52 【リンゴ売りの勇者様】
師匠はそんなことなかったかもしれないけれど、路地裏の世界に夢中になってしまっていた僕は完全に勇者様の姿を見失っていた。 幸運なことに勇者様の居場所を教えてくれたのは、ひとりのリンゴ売りの少女だった。
6歳か、7歳か。その少女は牧場の子供と比べれば少し年上っぽい外見はしていたけれど、年端がいかないという点では変わりがなかった。少女は無邪気に声をかけながら勇者様へと近づいていった。
2人のすぐ近くには木箱が積まれていた。しかしこれが僕や師匠ぐらいの背丈だと、ちょうど頭ひとつ分はみ出てしまうくらいの、全身を隠すには少しだけ高さが足りないものだった。仕方なく僕たちは、その木箱の裏で中腰になって少女と勇者様のやり取りに耳を澄ませた。
「はじめまして! りんご、かってください!」
初対面にしてこの図太さ。少女は見上げた商売根性を持っていた。
「うーん。買ってあげたいんだけど、生憎持ち合わせの方がなくって」
何を隠そう、僕たちは路銀を一切持たずして聖都にまでたどり着いていた。それは勇者様の天よりも高い生存技術と、太陽よりも温かい人々の親切のおかげで為し得たことだった。僕はかつて勇者様が言っていた『旅をさせてもらっている』という言葉の重さを、その時にしてようやく理解した。
「え!? ゆうしゃさま、お金もってないの!?」
クソガキはお子様特有の狭い価値観で、人と違う勇者様を嘲笑した。その憎たらしい横っ面を引っ叩きたくなって勝手に動き出していた僕の体は、師匠が余裕をもって制してくれていた。
「そうなんだ。変でしょう?」
「うん!」
勇者様は少女と一緒になって笑った。初対面の子供に話を合わせて自分を笑いものにするなんて、僕が好きになった人は本当に強くて、心が優しい人なんだなと改めて知ることができた。
「でもわたし、ゆうしゃさまにリンゴを食べてもらいたいの! きっと元気が出るとおもうから!」
「それじゃあボクがキミのお仕事を手伝って、そのご褒美にリンゴをひとつ貰う、っていうのはどうかな?」
尽くし難い思いで胸がいっぱいになった。素敵すぎる、この人。僕はそんな提案がすぐにできる勇者様に惚れ直した。
「本当? うれしい! でも、あんまり売れないかも」
「どうして?」
「ここの人たちはもう、リンゴを食べあきてるから。今日も、まだ2つしか売れてないの」
「いつもはどこで売ってるの?」
少女は何も言わなかった。動作だけで伝えたのかもしれない。木箱の隙間を覗いてみても、黒い線がチラチラと動くだけで何も把握できなかった。
「それなら、マーケットの方に行ってみようか」
「でも、かいだんは、ひとりでのぼっちゃダメだって」
「大丈夫。今日はひとりじゃないから」
「そっか! ゆうしゃさま、頭いい!」
「ありがとう。僕はノト。キミの名前は?」
「アンナ!」
「よろしくね、アンナ」
師匠の顔を見て、お互いに頷き合った。そのまま僕たちは中層にある市場へと足を延ばすことになった。
世界各地に点在する教会の総本山がある場所なのだから、当たり前といえばそれまでなんだけど、聖都に暮らす人々は敬虔な信徒が多かった。そういう町で勇者の証である太陽と鏡をかたどった紋章の入った帷子を着ている人が、リンゴ売りなんかをしたらどうなるかというと即完売しかなかった。
繁盛する時間も過ぎていて、閑散としていた市場に勇者様が足を踏み入れた途端、どこから湧いて出たのかというほどの人だかりができた。あっという間に少女の持っていたカゴからリンゴが消えて、かわりに銀貨の小山ができあがった。それどころか、リンゴを買えなかった人たちが勇者様との握手会を始めてしまって、カゴの中はお布施がどんどんと貯まっていって、ついに少女が持てなくなるほどの重たさになった。
聖都に暮らす人たちというのは、とてもマナーの良い人が多かった。集まった人たちは誰からというわけでもなく、綺麗に列を作って最後まで安全に勇者様との握手会を行ってくれた。
まるでおとぎ話のようだった。夢みたいな現実を遠巻きに見物していた僕は、誇らしさと感動が入り混じった思いを噛みしめていた。
「ずいぶんと嬉しそうですね?」
そういう師匠も、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「はい。なんというか……」
時々、自分の無知が恥ずかしくて、悔しくて、切なくなる。僕は自分の気持ちがうまく表現できなくて、言葉を詰まらせた。しみじみとしている暇はそれ以上なかった。握手会を終えた勇者様たちが、こっちの方へと近づいてきたからだった。すでに備えていた僕たちは、すぐ近くにある大樽の中に身を隠して、勇者様とアンナちゃんの会話に耳を傾けた。
「どうしたの、アンナ? 人がいっぱい来て、疲れちった?」
「ううん……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「ゆうしゃさまのぶんのリンゴ、なくなっちゃったから」
無垢な優しさに僕は弱いのかもしれない。このやり取りには、子供が苦手な僕でもキュンと来るものがあった。
「そうだね。リンゴは毎日売ってるの?」
またしてもアンナちゃんからの返事は何も聞こえなかった。
「そしたら明日、同じ時間に会いにいくよ。リンゴはその時に。今日はお疲れ様でした。家まで送らせてくれるかな?」
「うん!」
問題は解決したようだった。ふたつの遠ざかっていく足音が、樽の中で小気味よく響いた。
「……階段を下りていったみたいですね。行きましょう。ほっ!」
師匠は手を使わず、跳躍のみで樽の中から飛び出した。僕は樽のフチに両手をかけて、のっそりと外へと這い出た。美しく整えられた石造りの町並みを堪能する間もなく、僕たちは再び下町へと向かった。




