57 【師匠のドキドキ大作戦】
合同礼拝から1日が始まって、町の人たちや自分たちの後進のために、それぞれが労働や勉学に勤しみ、日によっては奉仕活動、慈善活動なんかも行う。そういうきちんとした修道生活とは、まるでかけ離れた日々を送っていたのは、聖都では僕と師匠だけだったんじゃないだろうか。
「だいぶ失礼じゃないですか!? あの、それって本当に、意味あるのかなぁ?」
「うるっせぇですねぇ。いいから、行ってこいってんですよ! オラァ!!」
師匠のドキドキ大作戦は、聖堂の廊下を歩いていた勇者様をたまたま見かけてしまったことから始まった。僕に下された指令は単純かつ悪質なもので、勇者様の背中にぶつかってこいというものだった。師匠の手によって曲がり角から勢いをつけて放たれた僕の体は、一直線に勇者様に向かって行って、衝突を起こした。彼にとっては死角からの突然の攻撃。確か、世界はそれを闇討ちを呼んでいたはずだ。
「……え? アリー?」
聖都に滞在している間も、鍛錬を怠らなかった勇者様の逞しい体は、僕なんかがぶつかったところでどうにもならなかった。勇者様はぶつかったことよりも、僕の顔を見て驚いているようだった。
「あ、ごごご、ごめんなさぁい!!」
僕は一目散に逃げ出した。急いで廊下を戻ると、角を曲がってすぐのところで師匠が腕を組んで待ち構えていた。
「謝る時に、ちゃんと目ぇ合わせたんか?」
「あの、その……よくわかりませんでした」
何の説明もなしに放り投げられたところで、期待に応えられるわけもない。僕からしたら、当然の報告をしたまでだった。ところが師匠ときたら、顔どころか体中から殺気を放って僕を叱りつけてきた。
「なぁにぃ!? もう1回だ、このバカタレェ!!」
「勘弁してくださいよぉ。せめて何の意味があるかぐらい、教えてください」
僕が必死に訴えると、冷静さを取り戻したのか、師匠はいつもの可愛らしい顔つきにコロリと変えた。
「いいですか? 男性というのはロマンティストなもの。とにかく運命的なものを印象付けるんです。偶然の再開を何度も何度も重ねて、相手に意識をさせて、最終的に隙を見せたところをバクっといただいちまおうという寸法です」
「スンポー……」
「なんですか?」
「なんでもないです。あと、いただくっていうのは、僕の方からってことですか?」
「当たり前でしょう? ただ指をくわえて見てるだけじゃ、欲しいものっていうのは手に入らないんですよ。ボケっと生きてる間にその辺のわけのわからん、育ちがいいだけの乳のデカい女に、思い人を取られてもいいんですか?」
育ちがいいだけの乳のデカい女に関して僕の方では心当たりはなかったけれど、実体験なのか、師匠の言葉には鬼気迫るものがあった。
「さあさあ、もう1度チャレンジです。勇者様を探しに行きましょう。しっかりと目を潤ませておきなさいな」
勇者様への闇討ち行為は1日に最低1度課された。その内容は雪降ろし中に屋根から突き落とされたり、お風呂上がりに裸同然の格好で脱衣所から放り出されたり、こうして紹介できる範囲のものだけでも、とてもまともじゃなかった。肝心の成果の方といえば、実感はまったくなかった。けれど、勇者様が僕にかけてくれる言葉数がどんどん増えていったことだけは事実だった。ちなみに目の潤ませ方は、最後までわからなかった。頑張って目をかっぴらいて勇者様を見つめたりしたけれど、反対に乾いていたと思う。
師匠のドキドキ大作戦はそれだけで終わりじゃなかった。
「あなたは鹿です」
「なんですか? もう寝たいんですけど……」
何かずっとついてくるなぁ、とは思っていた。1日が終わって、ようやく自室で睡眠がとれる時間がやってきたと思っても、師匠は全然退室する気配がないどころか、ベッドに入って目を瞑った僕の横で語り掛けてきた。
いちいち体を起こして相手にするのも難儀に感じた僕は、目だけを開いて師匠の話を聞くことにした。
「イメージトレーニングですよ」
「イメージ? なんの?」
「だからぁ、ロマンティックの先のことです。勇者様とそれっぽい雰囲気になった時、あなた、自分からコトを起こせますか、って話です」
「それは……そうですね」
全身がくったくたの状態でなぜそれをする必要があるのかはさておき、師匠の言っていることはもっともだった。
「ご心配なく。私が今からそれを解決しますから。さあ、目を閉じて、リラックスしてください」
言われるがまま、僕は目を閉じた。暗闇の中で師匠のしっとりとした声が心地よく響いた。
あなたは鹿です。
魂のつがいを求め
世界を生きてきたあなたは
ようやく運命の相手に巡り会えました。
それはこれまでに会ったこともないような素敵な人でした。
その人の纏う知的な雰囲気に惹かれたあなたは
彼と目が合っただけで一瞬のうちに恋に落ちてしまいました。
その人は眉毛がキリッと上がっていて
いつも襟付きの服を上品に着こなし
体中から甘い大人の色香が漂っていて
むっちりとした体型がとてもセクシーな――
「あの、すいません。ひょっとして、その人、メガネかけてませんか? ノト君はメガネをかけてないし、体型もむっちりというより、ガッチリしているんですけど?」
再びたまらなくさせられた僕は思い切り目を開いた。瞼の裏に登場してきたのは、間違いなくウーリール先生だった。
「あ、そうでしたね。すみません。ついつい、実体験の方に引っ張られちゃって」
「いいんですけど……個人的な思い出話はやめてください。今は関係ないんですから」
「わかってますって。任せなさい。はい、寝て」
ため息をつきながら僕は目を閉じた。
うぶ毛の一本も生えていない
膨らんだパン生地よりも綺麗な彼の手を よーく見てみると
手の甲には 赤ちゃんみてぇな えくぼが――
「だから、だから、だからぁ!」
「先生の手、ベビーちゃんみたいで可愛いんですよねぇ」
「太ってるからですよ、それ!」
「でも、身長の割に、腕が短いんですよ?」
「それも太ってるからです!」
「先生かなぁって思ったら、雪だるまだったこともありましたね」
「太って……るからかなぁ、それは。よくわかんないですけど」
僕の言葉を聞いた師匠は、嬉しそうな顔で涙を流すほどに笑った。
「あの……ふふっ、帰ってください。もう」
軽く憤っていたはずなのに、僕も師匠につられて笑ってしまった。
「はぁ……本当に最高におバカで幸せ者ですよね、私たちって。勇者様にも、同じ気持ちを体験させてあげましょうね。はい、寝て」
師匠は全然帰ってくれなかった。それどころか、今度の彼女は先生とのとんでもないスケベ話を赤裸々に語り始めた。次の日からイメージトレーニングはちゃんとやったけれど、その夜の本筋から外れまくった師匠とのやり取りは、僕にとってなぜか忘れられないものとなった。




