は、すでに来ているのだろう。そして、私はそのお客様に指名されたらしい。普段だったら絶対に指名はされたくはないが今日は仕方がない。
指名のあった子供たちは一度、自分の部屋に戻された。休んだ後に湯あみをして、長い夜に備えるようにとのことだった。
けれど、私にはやることがある。
フロレッティとロイが昼間に摘んできた植物の中から、最も効果がありそうで、なおかつ匂いの少ないものを選ぶ。二人は限られた庭の中から、よく頑張って探してくれた。
そう、私は二人に植物図鑑に載っていた草を集めるようにお願いしていたのだ。
ランプの魔石を使って簡単な魔術薬を作りあげる。途中何度か失敗をし、薬草が足りないかもしれないと焦ったがなんとか出来上がった。
「量は・・・このくらいかな・・・?」
くん、と顔を寄せて魔術薬を嗅ぐが匂いもほとんどないから問題ないだろうとほっと息をつく。
もちろん、死ぬようなものでもないし、腹を壊したりもしない。昏倒だってしないし、眠りについたりもしない。・・・本音はそうなってほしいが、ここに来る人間の多くは立場がある人間のようだから死人が出るようなことがあれば孤児たちもただでは済まないだろう。
食事係の子供が薬をお客様に盛ったと特定されても困るのだ。
ただ少し、バニーハントを行うお客様の魔力が枯渇して、疲れやすくなるようなもの。
バニーハントで、木の根につまずいてほしい。それくらいのものだ。
それよりも作り慣れない魔術薬を作るのに魔力を消耗したらしい体は重く、ベッドに横になるとあっという間に眠りにいざなわれることとなった。
「シェリル! そろそろ時間よ!」
部屋の外から、ベスティナの大きな声が聞こえてくる。
はっと目を覚ますと外は暗く、食堂に行く時間が迫っていた。
「あ、ああ、今行く!」
私は慌てて、手のひらに収まる小さな薬瓶を引き寄せ、雑に机の上を片付ける。
「嘘!まだ着替えてもいないの!? もー!」
食事会用の服に着替えたベスティナが、口うるさく言いながら部屋に入ってくる。
「ほら! 服はこれよ!」
彼女はクローゼットから勝手に服を取り出すと、私に着せ始めた。
急がなければ、食堂の集合時間に遅れてしまう。余計な仕置きはごめんだ。急いで準備を済ませようと思ったのだが……。
「ベスティナ、先に……」
「何言ってるの! 一緒に行くのよ!!」
先に行っていてもらおうと思ったのに、何をするにも一緒が好きなベスティナは、あっさりと言い切った。
「湯あみは!? それもしてないの!? 信じらんない!!!!」
んもー!、とベスティナは怒りながらも素早く濡らしたタオルを用意し、私の体を拭き始めた。
そんな簡単に服を引っぺがさないでほしい。こちらにも羞恥心というものはあるんだ。
「湯あみは今からじゃ無理だから……なんとかこれで」
ベステラが濡れタオルに香油まで垂らしてくれたのか、ふわりといい匂いがした。
「ごめんね……ベスティナ……」
「……も、もう! ふん、シェリルの世話を焼くのは私の仕事だから仕方がないわよ!」
さすがに申し訳なくなって謝ると、ベスティナはさらに声を大きくした。
でも、こういうときのベスティナは、これ以上あれこれ言ってこないと知っている。
これ以上怒られないなら、それでいい。
ーー
ベスティナの献身もあって、なんとか言われたとおりの衣服を着て、食堂の集合時間に間に合わせることができた。
私たち以外の子供たちは、すでに食堂の大扉の前に集合していた。
常に清潔に保たれている天使の園。その中でも、お客様がいらっしゃる食堂は、子供たちが普段使う食堂よりもはるかに豪華で、美しく整えられている。白を基調とした内装は、教会を思わせる厳かな雰囲気を漂わせていた。
大きな扉の前には、子供たちがそれぞれ担当する料理や道具を持ち、いつでも動けるように待機している。
私もフロレッティから酒のデカンタを渡された。中にはたっぷりとワインが入っている。
(おも……)
腕力の乏しい私には、少々重い。
今日は重労働になりそうだ。
フロレッティは大きなカトラリーケースを抱え直している。ベスティナは食器の載ったトレイを両手で支え、ロイは料理を運ぶための大きな盆を持っていた。他の二人もフルーツの盛られた籠を持っている。
みんな、それぞれに仕事がある。
「そろいましたね」
美しく着飾った院長先生が、私たちを見渡してにこやかに言った。
それに対して子供たちの表情はみな固い。
「お客様たちがお待ちですよ。気に入っていただければ、引き取っていただけますからね。みなさん、お客様のお話をよく聞いてください。大丈夫、不安なことは何もありません。今まで教わったとおりにすれば、それでいいのですから」
そう言って、院長先生は食堂の扉を開け、中へと入っていった。
中には男性が五人いた。大きな円卓を囲むように席が並び、一つだけ空いている席がある。そこは院長先生の席らしい。
「皆様、お待たせいたしました。本日の天使たちです」
院長先生の言葉に従い、私たちは一列に並ばされた。
男性たちの視線が、一人ずつ私たちの上を這う。じろじろと、値踏みするように。
「では、こちらのお客様のところへ」
院長先生は、指名のあった子供たちに声をかけ、それぞれ客人のもとへ向かわせた。客人の前に立つと、院長先生が簡単な紹介を始める。
「この子がシェリルです。この子は座学が得意で、図書室の本はすべて読んでしまいました。暗記も得意で、とても賢い子ですのよ。ただ、少し悪戯好きで……本の知識を試そうと、いたずらをよくするんですの。両親とは死別しておりまして、町で孤児をしているところを私が見かけ、保護を与えたのです。どうぞ、この子に守りがありますように」
「おお、そうかい。シェリルというんだね。賢そうじゃないか。本が好きなのかい。外でお友達と遊んでいるのを見たよ。どんないたずらをしたんだい? 私にもいたずらをしてもらいたいねえ。話を聞かせておくれ」
「はい」
私は指名してきた客人の足元に跪き、本について話をした。自分がしたいたずらについても。
……まあ、あれはいたずらというより、洗濯をもっと効率化したくて行った実験なのだけれど。
桶の中央に置いた魔石に魔力を注ぎ、水の流れを作って自動で洗濯できるようにしようとしたのだ。そうすれば、本を読みながらでも洗濯ができる。あとは干すだけだ。絞る工程だって、もっと効率を上げる方法を考えていたのに、思ったより水の扱いが難しく、渡り廊下まで水浸しにしてしまった。
そのせいで反省室に入れられ、一晩祈りを捧げる羽目になったのだ。
そんな失敗談を、私は客人とにこやかに話していた。
けれど、客人は私がどんな失敗をしたのか好きな本など、どうでもいいらしい。私の話に相槌を打ちながら、上から服の隙間をのぞき込むのに忙しい。どうやら、私の話よりもそちらのほうが重要らしかった。
会話を続けながら、私は食堂の様子を観察していた。目の前の客人は初めて見る人間だったが、何人かは以前からここに通っている人物で、いずれも政治の重臣だ。
院長先生も食卓に加わっている。
その隣に座っている人物は、私が最も顔を合わせたことの多い客人だった。おそらく、院長先生に会いに来ているのだろう。熱心に話しかけては院長先生の手を握り、「女神のような美しさだ」などと褒め言葉を並べている。
ふむ。たしかに整った黄金比ではあるが……。しかし、どちらかといえば悪魔的なのでは?
このあとに起こることを考えれば、そんな発想を持つ院長先生こそ、まさに悪魔だと思う。
そして、院長先生の右隣に座っている堅苦しい印象の年若い男性が、今日の歓待の中心らしい。
無口で、ほとんど口を開かない。それなのに、ほかの客人たちは一様に彼の様子を気遣っていた。
(どういう関係性なんだろう)
そんなことを考えているうちに、食事会が始まった。私たちは客人たちのもとを回り、料理を給仕していく。
運ばれてきた料理は、どれも美しく、おいしそうだった。けれど、給仕をする私たちに、わずかな失敗も許されない。
向かい側では、ベスティナが緊張した面持ちでスープをよそっていた。
前回のバニーハントで帰ってこなかった子は、スープをほんの一滴、机に垂らしたのだと聞いた。
私も給仕を終え、再びデカンタを持って立った。私の仕事は、客人たちにワインを運ぶことだ。
たっぷりとワインの入ったデカンタは、やはり重い。そろそろ腕が限界に近づいてきた頃だった。
――そして、予想どおりというべきか、仕組まれていたというべきか。
事は起こった。
カシャーーン!
食堂に大きな金属音が響き渡った。
フロレッティが、カトラリーを落としたのだ。
彼女の仕事は、客人六人分の銀食器が収められたカトラリーケースを、そのまま食卓まで運ぶことだった。重厚で豪華なケースに、ずっしりとした銀食器が詰まっている。小柄なフロレッティには、さぞ重かっただろう。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
フロレッティは何度も謝った。けれど、許しを請う声は途中で震え、やがて泣き声に変わった。
仕置きが始まったのだ。
「まったく、困った子だ。こちらへ」
呼ばれたフロレッティは、震えながら客人のもとへ連れていかれた。
つねられたのだろうか。フロレッティは「痛いっ!」と鋭く声を上げた。けれど、そんな声で手を止めるような人間は、ここにはいない。
つねられ、はたかれ、時にはなだめるように撫でられる。
何をされるのかもわからないまま、フロレッティは息も絶え絶えになっていた。
「まあ、可哀そうなフロレッティ……。でも、よく耐えましたね。素晴らしいですよ」
院長先生は、痛ましそうな顔でフロレッティを見つめた。まるで、本当に彼女を気遣っているかのようだった。
「そうだわ。そんな頑張り屋のあなたに、素敵なお知らせがありますよ」
院長先生は、今度はフロレッティとロイに微笑みかけた。
「フロレッティとロイ。あなたたちのどちらかを引き取りたいという方がいらっしゃいます」
フロレッティは、言われたことが理解できなかったのだろう。無理もない。
ロイは察したのか、顔をこわばらせていた。
二人以外の子供たちも、今回のターゲットがフロレッティとロイに決まったことを察したようだった。安堵と同情が入り混じった、複雑な表情を浮かべている。
「フロレッティとロイ。どちらがここを出ていくか、選びなさいな」
院長先生の言葉に、二人の顔からさっと血の気が引いた。
院長先生はいつも通りの笑みを浮かべて二人を見ていたが、頬は赤く染まり、興奮していることが見て取れた。
周囲の人間も、フロレッティとロイが仲のよいことを知っているのだろう。二人がどんな反応をするのか、期待するように見つめている。不幸を前にした興奮が、彼らの表情に滲んでいた。
醜悪さに目をそむけたくなる。
「ふ、二人一緒では、だめですか?」
「だめですわ」
「で、でも……」
二人は互いの顔を見た。どちらも、相手を置いていくことなど考えたくもないのだろう。
「あら二人では決められないの?では、どちらの子にするか、どうやって選んだらよいかしら・・・。皆様、知恵を貸してくださいませ」
院長先生は芝居がかったしぐさで困ったように微笑み、客人たちを見回した。
「ひっ……」
フロレッティとロイ、どちらのものかわからない小さな悲鳴が漏れた。
客人たちは嬉しそうだった。
「世間の厳しさを教えてあげましょう。耐えられた方が出ればよろしいのでは?」
「外は厳しいですからなあ。天使の園ではみんな優しいですが、外ではそうもいきませんよ」
「仲良しの二人ですからな。お互いのためにも、よい経験になるでしょう」
客人たちの視線は、フロレッティとロイに集中していた。
親切さを装っているが、そんなはずはない。
ぎらついた瞳と、上気した肌がその答えだった。脂ぎった指が二人に向けられるのも、時間の問題だろう。
その隙に、私は空いているグラスへワインを注いだ。
もちろん、先ほど用意した魔術薬も入れてある。
よし。
誰もこちらを見ていない。フロレッティとロイが注目を集めてくれたおかげで、絶好の機会ができた。それに、重かったデカンタも少し軽くなった。
ほっと息をついた、そのときだった。
歓待の中心にいた若い男性が、すっと手を伸ばした。私が注いだばかりのワイングラスを引き寄せ、そのまま口をつける。
そして――。
すぐに異変が起こった。
男の指輪が淡く輝いたのだ。
男はすぐさま、傍らにいた私の髪を強くつかんだ。
「アッ……!」
「ふむ……酒を入れたのはお前だったな。命の危険はなさそうだが……何を入れた?」
「!」
驚いて何も言えない私の顔を、男はじっくりと眺めた。やがて、手元のグラスを持ち上げ、くん、と匂いを嗅ぐ。
「媚薬……ではなさそうだし、魔術が使われているな? ……アナライザー」
男が取り出したステッキを見て、私は悟った。
この男は魔術師だったのだ。
指輪が輝いたのは、毒殺を防ぐための魔道具だからだろうか。あるいは、飲み物に含まれた薬に反応する仕組みなのかもしれない。
顔から血の気が引いていく。
「魔術薬か? それにしては稚拙な……弱いな」
髪をつかまれたまま、私は床に打ち据えられた。それでも逃げようとは思わなかった。
どこへ行っても同じだ。
それに、私が逃げれば困る人もいる。もうすべてばれてしまったのだから。
「お前が作ったのか?」
「……はい。私が、一人で、作りました」
ぶるぶると勝手に震える手に力を入れて答える。
「……お前が? 魔術についてはどこで学んだ? 昼間、花を摘んでいた子供たちは……そこの二人か? お前が何かを受け取っていただろう」
「っ、私が頼んで摘ませたのです。関係ありません」
この男は、ずっと上から見ていたのだ。
動揺を悟られないように答えなければいけない。
「それを信じるとでも?」
しかし男は一層不愉快な笑みを浮かべた。
先ほどまでの無表情が一転したことに、ぞっとした。
「真実かどうか確かめるまで、お前と、花を摘んだ子供たちを、皆で囲んでやろうか」
床に倒れた私の髪をつかみ、男が顔を寄せる。
髪を引かれる痛みと恐怖に、私は慌ててカチューシャを押さえた。
けれど、間に合わなかった。
「……!」
男の目が見開かれる。
「ああ、お前……セルリアの……」
私は真っ青になって震えた。
お守りがずれてしまった。
さすがに、感情を殺しきれなかった。
「シェリル……?」
ベスティナが、見たことのない私の姿に、小さく声をかけた。
「まあ……シェリル、あなた……」
院長先生も、私の姿に言葉を失っていた。
「院長、このことはご存じで?」
「いいえ……まさか……」
髪を引っ張られ、床から引きずり起こされた私は、大きな声で謝った。
「ごめんなさい!」
「そうだ、お仕置きをしましょう」
客人の一人が、楽しげに言った。
「我々をだましていたのですからな」
「先生のことまでだますとは、なんと悪い子だ」
「厳しく罰してやらなければ」
「いや……いやです……ごめんなさい。お許しください……」
私は必死に許しを請うた。けれど、誰も助けてはくれない。
「そうですね……この子にしましょう」
歓待の中心にいた男が、私を見下ろして言った。
「大人にやってはいけないことを教えてやりたくなりました。やったらどうなるのかも、一緒に教えてやりますよ」
男は、ほかの客人たちへ顔を向けた。
「皆さん、明日の予定でしたが、今からバニーハントをしましょう」
「それは面白い。夜のバニーハントですか」
「ウサギは夜行性ですからなあ。普段は見られない姿が見られるでしょう」
「暗闇に乗じて、何が起こるかわからないでしょう?」
客人たちは、まるで面白い余興でも始まるかのように笑った。
大人たちはみな、目をぎらつかせていた。
その欲望に、私は身をすくませた。
「私はこの子が気に入りましたね。この子は私が追いかけるので、捕まえたらいけませんよ」
「おや、それは面白そうですね」
「この子が今回の景品ですね」
「他にも何匹か入れましょう。さっきの二人はどうですか。間違えた子を捕まえてしまうのも一興ですからね」
「捕まえたものの言うことを聞いてもらいましょうか」
おぞましい会話をするお客様たちをしり目に、お客様の要望に応えて院長先生がバニーハントの準備をするように職員へ声をかけている。
バニーハントの名前にふさわしい、ウサギの耳に、それにしっぽのついた服装に整えられ、庭園の入り口にシェリルと数名はたった。あと数歩庭に踏み出せば、夜の暗闇になるがそれは同時に恐怖でもあった。
「さあ、ウサギさんたち」
促されて、ぶるぶると震える足で走った。
隠れた。
昼間は柔らかな芝生だったのに、小さな音がなって恐ろしい。
捕まえられたらきっと契約魔術を結ぶことになるのだろう。
けれど、相手は大人の魔術師。小さな声と共に夜空に星が輝くような明かりがともった。
場違いなほどに美しい明かりが隠れ場所を照らす。
そうしてあっという間に、シェリルが隠れていた場所が見つかった。
そうして私は、天使の園から、この男のもとへと引き取られた。
それが師匠。
あの天使の園出身にしては、大当たりの保護者を得たと言えるのかもしれない。
まあ、当時の魔術薬を振り返ると、私もずいぶん稚拙なものを作ってしまったと、引き取られてから反省した。黒歴史でもある。
あれが、当時の私にできる精一杯だったのだ。
師匠が私を指名しなければ。あるいは、相手がほかの人間だったら。うまく薬を飲ませることができたのではないかと、今でも思う。
結局、力がない者は搾取されるのだ。
師匠に引き取られ、素晴らしい幼馴染を得て、その後は学院へ進んだ。
学院で学ぶことには、興味をそそられる内容も多く、楽しかった。学院は嫌いではなかったし、最優秀にも選ばれ、神の島へ行くこともできた。
卒院後は、この国の魔術師の最高峰である王宮魔術師になった。
国全体で魔石が不足し、思うように研究ができなくなったのは困りものだけれど……私には神の島との約束がある。
できることを、精一杯やるだけだ。
さあ、幸せになる準備は出来ているかい?ここからが私の人生の本番だ。




