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1歩先で笑う君を。  作者: 劣
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会いたくなかった。


出来る事なら今すぐ、消えてなくなりたい。

握り締めた手を震えさせながら、紫乃しのさんを見る。

俺の睨みに驚き、肩が浮く。

しかしすぐに、強い眼差しに変わった。


真琴まことさんに、絵を描いて欲しいんです。

その絵を、俺の展示会で…」


「何を、言ってるんですか。」


咄嗟に出た言葉は、冷たく鋭い。

たちばなさんや宮丘みやおかさんの空気がぴりつく。

背中には冷たく、嫌な汗が流れている。


「俺に絵なんて、描けません。」


「“描かない”、の間違いだろ。」


「……部外者は、黙ってろよ。」


今までにない程強く、せきを睨みつける。

“あの頃のせきなら”、今の一言で黙っていた。

“今のせきの目”は、強く光っている。

過ぎてしまった時間の長さを、痛いくらいに教えられる。

部屋から出ようと扉の前まで行くと、腕を掴まれた。

振り向くとたちばなさんが、黙ったまま、俺を見下ろす。

いつもだったら、びびってたかもしれないが。


「離してください、帰ります。」


「車で来たのに?どうやって帰るんだよ。」


「どうやってでも、です。

ここに居たら、頭がおかしくなる。」


伊上いがみさん、どうか話だけでも…」


「話す事なんてありません。」


優しい口調の宮丘みやおかさんにも、強く当たってしまう。

子供だと、逃げても解決しないと。そんな事、分かってる。

それでも、耐えられない。

いっそ消えてしまいたいと思うくらい。

一刻も早くここから立ち去りたい。


「俺の話は、まだ、終わってないです。」


紫乃しのさんがもう片方の腕を掴む。

話というのは、俺の絵を展覧会に出したいって事。

…ふざけないで欲しい、何を血迷っている。

せっかく上手く行き始めたのに、

俺の絵で台無しにするつもりかこいつ。

不快、不快で仕方ない。身体が、精神が、拒絶する。

思いっきり力を込めて、2人の手を振り払う。


「俺は、会いたくなかったし、

絵も、2度と描けません。」


「あなたは、意地になっているだけです。

本当は、絵の事も、せきくんの事だって、」


「〜っ、あんたに何が分かる?」


「おいっ!」


真琴まことっ!」


頭に血が上り、感情のまま紫乃しのさんの胸ぐらを掴む。

それを止める入るたちばなさんの怒鳴り声と、

俺を呼ぶせきの声。たちばなさんに強く肩を押され、後ずさる。

いつも、いつもこうなる。俺を見る、4人の目。

宮丘みやおかさんは怯え、紫乃しのさんは戸惑いを帯びた目。

たちばなさんは怒りを纏い、せきは狼狽えている。

俺は、結局いつも、こうだ。

フラッシュバックする景色が、憎い。


「…ははっ、」


真琴まこと?」


笑い出した俺に手を伸ばすせき

伸びてきた手を払って、力なく4人を見た。

本当に変わらな過ぎて、笑ってないとやってられない。

どいつもこいつも、俺も。


「あんたらは一生、分からないだろうなぁ。

俺も分からない、恵まれてる奴らの気持ちなんか、微塵も。

放っとけよ、俺とあんたら、居る世界が違う。」


「そんな事っ、」


「ははっ、せき。お前はいつもそうだった。

視界の端で、ずっと。不快で不快で、仕方なかった。」


咄嗟に出た言葉は、嘘。分かってるよ。

俺が揺れているから、せきは諦めないって事。

ごめんな、素直じゃなくて、お前のせいにして。

そんな言葉が、声になる事はなくて。

当時の不快と思っていたのなら、早い段階で切り捨てた。

当時の俺に情なんて言葉は、通用しない。

それでも、そうしなかったのは…。


自分の弱さに反吐が出て、自分が嫌で仕方ない。

自分のプライドをこれ以上傷付ける事が怖くて、

大切な人を傷付け続けている。

あの頃からずっと、止まったまま。

仕事をする事で見えないふりして隠して、知らぬふりを続けた。


最近は展示会も上手くいって、舞い上がっていた。

俺は、変われたんだと。絵なんて描かなくても、大丈夫だって。

諦め悪く絵に関わる仕事をしてるくせに。

俺は、“嘘”を吐く。本音に背を向けたまま。


「本当に笑えるよなぁ?才能のない勘違い野郎2人で、

勘違いして、学校にまで入って。」


真琴まこと、それ以上は君でも許さな…」


「あ?何を許さないって?

調子に乗るなよ、俺はお前がずっときら…」


「だめだよ。吐いた言葉は戻らないから。」


いつの間にか目の前に居た紫乃しのさんが、俺を口をそっと覆う。

驚いて顔を向けると、紫乃しのさんの目に驚く俺の顔が写る。

反射的に手を払い、距離を取る。

…今、何を言おうとした。

頭に血が上って、冷静な判断が出来なくなっている。

小さく息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。


真琴まこと、俺は君と言い争いをしたい訳じゃない。

少しで良い。少しで良いから、俺の話を聞いて欲しい。」


「…。」


目を閉じたまま、小さく息を吸っては吐く。

怖くて、せきを見る事が出来ない。

手のひらにうっすらと、汗をかいている。

身体の震えは止まらない。


「君が絵を辞めると言ったあの日。

君に何があったのか、俺は知らない。

ただ真琴まことの悲しげな横顔が、頭から離れなかった。」


「…。」


「そんな話をした次の日に、友達から大学でボヤ騒ぎが

あったって聞いた。嫌な予感がして、

旧校舎に行ったら真琴まことが居て。

その時にはもう、道具が全て灰になった後だった。」


覚えている、ちゃんと。その時は何も考えられなくて、

燃えていく自分の道具をただ見ていた。

必死に小遣いを貯めて買ったパレットも、

高校からこつこつバイトしてこだわって集めた画材も全部。

道具の手入れは毎日欠かさない事は当たり前。

色1つ作るのにこだわっていたせいもあって、

パレットはいくつもを並行して使った。

それを数分にして、灰にしたあの日。


「怖かった。あの時の真琴まことの目に光がなくて。」


「俺に光があった時なんて、一瞬だってなかった。」


「いや、あったよ。確かにあった。

少なくとも俺にとっては、光だった。…だから、怖かった。

真琴まことはずっと、俺の前を歩いていたから。

これからもそうだって、信じて疑わなかった。」


俺の絵を見て笑う、せきの顔がフラッシュバックする。

一番側にあった、大切な笑顔だった。

せきと出会ってない未来なんて、価値がないと思えた。

それ程に、信じていた。お前の言葉を、見るものを。

守りたかった。楽しかった時間を、笑顔を、己の絵を。


「…俺も、信じてた。」


真琴まことさ…」


「けど、だめだった。俺には、無理だった。」


紫乃しのさんが伸ばしかけた手を止める。

行き場のない手は静かに下された。

熱くなる目元を静める様に、ゆっくり息を吐く。

顔を上げると紫乃しのさんやせき

宮丘みやおかさんは泣きそうに見えた。

たちばなさんは耐えている様な、感情を抑えている表情。

なんて顔してるんだと、力なく笑ってみせる。


「何が、君を追い詰めた。」


「小さな小さなヒビが、積み重なって、大きくなって。

気付いた時には手遅れで、崩れ落ちていった。

普段の俺だったら多分、受け流してた。

タイミングが、悪かったんだよ。」


「どうして何も、言ってくれなかったんだ。」


「混乱して、自分が分からなくなった。

そんな俺を知られる事が、怖かった。

信頼してた、大切だった。だからこそ、言えなかった。」


「俺が真琴まことを嫌うなんて、ある訳ないだろ。」


「その時の俺に、冷静さなんてなかったからなぁ。

本当に、餓鬼だった。

ちゃんと考えれば、分かる事だったのにな。」


せきくんの言葉が真琴まことさんには届かない、

むず痒さを感じる紫乃しの


真っ直ぐ、せきの目を見る。

こんな風に面と向かって穏やかに話したのは、いつ振りだろう。

目を合わせる事すら怖くて、意地になって避けていた。


「今からでも遅くないよ、戻って来てよ真琴まこと

俺らならまた、あの頃みたいに…。」


「無理だ。俺は俺に、才能がない事に気付いた。」


「〜っ、そんなのっ!!分からないだろっ!?

弱音なんて、君らしくもないっ。」


「俺はずっとこうだった。弱くて脆くて、

臆病だった。それを悟られない様にしてただけ。」


小さく声を上げて笑う声は、掠れてしまった。

心が壊れてしまったみたいに、笑いが込み上げてくる。

思い浮かぶのは、楽しかった景色。

絵が好きで、ただ楽しくて。

描きたいものを描けるだけ描いて、疲れたら寝て。

起きたらまた、筆を取った。


辛い事も、苦しい事もたくさんあった。

確かにあったはずなのに、

思い出すのは幸せを感じた時間ばかり。

どれだけ辛くても、苦しくても良かった。

絵が、描けるなら。

せきと笑って、絵を描いて居たかった。


あれから随分と時間が流れて、俺も大人になった。

今では仕事をして、1人で食って生きている。

全てに必死だった、あの時とは違う。

歳も金も、余裕も時間も。全て変わった。

あの頃に戻れたら、思わなかった訳じゃない。

だがそれ以上の、臆病な俺が邪魔をする。


「…あの、せきさん。」


重い空気の中、宮丘みやおかさんが口を開いた。

全員の視線が、宮丘みやおかさんに向けられる。


「水を差すようで、申し訳ないんですが…。

君はどうしてそこまで、“彼の絵”にこだわるのでしょう。」


「どうしてって…。」


「気持ちが分からない訳ではありません。

僕も少し前まで、似た様な立場でした。」


宮丘みやおかさんだからだろう、言葉に重さがある。

自らの過去を認めて、受け止めたからこそ出来た発言。

紫乃しのさんは真っ直ぐ宮丘みやおかさんを見ている。

2人は、乗り越えた。あの苦しみを。


「戻ってきて欲しい、

それだけでは伝わらない気持ちがあるでしょう?

君の気持ちは何処にありますか、伊上いがみさんに届いてますか。」


「…。」


「諦めないんでしょう?だったら、」


宮丘みやおかさんはそう言うと、せきの背後に回り込む。

そして強く、せきの背中を押した。

どんどん押されてせきは、俺の目の前で止まった。

戸惑いの色をした目に、俺の顔が映る。

あの頃の景色が、フラッシュバックする感覚。

視界の光がちかちかして、目眩がする。

初めて会った時から、この光が苦手だった事を思い出した。


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