34-1 遠きゼロに嘆く
私は誰よりも人間を知っている。
それは何故か?私は全ての人の隣に誰よりもいたからだ。
灼熱の炎に我が身を溶かし、形を捻じ曲げ、尖らせてはそれを他者の肉へとめり込ませていた。時にはただただ重くして振りまわしては骨を潰してみせた。
その度に我が身に染み込む者があった。血だ。赤黒いそれは本来人の身に流れて活動を支える液体だ。だがそれを流すように人々は我が身を削り、伸ばし、尖らせては他人の血を奪っていった。全てはその先にある栄光の為に。
栄光の為には多くの血を流す必要がある。それを流しに流した者達だけがこの世界で王になれた。あるいは勝者になれた。そうして肉を、酒を胃に流すのが人と言う存在であると我は学んだ。その足元では数多の血と魂が流れているにも関わらず。
この身に刻まれた血と嘆きの記憶がそれを語っている。故に我は学んだのだ。人間とは血を流して他者を蹴落とし、王にならんとする者達であると。そして我はその身に染み込ませた。彼らの記憶を。怨念を。全ては栄光の為に。
「さて……どうしたものか」
深き闇の中、一つの意志ある者が思案を巡らせていた。
この深き闇と言うのは言ってしまえば現実ではない。遥か昔より人間が描いていた地獄や天国と言う場所でもない。言うなれば高次元空間。通常の存在ではまず踏み入れられない場所である。
「我が地上に顕現するにあたり、手伝ってもらった陸島鉄明は今現在は己を研磨している。我は今現在はこの空間にて陸島の動向を探り、見守るというのが手一杯だ」
ではそんな領域に意識をもって存在しているものと言うのは一体何か?
答えてしまっていいのであれば、その者は鉄の精霊である。その空間にて精霊は人の体の形を手にし、今はその空間にて静かに佇んでいる。
「……だが今はそれでいい。我の加護によってわずか五年ほどではあるが、器を鍛える事には成功している。今日もまたどこかで戦いを繰り広げているだろう。己が目的の為に」
鉄の精霊は不敵に笑った。
この精霊はかつて陸島と相原との決闘の最中に陸島によってその身を地上に顕現させることには成功した。しかしその後に相原が陸島の精神世界に入り込んだ後、彼と精霊を繋ぐ線と言うべきものを断ち切られ、さらに現実において三田川を始めとした者達の攻撃もあって最終的には闇の中にその身を消した。
「ここから姿を見せても良いが……またあのような者に出くわすようであれば無駄である。陸島との繋がりもあの小娘のせいでほぼ切れている。最後に彼に我が魔術を教えてから繋がりはもうないに等しいが、あの者ならばそう簡単には死なないだろう」
精霊は含みのある笑いを浮かべる。
「そうであろう?陸島よ。かの者に鉄槌を下すまで、貴様は下がることもできなければ、死ぬこともできんのだからな」
陸島の目的である家族を殺した者への復讐。
彼の傍らにいた、精霊は良く知っていた。
「それにしても……組織と言ったか?あの連中は」
陸島の過去を思い返している内に精霊はふとその組織という言葉を思い出す。
「一つの目的の為に違う魂が一つになって行動をするというのは人間のあるべき姿の一つだ。しかし連中の目的は何だ?十年以上前だったかもう少し前に『封印』に手を伸ばした者がいたようだが……まさかな」
精霊は封印と自ら呟いた言葉にまた一つ思い出す。
「そういえば……封印が出来てからどれだけの日々が経過した?あの封印、場合によっては我が使いたいが、はてさてどうしたものか……」
廃動物園での任務が終わり、次の日の夜。
陸島は橘樹邸の自室のベッドにて眠りから目を覚ます。体のあちこちから痛みがじんわりと広がっている。
「……ああ、そうか。昨日は任務だったか」
「ええ。お目覚め?」
「……待て」
陸島は体を勢いよく起こした。
するとどうしたことか、自分の隣には豊野儀茜が横たわっていた。
「てめえ、何でここにいる?」
「もう。昨日の事覚えていないの?」
「昨日ってなんだよ。というか――」
陸島は起き上がった彼女の姿に言葉を失った。
桃色で服の下が少しばかり透けているネグリジェを纏い、その様子はまるでこれから夜の時間を過ごそうとする者の……もっともらしく言えば娼婦と変わりがなかった。ただ陸島はそうした存在を実際に見ているわけではなく、小説の中でそうした存在を知ってはいた。スパイ小説の中で登場する一人の人物が娼婦に化けて色香を纏い、敵軍の兵から情報を抜き出すシーンがあったのだ。
「出てけ」
「嫌よ」
弾丸のように放たれた言葉に豊野儀はまっすぐ返す。
「ちょっと相手してくれるなら考えるわ。勿論、誰にも言わないわよ。約束するから」
「何の相手だ」
「期待して質問してる?」
「死ぬか?みじめな姿晒してよ」
いつの間にか陸島の手には刃渡り十センチほどのナイフが握られていた。
ぎらつく刃に刃こぼれも錆もなく、それを純粋に豊野儀の首に当てていた。
「……つれないわねえ」
両手を上げて豊野儀は悲しい表情を浮かべて降参の意思を示す。
そしてゆっくりとベッドから離れていく。
「と言うか貴方、どこからそれ出したのよ」
「ベッドの隅に隠してある。武器ぐらいいつでも持ってる必要があるからな」
「誰の入れ知恵よ」
「さあな」
ナイフを構えたまま、ジャージ姿の陸島はベッドから降りて豊野儀に部屋から出て行けと振るって指示する。
豊野儀は沈痛な表情を浮かべるも陸島の指示に従おうとして部屋のドアノブに手を触れる。
「じゃあ、二つだけ伝えておきたいことがあるの」
「あ?何だよ?くだらねえ情報だったら殺す」
「なんでそんなに殺気立つのよ……まず一つ目ね」
豊野儀は来ていたネグリジェのポケットからゆっくりとある物を出した。
ついでに言うのであれば、ゆっくりと取り出した際に、彼女はひざをかがんで自分の体をアピールしていたのだが、当の陸島は舌を打っていた。
「これ……わかるかしら?SDカードなんだけど」
「……まさか!」
陸島はそのカードに聞き覚えがあった。
八木島と言う老婆の魔女も所有していたものだ。
「ああ、ちなみに色合いは同じだけどこっちはコピーしてもらった方ね。鴉田君だっけ?案の定、データが消されていたのだけど。でも彼に渡したら秒で復元して、コピーしたものをくれたわ。組織も詰めが甘い――」
陸島は瞬時に詰め寄ってナイフをリーチまで届かせる。
身長のせいか、陸島の目は自然と豊野儀を見下ろしていた。
「渡せ」
「もう。せっかちね。せっかちな男は嫌われるわよ。それにね――」
部屋に熱が溢れる。
陸島の持っていたナイフはバナナのようにぐにゃりと曲がっていた。
「な!?」
「私にはこれが憑いている事、忘れてない?」
豊野儀の後方には炎の精霊が姿を見せていた。
精霊はまるで陸島を見下ろすようにじっと見ていた。
「大丈夫よ。私も乱暴する気はないから」
近寄る豊野儀はそっと陸島のナイフを持っていた腕に触れる。
さらりとした指の感触が陸島に流れ込む。
「このカードの事は、まだ誰に言っていないから。ああ、鴉田君には内緒にしてもらってる」
「何故そんなことを?手柄にしないのか?」
「あげるわ。貴方には今、実績が必要なんでしょ?」
「他人の手垢で成り上がりたくはねえ」
「あら?任務のたびに送迎されているのに?」
「重箱の隅をつつくような物言いだな」
「もう。とにかく、受け取りなさいよ」
豊野儀は手に持っていたSDカードを陸島の手に握らせようとする。
片手で陸島の手の甲を小さい自分の手で出来る限り優しく包み、もう片方の手で陸島の手のひらにそれを置いた。その際、豊野儀は陸島の手をわざと自分の体に触れさせようとした。
「普通に渡せ」
「……もう!」
陸島の不遜な態度と苛立つ姿勢に怒った豊野儀は風の魔術を使い、部屋の空気を押し出す。部屋のタンスや机の上に置かれた者が風で揺れ、浮いた彼をベッドの上に押し出すと彼女は陸島の上に覆いかぶさっていた。
「てめぇ……!」
「ねえ。二つ目に行く前に聞きたいんだけど」
「放せ!」
「……女の子嫌い?貴方ってゲイ?」
「ちげえよ」
迷いなき即答に豊野儀はほっとして、自身の口を陸島の耳近くに持っていく。
そしてささやきを始める。
「なら今ここで慣れておきなさい。魔女はね、組織の魔女は……もっと凄いわよ?」




