圧倒的才能の見たもの。
紗浦紫乃単独展覧会、前期"未完成"初日当日。
朝から会場スタッフは、慌ただしく走り回っている。
俺も最後の最後まで確認を繰り返し、みんなに指示を出す。
紫乃さんは初日と最終日のみ、会場に居る事になっている。
紫乃さんがやる1番最初の仕事は、例の絵に掛けられた布を取る事。
本当は当日の朝、公開前にみんなで見る予定だった。
しかし照明器具の機材トラブルが起き、見る事が出来なかった。
公開予定時刻は、開場してから40分後。
何としても間に合いたいので、先回りをして仕事を終わらせる。
何とか開場前までに、ひと段落つく事が出来た。
着替えの為に待機室へ向かうと、話し声が聞こえてくる。
「あぁ〜!!ちょっと動かないでっ!」
「えぇ、もういいってば。」
中へ入るとスーツに着替えた紫乃さんが、
宮丘さんにヘアアップをされている最中だった。
なかなか納得いかないらしく、結構前からやってるのに終わらないらしい。
紫乃さんは気にしないと言って、ちょっと呆れ気味。
宮丘さんはそんなのお構いなしの様だけど。
「あ、真琴さん!って事は準備終わったんですね!」
「はい、何とか。俺もそろそろ着替えないとって思って。」
実は初日に限り開場挨拶があるのだが、今回その重大任務を担当する事になった。
これは紫乃さんからの直々指名。言葉は前日に考えて覚えて来た。
…緊張し過ぎて口から心臓が出そうな気分。
その為にスーツも新調して、少しおしゃれっぽいものにした。
まぁ自分じゃ決め切れなくて、
宮丘さんに頼み込んで選んで貰ったんだけど。
みんなはお客様のさらに後ろの方から聞いてくれるらしい。
「ヘアアップはどうします?良かったら…」
「いや、俺がやる。何なら紫乃も俺がやるから代わって。」
勢いよく部屋に入って来た橘さん。
宮丘さんは不服そうな顔をしたが渋々、
持っていたヘアアイロンを橘さんに渡した。
慣れた手つきで髪をセットしていく。
苦戦していた紫乃さんのヘアアップは、あっという間に終わった。
全体的に少し長めでストレート髪な紫乃さんは、
ハーフアップにされて毛先を少し巻かれている。
表情が見づらいからと、前髪はオールバック。
顔が出ている事が嫌だった様だが、 橘さんは完全スルー。
「ほら次、着替えたんならさっさと来い。」
「あ、はい。」
急いでシャツのボタンを止めて紫乃さんと入れ替わる。
橘さんは迷いのない手で、さくさくセットしていく。
スプレーやら、ワックスやらを付けられてあっという間に終わり。
長くも短くもない髪を、左へ流してくれた。
普段自分でセットなんてしないからなぁ。すごく新鮮な感じだ。
「あっという間ですね、ありがとうございます。」
「まぁ俺は顔が売りの仕事があったりするからな。
このくらいなら、出来るのうちに入らねぇよ。」
手についたワックスをタオルで拭き取る橘さん。
その出来たのうちに入らない事ですら俺や紫乃さん、
宮丘さんは出来なかった訳だけど…。
きっと宮丘さんがすんなりアイロンを渡したのは、
橘さんが出来る事を知っていたから。
セットしてあげたかったと落ち込む宮丘さんを、
慰めている紫乃さん。
橘さんも会場内を巡回するからと、スーツに着替えて髪を整える。
宮丘さんも一応会場内に居るが体調面を考慮して、
カジュアルな格好のまま。スーツって着ると緊張感が出て良いが、
無意識でも身体に力が入ってしまうからなぁ。
最後に全員、インカムを付けた。
全員準備が出来たところで、待機室を後にする。
会場内はさっきと変わって、随分静かになった。
スタッフさん達もスーツに着替え終わって、インカムを確認している様。
外は少しずつ人が増えているらしく、声が聞こえてくる。
俺はポケットから紙を取り出して、話す内容を最終確認する。
「はぁ〜、いよいよだ。」
「浮かれるのはいいが、少しでも気分悪くなったら
俺か近くのスタッフに連絡しろよ?」
興奮気味な宮丘さんをなだめる橘さん。
すると間もなく、スタッフさんに呼ばれた。
入り口へ近付くにつれて、心臓の音が大きくなっていく。
想像していた以上に人が多い様で、警備が大変になっているみたいだ。
直前のところで止められ、スタッフさんが何かを確認している。
俺が話すのはステージとかの豪華なものではなく、
入り口の前に柵を設けたすぐに退去出来るもの。
「それではお待たせ致しました。当展覧会責任者より、挨拶です。」
司会っぽい人の声がして、スタッフさんの間を抜けて前に出る。
記者の人のカメラのフラッシュが眩しくて、思わず目を細める。
用意されたマイクの前に立つ頃には、目もフラッシュの光に慣れてきた。
たくさんの音の中で、自分の心臓の音が1番大きく耳に響いている。
小さくゆっくり、深呼吸をして。
「本日は、当展覧会に足を運んで頂き、誠に有難う御座います。
当展覧会は前期後期の2期構成となっており、
今回はその前期である"未完成"の展覧会となっております。」
たくさんの人と光で、 紫乃さん達が何処に居るのかは分からない。
けどきっと、ちゃんと聞いてくれているだろうから。
ここに立つまでは緊張し過ぎて凄かった心臓も、落ち着いている。
これなら、自分の言いたい事を伝えられる。
「わたしは少し前から、 紗浦 紫乃の担当として
務めてきました。わたし自身まだまだ未熟で、常に万全だったかと
聞かれれば、そんな事はなかった。
迷惑をかけてしまったり、力足らずな事も数多くありました。」
こんなに人が居るのに、物音1つしない。
自分の声とシャッター音だけが今、この場に響いている。
大丈夫、焦るな。自分に言い聞かせる。
言いたいことがある、伝えたい気持ちがある。
どうかそれらを零さない様に、声にしたい。
フラッシュの隙間から、こちらを見る紫乃さんを見つけた。
「だから、そんな俺を、信じてくれてありがとう。
紫乃さん。あなたの歩む道の手助けを、
隣に立つ機会を、与えてくれて。本当にありがとう。
あなたの絵は、気持ちは、本物です。
どうかそんな素敵な人の絵が、
羽ばたく瞬間に、立ち会わせてください。」
「…。」
「… 紗浦 紫乃の絵は、俺の光です。」
静寂の後、たくさんのフラッシュ音が鳴り響く。
紫乃さんは少し驚いた表情をしたが、何も言わなかった。
礼をした俺に記者の声が降ってきたが、
控えていたスタッフさんの指示によって裏に戻る。
まだ聞こえる記者たちの声と、フラッシュ音が耳に残っている。
それからすぐに、開場の時刻を知らせる鐘の音が鳴った。
会場内に居る予定だったのだが思った以上に記者たちが騒いだらしく、
落ち着くまで少しの間、部屋待機になってしまった。
そんな俺の代わりに会場のスタッフさん達をまとめるため、
1人でさっさと会場入りしてしまったらしい橘さん。
せめてお礼くらい言っておきたかったが…。多分わざと何も言わずに行ったな。
お礼なら後ででも言う機会あるだろうし、今は部屋から動かないでおこう。
紫乃さんと宮丘さんはしばらく部屋に居てくれたが、
どうも落ち着かない様だったので先に会場入りしてもらった。
早く行きたいだろうに、これ以上は申し訳ないからな。
後数分で落ち着くだろうし、例の絵の公開時刻に間に合えばいい。
なんて思っていたらすぐに呼ばれた。
会場内は先程とはうって変わり、静まり返っている。
お客さん達はじっと絵や解説に目を通して、展覧会を楽しんでいる。
その姿を見て、嬉しくなる。何人かのスタッフさんが、
お客さんと会話を交わす姿が見える。
人手は足りている様だし、他のフロアを見に行くか。
すると1つの絵の前で1人、じっと絵を見ている小さな子を見つけた。
親御さんらしき人が周りに居なく、静かにその絵を見つめている。
見た感じだと、小学生くらいだろうか。男の子は全く動かない。
「…見てる時にごめんね。君1人なの?」
「…え?あれ、お母さん?」
余程絵に集中していたのか、俺が声をかけてようやく1人な事に気付いた。
見ている絵は…日の出の海の絵。
確かに綺麗な色使いでとても良い作品だけど、ふと思う。
他にも日の出や夕暮れの絵はある。
何がこの子を他が見えなくなる程、ここに引き付けたのか。
これはもしかすると、今後の参考になるのかもしれない。
「この絵、すごく見てくれてたみたいだけど。気に入った?」
「うん、とっても綺麗!それにこれって朝なのに、
どうしてか悲しい気持ちに見えるの。それがちょっと気になって…。
じっと見てたら何か分からないかなって思って見てたんだ。」
…驚いた。この子はそんな事まで感じるのか。
確かに日の出にしては寂しげな雰囲気がある絵だが、
小学生くらいのこの子にそこまで感じ取らせるなんて。
この男の子もすごいが何より、 紫乃さんの才能に鳥肌がたつ。
すると何処からか呼ぶ声がして、男の子はかけ出す。
どうやらお母さんが探しに来たらしい。お母さんと目があい、頭を下げる。
去って行く親子を見送りながら、余韻に浸っていた。
するとインカムから、準備に取り掛かれとの連絡が流れた。
時計を確認すると、例の絵を公開する時刻が迫っていた。
あの親子も見に来るだろうか。
何だかとてもあの男の子に、まだ見ぬ絵を見て欲しくなった。
急いで例の絵を展示するフロアに向かうと、
例の絵のセッティングが終わっていた。
裏に入ると手順の最終確認をする紫乃さんと宮丘さんが居た。
「あ、真琴さん。いよいよですね!」
「はい、すごく楽しみです。」
にこにこ笑う宮丘さんの横で、真顔の紫乃さん。
パッと見だと不機嫌そうに見えたが、どうやら緊張しているらしい。
すぐにスタッフさんに呼ばれ、登場準備を始める紫乃さん。
俺と宮丘さんはここに居ても出来る事はないので、
一足先に裏から出て、見やすい位置に移動した。
混雑が予想されたこの時間はやはり人が多い。
例の絵からお客さんまでの間に、柵を設けておいて正解だったな。
スタッフさんに紛れて、1番前の見やすい位置に移動する。
そこにはいつ来たのか、橘さんが居た。
今ここにいる全員が、ひとつの絵に注目している。
フロアの照明が消え、布を被った絵をライトが照らす。
そして静かに、紫乃さんが現れた。
礼をする姿勢が綺麗で、一瞬ざわついたフロア内が静寂に包まれる。
「この度は当展覧会に足をお運び頂き、ありがとうございます。
ではただいまより、大変お待たせしましたこちらの絵を
ご覧頂きたいと思います。」
紫乃さんの挨拶はそれだけで、簡潔だった。
紫乃さんがこちら側に背を向けると、フロア一帯がざわつく。
布に手をかけたところで止んだが、はっとした紫乃さんが振り返った。
ばちっと音が聞こえる気がするくらい、はっきりと目が合う。
「…あの。一緒に、しませんか。」
「…え!!?」
驚きのあまり、大きな声を出してしまった。
お客さんのざわつきの中、動けなくなって頭が真っ白になる。
そんな俺の背中を橘さんと宮丘さんは、
優しく押してくれた。頭は真っ白のまま、紫乃さんの隣に立つ。
俺で、良いのだろうか。ほら宮丘さんとか…。
戸惑ったままの俺に、紫乃さんは笑う。
「俺の相方は、あなたでしょう?」
「…!は、はいっ!」
今なら強く、頷く事が出来た。そっと布の端に手をかける。
この布1枚の先に、見たいものがある。
横目で盗み見た紫乃さんの顔は、
今までに見た事ないくらい輝いていた。
暴れる心臓の抑えて、司会者のカウントダウンが始まる。
そんな声すら遠くに聞こえるのは、
それ以上に自分の心臓の音が大きいからだろうか。
そしてカウントダウンが、終わる__
「せーのっ。」
小さく聞こえた紫乃さんの合図と同時に、布を引っ張った。
ざわついていたフロアはまるで、
人ひとり居ないのかと錯覚するくらいの静寂に包まれた。
俺も、声を失う。
どれくらい魅入っていたのか、随分長い間静寂が続いて。
誰かの声が漏れて、フロア内に歓声が溢れる。
…この人は何処までも、才能があるのだと主張された気がした。
絶対的自信が、この絵に滲んでいる。
その絵はいつのシーンだろうか。
紙を見ながら話をしている宮丘さんと橘さん。
その二人の間に、俺が居た。
光で溢れているかのように全体は滲んで、本当に、何処を見ても…。
今回の展覧会のテーマは"未完成"。
この絵に今以上があるのだと思った時、見えぬ恐怖を感じた。
真剣な表情で話をしている3人。
ふと絵の近くにあった解説のボードが目に入る。
宮丘さんも今この瞬間まで絵を見ていなかった。
その為、展覧会唯一この絵の解説だけ。
紫乃さんが書いたものになる。
__________
ここは僕の居場所。
誰にも譲れない唯一で、守るもの。
ここ以外、何もいらないのです。
__________
解説だと言えば、解説になっているのかと思いもするが。
俺や宮丘さん、橘さんにとっては。
それ以上の言葉は必要なかった。
宮丘さんは口元を抑えて、泣いていた。
そんな宮丘さんの肩を抱いて笑っている橘さん。
俺はただ、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。




