54 【風花】
勇者様の抱えていた問題が重大かつ不穏な雰囲気を孕んでいたということは、さすがの僕でも察しがついた。というか、師匠からそのことについて教えてもらえていたはずの機会を、僕は自分の知能を言い訳に1度無駄にしている。
とはいえ、すぐに師匠に聞けばいいだけのことを、僕はなかなか出来ずにいた。この頃の僕は今と違って、物事に対して受け身の姿勢でいることが多かったからだ。たぶん師匠の方も僕のそういう所をわかっていて、あえて放置していたんだと思う。時には自分で考えて自ら行動することの大切さを、彼女は言葉抜きで教えてくれようとした。僕はそういう風に受け取っている。
うじうじと過ごしているうちも時間というのは経ってしまって、あっという間に次の日を迎えた。前日の約束通り、ランチタイムはヘレナさんと一緒に彼女の部屋で過ごした。
ヘレナさんの部屋は、聖堂の外に建てられた大きな丸太小屋の中にあった。その小屋は工作を仕事にしている修道女が集まって暮らしている場所だった。そこに所属している皆さんは、僕が言うのも何だけどシャイな人たちばかりで、挨拶をすると必ず可愛らしい照れ笑いを返してくれた。また、1日の中で全員が集まるという事がまずないと言っていいほどの忙しさを抱える人たちでもあった。
「昨日から顔色悪いみたいだけど、どうかしたの?」
僕の目の前には、真顔で座る1匹の長毛種の猫がいた。ヘレナさんの声は、その猫の向こう側から聞こえた。とりあえず僕はテーブルの上にいたその邪魔くさい大きな猫を抱き寄せて、ネズミ捕りをしている猫ではまずありえない上質な毛並みを楽しんでから耳と口の中のチェックをした。
「え? 嘘……なんなの、アンタ?」
ようやくお目見えできたヘレナさんは、目を丸くして僕と猫を見ていた。彼女の反応を見た僕は、大人しく膝の上で喉を鳴らしているその猫が、あまり人には懐かない性格なのだということを知った。
「ボク、獣使いなんです。この場合は、あんまり関係ないですけど」
獣使いだからといって、どの動物にも無条件に好かれるという事はない。僕とその猫がたまたま相性が良かっただけの話だった。
「じゃあ、聞いてもいい?」
「……なんですか?」
明るくない過去を追及されてしまうのかと思った僕は少しだけ身構えた。
「私、猫あんまり詳しくないから教えてほしいんだけど、その子を飼う上で気をつけた方がいい事とかってある?」
肩に入っていた力が緩んでいったのが分かった。気にして身構えたところで、案外そんなものなのだという良い経験が積めた瞬間でもあった。
「そうですね……大丈夫だとは思うんですけど、野生の鳥とかネズミとか虫とか、そういうのとなるべく接触させない方がいいですよ。そこから病気を貰って、それが人にうつったりしちゃう時もあるので」
「やっぱり、そうだったんだ。その子だけなんだ。鳥やなんかを近くで見ても、まったく興味を示さなかったのは。だからその子だけ、10年も生きてるのにまだピンピンしてるんだ……へぇ~」
ヘレナさんの頭の中はいつも動物たちのことでいっぱいだった。必然的に僕と彼女は話す機会が多くなった。その機会というのは、僕という人間を成長させてくれることにも繋がった。ちょっと難しい話をしても、ヘレナさんは食らいついてでも知識を自分のものにしようとする人だった。情熱、熱血、またの名を内なる闘志。僕が彼女から学んだのは、そういった学習意欲と態度だった。
「そういえば、ホエウサギ飼ってるんでしょ? 今度見に行ってもいい?」
「もちろん」
「はいはいはい、出来ましたよ!!」
別室で調理をしていた師匠が合流した。ヘレナさんの部屋は対策が行き届いていて、猫が入れそうな隙間というものは一切無かった。その代わりに隠れることのできる専用の場所がいくつか用意されていて、師匠の登場に驚いた猫はヘレナさんの椅子の下にある避難場所へと潜り込んでいった。
「おいおいおい、ニール君! ミルク粥の女が訪ねてきたというのに、そんな態度で良いんですかぁ?」
師匠は猫が相手だと、自分のスタイルを崩さない人だった。彼女は持っていたトレイをテーブルに乗せると、唯一湯気の立っていない小さなお皿だけをとって部屋の端にそれを置いた。すると、避難していた猫がひょっこりと姿をあらわして、師匠の顔を見てひと鳴きした。
「おうおう、食べるがよい。ただし、私たちが食事に手をつけたあとにですよ?」
猫とすれ違ってテーブルに戻ってきた師匠は手早く配膳を済ませると、席について手を合わせながら口を動かし始めた。
「さあさあ、いただきましょう! どっちが大将かを、あの猫っころに思い知らせてやらなくては! お祈り省略! いただきます!」
僕とヘレナさんはお互いの顔を見て笑いあった後、師匠の号令に続いた。熱々のミルク粥は言わずもがな、絶品だった。
食後は木材加工のお手伝いをすることになった。聖都の木は太くて大きかった。とても人力では加工が間に合わないサイズで、それを解決してくれるのが水車の力だった。何がどうなってそう動いているのかまではわからなかったけれど、伐った巨木をセットすると自動で鋸が動いて切断してくれるという、おそろしいものが聖都にはあった。じゃあ何を手伝うのかという話になるけれど、巨木を横向きにセットするのは人の力で行っていた。だから僕も師匠もそれを手伝った。これがもう大変で、僕はヒィヒィ言いながらやっていたのだけれど、師匠もヘレナさんも他の修道女の人たちも何のその。聖都に生きるシスターたちのエネルギーの高さを見せつけられることになった。
仕事は暗くなるまで続いた。けれど、冬の聖都の昼はすごく短くて、すぐにその仕事は終わった。ヘレナさんとも別れて師匠と2人になった帰り道、お姉さま方に逞しさを分けてもらった僕は、ついに問題の核心に触れる決心を固めた。
「ノト君は……勇者様はなぜ、僕をこの町に置き去りにしようとしているんですか?」
「素晴らしい。自らの力で前に進む気になってくれたようですね。そのことについては、今夜先生に説明してもらうことにしましょう。その前に、お昼寝タイムです。あなたのウサギちゃんも、首を長くして帰りを待っていることでしょうからね」
僕はクタクタになった体で自分の部屋へと向かった。夜とは違う薄暗さに覆われた聖都の町並みには、風に運ばれた白い雪がチラチラと舞っていた。




