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僕だけの勇者様  作者: ふるみ あまた


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53 【愛の芽生え】

 

「ゆうしゃさまは、好きなひといるの?」

「うん、いるよ」

「なんだ。いなければ、わたしがおよめさんになってあげようと思ったのに」

「ありがとう。でもアンナには、もっと素敵な人が似合うと思うけどな」

「どんなひと?」

「そうだねぇ……アンナはどんな人が好きなの?」

「ちがう! わたしじゃなくて、ゆうしゃさまが好きなひと! どんなひとなの?」

「ああ、そっちかぁ。そうだなぁ……曇りなく、まっすぐで、一緒にいるだけで元気になれる……お日様のような人だね」

「その人と、けっこんするの?」

「……したいけど、難しいね」

「どうして?」

「……ボクが魔王を倒したら、彼女には平和になった世界で幸せに過ごしてほしいから」

「ふーん。よくわかんない! そのひと、なんていう名前なの?」

「アリー」


 風景は親しみのある下町へと早変わりしていた。空は曇天で、そこに太陽の要素はひとつもなかった。お日様のような女こと、僕といえば勇者様の心の内を聞いてボロ泣きしていた。師匠の言っていたことは本当だった。勇者様は僕の事を思っていてくれた。それなのに、彼は僕と別れることを選んだ。嬉しさと悲しさが同時にこみ上げて、泣けて泣けてしょうがなかった。


 下を向いて歩く僕を導いてくれたのは師匠だった。彼女だけは冷静に距離を保って尾行を成立させていた。僕は嗚咽が聞こえないように口を押えて彼女の案内に従った。傍から見たら、めちゃくちゃ怪しい2人組だったと思う。


 しばらく歩くと、アンナちゃんの家へたどり着いた。それまで全く使い物にならなかった僕もようやく落ち着いて、しっかりと前を向いて歩けるほどにはなっていた。家のある場所は、入り組んだ路地をそれなりに歩いた先の、少し窪みのあるところだった。何軒か並んで建てられた小さな住居は、どの家にも玄関の前に階段が付けられていた。勇者様が銀貨で重くなったカゴを家の中まで運んであげている姿を確認した僕たちは、その隙に家と家との間の細い路地に身を隠した。


「きょうはありがとう! またあしたね! やくそくだよ、ゆうしゃさま!」

「うん。お父さんお母さんが帰ってくるまで、きちんと戸締りをしておくんだよ?」

「わかった!」


 玄関が閉められ、閂がかけられる音が聞こえた。仕事から帰ってきたアンナちゃんの両親は、おそろしい量の銀貨を見て飛び上がるに違いない。僕がその場面を想像していると、すぐ隣からヒュッという風を切るような音が聞こえた。それは師匠が息を呑んだ音だった。師匠は何も言わずに僕の手首を掴み取ると一目散に走り出した。


 そこから僕たちは、下町の迷路を駆けて駆けて駆けまわった。それまでの疾走と全く違ったのは、師匠の手のひらに汗が滲んでいたことだった。道の分岐に差し掛かるたび、師匠は怯えるように後ろを振り返って、慎重に道を選んでからまた走り出した。


「コレだから、できる男っていうヤツは……」


 師匠は声を震わせて呟いた。彼女が怯えていたのは、追いかけてくる勇者様の影だった。僕たちは全力で走っているのに、彼はゆっくりと歩いて距離を詰めてきていた。何がどうなっているのか、僕にはよくわからなかった。町に詳しいはずの師匠が、土地勘のない勇者様にどんどん追いつめられてゆく。僕たちは逃げて、逃げて、逃げ回った。しかしついに、目の前が塀に隔てられた袋小路となってしまった。


「……完敗ですね。彼を甘く見ていました」


 ため息をついた師匠は顔の半分を強ばらせて、もう半分は諦めたような笑みを浮かべていた。彼女はそのまま塀に近づいて、掴んでいた僕の手首を離した。


「小鹿ちゃん。あなただけでも、この先へ」

「でも……」

「大丈夫ですよ。私が見つかったところで、取って食われるわけではありませんから」


 師匠は僕の股ぐらに頭を突っ込んできて強制的に肩車をしてきた。


「ハウラァァ!!」


 お決まりの汚い掛け声を出した師匠は、手のひらだけで僕の足の裏を支えてさらに高く持ち上げた。驚異的な筋力で安定した足場を作り出してくれたおかげで、僕だけが塀によじ登ることが出来た。


「軽い軽い。さすが小鹿ちゃんですね。あとで迎えに行きますから、そこで大人しくしていてくださいね?」


 別れ際の師匠は手の汚れを払いながら優しく笑っていた。すぐそこにまで勇者様の影が伸びて来たのを見た僕は塀を1枚挟んだ向こう側に着地して、その場で身を潜めた。



「はじめまして、勇者様」

「……はじめまして?」

「覚えておいででしたか。さすがの記憶力と洞察力ですね。顔色が優れないようですが、お体の具合はいかがでしょうか?」


 少しの間を開けた勇者様は、師匠の質問には答えなかった。


「ボクのあとをつけてたのは、キミだけかな?」

「いいえ。私の他にもうひとり。可愛い妹は先に逃がさせていただきました」

「妹?」

「失礼しました。私、この町で修道女をしております、マリアと申します」

「……その子だけを、どうして逃がしたの?」

「優れた頭脳をお持ちのあなた様ならば、言わずともおわかりでしょう?」


 長い沈黙があった。空を覆っていた雲がさらに厚くなると、空気がぐんと冷え込んだ。


「……どうして、ボクのあとをつけてたの?」

「本当のあなたの姿を見たかったからです」

「期待には応えられたかな?」

「いいえ」

「……もし、知りたいことがあるんだったら、直接訪ねて来てもらえるとありがたいんだけど」

「あなたがウーリール先生を訪ねたように、ですか?」


 勇者様は何も言わなかった。師匠は畳みかけるように言葉を続けた。


「精霊様の教えは概ね正しいと、私も思っています。しかしその教えを伝えてきたのは、私たち人間です。人間というものがどういうものかというのは、勇者様であるあなたなら、お分かりになられているはずだと思いますが?」


 またしても長い沈黙が流れた。雲が薄くなって、周囲は少しだけ明るさを取り戻した。


「欲しいものは欲しいでいいじゃないですか。勇者である前に、あなたもひとりの人間なのですから。それとも、怖いんですか?」

「……どういう意味?」

「……よくわかりました。あなたを丸裸に出来るのは、あの子だけなんですね。しかしながら、自分を偽る者に魔王を打ち滅ぼすことができるとは、私には到底思えません」


 3度目の沈黙は長く続かなかった。師匠がすぐにそれを破ったからだった。


「先生は夜間ならば、家におられることが多いです。腰を据えてお話をするつもりになられたのなら、いつでもお越しください」


 小さな足音が遠ざかった後に、妖精銀の擦れる音も遠ざかっていった。勇者様と師匠の対面は、僕の心にずっしりとしたものと理解したいという気持ちを生み出していた。理解というのは勇者様のことだけじゃなく、師匠のこともそうだったし、世界に対しても、自分自身に対してもそうだった。その時こそが、僕という人間に愛という感情が初めて芽生えた瞬間だったのかもしれない。

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