1歩後ろから。
しばらく考えてたのにも関わらず、忙しさを理由に行くことはなかった。
あっという間に日々が流れ、前期“未完成”の展覧会前日。
今日は紫乃さんや宮丘さんも会場に集まり、
全員で作品の配置の確認・確定をしながら掃除をしたりと朝からばたばたしている。
大まかなところは業者の方に頼んで、昨日のうちに終わらせてもらった。
今からは最終点検や、細かいところを俺たちの手でやる。
確かに全て業者の方に頼めば早いのだが、全員で話し合って決めた。
そこそこの作品数あるので、手分けして作業をする。
「あれ、ここのやつってそっちに移動させるんじゃなかったっけ!?」
「あ、そうでした!!俺が間違えて業者の方に伝えたんだと…!」
「俺が移動させる、 創静はこっちやってくれ。」
俺のミスにも宮丘さんや橘さんがすぐに気付き、
行動してくれたおかげで難なく作業は進んでいく。
そして何とか、昼食休憩の時間となった。
今のところ、ミスがそのままになっている部分はない。
昼食はお弁当を食べ、またすぐに作業に戻る。
ぎりぎりまで確認をしながら、仕上げていく。
そうしているうちに日も暮れ、気付けば夜になっていた。
慌ただしかった会場内も落ち着き、最終確認・修正も終わろうとしている。
「…。」
紫乃さんは布の被った作品を見つめている。
布は当日の朝、開場前にみんなで取る事にした。
紫乃さんが見ているのは今回あるの作品の中で1番、
大きなキャンバスに描かれた絵。
この絵だけは当日お客さんの前で布を取る事になっているが、
会場前にスタッフさん達には見せてくれるとの事。
なので何が描かれているのかは知らない。
もちろん宮丘さんや、 橘さんも。
公開日まで完全非公開にしたいと言い出したのは紫乃さん。
描く時も見ない様に気を遣って大変だったと宮丘さんは笑っていた。
出来る事は全てやった。
失敗もあったけど、良いものを作りたい一心だった。
それにこれはまだ“前期”であって、終わりじゃない。
ひと区切りはつくが、今以上のものを“後期”で出さなければならない。
前期展覧会の期間は約3週間。そこで結果を出して、後期に繋げたい。
展覧会期間中にも仕事は山ほどあるから、気は抜けない。
まだ折り返し、ここから勢いを上げていくんだ。
そんな事を考えながら外を眺めていた時、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえる。
「… 紫乃さん。」
「少し、話しませんか。」
緊張気味な紫乃さんの手には飲み物が2つ。
窓の近くに置いていた椅子に腰をかけ、飲み物を受け取った。
ほっと息をついて、温かい飲み物に口をつける。
紫乃さんは何も言わず、飲みながら何処か一点を見つめている。
さっきまでは普通だったのに、どうしたのか。
「あの、展覧会。無茶ぶりだったのに、ありがとうございました。」
「いえ、俺もやりたかったですから。むしろ俺の方が礼を言うべきです。
紫乃さんの展覧会に携われた事、嬉しく思います。」
ふふっと、柔らかな笑顔が溢れている。こんな風に、笑う人だったのか。
初めの頃を考えると、想像もつかなかった。
なんだか心を許して貰えた様で、すごく嬉しくなって釣られて笑った。
「実は、お願いがあって。」
「?展覧会、気になる事ありました?
だったらちょっと待ってくださいね、メモを…」
「あ、いや。違くて。」
俺が手帳を取り出そうとすると、首を大きく横に振った。
ただでさえ作業が多くて混乱する。
お願いとか修正点があったなら、メモ取らないと忘れるんだけど…。
何て言えばいいのか、迷っている紫乃さん。
とりあえず手帳をしまって、言葉を待つ。
少しの沈黙の後、 紫乃さんが顔を上げる。
「絵は、もう描かないんですか。」
「…は、」
頭が、真っ白になる。紫乃さんが、何を言っているのか、分からない。
だってまさか、紫乃さんの口から、そんな言葉が。
混乱してしまい、言葉が出ず間があく。
沈黙が続けば続く程、焦りは膨らんで言葉に詰まる。
「えっと、 紫乃さん俺が絵描いてた事知ってたんでしたっけ?
いや、隠してた訳じゃないんですけど。それで、えっと、」
「あ、いや。俺こそ突然すみません。」
俺のあまりの戸惑い様に、申し訳なさそうな紫乃さん。
普段なら大丈夫ですよって、笑い飛ばして誤魔化して終わらせてただろう。
何をこんなに動揺する必要がある?
…社長と話した時の光景が、頭をよぎる。本当に、タイミングが悪い。
黙り込んでしまった俺に、戸惑っている紫乃さん。
どんどん、自分が嫌になる。
「あの、言いたくなかったらいいんです。無神経な事聞いてすみません。
でもどうしても気になる事があって、」
「…。」
「ま、 真琴さん今もこんな仕事してるし。
絵が嫌いになった訳じゃ、ないんですよね?だから俺、
どうして辞めちゃったんだろうって思って。わ、分からなくて。」
「…。」
最後の言葉に身体が反応して、肩が跳ねた。
紫乃さんの横顔を見て、“あおい”なぁと思う。
歳だって変わらないのに、すごく“あお”くて真っ直ぐで、輝いて見える。
当時の俺は、絵を描いていた俺は、こんな風になれてたかな。
きっと何より黒くて、濁って、暗闇そのものだったに違いない。
「分からなくて、当たり前だと思います。」
「え?」
「才能のある人間には、到底分かり得ない事です。」
言ってから気付く、すごく嫌味な言い方。こういうところも、
俺が“こうなった”原因の1つなんだろう。俺は"真っ直ぐ"じゃ、居られなかった。
何よりの、敗因で、負けた。他人にも、自分にも。
なのにこんな言い方、八つ当たりもいいとこだ。
「…すみません、嫌な言い方でした。
紫乃さんは何も悪くないのに。」
「あ、いえ俺こそ…。無神経でした。」
そんな事はない、とは言えなかった。
紫乃さんが慎重に、言葉を選んでくれてる事は分かっている。
話す事が苦手な紫乃さんが、一生懸命に言葉を繋ごうとしてる。
なのに俺は見て見ぬふりをして、本当に情けない。
思った以上に、刺さる棘は、鋭く大きかったと自覚する。
「さっ!こんな暗い話辞めましょう、面白くもない。」
無理やり気持ちを切り替える様に、立ち上がる。
貰った飲み物はもう空っぽ。休憩にしては長過ぎた。
紫乃さんも空っぽになっていた様なので、
それを貰って近くのゴミ箱にまとめて捨てる。
“あの時”の光景が少し、頭の中で霞んで消えた。
「あ、あの俺、」
「もう、行きましょ。」
何か言いかけていた紫乃さんの言葉を遮る。
何も知らない、分からないふりをする俺は弱者。
逃げる事しか出来ない、弱者。こんな自分が、心底嫌いだ。
後は振り返る事なく、 宮丘さんや橘さんの元へ向かう。
もう後ろから声がする事はなかった。静かな足音だけが聞こえる。
愛想尽かされたか、どうしようもない奴だと思われたかもしれない。
どこまでも自分が悪いくせに今更、そんな事ばかり頭をよぎる。
「あ、2人とも!今ね、ちょっと予定より早いけど、
当日のスタッフさん集まったみたいだから、
打ち合わせ始めないかって話してたんだ。どうする?」
「俺は全然問題ないですよ。」
にこにこと笑いかけてくれる宮丘さんの笑顔が眩しい。
俺は今、いつもみたく笑えているか。表情筋に上手く、力が入らない気がする。
宮丘さんの目線が俺の後ろに向いて、にこっと笑った。
きっと紫乃さんも頷いたのだろう。予定より30分程早かったが、
当日スタッフさん達との最終打ち合わせが始まった。
俺を中心に、当日の動きの最終確認をしていく。
今日までに何度か打ち合わせをしてきているし、
改善点はすでにみんなで出し合ってきたので大きな変更は特にない。
こういった打ち合わせはスタッフさん同士の信頼度を高めるための、
交流会的役割を果たしてくれている。今日は最終確認のみで、
後半はスタッフ同士の雑談会になっていた。当日持ち場が一緒の人や、
関わる人と話をするだけで少しでも緊張が和らいでくれたらと思う。
「やっとか。」
「…ですね。」
ぼーっとみんなを眺めていた俺の隣に、いつの間にか居た橘さん。
まだ感傷に浸るのは早い、分かっていても少し泣きそうになる。
どうか、どうかみんなの努力が実ります様に。
紫乃さんの絵が、多くの人の心に残ります様に。
当日どんな事が起きるかは分からない。それに、どれだけ対応出来るか。
考え始めると、不安は尽きず溢れる。
考えても仕方ない、なのに考える事を止められない。
そんな悪循環を永遠と頭の中で繰り返す。
小さく、深呼吸。俺はここに居るスタッフさんみんなを、
まとめなければいけない。俺が怯えて、どうする。
当日どんな事があろうと、どれだけスタッフさんが慌て様と。
俺だけは冷静に、構えていなければ。
すると突然、強く背中を叩かれた。
思いもよらない衝撃に前によろけ、咳き込む。
隣を見ると橘さんが不思議な表情をして俺を見ていた。
これは、どういう感情だ?戸惑う俺に橘さんは言う。
「考えるな、今は。動いてれば何とかなる。」
「…橘さん。」
「ミスする時はミスするからな。」
「…えぇ。」
良い事言ったかと思えば、秒で落とされた。
だけど横目に見た橘さんの横顔は、
意地悪な言葉とは裏腹に何よりも真っ直ぐ前を見ている。
叩かれてひりひりする背中を押さえる俺を見て、
橘さんは不敵に笑う。
「誰が控えてると思ってんだ。どんと構えてろ。」
「…。」
それだけ言うと宮丘さんの元へ行ってしまった。
本当に、素直じゃないよなぁ。俺も橘さんも。
けどそんな不器用な言葉に救われてる俺も、大概か。
どれだけ悩んで考えても、不安要素はなくならない。
それでも確かに俺たちは、今日までやってきた。
楽しそうに話す宮丘さんと橘さんに気を取られ、
まさか俺を見ていた人が居たなんて思いもしなかった。
ましてやその視線が、悲しげだった事に気付きもせず。




