きらいなひと。
前期、"未完成"は大盛況のうちに幕を閉じた。
連日見に来てくれた人の多さに、息つく暇もなかった。
紫乃さんや宮丘さん、
橘さんともろくに話が出来なかった。
今日は丸一日休みの日。
話し合いの結果、展覧会最終日の翌日は強制休暇になった。
拒否権はなく、全員お休み。
しかし俺は興奮が冷めず、1秒でも早く仕事をやりたかった。
黙って会社に行ったりもしたが、先読みされていたらしく
会社に着いた途端社員全員から責められ、追放されてしまった。
渋々家に戻って来たものの、する事なんて部屋の掃除や洗濯くらい。
それらもすっかり終わってしまい、
今はただベットに横になって天井を見つめている。
あの絵の意図は、聞けずにいる。
話す暇がなかったのはそうなのだが、何となく聞けなかった。
紫乃さんは、人の心に響く絵を描く。
紫乃さんの凄さなんて、分かりきった事だったろう。
なのにどうしてこんなにも、動揺している自分が居るんだろう。
結局答えは出ないまま、翌日を迎える。
いつもの様に会社に行くと、すぐに誠治さんに呼び止められた。
「判断は、お前に一任する。」
「?」
そう言って渡されたのは数枚の書類。それは、取材オファーの書類。
新聞から雑誌まで、色々なところからオファーが来ている。
前期“未完成”ではほぼ風景画だったのに対し、
“あの1枚”だけに人物が描かれていた。
その事が話題になり、後期により一層の注目が集まったらしい。
紫乃さん単独取材から、俺にまで取材したいところもある。
俺なんかに聞く事なんてないだろ…。
こうして目に止めて貰えるのは凄い事で、宣伝にもなるし本当に有難い。
しかし“今”は、取材を受けられない理由がある。
「取材日がすぐのものは、勿体ないですがお断りします。」
「分かった、俺が返事しておこう。」
誠治さんは追求せず、断る分の書類を持って行ってしまった。
取材なんて有り難い事。
本当なら受けれるもの片っ端から受けたいのだが、
今回ばかりは"約束"があるので仕方ない。
受けられる取材の書類に目を通していると、橘さんがやって来た。
「お〜仕事してんな。
こっち"準備"終わったから、お前も来い。」
「はい、分かりました。」
移動したのは会社内のスタジオ。
そこにはスーツに着替えた紫乃さんが、
カメラが向いている先の椅子に座ってメイクをされていた。
今日は橘さんの会社の取材を受ける日。
展覧会を開く前からの約束だった。
『いいか?これを何処よりも先に、俺が記事にする。
俺が、直々に記事にする。それがどれだけの事か、
お前は分からないだろうが、知らなくていい。
ただお前は、俺んとこより先に取材したいなんて言う
命知らずな会社を全て断ればいい。いいか?考えるな、行動しろ。』
半分脅し、というかがっつり脅しだったと思う。
これは後から宮丘さんから聞いた話だが、
橘さんの書く記事はとても人気らしい。
本業ではない為、書く機会が減ってしまったが、
人気は鳴り止む事を知らず人気は右肩上がり。
橘さんが記事を書くとなれば、
たちまち話題になるだろうし何より。
『あんなに楽しそうな文仁を久々に見れた。』
そう言って宮丘さんは笑っていた。
そんな事があって、取材日が早いものは断わざるを得なかった。
橘さんには、これでもかって程にお世話になっている。
これくらいで喜んでくれるのなら、全然構わないけど。
スタジオの中には俺と紫乃さん、
宮丘さんに橘さんの4人しか居ない。
橘さんの会社の人たちは別室に待機している。
橘さんのアイデアで、より本音を引き出す為に
他のスタッフさんが居ない状態で取材するのだとか。
写真は俺と宮丘さんで撮る事になった。
向かい合った椅子に紫乃さんと橘さんが座る。
最初は宮丘さんが照明を調節してくれ、
1枚目のシャッターを押す。向かい合う2人は本当に画になる。
様々なパターンを撮りながら、取材が進んでいく。
紫乃さんは橘さんに対して少し、苦手意識がある。
どうなる事かと宮丘さんと心配していたのだが、
どうやら杞憂だったみたいだ。
性格が合わないとかあるんだろうけど、
橘さんはプロだった。
営業モードの橘さんは雰囲気から違う。
普段の俺や紫乃さんに対する荒い対応なんて微塵も感じない、
丁寧で大人な話し方や仕草。
動作の1つひとつが綺麗で、ぐっと気を引かれる。
それにつられた様に、紫乃さんも自然体に話せている。
橘さんの創り出す空気が、
紫乃さんを魅せているのだと一目で分かるから、恐ろしい。
時折、宮丘さんと交代しながら照明やらカメラを触る。
休憩も挟みながら、滞りなく取材は終わった。
橘さんは写真を確認すると満足気に笑う。
紫乃さんは少し緊張していたらしく、ため息をついた。
しかし見ている側からは微塵も緊張を感じなかったし、
ため息をついてはいるものの、何処か満足げに見えた。
橘さんは紫乃さんと宮丘さんを
家まで送り届け、そのまま自分の会社で仕事をするらしい。
急ぎの仕事はないが、俺はとりあえずこのまま会社に残る事にした。
会社に居れば何かしらする事あるだろうし。
橘さんの部下の方々が戻って来て、機材類を片付け始める。
手伝おうとしたが何やら片付け方に決まりがある様で、
手伝うとかえって邪魔になるからと橘さんに断られた。
手が空いたから紫乃さんの着替えについて行こうとしたが、
宮丘さんが居れば充分だと思ってやめた。
仕事がなくなって手持ち無沙汰になり、
片付けをしている橘さん達を遠目に見る事しか出来なかった。
それに気付いた橘さんがこちらを向く。
「おい、ちょっと来い。」
「え、は、はいっ。」
写真確認のために繋いでいたパソコンのところに呼ばれ、
撮影時に使う基本的な操作を簡単に教えてくれた。
パソコンは仕事で使うし、ある程度教えて貰えば使える様になる。
撮影に使っているソフトは使った事のないもので
撮った後の操作が分からなかった。
さっきは撮りっぱなしのまま、
写真確認等は橘さんが操作してくれた。
「これくらいは覚えとくと楽だ。」
「ありがとうございます。」
上機嫌の様で、今日はとげとげしていない橘さん。
普段が暴言吐きだから分かりづらいけど、
きちんと仕事の出来る人で教え上手だ。
まぁ…普段のあの姿は気を許しているからだと、
受け取って良いのかもと最近思い始めた。
「真琴さん。」
「はいっ。あ、紫乃さん!
着替え終わったんですね。」
名前を呼ばれて振り向くと、着替え終えた紫乃さんが居た。
一緒に着替えに行ったはずの宮丘さんが
見当たらないが、トイレか?
辺りを軽く見渡すが、やっぱり居ない。
というかパソコン操作に夢中で気付かなかったが、
他のスタッフさんや橘さんも居なくなっていた。
まだ機材は残っているし、一旦車に積みに行ったのか。
「あの、今って仕事立て込んでたり、しますか。」
「いえ、展覧会が最優先ですから。
取材の依頼も来てはいますが、
紫乃さんの体調優先で調節しようかと…。」
「あ、いや。俺じゃなくて。
真琴さんが、今忙しいかなって。」
「え、俺ですか?」
スケジュール帳をめくっていた手を止める。
紫乃さんは何処か申し訳なさそうな、困った様な顔をしている。
改めてスケジュールを確認するが、
俺自身もここ前後数日に急ぎの仕事は入っていない。
忙しくなるのはもう少し先の予定。
「スケジュールには余裕があります。
俺に出来る事なら、全然手伝いますよ。」
「えっと、出来る事というか、真琴さんに頼みたくて…。」
いつもより少し、歯切れの悪い紫乃さん。
言葉を選びながら話す紫乃さんには慣れたが、
今日は何だかそれだけではないような気がした。
ただの勘だけど…。心なしか緊張している様にも見える。
明らかに目が泳ぐ紫乃さんの言葉を、じっと待つ。
「…このあと、一緒に家に、来て貰えませんか。」
「家に、ですか?大丈夫ですけど…。」
どうしてですかと、聞こうとした時。
橘さん達の声が聞こえて来た。
すると紫乃さんは小声で「じゃあお願いします。」と呟き、
戻って来た宮丘さんを引っ張って、出て行ってしまった。
橘さんは慌てた様子の紫乃さんを見て、
俺の方に歩いてくる。
「あれ、どうかしたのか?」
「いや、このあと一緒に家に来て欲しいって頼まれて…。
了解したら逃げられました。」
「あ〜…。てかお前、逃げられましたって、」
真剣に言っているのに、遠慮なしに俺の顔を見て笑う橘さん。
…そんなに笑う事じゃないだろ。
むすっとした俺の顔を見た橘さんは、
さらに大きな声で笑った。
「は〜、笑った笑った〜。
んじゃ車は俺が出すから出る準備だけしとけよ〜。
あ、その前に機材運ぶの手伝え。
ケースには仕舞ったから、こっからは人手が欲しい。」
言われた通りに機材を車まで運び、
積み込むのも置き方がある様なのでそこはスタッフさんに交代した。
むすっとしたまま機材を運ぶ俺を見て、
橘さんがまたしばらく笑っていたのは納得いかないけど。
スタッフさん達は機材を乗せた車に乗って帰るとの事で、
橘さんと2人で姿が見えなくなるまで見送った。
俺は1度荷物を取りに会社内に戻る。
橘さんは帰り支度も片付け中に終わらせていた様で、
先に車に乗って待っている。
紫乃さんと宮丘さんもまだ会社内に
居るだろうから呼んで来いと言われた。
自分の荷物を持って、着替えに使っていた部屋に向かう。
するとタイミング良く、部屋から2人が出てきた。
「紫乃さん、宮丘さん!」
「あ、ちょうど良かった。行きましょうか。」
宮丘さんはいつも通り笑顔なのだが、
紫乃さんの顔色がどうも良くない様に見える。
撮影の時は普通だった。着替えてから、か…?
少し前の紫乃さんとの会話を思い出す。
この時すでに少し様子が変だった。
普段なら紫乃さんの変化にいち早く気付く
宮丘さんは何も言わない。
2人で何か話したかもしれないし、不用意に俺が口を出すのは違うか。
結局 紫乃さんは車内でも終始、黙ったままだった。
「ありがとうございました。」
「ありがとう、文仁。」
宮丘さんと2人で橘さんの車を見送った。
家には上がらず、何やら用事があるらしかった。
紫乃さんはお礼を言ってから、早々に家に入ってしまう。
…何処か具合が悪いのかな。
家に入ると紫乃さんは作業部屋に居た。
宮丘さんは喉が渇いたと、冷蔵庫に向かう。
紫乃さんの顔色は優れないまま、俺の中で違和感が渦巻く。
「紫乃さん、具合が悪いとかじゃないですよね?」
「…え?」
俯いていた紫乃さんは、驚いた顔をして俺を見る。
宮丘さんはコップを口に当てたまま、何も言わない。
紫乃さんは返答に悩んでいる。
「えっと、体調は大丈夫…です。
ちょっと考え事してただけで…。」
「でも顔色良くないですよ?無理しないで、今日は休んだ方が…。」
「まぁ、顔色も悪くなるよなぁ。」
"聞こえるはずのない声"が、背後から聞こえる。
振り向くとそこに、帰ったはずの橘さんが立っていた。
さっき見えなくなるまで、見送ったはず…。
理解が追いついていない俺を、鼻で笑う橘さん。
宮丘さんは尚も傍観するだけで、驚いた様子はない。
…知ってたのか?橘さんが戻って来る事を。
いやでも、どうして俺に隠す?疑問が膨らみ、こめかみを圧迫する。
「どういう意味ですか?というか、帰ったんじゃ…。」
「そのままの意味だ。
顔色が悪くなるくらい、緊張してる。だよなぁ?」
「…。」
「は?緊張?」
紫乃さんを見ると、目を逸らされた。
否定の言葉はない、図星?
多分ここに居る俺以外全員が、“何か”を分かっている。
俺だけが、蚊帳の外。
「…真琴さん、来てください。」
それだけ言うと、作業部屋から出て行く紫乃さん。
黙って、後を追う。紫乃さんは空き部屋に入って行った。
何も置かれていないはずの部屋にあったのは、白いキャンバス。
隣に椅子と小さめのテーブルも置いてある。
「あれ、この部屋って何もなかったですよね?」
「用意して貰いました、最低限の物しかないですけど。
これだけあれば充分だと、"聞いたので"。」
最後の言葉が引っかかり、聞こうとした時。
玄関の扉の開く音が聞こえた。
振り返ると橘さんと宮丘さんが居る。
2人ともここに居るという事は、"誰かが入って来た"。
俺たち以外で、ここに来る人なんて。
胸の辺りにぞわぞわと、嫌な空気が流れる。
近付く足音は、部屋のドアの側で止まった。
ドアは開いたままだが、姿は見えない。
「入ってください。」
「…っ。」
躊躇した様な息遣いが聞こえて、姿より先に影が見えた。
その時点で、分かってしまった。…いや。
心の何処かでは、誰なのか。分かっていたのかもしれない。
驚かなかった訳ではないが、
思うより状況を飲み込むのが早い自分が居た。
誰よりも、会いたくない人。
心臓の底の方からぐつぐつと、煮えたぎる何かを感じる。
「真琴。」
「…樋之山。」
優しい顔をして名前を呼ぶお前が、何より嫌いだった。
お前を苗字でしか呼べなくなった俺が、大嫌いだった。
悲しげに笑う汐の顔は、あの頃からずっと変わってなくて。
鋭い痛みが、心臓を貫いていく。




